第59話 傍にいるから
ホウデンが逃げ込んだ集落は十数戸ほどの集まる村とも言えない集落で、主に木こりと狩りで生計を立てて暮らしている。
家々は小さな川に沿い、傾斜のある沢にしがみつくように建てられていた。
板を継ぎはぎしたバラック小屋のような家屋が建ち並び、物々しく武装してきた二十名の自警団とリュウヤを、建物の陰から物珍しげに眺めていた。
リュウヤと自警団は先発で到着していた男に案内され、集落の長であろう比較的立派な民家の中に入った。リュウヤと自警団のリーダーだけを奥の土間へ連れていくと、男は小窓の傍に寄ってリュウヤを手招きした。
「あそこだ」
案内役の男が、リュウヤの後ろから囁いて、集落の一番奥にある小屋を指差した。
「あの小屋にはちっちゃい娘一人とじいさんだけ。ホウデンは娘を人質にとっている」
「二人とも無事か?」
「今のとこな。じいさんに飯作らせたり、外を見張らせてる。よぼよぼだから、あの足では満足に逃げ出すこともできん」
「どうする。町長はアンタにやらせると言ったが、人質がいる以上、夜を待って夜襲を仕掛けた方が確実じゃないか」
窓の外を眺めながら、自警団のリーダーが言った。
リュウヤと一つ違いの年上で、道すがらリュウヤと旅の話やレジスタンスの話をしている内に、リュウヤに好意を持ち始めたようだった。
申し出は嬉しかったが、リュウヤは首を振った。
「良い案だが、長期戦になると人質が危ない。少し休んでから俺一人で行く。二時頃ならちょうど良いだろう。夜襲は俺が駄目だった時に考えてくれ」
リュウヤは居間に戻ると、家の者から水とパンを数切れを貰った。
朝早く山を登って村に到着したのが、昼近く。眠気と軽い疲労感や空腹感があった。食い終わると近くの柱に寄りかかって眼をつぶった。
リリシアとロナンは町で待たしている。二人は町の門まで見送りに来て、互いに見えなくなるまでずっと見送っていた。
リリシアはついて行くと言ったが、ロナンの身が心配だからと町に残した。 今までになく不安げに見つめる、リリシアの潤んだ瞳が脳裏から離れなかった。
一見、華奢で小柄な身体つきのリリシアは頼りなげで、雨に打たれて震える小鳥のように見えた。レジスタンスでも抜きん出た強さを持っているのに、弱い部分をリュウヤに隠そうとしない。
いとおしく、庇護に似た気持ちがリュウヤの心に溢れていた。
――不覚をとるわけにはいかんよな。
いつの間にか存在が大きくなったリリシアに驚きながらも、リュウヤは眠気に誘われて眠りの底に落ちていった。
時間になって、リュウヤを自警団の一人が起こしにきた。
目覚めると、リュウヤの周りに自警団の男たちが緊張した面持ちでリュウヤを見つめている。窓から射し込む陽はまだ明るく、休んだおかげで身体が軽くなっていた。
「……時間か」
大きく息をついて、リュウヤが立ち上がった。
リュウヤが小屋に近づくと、気配を察して小屋の中から人影が飛び出してきた。
殺気が乗り移ったような血走った眼で、リュウヤを睨んでいる。剣を向け、反対の左腕に五歳くらいの幼児を抱えていた。
「貴様か……。リュウヤ・ラング」
「ホウデンさん。身体は大丈夫か」
「やかましいぞ、リュウヤ」
歯を剥いてホウデンが唸った。悪鬼の形相からは、初めて出会った頃の剽軽な面影が微塵も残っていなかった。たった数日で別人のように思えた。
「ホウデンさん。その子、怖がっているじゃないですか。その子くらい放してやってください」
「き、きき、貴様の、貴様の娘を解放するわけないだろうが。馬鹿め」
「……」
狂人の思考は、空想と現実が判別できなくなっているらしい。リュウヤの背筋に戦慄が奔った。
リュウヤは両手を挙げながら言った。
「ホウデンさん。俺はホウデンさんと話がしたい。少しいいか」
「……」
