第3話 天使長の恋文

 かつてのドレイクの居室で俺は天使の残した手紙をティナに手渡したんだが、驚くべきことにそれは天使長イザベラの残したものだと判明したんだ。

 セントグリフという天使だけに読める秘匿ひとく文書で書かれたその手紙を読み終えてそっとひざの上に置くと、ティナは両目ににじむ涙をぬぐって言った。


「これは……天使長イザベラさまからドレイクにてた古い恋文です」

「……おまえ。俺をからかってんのか?」


 恋文?

 何だそりゃ。

 何かの隠喩いんゆか?

 それともクソつまらねえ天使流のジョークか?


「からかってなどいませんよ。バレットさんはご存じないですか? 天使長さまと魔王ドレイクの間に何があったのか。私たち天使の間では衝撃的な話でした。悪魔の間でもすでにうわさになっている話ですよ」


 聞いたことねえな。

 天使長のことはもちろん、魔王のことだって興味のない俺はだまって首を横に振る。

 するとティナは手紙を手に持ったまま、床に目を落として言った。


「天使長さまと魔王ドレイクはその昔、恋仲だったのです」

「ハッ。何だそりゃ? くだらねえゴシップにもほどがあるぞ。そんなもんは……」

「いいえ。2人の間には子供も生まれました。それが……昨日話した堕天使キャメロンなのです」


 ……うそだろ。

 不正プログラムを用いて天国の丘ヘヴンズ・ヒル未曾有みぞうの危機におとしいれたくだんの堕天使が、天使長イザベラと魔王ドレイクとの間に生まれた子供だと?

 一体誰がそんな馬鹿げたシナリオを書きやがったんだ?

 天使と悪魔の間に子が生まれるなんてのは、俺たち悪魔にとって理解しがたいことだった。

 もちろん天使の奴らにとっても同様だろうよ。


「まったくおかしな話だぜ。そもそもドレイクと天使長が個人的に接触する機会があるとは思えねえな」

「これは……天使たちの間に伝わる話なのですが……」


 そう言うとティナはその内容を滔々とうとうと話し始めた。

 それは天使長イザベラとドレイクとのめの話だった。


 かつてドレイクは捕虜ほりょとして天使たちに捕らえられた仲間を助けるために単身で天樹の塔へ乗り込んだことがあるという。

 潜入奪還作戦は大勢だと目立つため、かえって少人数のほうが成功しやすい場合が多いからな。

 それにしたってたった1人ってのはいかにも無謀むぼうだが、後の魔王となるほどの男だ。

 よほど腕に自信があったんだろうよ。


「そこでドレイクは塔内で公務の休憩中だった天使長さまとはち合わせになったのです」


 仲間を呼ばれる前に対処すべく、ドレイクは目の前の相手が天使長とは知らずに襲いかかった。

 だが天使長イザベラの力は強く、ドレイクはまんまと返り討ちにあってしまったという。


「もちろんドレイクは後の魔王となる人でしたので、その力は比類なきほどのものでしたが、天樹の塔の中では聖なる光の加護を受けた天使長さまにかなう者はいません」


 天使長イザベラはただのNPCではない。

 天樹の塔の中核システムとしての役割を担うシステムそのものでもある。

 だから天樹の持つ聖なる力を自分の力に加算して戦うことが出来るらしい。

 天樹の塔の中で補正がかかった天使長イザベラの強さの前に、さすがのドレイクも敗北を喫したってことか。

 

「敗北したドレイクに天使長さまはトドメを刺しませんでした。ドレイクは情けをかけるなと憤慨ふんがいしたそうですが、天使長さまはご自身のお立場とお名前を明かし、悔しければまたいどんでくるようにと伝え、天樹のシステムを用いて秘密裏にドレイクを天樹の外へと逃がしたのです」

「そりゃまたドレイクにとっちゃ屈辱くつじょく的な話だな」

 

 敗北したドレイクは受けた屈辱くつじょくを晴らすため、その後も何度も天樹の塔に忍び込み、イザベラに挑みかかっていったらしいが、結果はいつもイザベラの勝利だった。

 その話に俺はまゆを潜める。

 

「それでどうしてその2人がくっつくことになるんだよ。殺し合いしてた2人だぞ」

「そ、それは……天使長さまは嬉しかったのだと思います」

「嬉しかった? 殺し合うのがか?」


 いぶかしむ俺にティナは少しだけ困ったような微笑を浮かべる。


「天使長さまは常に天樹の中で執務しているため外に出て実戦を行うことはありません。そういう御役目ですので。ですからその戦闘能力を発揮するのは部下の天使たちを訓練する時だけなのです。ですが、天使長さまが少しでも本気を出せる相手は私たち天使たちの中にはいませんでした」

「天使長にとってドレイクは初めて本気で戦える相手だったってことか?」

「はい。天使長さまはそのお力を存分に振るって、純粋に戦いを楽しみたかったのだと思います。立ち振る舞いはとても優雅な御方でしたが、その御心の中に激しい闘争の炎を宿していらっしゃったんです」


