第15話 堕天の少女

「ティナ……」


 突如として俺の前に現れたのは、命を落として物言わぬむくろと化していたはずのティナだった。

 そのティナの変容ぶりに俺は思わずうめくように声をらした。

 純白だったその両翼は片方の翼が漆黒しっこくに染まっている。

 そして頭の上に浮かぶ天使の輪の下の桃色の頭髪の間からは、悪魔の特徴である黒い角が生えていた。

 天使と悪魔の両方の特徴を持つその姿はまぎれもなく堕天使だてんしのそれだ。


 ティナが堕天使に?

 いや、そもそもティナはすでにライフが尽きて断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーの影響でコンティニューも出来ない状態だってのに……。


『フッ……ククク。見せたいものがあると言ったであろう。バレットよ』


 そう言って笑うのは俺の噴殺炎獄拳ヴォルカニック・ブラストを受けて燃え盛り、さっきまで気を失ったように動かなくなっていたグリフィンだった。

 すでに炎は消えていたが、黒いすすまみれとなったグリフィンの体からは今もなおブスブスと白い煙が立ち上っている。

 それでも奴は人喰い虎チャンパワットの上でムクリと起き上がると、いびつな笑みを浮かべて俺を見下ろした。


「見せたいものってのはアイツのことか」

『そうだ。ティナは自ら修復術を打ち捨てて私の野望を打ち砕いたつもりだろうが、しょせんは小娘のはかない抵抗だったな。バレットの体に隠されたバックアップの存在をこの私が見逃すはずもなかろう。貴様を拘束した際にその体から採取したプログラムの中から、バックアップの存在を見つけ出すのはそう難しいことではなかった。この私にはな』


 天使長イザベラの予感は的中していた。

 こいつは修復術のバックアップ・プログラムを俺の体の中からすでに見つけ出していたんだ。


『とはいえ、修復術を再インストールしたところで、ティナの体内から直接それをを取り出すのは危険がともなうと一度目で分かったのでな。ならばティナの体を乗っ取ってしまうほうが早かろう。天樹でティナの身柄みがらを奪ってから、あの体に不正プログラムを注入して堕天使化を試みたのだ』

「堕天使化……」


 天使が堕天使になるのは様々な原因で属性がやみ側に傾いた時であり、天使を強制的に堕天使化する技術はないはずだ。

 目をく俺を見てグリフィンは心底愉快そうに笑いやがった。

 炎に焼かれて黒げになっているくせに苦痛も感じていないのか。


『堕天使化の不正プログラムは時間をかけてゆっくりとティナの体を侵食した。十分な時間をかければ、ティナほど純度の高い光の属性を持つ者でもあの通りだ』


 そう言うグリフィンの言葉通り、ティナの属性は光からやみへと変化していた。

 あれほど光側に振り切れていたティナの属性が、今や正反対のやみ側へと逆に振り切れている。

 それは信じ難い出来事だった。

 だがティナが今その体から放つ禍々まがまがしい殺気は属性変化のせいだろう。

 片翼の色が変わり頭部に角が生えるなど、姿かたちに多少の変化はあれど見た目はティナそのものだが、中身はまるで別人だ。


『まあティナほどの光属性をやみ属性に変化させるのは時間がかかるからな。その時間を潰すために貴様と遊んでやったんだ。バレット』


 くっ……この野郎。

 こっちは生きるか死ぬかのギリギリの戦いだったってのに、グリフィンにとっちゃお目当てのティナが堕天するまでの時間ヒマつぶしだったってのかよ。

 俺は怒りに拳を震わせながらグリフィンをにらみつけた。


「チッ。ティナは断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーの呪いで復活不能なはずだ」

『堕天使化の秘薬の中に混ぜておいたのさ。断絶凶刃コンティニュー・キャンセラーの呪いを解くプログラムをな。私にはそんなことは造作もない』


 確かに断絶凶刃コンテニュー・キャンセラーを生み出したのはグリフィンだ。

 呪いの解除など朝飯前なのだろう。

 俺たちがそうして問答を続ける間、ティナは海上に浮かんだままじっとこちらを見ている。

 俺はその様子に苛立いらだって声を張り上げた。


「ティナ! いつまでも寝ぼけてんじゃねえ! 何だそのザマは」


 だが、聞こえているはずの俺の声にもティナはまったく反応しない。


『ムダだ。もはやティナに自我はない。貴様のことも天使長イザベラからの指令もすべて忘却の彼方かなただ。今のティナはただ私のプログラム通りに動く木偶でく人形に過ぎぬ』