「俺は剣に手を掛けていないぞ。それとも、剣を外に置いとこうか」
ホウデンはリュウヤと剣を見比べて、いいだろうと顎で促した。ホウデンは娘に刃を突きつけたまま、じりじりと後退りして家屋に入っていく。
リュウヤは家屋に入ると、老人が怯えたまま出入り口付近で縮こまっている。 機転が利くタイプではないと見越して、リュウヤはだらりと下げた両手を強調しながら、無造作に手をぶらつかせていた。
「それで、話はなんだ」
刃を娘に突きつけながらホウデンが言った。
「ここが、町の自警団に囲まれているてのはわかってますよね」
リュウヤはあくまで“ホウデンさん”として、ホウデンに接していた。
哀れな狂った男をぎりぎりまでなんとかしたいという気持ちが、リュウヤにそんな態度をとらせていた。
「みんな、町を守るために鍛えられている連中。それなりに腕が立つ。幾らホウデンさんでも殺られる」
「殺られるだと?あんな連中に、イステファン随一の使い手が簡単に殺られるものか」
「簡単に、ということは、そのうち殺られるてことがわかっているんでしょ?」
「……」
「武器捨てて、人質放して裏口から逃げてください。山越えればメナム地方まで行けば、連中も追ってこないでしょう」
「ヒルダがいないのに、メナムまで行ってどうする。追ってこないだと?いい加減なことを言うな」
「アンタ、このまま斬り死にするつもりですか」
苛立ちのあまりリュウヤは少し語気を強めると、ホウデンはおうよと低い声で、剣を持つ手に力を込め直した。カチャリと鳴った音に娘がヒッと小さな悲鳴をあげた。
「斬って斬って斬りまくる。貴様も俺を斬りに来たんだろう?」
そうですと言って、ホウデンを見たままリュウヤは頷いた。
「ただ、連中だって命は惜しい。そこで連中は俺に、ホウデンさんを斬るよう依頼してきたんです」
「ちょうど良い。ヒルダの敵討ちだ。まずは貴様の娘を殺して、俺の苦しみを味わえ」
ギラリと抜き身の刃が不気味な光を帯びた。
「ホウデンさん、待て。その子は俺の子じゃない。関係ない子だ」
「おい、娘。お前の父親に何か言い残してやれ」
「ホウデンさん、やめろ……」
突きつけられた刃を頬にして、お父ちゃんと娘が呟いた。両目に涙を溜めてリュウヤを見つめている。
「……お父ちゃん、助けて」
震える娘の一言で、リュウヤは迷いを払い決意した。剣士としての本能が、リュウヤの全神経を研ぎ澄ましていく。
「わかった。今、助ける。君の名前は何て言う?」
「……ミナ」
「よし、ミナ。目を閉じているんだ。神様のことだけを考えていろ。いいね?」
リュウヤが落ち着かせようとミナに優しく語りかけると、ミナは小さく頷いて目を閉じた。
「よし、それがお前の遺言だな」
ホウデンの邪悪な笑みが大きくなり、束に力が込められるのがわかった。
――刺すか斬ってくるか、掻き斬ろうとするか。
ホウデンの動き次第で、こちらの動きも変わる。だが、それには一瞬の判断が必要だった。
リュウヤは両手を無造作にだらりと下げて、ホウデンを見据える。だが、リュウヤの五感は、ホウデンの一挙手一投足をとらえている。
「死ねい!」
ホウデンは剣を振り上げた。
瞬間、リュウヤは音もなく駈け、目にもとまらぬ速さでホウデンの眼前に迫っていた。愕然とするホウデンの表情がリュウヤの視界に広がっていた。ルナシウスの閃光が下段から奔った。
抜き打ちに放った刃は、ホウデンの脇から肩まで一気に斬り裂いていた。
ホウデンの上半身が吹き飛んで壁に叩きつけられ、残った半身が鮮血を噴き出しながら後ろに倒れていった。ホウデンは呆気にとられた顔のままでいる。もしかしたら、自分が斬られたとも気づかないまま絶命したのかもしれない。
「怪我はないか。ミナ」
