第二章 『魔王の古城』

第1話 最果ての隠れ家

 海風に巻き上がる桃色の髪を手で押さえながらティナは俺のとなりに浮かび、眼下の光景を見下ろしていた。


「ここは……とりでですか?」


 そこは最果ての地と呼ぶべき場所だった。

 地獄の谷ヘル・バレーの辺境の中でも荒野の果てにある湾岸地帯に、ちかけた石造りのとりでがある。

 海風にさらされて風化しつつあるそのとりでを見上げながら、ティナは物珍ものめずしそうに俺にそうたずねた。

 

「ああ。今は使われていなくて廃墟はいきょも同然だがな。ここが俺のもう1つの隠れ家だ」


 その古いとりでは海に面した岸壁の上に建てられていて、その背後には大海原が広がっていた。

 この海のはるか彼方には天使どもの国である天国の丘ヘヴンズ・ヒルがある。

 そう。

 この海が2つの国をへだてる国境線だった。


 ケルの奴をぶっ倒してひとまず溜飲りゅういんを下げた俺は、次の標的である上級悪魔のアヴァンとディエゴをどうやって倒すかの算段を立てていた。

 ケルとの戦いは期せずしてティナとの共闘となったが、ここから先は不本意ながら、この見習い天使の奇妙な術をアテにすることになる。

 不正プログラムを使用する上級種どもとの戦いでは、それに唯一対抗できるこのティナの力は必要不可欠だからだ。


 だが、不正プログラムを抜きにしても、下級種の俺が上級種の連中とまともにやりあえば万に一つも勝ち目はねえ。

 ましてや今の俺はティナにハメられた首輪のせいで攻撃力が半減しちまっている状態だ。

 奴らを確実に仕留めるには戦略が欠かせない。

 だから俺はこのとりでを当面の拠点にすることを選んだんだ。


「バレットさんはいくつも隠れ家を持っているんですね」

「ああ。この辺りは天使どもが海の向こうから渡ってくるからな。訓練代わりにそいつらをぶちのめすのには、ここはちょうどいい拠点だったんだ」

「そ、その話を天使の私にしますか普通」


 ティナが顔を引きつらせるのに構わず、俺は羽をすぼめて滑空かっくうし、そのままとりでの屋上へと降下していく。

 ティナの奴もそんな俺の後に続いてとりでの屋上に降り立った。

 ここに来るのは久しぶりだ。

 最後にここを使ったのはもう2年以上も前になる。


「ま、最近は『悪魔の臓腑デモンズ・ガッツ』を本拠にしていたから、この隠れ家は長いこと使っていなかったんだがな。こっちだ」

「待って下さいバレットさん。とりでの中に何かがいます」


 そう言うティナが警戒の表情で指差す先、ガラスのないとりでの窓枠の中にチロチロと動く影が見える。

 俺は一目でそれが何なのか分かった。


瘴気死霊ガス・ゴーストだな。しばらく留守にしている間に住み着いたんだろうよ」


 瘴気死霊ガス・ゴースト

 奴らは気体の死霊で、近付く者にまとわりついてその口や鼻から入り込み、窒息ちっそく死させようとする姑息こそくな連中だ。

 まあ単体ならどうってことのない奴らだが、眠っている間に近付かれると厄介やっかいだ。

 このとりでを当面の拠点にするならば、掃討しておく必要があるな。


「面倒だが留守の間にまったほこりを大掃除しねえとな」

「私もお力になります!」


 張り切って銀環杖サリエルを握りしめるティナに俺は注意をうながす。


「奴らがいるってことは現在もとりでは空き家ってことだ。だが、奴らの主がいるかもしれねえ。油断はするなよ」

「主?」

「ああ。瘴気死霊ガス・ゴースト自体は大したことはねえが、奴らを生み出す張本人が今もあそこに居座っているとしたら、油断できねえってことさ。行くぞ」


 そう言うと俺はティナを伴ってとりでの中に足を踏み入れた。

 とりでの中は俺が最後にここを出た時と何ら変わっていないような気がした。

 まあ周りは海とがけしかない場所だ。

