第57話 度し難く

 リリシアからロナンとホウデンの身の上話を聞き終えると、リュウヤは焚き火の前で考え込むようにして腕を組んだ。暗闇の中、周りには堅牢な山々が圧するように迫り、狭い野道では、紅い炎がリュウヤとリリシアの姿を暗く浮かび上がらせている。


「どうしたんですか?」


 リリシアは焚き火にかけた鍋から、お椀にスープを注いでうかない顔をしているリュウヤに手渡した。晩御飯はポトフで、リリシアが得意としている料理のひとつである。


「ホウデンさんたち、ちょっと気になってさ」

「でも、わかれてしまったし、私たちもこれから“竜の山”という難所。これ以上は心配しても」

「うん、まあ、そうなんだけどね」


 リュウヤは傍の魔法の鞄から、小枝のような二本の木製の棒切れを取り出すと、棒切れを器用に使って肉や野菜を摘まんで口に運んでいる。

 旅の途中、リリシアが食器を洗っている時に川でフォークを無くしてしまい、リュウヤが手頃な木片を削って研いて箸をつくってみたところ、懐かしさもあって食事時には頻繁に用いるようになっていた。

 リリシアからすれば妙な小道具を使うと思っていたが、使い方が様になっているので、竜族の作法のひとつなのかと勝手に解釈して何も言わないでいた。

 その箸を宙にさ迷わせながら、リュウヤがまた言った。


「ホウデンさんやヒルダも危なさそうだけど、ロナンさんも相当、追い込まれてるよ、あれ」

「ですから……」

「悪かったよ。ごめん」


 ホウデンとロナンとは三日ばかり一緒に旅をしていたが、ミツガルドの丘という岩ばかりの荒涼とした丘で、メナム地方を目指すホウデンたちと別れることとなった。

 リリシアからしてみれば、二人きりの旅を邪魔された上に、緊張の連続でろくに寝られないでいた。せっかく解放されたのだから、他愛のない会話が続く、二人きりの世界に戻りたい。


「それよりも、ポトフいかがですか?」

「うん、お肉もやわらかくて味も染みておいしい。さすがリリシア」


 こんなリュウヤとの会話の方が、よほど実があり楽しい。


「クリューネは下手でさあ。ごてごて煮るか焼くしかパターンがないし、味付けは塩しか知らないから、これがまたしょっぱいんだ」


 こんな余計な言葉を加えなければ。


「今度さ、機会あったら、あいつに料理の手解きしてやってくれないか」

「……クリューネが望むなら」


 本心では、平身低頭、跪いて靴を舐めれば教えるとまで言いたいところだったが、リュウヤにそこまで度量の狭い女と思われたくなかったので、口に出すのは控えることにした。


「ところで、竜の山までは、あとどれくらいなんでしょう」


 クリューネという女など、癪にさわるだけで面白くもない話などしたくもないから、リリシアは急に思い出したのを装って話題を変えた。


「うん……。そうだな」


 リュウヤは箸をカツカツと鳴らし、椀のなかを口のスープや具をかっこむと、リスのように頬を膨らませたまま、魔法の鞄からエリンギアからバルハムントの首都アギーレまでが描かれた地図と鉛筆を取り出した。

 ヴァルタスの知識と記憶を基に、鉛筆で指し示しながら数字や記号を地図に書き込んでく。


「ほほがひまひるほと」

「……」

「あふぉ、ひゃひろくはいあふいへ、ひちにちくはい」

「リュウヤ様、何言ってるかわからないので、口の中のもの飲み込んでからにして下さい」


 リリシアにたしなめられると、リュウヤは慌てて口の中のものを飲み込むと悪いと謝って言い直した。


「ここが今居るとこで、こっちが竜の山。距離にしたら百キロ程度だけど、その間に二つの渓谷を越えないと行けない。魔物も、グリフォンやキメラといった飛獣が多いかな」

「……厳しいですね。そこを越えて、やっと竜の山ですか」

 

 リリシアは地図に目を落としたまま、顔をしかめた。リリシアは防御系と回復系に特化していたため、これといった攻撃魔法がない。特に足場の悪い渓谷での近接戦闘は、苦戦を強いられることになるだろう。