リュウヤはミナの身体を抱えながら聞くと、胸元から「ウン」と返してきた。ミナが顔を上げようとしたので、そのままにしてろと頭を軽く抑えた。
「見るな。こんなの見なくていい」
リュウヤは剣を収めミナを抱えて立ち上がると、腰を抜かしている老人を促して、足早に家屋の外へ出た。
表に出ると、日の眩しい光が正面から差してきた。外で待機していた自警団の男たちは、リュウヤたちの姿を見てどっと歓声をあげた。
「怪我は無いか」
寄ってきたリーダーに女の子を預けると、後は頼むと言い残して、来た道に向かって歩き出した。
「……お父ちゃん」
ミナの声が後ろから聞こえた。振り返ると、リーダーに抱えられたミナが目を真っ赤にしてリュウヤを見ている。
「ありがとう」
暗く落ち込んでいたリュウヤだったが、その一言で救われた気がした。リュウヤは小さく笑うと再び道を歩き始めた。
さっきよりも、足が軽くなった気がした。
峡谷の暗く細い野道を一人で歩き、数時間かけて山を降りて町に戻ると、門の近くに三人の人影が映った。
時刻は夕暮れ時に近づいていて、陽が傾き始めていた。力のない陽の淡い光が三人を照らしている。 一人がリュウヤの姿を認めると、急いで駆け寄ってくるのが見えた。
小柄な影で、リリシアだとすぐにわかった。
「リリシア、ただいま」
だが、リリシアは無言のままリュウヤにしがみついてきた。胸元に顔を埋め、両腕を腰に巻つけて、力一杯締め付けてくる。
「大袈裟な出迎えだな。どうしたんだよ」
「リュウヤ様が、もしかしたらなんて言うから、私、心配で、心配で……」
「悪かった。大丈夫だよ、俺は」
リュウヤは震えるリリシアの背中に、そっと手を回した。背中の向こうから町長が歩いてくるのが見えた。手には小さな袋を持っている。
「ご苦労だった。謝礼の金だ。金貨十枚程度だがとっといてくれ」
「金はいらない。それよりも……」
リュウヤは門に佇む人影を見つめた。町長も振り返って、わかっていると呟いた。
「ロナンさんの面倒はこちらで見る。あれではもう剣も振れないし、変な気も起こせんだろう」
二人が見つめる先で、夕陽に照らされたロナンは静かに立ちすくみ、残る左目で兄が討ち果たされた山をじっと見上げていた。
※ ※ ※
「リュウヤ様、どうしました?」
夕食を済ませ、その他所用も終わってあとは明日に備えて眠るだけなのだが、リュウヤはじっと焚き火の前に座ったままだった。
「明日から竜の山。休んでおかないと」
「うん……。ちょっと考えることあってさ」
二人は竜の山へと続く道へと戻っていた。
引き返すことを決意した同じ場所で野営をし、明日にはひとつめの渓谷に向かう。
「もしかして、ホウデンさんたちのことですか」
「敗戦処理しただけだったな、て。ロナンさんはあんな身体にされて、ホウデンさんは狂ったまま死んで、町も死人をだした」
「それで、あんな早く町を出発したのですか」
「それもある」
リュウヤは苦笑いして、隣に座ってきたリリシアを見た。
リュウヤたちは町に戻ると町長の歓待を断って、その日のうちに出発した。
先を急ぐ理由は確かにあったが、知人を斬っておいて、酒を飲んで騒ぐ気など到底なれなかったのもある。
ロナンとは門で言葉を交わしたきりとなって、出発する際も挨拶もしていない。ホウデンを救えなかったことが心残りで顔を会わせづらかった。
これから、ロナンがどう暮らしていくのかはわからない。関知すべきことではなかった。あの町で幸せになってくれればと思うだけだった。
ただ、こうなる前に彼らを何とか出来たのでは、という後悔に似た感情は強く残っていた。
「それは、贅沢だと思います」
リリシアはきっぱりとした口ぶりで言った。
「もし、リュウヤ様があの町に行かなかったら、私の反対を押しきって行かなかったら、町はどうなっていたと思います。ロナンさんだって、この世にいなかったでしょう」
