第11話 天使と悪魔の夜ふけ

 奇妙な夜だった。

 ずっと俺が1人で使ってきた大樹の根元の隠れ家に、この夜は見習い天使の小娘と2人で息を潜めている。

 自分が置かれている今の状況に現実感を得ることがイマイチ出来ず、俺は壁によりかかったまま言葉もなく保存食をんでいた。


 ちなみに俺たちはNPCだから食事をとらなくても死にはしないが空腹感は感じるし、そうして腹が減るとわずかに能力が下がる。

 戦いの時に腹が減らないよう、俺はこうして簡単に食べられるし肉を保存食として常に用意していた。

 そんな俺をティナはじっと見つめている。


「……何だ? おまえも食いたいのか?」

「いえ。自分の食料は持っていますので。それは何を食べているのですか?」

「森トカゲの肉をしたもんだ。その辺の木陰こかげにいくらでもいるから、食いたきゃ自分で捕まえな」

「……け、結構です」

「何だ? 森トカゲは嫌いか?」


 俺がそう言うとティナの奴はムキになってわめく。


「嫌いに決まってるでしょ! というかトカゲなんて食糧としてすら見ていませんから!」

「チッ。好き嫌いしてっからそんなにチビなんだよ」

「放っておいて下さい。そ、それより当面の目標である復讐ふくしゅうを果たしたら、バレットさんはその後どうされるつもりなのですか?」


 その後?

 ケルと上級悪魔を倒した後の話か。

 俺は壁にえ付けられた戸棚とだなから古ぼけた香炉こうろを取り出し、パチンと弾いた人差し指でそこに火をつけた。

 この森で採取した香草を詰めた香炉こうろからゆらりと煙が立ち上り、静かな森の香りがただよい始める中、俺はティナの問いに答えた。

 

「さあな。別にまたいつもの生活に戻るだけだろ。トレーニングしてケンカして飯食って寝て。その繰り返しだ」

「そうですか。ゾーラン隊に戻りたいとは思わないのですか?」

「はぁっ? 思うわけねえだろ。俺を破門クビにしやがった連中なんざ、こっちから願い下げだ。馬鹿言ってんじゃねえ」


 ゾーランの顔を思い出して俺はムカムカとした気分でそう吐き捨てた。

 そんな俺を見てティナは少し顔を曇らせる。

 

「バレットさんが参加できなかった、天樹の塔を占拠した堕天使軍団との先日の戦い。ゾーラン隊は多くの戦果を上げましたが同時に多くの痛手をこうむりました。隊員の多くが戦死してランキング降格したため、ゾーラン隊としてはトータルでマイナスになってしまったのです」

「……フンッ。軍閥ぐんばつランク2位に格落ちしたらしいな」


 俺たちNPCはライフが尽きて死んだとしてもコンティニューで復活できる。

 だがそうするとキャラクターとしてのポイントが下がり、キャラクターランクが降格してしまう場合がある。

 悪魔には上から魔王・上級・下級・見習いと4段階の階層が存在する。

 そしてキャラクターランクは最高位たるSから始まり、ABと続き、見習い悪魔のEまでランク分けされている。

 

 魔王ドレイクの死去以降、現在のところ空位となっている魔王がSランク。

 上級種はA~Bランク、下級種がC~Dランクであり、見習い悪魔はEランクとなる。

 ちなみに下級悪魔の俺はCランク。

 上級悪魔のゾーランはAランクだった。

 

 ゾーランのように上級種の中でも高位のAランクになると自分の軍閥ぐんばつを持つことができるようになる。

 軍閥ぐんばつってのは運営本部から正式に認められたチームのことだ。

 ケルのところのようにゴロツキが徒党を組んでいるだけの集団とは違う。

 そして各軍閥ぐんばつは所属メンバーの人数とその平均ランクで軍閥ぐんばつ全体の成績が決まる。 

 この軍閥ぐんばつのランキング1位をかけて数多あまた軍閥ぐんばつを競っていた。

 

 だから各軍閥ぐんばつは出来る限り強いメンバーを多く集めて自軍のランクを上げる必要がある。

 同時に競合する他の軍閥ぐんばつのメンバーを引き抜いたり、倒して降格させたりしてライバルの軍勢を弱体化させることも重要な戦略だった。

 そうして一年間を通してランク一位を守り続けることの出来た軍閥ぐんばつの長が次期魔王になることが出来るルールになっている。


 これはかなりハードルが高く、一時的にでも一位を奪われてしまえば記録はリセットされ、再び一位に上がってから丸一年その座を守り続けなければならない。

 そうした難しさのために魔王の座は長らく空位になっていた。

 もちろんゾーランのような軍閥ぐんばつの長は、自分自身がAランクでい続けることが必須だ。

 