 何者であれ、ここに住み着くメリットは薄い。

 だが俺にとっては違った。


 俺が初めてここを訪れた時は、とりでの中はすっかり盗掘され尽くしていて、銅貨1枚残されていなかった。

 だが石造りの外壁は風化しつつあるとはいえ、中身はしっかりした作りになっていたために俺は一目でここが気に入った。

 海っぺりの岸壁の上に建てられているため、海の向こう側から攻めてくる天使どもを迎え撃つのに最適の拠点だったということもある。


 そして豊富な魚介類がれて食い物には事欠かねえし、人が住みつこうとするような場所でもねえから誰に邪魔されることもなく鍛練たんれんに打ち込める。

 俺は1人ここで自分をきたえ続けた日々を思い返しながらとりでの中にある通路の途中で立ち止まった。


「出やがったな」

「あれが……瘴気死霊ガス・ゴーストですか」


 思った通り、宙を漂う数匹の瘴気死霊ガス・ゴーストどもが俺たちの姿に気付いて近付いてきた。

 宙に浮かぶ白いガスが炎のように揺らめき、全長50センチほどのその中心部には不気味な人の顔が見える。

 奴らはブツブツと恨み言のような言葉を吐きながら俺たちに向かってくる。

 こいつらは気体だからなぐる蹴るの直接攻撃は効かない。

 火で燃やしちまうのが一番手っ取り早いんだが、だからといっていちいち灼熱鴉バーン・クロウを放つほどでもない。


 俺はアイテム・ストックから松明たいまつを2本取り出すと、指を鳴らして火花を起こし、それで松明たいまつに火をつける。

 燃え上がる松明たいまつの1本をティナに手渡しながら、俺は自分の松明たいまつで近付いてくる瘴気死霊ガス・ゴーストを焼き払った。

 炎にあぶられた瘴気死霊ガス・ゴーストは不気味な鳴き声を発しながら消滅する。


「なるほど」


 それを見たティナの奴も松明たいまつを手に進み、さらに近付いてくる瘴気死霊ガス・ゴーストどもを次々と焼き払う。

 まあ、この程度なら見習いのティナでも問題ねえだろう。

 瘴気死霊ガス・ゴーストの数はさほど多くなく、おそらくは近隣を彷徨さまよっていた奴らがここに流れ着いたんだろうと予想できた。


「俺は奥を見てくる。ティナは外周通路を一回りしてこい。何かあれば大声で呼べよ」

「は、はい。お気をつけて」


 俺とティナは別々の道に進んだ。

 とりでの奥は少々複雑なつくりになっていて、初見だと迷う恐れがある。

 不馴ふなれなティナを簡単な外周通路の見回りに残し、俺は松明たいまつを手に1人奥へと進んでいった。

 思った通り、奥にも一定数の瘴気死霊ガス・ゴーストどもが巣食っていやがったが、その数は多いというほどではない。


「そう言えばこいつらの主についてティナの奴に説明しておくのを忘れたな」


 瘴気死霊ガス・ゴーストらは闇属性の魔物が吐く息から生成される。

 俺がさっきティナに言った主というのはそうした魔物どものことだった。

 俺が以前に見たことがあるのは暗闇くらやみオークや暗黒トロールという魔物の吐く呼吸から、瘴気死霊ガス・ゴーストが生まれてくる場面だ。


 そういう主がこのとりでの中にいるとしたら、そいつらも片付けなければならないんだが、この様子なら大丈夫だろう。

 もしとりでの中に主がいるなら、瘴気死霊ガス・ゴーストの数はもっと目に見えて大量になるはずだからだ。

 そう考えていた俺がとりでの一番奥まで進み、瘴気死霊ガス・ゴーストどもを根絶やしにしてやった時だった。


「バレットさん!」


 とりでの入口の方から遠く響いてきたのはティナの声だ。

 俺は即座にきびすを返して入口へと向かう。

 何かあったようだな。


 外周通路に危険が及ぶってことは外から襲撃者が来たってことか?

 クソッ!

 まさかもう上級種の奴らが攻めて来やがったか?