「……」
「謙虚さや反省する気持ちは大事なことだと思いますが、いつまでも責めて引きずるのとは違うと思います。リュウヤ様の引きずりやすいとこ、良くないです」
言ってから、リリシアは自分の発言に気がつき、ごめんなさいとうなだれた。
「リュウヤ様に偉そうに説教なんて……」
「いやいや、俺、そんな偉くもないから。言ってくれるのは助かるよ。一人だったら、グジグジ悩んでたところだった。リリシアがいてくれて本当に良かった」
リリシアがいてくれて、というのはリュウヤの本心だった。
クリューネにも叱られたことがあって、気づかされたこともある。どんなに強くても、一人だけでは生きられないのだと改めて実感していた。
本心と言えば、そういう意味で本心だった。だが、リリシアは少し別の受け取り方をした。
本当ですかと、リリシアは嬉しそうに笑うと、突然、リュウヤの手を小さな両手で包むように握ってきた。
「私、リュウヤ様が好きですから、悩んでいる姿なんか見たくないんです」
「……」
「リュウヤ様が笑ってくれるなら、力になるなら、私はずっとリュウヤ様の傍にいたい」
「え、えと……、つまりそれって……」
はい、と顔を真っ赤にしながらも、じっとリュウヤを見つめていた。
「私を、リュウヤ様の妻にして下さい」
言ってからリリシアはリュウヤの指先を吸い、身を委ねてきた。山を降りてきた時にもリリシアはしがみついてきたが、その時とは異なる感覚がリュウヤの中にあった。
――俺がきっかけをつくってしまったかな。
ここまでの旅でリュウヤに見せてきたリリシアの行動は、自分に何かを伝えたいということはわかっていたが、気づかぬフリ、見て見ぬフリをすることで誤魔化してきたのだが、自分でその機会をリリシアに与えてしまった。
「俺には大切な人がいて……」
「セリナという人ですか?」
驚いてリリシアを見ると、リリシアは涙を溜めて、リュウヤの顔に寄せてきた。
「以前、寝言でその名を呼んで、涙を流しているリュウヤ様を見たことがあるんです」
「この世にはもういないけど、俺はセリナを忘れられなくて。だから……」
「忘れなくてもいいんです。でも、私は生きているんです。生きている私を愛してもらえないでしょうか」
リュウヤは返答ができず、目を逸らした。パチリと焚き火にくべた薪の弾ける音だけが、静寂の夜に響いている。
やがて、リリシアが静かに身を引いて立ち上がった。
「ごめんなさい。でも、私はリュウヤ様を待っています」
リリシアはそう言い残して、テントの中に消えていった。一人残ったリュウヤは、呆然と焚き火を眺めていた。
――三年か。
ミルト村が消えて、それくらいになるかと思った。。十七歳の高校生だった片山竜也も、今は二十歳の青年となっている。
セリナに対する想いは変わらないが、先ほどリリシアの身体に感じたのは、セリナに対する愛情と同様のものだった。
セリナは死に、リリシアは生きている。
「……もう、いいのかな」
リュウヤは焚き火を消すと、テント周辺に張った結界を確認し、テントの中に入った。
布団が二つ敷かれ、リリシアが奥でシーツを被っている。頭だけがちょこんと出ていた。 リュウヤは自分の布団に向かわず、リリシアの布団に潜り込んだ。リリシアの後ろから手を回し、抱き締めた。小柄だが、丸みのある肉づきは女の身体をしていると思った。
花のような香りがした。
「リリシア」
リュウヤが耳元でささやいた。
「今日は寒い。一緒に寝ていいか」
「……今日だけですか?」
「これからも、ずっと傍にいるから」
リリシアはリュウヤに向き直ると、微笑を湛えながら両手をリュウヤの肩にやさしくまわしてきた。
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