 その話に俺は意外な感じを覚えた。

 天使長イザベラがどんな人物であるのか俺の知るところではないが、そんなに好戦的な女だったとは。

 

「もしかしたらドレイクも同じだったのではないでしょうか。その頃、この地獄の谷ヘル・バレーでドレイクと互角に渡り合えた悪魔はいなかったという話ですし。天使長さまの持つ強さにドレイクもかれたのかもしれません」


 強過ぎるがゆえなやみってやつか。

 下級種の俺には理解できねえが、自分と近い強さを持つ相手にある種の共鳴シンパシーを感じるってことなのかもしれねえな。


「そうこうしている内にその、ある日2人は……拳じゃなく言葉を交わすようになり、やがて言葉じゃなく……く、くちびるを」


 それ以上は言えないとばかりにティナは赤面して両手で顔をおおった。

 何を恥ずかしがってるんだ、このガキは。

 要するに男女の仲になったってことだろ。


「やれやれ。とても信じられねえ話だが、それが本当なら世も末だな。天使長と魔王がつがいになるとはよ」


 俺は思わずあきれてそう言った。

 ティナの奴は複雑そうな表情を浮かべる。


「私も……ショックでしたし、正直言って理解できませんでした。天使長さまにはお立場がありますし、絶対に添い遂げられないと分かっている相手に気持ちを傾けることがいかなることなのか、私には想像も出来なかったですから」


 そりゃそうだ。

 天使と悪魔の長同士。

 光とやみの対極にある2人が手を取り合うには障壁が多すぎる。

 その手紙を受け取った時点でドレイクが魔王じゃなかったとしても、天使長と恋仲にあるなどということが分かれば、それは味方である悪魔たちへの背信行為としてドレイクの信用は地に落ちるだろう。

 

「でも、今日この手紙を読んでようやく天使長さまのお気持ちが少しだけ分かったような気がします。天使長さまはずっと外の世界にあこがれていらっしゃいました。だからこそドレイクの強さだけじゃなく、自由に外の世界を飛び回る姿にかれたのだと思います」

「……フン。そうかよ。天使の女にうつつを抜かすドレイクの気持ちは、俺には一生涯いっしょうがい理解できねえだろうがな」


 勝手に分かったような気になっているティナにあきれる俺だが、見習い天使の小娘は持っていた手紙を丁寧ていねいに折りたたんで言う。


「なぜドレイクはこの手紙を捨てずに取っておいたのでしょう。このような物を持っていること自体が悪魔として許されないことだというのに」

「それは……」


 俺は何とも答えにきゅうして押し黙る。

 同じ悪魔だからといって、会ったこともない他人の気持ちなんか分からねえ。

 俺なんかには想像も及ばない思いがドレイクの胸にあったってことか。

 フン。

 だとしても俺には関係の無い話だ。

 黙り込んだ俺にティナは話を続ける。


「ですが、これは恋文であると同時に、別れの手紙でもあるのです」


 そう言うとティナは悲しげにその内容を語った。

 この手紙を受け取った時点でドレイクはすでに魔王への昇格が決まっていたらしい。

 それを知るイザベラはこの手紙でドレイクに別れを告げた。

 それまで秘密裏に重ねていた逢瀬おうせも二度と叶わぬ夢となり、2人の恋は唐突に幕を閉じたんだ。

 

「ドレイクがこの手紙を捨てずに残していたのは、惜別の思いからじゃないでしょうか」


 ティナはそう言った。

 馬鹿を言え。

 理由としては分かるが、心情として共感することは俺には出来ん。

 魔王ってのはもっと冷酷非情で、悪魔の中の悪魔として君臨し、周囲に恐怖と絶望を振りまくものなんじゃないのか?

 それが女からの、しかも天使からの別れの手紙を後生大事に取っておくなんて、とんだ笑い話だ。


 俺はドレイクという奴がどんな悪魔だったのか想像も出来ず、それが何とも居心地悪かった。

 無敗の強さを誇る絶対的な魔王と、別れた女の手紙を大事にとっておく女々しい人物像とが、どうしても結びつかなかったからだ。

 そんな俺の困惑などつゆとも知らず、ティナは感傷にひたるように言う。


「天使長さまはこの手紙の中ではキャメロンのことに触れていません。恐らく別れた後に、人知れずキャメロンをお産みになられたのでしょう」

「ケッ。そのキャメロンとやらが騒動の元凶だったんだろうが。迷惑な話だな」

「そ、それはそうですけど……」


 ティナの奴は少しねたようにくちびるとがらせた。

 ケッ。

 ガキめ。


「まあ、話を聞く限りじゃ、やっぱり天使と悪魔がつるむってのはロクなもんじゃねえよ。ドレイクもイザベラも、その息子のキャメロンも今じゃあの世の住人だ。誰ひとりとして幸福になんてなっていやしねえじゃねえか」


 俺がそう言うとティナはムキになってほほを紅潮させた。


「て、天使長さまは亡くなってなどいません! 今は……お休みになっているだけです。それに……そんな言い方しなくても。好きになった人がたまたま悪魔だっただけじゃないですか」