「リリシアの技は飛獣や魔法生物に十分通用する。俺だって頼りにしてる。自信持てよ」


 リュウヤの言葉に嬉しくなって顔をあげると、リュウヤはじっと地図に目を落としたままでいる。


「何か、気になることでも?」

「いや、ホウデンさんらと別れたミツガルドの丘からメナム地方に入るまでに、町や村が幾つあったかな、と思って」

「リュウヤ様……」

「ごめん、ごめん。もう言わないよ」


 リュウヤはリリシアにお代わりをお願いしてお椀を渡すと、地図と鉛筆を鞄の中にしまった。

 

 だが、リリシアにもう言わないとは約束したものの、リュウヤの中にはホウデンたちがその後が気になって頭の中で引っ掛かっていたのである。


 ――こうやって、のんびり寝られた夜てあるのかな


 隣の布団では、リリシアが小さく穏やかな寝息を立てている。ホウデンとの旅した三日間がよほど疲れたのか、布団で横になると泥の中へ沈むように眠ってしまった。

 気の休まらなかったのはリュウヤも同様で、ベヒーモスやホウデンがいつ狂乱して暴れだすか内心、冷や冷やしていたものだった。


 ――それが二年以上か。


 思い詰めたような陰鬱な顔をしていたロナンを思い出しながら、リュウヤは現在地からメナム地方までをなぞりながら、じっと地図を眺めていた。

 

  ※  ※  ※


「せっかくあそこまで来たのに、引き返さなくても……」

「しょうがないだろ。やっぱ気になるんだから」


 ぼやくリリシアの先を、リュウヤが足早に歩いていく。

 百年ほど前までは、ミツガルドの丘には長大な砦があったというが、竜魔大戦で破壊され、その名残を思わせるものは城壁の土台となる石が点々と積み重なっているのがあるくらいで、あとはごつごつした岩ばかりの荒涼とした光景が広がっている。

 リュウヤたちは砦跡を沿って丘を登り、途中の看板と太陽の位置を目印に、北へと向かった。丘を越えると次第に周りには草木が増え始め、荒野の乾いた空気から、木々の潤いに満ちた空気へと変わっていった。


「メナム地方に入るまでに、小さな町がひとつあるはずだ。そこまで行ってみる」

「その町まで、どれくらいなんですか」

「そんなに遠くない。せいぜい五十キロくらいだ」

「……五十キロ」


 リリシアは愕然として、言葉もない。

 結局、リュウヤたちはホウデンたちが気掛かりとなり、竜の山から引き返してしまっていた。

 虚ろなホウデン。憔悴したロナン。獰猛なベヒーモス。

 彼らが頭から離れず、奇妙に胸がざわめき、不吉な予感がリュウヤを駆り立てていた。

 気のせいであってほしい。何事も無ければいい、と思わずにはいられなかったが、拭いされない不安が足をホウデンたちに向けていた。


「リュウヤ様の気のせいではないですか。これまで、特にトラブルは起こしてないはずです」

「本人が言ってたの?」

「……いえ」

「黙っていただけかもしれんぞ」

「でも、あれだけ身の上話を打ち明けてくれたのに、まだ他にあるとは思えないんですけど」

「そりゃ、同情してくれそうな部分なら話せるさ。反対に、都合の悪いことなんて誰だって話したくないだろ」

「それはまあ……」


 言われれば、リリシアにも心当たりがあることなので、口をつぐんだ。

 クリューネがリュウヤに惹かれているだとか、自分がリュウヤの腕や身体に触れる度に感じてしまったりだとか、眠るリュウヤの傍らで自ら慰めているだとか、マイナスになりそうなことはリュウヤにも打ち明けたことはない。