 いや、いくら何でも早過ぎるだろ。


 俺は胸の内で悪態をつきながら、一気にとりでの中を駆け抜けて外周通路に戻った。

 駆けつけた俺がそこで目にしたのは外からの襲撃者ではなく、奇妙な物体にティナが襲われているところだった。


「ティナ!」

「バレットさん!」


 ティナの頭上、通路の天井から薄紫色の液体がしたたり落ち、ティナがそれを必死にかわしている。

 雨漏りのように天井から漏れ落ちるそれは、ねばり気のある粘液ねんえきで、床に落ちた粘液ねんえきは逃げていくティナを追うように床の上を移動していく。

 どう見てもただの液体じゃねえ。

 明らかに意思を持った補食者の行動だ。

 とにかく俺が今から住もうとしているこの場所にはふさわしくねえ邪魔者だ。


「ティナ! 下がれ!」


 俺は粘液ねんえきを燃やし尽くすべく魔力を両腕に込める。

 だがティナは引こうとしなかった。


「こ、ここは私が!」


 そう言うティナだが、その足元の床から染み出してきた紫色の粘液ねんえきに足を取られて転倒した。


「きゃっ!」

「ティナ!」


 すると紫色の粘液ねんえきは床や天井、壁の隙間すきまから一気にあふれ出して来て、転倒したティナ目掛けて一瞬で殺到した。

 起き上がる間もなくティナの奴は粘液ねんえきにまとわりつかれて身動きが取れなくなる。


「チッ! だから言わんこっちゃねえ!」


 そう吐き捨てた俺は両手に炎を宿す。

 だが、このまま灼熱鴉バーン・クロウを放てばティナまで炎に巻き込んじまう。

 別にあんなガキの心配をしているわけじゃねえが、俺の首輪の解除をする奴を今失うわけにはいかねえ。

 そう考えて躊躇ちゅうちょしている俺の目の前でティナの声が響き渡った。


高潔なる魂ノーブル・ソウル!」


 途端とたんにティナの小さな体から桃色の光があふれ出し、その周囲にまとわりついていた粘液ねんえきがあっという間に蒸発していく。

 あ、あれはケルの奴をぶっ飛ばした桃色の光だ。

 あの時のように人の姿はしていないが、ティナの体からにじみ出るその光は高純度の光属性を持つ神聖魔法だと分かる。


 それを浴びた粘液ねんえき状の魔物はほとんど気化するかのように消えていく。

 体の自由を取り戻したティナは起き上がると銀環杖サリエルを構え、さらに天井や床から染み出してこようとする粘液ねんえきに追撃をかけた。


高潔なる魂ノーブル・ソウル


 銀環杖サリエルを握り締めて立つティナの体から発せられる光はどんどん強くなり、外周通路の中が桃色一色に染まる。

 その光に照らし付けられた粘液ねんえきは完全に液状の形態を保てなくなり、気化して消えていった。

 それを見たティナはホッと安堵あんどの息をつき、振りむいて笑顔を浮かべる。


「どうですかバレットさん。自分の身は自分で守れるでしょ?」


 チッ……ガキめ。

 すっ転んでいたくせに生意気なんだよ。


「いい気になってねえで上を見ろ上を」


 俺がそう言うとティナは慌てて頭上を振りあおぐ。

 そこにはさっきの粘液ねんえきが気化した紫色のもやが漂っていて、その中から瘴気死霊ガス・ゴーストが出現し始めていた。

 

「なるほど。あいつが瘴気死霊ガス・ゴーストどもの主だったってわけか」


 俺は松明たいまつを頭上にかざし、瘴気死霊ガス・ゴーストどもを残らず火あぶりにして焼き払いながら、ティナに声をかけた。


「さっきの液状の魔物は他に見なかったか?」


 ティナは火が消えたまま床に転がっている松明たいまつを拾い上げ、首を横に振る。

 

「いえ。私が見た限りではさっきの1体だけです。順調に瘴気死霊ガス・ゴーストたちを退治していたら、いきなり天井から落ちてきた粘液ねんえき松明たいまつが消されてしまって。あれが瘴気死霊ガス・ゴーストを生み出していた主なんですね」

「ああ。粘液ねんえきが気化するのは多少の時間がかかる。だから瘴気死霊ガス・ゴーストどもの数がそんなに多くなかったんだな。あんな主がいるとは盲点もうてんだったぜ」


 俺は周囲に瘴気死霊ガス・ゴーストの姿がなくなったのを確認すると、視線をティナに戻した。


「おまえが俺のなわから脱出できたのは、さっきの神聖魔法のおかげか」


 ティナの神聖魔法・高潔なる魂ノーブル・ソウルは手や杖から放射するのではなく、体そのものから放出する性質のものらしい。

 これは合理的な手法だと思う。

 俺がやったようにこいつの手足を縛りつけても、体から高潔なる魂ノーブル・ソウルを放出することでなわを断ち切ることが出来る。

 手足の自由を奪われようが、敵に組みつかれようが、自分の身を守ると同時に敵を攻撃できる攻防一体の優れた技術だ。


「私はこの通り体格に恵まれていませんから、敵に押さえ込まれたら一巻の終わりです。そういう事態に対処するために、この技法を編み出しました。先日のあの『悪魔の臓腑デモンズ・ガッツ』でも、これで石切りコウモリたちと戦うつもりだったんですよ。それなのにバレットさんが邪魔したから」


 ティナは得意げに胸を張ってそう言うが、俺は鼻で笑った。


「ハッ。おまえはスピードと技術が足りてねえんだよ。石切りコウモリどもに群がられたら最初の一派はさっきの一撃で倒せるだろうが、二射目を放つ前に第二派に襲いかかられたらそこでジ・エンドだ。あまり自分の力を過信しないこったな。見習い天使の分際で」

「な、何ですかその言い方は。バレットさんはもう少し他人の尊厳を大事に……」

「そんな悪魔がいてたまるか。ほれ。ムダ口叩いてねえでさっさと行くぞ」


 そう言うと俺はまだ文句を言いたげなティナを相手にせずに、邪魔者たちのいなくなったとりでの奥へと足を進めていった。

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