 そう言うとグリフィンはティナのいる方角に手を差し伸べ、手招てまねきをする。

 するとそれに応じるようにティナがこちらに向かってゆっくりと海上を移動し始めた。


『ティナは今や私の思いのままだ。もはや貴様に出来ることは何もない。おろかであわれなバレットよ』

「ふざけんじゃねえ!」


 グリフィンを無視して俺はティナを押し留めるべく、その行く手に立ちはだかった。


「ティナ! いい加減に……」


 そう言って俺が伸ばした右手はティナの体に触れる前に強烈な衝撃に弾き飛ばされた。


「うあっ!」


 弾き飛ばされた右手が指先からひじまでビリビリとしびれて動かなくなる。

 そんな俺を無視してすぐ脇を通り抜けると、ティナはグリフィンの方へ向かっていく。


「待て! ティナ!」


 そう言って追いすがる俺の左手が右手と同じように何かにさえぎられて弾き飛ばされた。


「うぐっ……」


 左手も右手同様に痛みを伴うしびれで動かなくなってしまう。

 まるで触れるものすべてをこばむ電流がティナの周囲を取り囲んでいるかのようだった。

 そうか……。

 海棲人マーマン首領キャプテンが傷だらけで飛ばされてきたのはあれをまともに食らったからだ。

 ティナのことを預けたのが首領キャプテンにとってあだとなっちまった。

 外敵からティナを守ろうとしていた首領キャプテンも、まさかティナ本人にぶっ飛ばされることになるとは予想していなかったんだろう。


「ティナ! トチ狂ってんじゃねえぞ! そんなクソ野郎の操り人形になるつもりか!」


 ムダだと分かっていてもそう声を上げずにはいられず、俺は今しがた満タンになったばかりのバーンナップ・ゲージを惜しみ無く使って【紅蓮燃焼スカーレット・モード】を発動させた。

 そしてあふれ出る体中の魔力を全開にして、まだしびれと痛みの残る両腕でもう一度ティナを捕まえようとした。

 だが、そんな俺の両足に何かがからみつく。


「うおっ!」


 それは海面から伸びてきた2本の触手……いや、脚だった。

 吸盤の付いたその脚を伸ばしてきたのは海面下でただよう大ダコだった。


「またてめえか! 鬱陶うっとうしいんだよ!」


 俺は大ダコの脚を灼熱鴉バーン・クロウで焼き払うが、その前に次々と海面から現れた無数の脚が俺の体中にまとわりついてくる。

 こ、こいつ……脚が一体何十本あるんだ。

 バグでおかしくなっていやがる。

 脚を全て焼き切ろうともがく俺を見ながらグリフィンの奴は言う。


『そこでおとなしくながめていろバレット。私が最後のピースを手に入れる姿をな』


 そう言うとグリフィンはすぐそばまで近付いてきてそこで静止したティナに手をかざす。

 奴は俺や海棲人マーマン首領キャプテンのように吹っ飛ばされることはなく、易々やすやすとティナの眼前に手のひらを向けていた。

 そして次の瞬間……。


『ガウフッ!』


 巨大な人喰い虎チャンパワットの口が小さなティナの体を一瞬で丸飲みしんだ。


「なっ……」


 俺は大ダコに抵抗することも忘れて呆然ぼうぜんと目を見開いた。

 ティナはまたたく間にとらの体内に飲み込まれてしまった。

 するととらの背中に陣取るグリフィンの前に、ムクムクッともうひとつの人影が生まれ出た。

 とらの背中から生まれ出たそれは、言わずもがなティナの姿だった。

 ティナが……取り込まれた。


 あいつはグリフィン同様に上半身だけの姿で虎の背の上にたたずんでいる。

 その目からは光が失われ、その顔からは一切の表情が消え失せていた。

 まるで人喰い虎チャンパワットの背中に2人乗りしているような異様なその姿に俺はくちびるむ。

 そしてそんな俺とは対照的にグリフィンは両手を天に突き出すようにかかげ、嬉々として天を仰いだ。


『ククク……ハッハッハ! ついに、ついに手に入れた。不正プログラムと修復術。陰陽両輪のこの力こそ、我が悲願成就じょうじゅのためのかぎだ』


 そう言うとグリフィンは長槍を頭上に掲げた。

 槍が再び光を帯びて、長さ数百メートルはあろうかという巨大な光の槍に変化する。

 そしてグリフィンはそれを横一閃になぎ払った。

 途端とたんに俺の体にまとわりついていた大ダコの脚が全て切り離され、俺は自由を得た。

 あの野郎……俺じゃなく大ダコの脚をねらいやがった。


「てめえ! どういうつもりだ。遊んでいやがるのか」

『いいや。遊ぶのはこれからだ。バレット。かかってくるがいい。もう貴様は私に指一本触れることは出来ん』

「抜かせっ!」


 俺は怒りのままに【紅蓮燃焼スカーレット・モード】の力を駆使してグリフィンに襲いかかった。

 だが、グリフィンは光の槍を振るうでも魔塵旋風ダスト・デビルを放つでもなく、ただ黙って俺を見据みすえている。

 だというのに……。


「なっ……」


 グリフィンにあと数メートルのところまで迫っていた俺が拳を振りかざした瞬間、グリフィンは一瞬で俺から数十メートル先に移動していたんだ。

 ば、馬鹿な……グリフィンの奴は瞬間移動でもしたのか……ん?