 リュウヤにはあるのかと疑問が過って尋ねようとした時、行く手をリュウヤたちの前を、武器を手にした三匹のオークが立ちふさがった。

 でっぷりと醜い身体を揺すり、下卑た声を発している。

 リリシアが身構えて立ち止まったのに対し、リュウヤは意にも介さず通りすぎようとしていた。

 激高したオークが何か叫ぼうとした時、キラ、キラ、と煌めくものがリリシアの目に映った。リュウヤが剣を鞘に戻した時には、オークらは糸が切れたように崩れ落ちている。

 リュウヤの後を追い斬撃の痕を確認すると、オークたちは一刀ずつ、胸を斬り裂かれて死んでいた。

 しかし、リュウヤは気にもとめないで歩き続けている。


「取り合えず、町まで行ってホウデンさんたちを確認しようよ」

「は、はい」


 リリシアはオークの死体を見送りながら、リュウヤの後に慌ててついていった。


 ――なんという人だろう。


 息をするように相手を斬るなど、自分には到底出来ることではない。目指すにはあまりにも実力が違いすぎる。

 そんな途方も無い人が大慌てで引き返し、半病人みたいな連中を追いかけていく。

 自分が感じることが出来ない何かを、この人は何か感じているのだろうか。

 半信半疑は未だに拭えなかったが、リリシアはリュウヤの後を追い、一行は森を抜け山を下った。夜も休まず五十キロの山道を歩き続け、町に近づいたのは明け方になってからだった。

 山を下り、町の方角を示す看板を過ると、しばらく閑散とした道を歩いていた。周りは雑木林や、枯れた草木が繁る草原ばかりで、そんな草原を歩くいていくて、リュウヤの足が不意に止まった。

 急に立ち止まったのに気がつかず、寝不足気味のリリシアがリュウヤの背にぶつかって「ふぎゃっ」とかえるが潰れような声を挙げた。


「……ロナンさん?」


 リュウヤの声にリリシアが前方を見ると、旅装の若い男が杉の木を背にうずくまっている。左腕がひどく出血し、激しく息を喘がせながら、力無い目で遠い空を見つめていた。

 人の気配に気がついたのか、男が二人に視線を向け「やあ」と口だけで笑ってみせた。


「ロナンさん!」


 リュウヤとリリシアがロナンに駆け寄ると、怪我の状態を見て、思わずウッと呻いた。出血がおびただしい左腕は肉のタオルのように垂れ下がり、右手は小指から中指までが千切れたように欠けていた。

 顔面の右側に切り裂かれたような痕があり、血と肉が混ざっているように見えた。


「とにかく手当てだ。リリシアは左腕を」


 リリシアは堅く口を結んで、無言で頷いた。リュウヤはロナンの頭部に“全快癒リーフレイン”の魔法をかけた。高位魔法に属する魔力のおかげで血が止まる気配はあったものの、ロナンの顔面の肉は奇妙に歪みをみせたまま修復されていく。傷があまりにも深すぎたために、元の状態まで治すことができないようだった。


 ――右目は完全に駄目か。


 リュウヤが唇を噛み締めたとき、ロナンからリュウヤさんと囁くような声が漏れた。


「兄さんが……、ヒルダが……」

「ホウデンさんたちはどうしたんだ。何があった」

「兄さんは、やっぱり遠い世界の人間だったんです。もう、帰ってくることのない遠い世界の人間。ヒルダが連れていってしまった……」


 うすく目を開いていたロナンの声が次第にか細くなり、終いにはただの息づかいのような声となっていた。リュウヤは口を耳に近づけてロナンを呼んだ。


「ロナンさん。ホウデンさんはどこへ」


 リュウヤの問いに、ロナンがぼそぼそとした声で言った。


「この先の、町へヒルダと一緒に……。町の外で待たせたのですが、食料を買いに行っている間に、町の人と争い……、そしたらヒルダが暴れ始めて……。私も襲われて、ここまでやっと……」

「わかった。わかった、もう、いい」


 リュウヤは立ち上がると、ルナシウスの目釘を改めて腰に戻した。大きく息を吐くと、両手で自分の頬をピシャリと叩いた。


「後を頼む」


 リュウヤがリリシアに言うと、リリシアが答える前に町へ向かって駆け出していった。


「兄さん……。ああ、兄さん……」


 ロナンはうわ言のように呟き、残った左目から涙を流している。


「ロナンさん、頑張ってください」


 この人の心を癒す魔法はないだろうかと思いながら、リリシアは回復魔法をかけ続ける手に力を込めた。

 あまりにも憐れで泣いてしまいそうになり、リリシアはロナンの顔をまともに見ることが出来なかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る