「じゃあおまえも悪魔の男を好きになるのか? 悪魔との間に子をもうけたいと思うのか?」

「そ、それは……」


 口ごもるとティナはなぜだか俺の方を見て、それから心底嫌そうな顔をした。


「あ、ありえませんね……」

「なんで俺を見る。てめえ、馬鹿にしてんのか?」

「違いますよ! それに私には重要な使命があるのです! 天使としてそれを全うするべく、色恋ごとに興じているヒマなどありません。生涯しょうがい独身です!」


 ティナはムスッとしてそう言うと、胸を張った。

 そこで俺はふとあることを思いつき、カマをかけてみた。


「今の話。随分ずいぶんと事細かな内容まで触れていたが、おまえ……それは天使長から直接聞いたのか」

「えっ?」


 俺はティナの目が動揺でわずかに泳いだのを見逃さなかった。

 こいつ、分かりやす過ぎるぞ。

 叩けばほこりが出るな。


「おまえがゆうべ寝言で天使長の名を呼んでいたのを聞いたんだよ。おまえが言っていたある御方ってのは天使長イザベラのことだな」


 俺の言葉にティナは唖然として目を見開いた。


「そ、それは……」

「おまえは天国の丘ヘヴンズ・ヒルで何か天使長イザベラに近しい職にいていたな。そしてそんなおまえに不正プログラム撲滅の指令を出したのもイザベラだ。そして、おまえには不正プログラムの撲滅以外に何か重要な使命がある」


 まくし立てるようにそう言うと、一転して口を閉ざした俺はじいっとティナを見据みすえて沈黙ちんもくを保つ。

 やがてその沈黙ちんもくに耐え切れなくなったのか、ティナはバツが悪そうにため息をついてうなづいた。


「はぁ……そうです。私は天使長さまのお側付きでした。そして天使長さま直々じきじきの指令を受けてこの地にやってきたのです」

「だろうな。だが前にも言ったが護衛の一人もつけずに単身で乗り込んでくるってのは、無謀むぼうが過ぎるんじゃねえのか」

 

 目立たないように大人数で行動するのを避けるというのは理解できるとしても、せめて腕利きの護衛を1人くらいはつけておくべきだろう。

 ただ、それがただの無謀むぼうからくるのではないことは、これまでのティナを見ていて何となく分かった。

 何かそうしない理由があるんだろう。

 ティナは胸の前で手を組むと、神妙な顔で言った。


「それは天使長さまが私に期待して下さっているからこその試練なのです」

「何だと? 難問を1人で解決して見せろってことか?」

「独力で、というわけじゃありません。私がこの地獄の谷ヘル・バレーに身を投じて自ら考え、感じ、そして行動する。その結果として不正プログラムの排除を成し遂げる。それこそが天使長さまから与えられた試練なのです」


 妙な話だ。

 そりゃまるで不正プログラムの撲滅という大義よりも、ティナの成長、成功を第一に考えているように聞こえる。

 今、凍結状態にあるという天使長イザベラは何を思ってティナをたった1人でこの地獄の谷ヘル・バレーへ派遣したんだろうか。

 それがイマイチ分からずに内心で首をひねる俺をよそに、ティナはどこかスッキリしたような表情で言った。


「天使長さまがなぜ私を1人でこの地獄の谷ヘル・バレーへと送り込もうとお考えになられたのか、このお手紙を読んでよく分かりました」

「どういうことだ?」


 怪訝けげんな顔をする俺にティナは確信めいた表情で言う。


「自らの目で外の世界を見て回り、自らの肌で世界を感じてほしい。ご自身が叶えられなかった夢を私に経験してほしかったのでしょう。そして従来の価値観にとらわれず、新しい自分の価値観を見つけなさい。天使長さまはきっと私にそうおっしゃっていたのだと思います」

「新しい価値観? 何だそりゃ」


 まゆひそめる俺にティナの奴は笑って言う。


「私は昔、悪魔は極悪非道で無慈悲むじひな悪漢ばかりかと思っていました。ですが以前にゾーラン隊長に出会い、悪魔の中にも尊敬できる人はいるのだと知りました」

「いや、そりゃ誤った認識だぞ。ゾーランが変人なだけで、悪魔はたいてい極悪非道で無慈悲むじひな悪漢だ」


 そう言う俺の言葉など聞かず、ティナは少しばかり遠い目をして語った。


「この地で信頼に足る人物を見つけ出し、私のことも信頼してもらえるかどうか。それこそが、かつて1人の悪魔を愛した天使長さまが私に課した試練なのだと分かりました」


 フンッ……馬鹿馬鹿しい。

 信頼に足る悪魔なんていてたまるかよ。

 俺は誰のことも信頼しねえし、誰からも信頼されなくていい。

 俺が必要とするのは戦いに勝つために必要なピースをこの手に握ることだけだ。

 俺は話を切り上げるべく立ち上がった。

 

「んなことより上級種の奴らを迎え撃つ準備を始めるぞ。俺たちははるかに格上の連中を相手に勝たなきゃならねえんだからな。時間はいくらあっても足りねえんだ」

「は、はいっ。がんばります!」


 そうして俺たちはとりでの中での仕事に取りかかった。

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