 俺は周囲の状況を見て自分に起きた異変に気付き愕然がくぜんとした。

 

「マジかよ……」


 移動したのはグリフィンではなく俺の方だった。

 グリフィンのいる場所は砂浜の波打ち際で変わっていない。

 そこまで飛びかかっていったはずの俺は、一瞬で海岸線から数十メートル沖の海上まで押し戻されていたんだ。


『貴様の移動経路を不正プログラムでゆがめ、修復術で正常化した。そうすると貴様の行動はリセットされて静止状態の出発点であるその場所に戻る』


 ど……どういうことだ?

 グリフィンの言葉が理解できずに俺はムカついて声を荒げた。

 

「意味が分からねえんだよ。寝言ほざいてんじゃねえぞ!」

『貴様の頭では理解できんだろうな。いくらイキがってみても、しょせん貴様は箱庭の中のこまの一つでしかない。だが私は違う。この箱庭世界を俯瞰ふかんで見下ろすことが出来る。この世界の仕組みと成り立ちを理解しているからこそ、この力を使いこなせるのだ』

 

 グリフィンはそう言うと光の槍を今度は縦に一閃した。


「うおっ!」

 

 振り下ろされた光の槍は俺のすぐ脇を通り過ぎて海面へと吸い込まれていく。

 すると……それは文字通り海を2つに割り、海底に一本の深い溝を刻んだ。

 そして海水がその溝の中にどっと吸い込まれ始めたんだ。

 まるでなべの底に穴が開いたかのように、海水はどんどん吸い込まれていく。


「なっ……」


 人智を超えた現象に俺が言葉を失い瞠目どうもくしているうちに、人喰い虎チャンパワットは翼を広げて俺の前方の海上まで近付いてきた。

 その背の上でグリフィンは得意気に両手を広げて言う。


『見ろ。バレット。このゲームを構成するうちの海水という一物質がプログラムの狭間はざまに飲み込まれて消えていく。そして……』


 グリフィンは自分の目の前にたたずんでいるティナの後ろ髪をつかんで、その顔をグイッと引き上げた。

 途端とたんに海底の溝が消え去って海が元の姿を取り戻す。

 これはティナの……。

 

正常化ノーマリゼイション。貴様にはお馴染なじみの修復術だ。バレット』

「てめえ……何がやりたい。壊して、直して、何の意味がある」

『意味などない。こんなものはただの遊びだ。だが、この遊びこそが私をの地へといざなうのだ』


 陶然とうぜんとそう言うとグリフィンは静けさを取り戻した海面に短槍を投げ捨て、空いた右手を頭上にかざす。

 すると奴の頭上に何やら黒い球状の物体が現れた。

 それはほんの拳大の大きさ程度にしか見えなかったが、その黒玉はゆっくりと回転しながら徐々にその回転速度を上げていく。

 その正体が分からず俺はまゆひそめた。


「今度は何だ?」

『不正プログラムを凝縮した終末の宝玉だ。これが何であるかはすぐに分かる。だが、それが分かった時にはすでに遅いがな』

「てめえ……」


 奴の行動の意味が分からずに苛立いらだつ俺だが、そこで唐突にメイン・システムが立ち上がり、ある通知が表示される。

 それは運営本部から全キャラクターに通知される緊急警報だった。


【ゲーム内に不具合が生じたため現時刻をもってオンラインを解除し、全プレイヤーを強制ログアウトします。以降はオフラインで修正シークエンスを開始いたします】


 それはゲームのサービスを一時的に停止する時に表示される警報であり、以前に幾度か見たことがあるものだった。

 グリフィンにも同じものが見えているようで、奴はニヤリと口のはしゆがめて笑った。


『やはり運営本部は動き出したか。ならばこちらも動くとしよう』


 そう言うとグリフィンは俺と十数メートルの距離をはさんで、メイン・システムを操作し始める。

 ナメやがって!


すきを見せてんじゃねえ!」


 まだ【紅蓮燃焼スカーレット・モード】が続いている俺は即座に灼熱鴉・乱舞バーン・クロウ・スコールを放つと同時にグリフィンに向かって突進した。

 奴の体の前にいるティナが邪魔だが、ティナがチビなのは幸いだった。

 魔刃脚デビルブレードでティナの頭越しにグリフィンの首を吹っ飛ばしてやる。

 一瞬で殺意をませることに集中していた俺は、異変が起きていたことに気付かなかった。


 俺が放った灼熱鴉・乱舞バーン・クロウ・スコールはグリフィンに襲いかかったはずだったんだ。

 だから俺は無数の炎の子鴉こがらすどもが反転して俺に向かってきたことに対して反応が遅れちまった。


「なにっ?」


 炎の子鴉こがらすどもは次々と俺の体にぶち当たってくる。

 炎属性である俺には大したダメージとはならなかったが、動きの止まった俺に対して前方から光が迫って来た。

 それがグリフィンの光の槍だと気付いた俺は即座に身をひるがえし、ギリギリのところでそれをかわした。

 だが……。


「がはっ……」


 突如として背中から衝撃を受け、すぐに激痛が俺の胸を突き破る。

 俺は自分の胸から光輝く槍の穂先が突き出しているのを信じがたい思いで見た。

 鋭利な刃が俺の背中から胸を貫いている。

 背後から俺を刺し貫いたそれは、前から向かってきたはずの光の槍だった。

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