 Aランクの上級種といえど戦闘に幾度も負けてゲームオーバーを繰り返せば、ランクがBになってしまい、その時点で軍閥ぐんばつの長たる資格を喪失そうしつする。

 そうすると軍閥ぐんばつは解散となり、魔王の座ははるか遠のいてしまうというわけだ。

 まあ、魔王だのAランクだのは下級悪魔の俺には関係のない雲の上の話だがな。


 ゾーランの奴は現時点で最も魔王に近い男と言われていた。

 しかし軍閥ぐんばつランクが2位に下がったことで、それも遠のいてしまったことだろうさ。

 この辺境の地でもうわさになっていた。

 ゾーランはどこぞの魔女の色香にだまされて無意味な戦いにおもむき、自分の軍閥ぐんばつに損害を与えたおろか者だと。

 

「もちろんゾーラン隊長はうわさされることなど微塵みじんも気にされてはいませんでしたけれど、戦力が低下して苦境にあることは事実なんです」

「フンッ。だからって破門した奴の手を借りたいと思うほど、奴も落ちぶれちゃいないだろうよ。何にせよ俺はもう奴の元に戻るつもりはねえ。全ては終わったことだ」

「そうですか……」


 天樹の塔でゾーランたちが繰り広げた堕天使だてんしどもとの戦い。

 俺1人が加わったところでどうにかなった、などと思い上がったことは言わねえ。

 だが、何もかも俺のいねえところで片がついてやがったことが頭にくるだけだ。

 今さら言っても仕方ねえがな。

 そんなことよりもこの世間知らずの小娘に言っておかなくちゃならんことがある。


「おいティナ。この先、行動を共にするに当たって先に言っておくがな。この地獄の谷ヘル・バレーで行動する以上、悪魔の言葉は絶対に信じるな」

「えっ?」

「悪魔はいつでも人の心のすきを突いて甘い言葉で誘ってくる。そうして獲物がわなにかかるのを笑いながら見ていやがるんだ。このクソッたれな世界で生き残りたかったら絶対に悪魔を信用するな。俺もふくめてな」


 ティナの奴はすっかり油断して俺とこうして話しちゃいるが、本来ならばこの隠れ家に入るのを躊躇ちゅうちょしていたくらいの警戒心は持っておくべきだ。

 無防備や油断は己の死を早める最悪の毒薬だ。

 ちょっとした油断があっという間に自分の命を奪う死神に変貌へんぼうする。

 そのことをこいつに知らしめておかなけりゃならん。

 共に行動する以上、足手まといになれば俺の命取りになるからだ。


 こいつはおそらく最初によく知ることになった悪魔がゾーランだったから、悪魔に対してあまり悪いイメージを持っていないのかもしれねえな。

 要するに世間知らずってことだ。

 バカめ。


 ゾーランは悪魔の風上にも置けねえ勤勉実直野郎だぞ。

 あいつを悪魔のモデルケースにするなんてアホもいいところだぜ。

 おそらくゾーランの推薦すいせんに安心して、この小娘は俺に対して敵意を持たねえのかもしれねえな。

 本当におめでたい奴だ。

 こういう奴はいずれ悪魔の本当のずるさや悪さを知って泣きを見ることになる。


「ふふふ。バレットさんも悪魔なのに……変なこと言うん……です……ね」


 ティナの声が徐々に小さくなり、やがてそれが寝息に代わる。

 見習い天使の小娘は壁に背を預けたまますっかり寝入っていた。

 部屋の中にはさっき俺がいた香炉の香りが薄く漂っていた。

 これはぐ者に眠りの効果を及ぼす香草をいぶしたものだ。

 俺はこのにおいに体を慣らしてあるから眠らずにいられるが、初めてぐ奴は今のティナのようにあっさりと眠りに落ちてしまう。

 すっかりうなだれて船をこぐティナを見ながら俺は1人呟つぶやいた。


「警戒しろと言ったそばからすぐこれだ。俺がおまえを取って食らうつもりなら、今頃おまえは皿の上だぞ。アホめ」


 そう言いながら俺はなわを取り出し、眠っているティナの両手両足を縛った。

 明日の朝の行動を頭の中で思い描きながら。

 朝になったら俺は1人でケルの根城に出向いて奴をぶちのめす。

 だが、俺が行くとなればこの小娘も共に行くなどと抜かすだろう。

 上級種相手ならともかく、ケルをぶちのめすのにこの見習い天使の助力が必要か?

 

 冗談じょうだんじゃねえ。

 天使なんか連れて襲撃に行けるかよ。

 遠足じゃねえんだぞ。

 そもそも足手まといだ。

 ティナにはこの場所でおとなしく留守番をさせておくのが一番だ。


 下手に外に出て悪魔に捕まったりしたら、俺の首輪解除が危うくなる。

 そんなマヌケな事態は御免ごめんこうむるぜ。

 目を覚ましても動けないよう、悪魔縛りでなわを結び、ティナの体の自由を奪っておいた。

 後で俺が戻って来た時にブーブー文句を言うだろうが知ったことか。

 リスクは最小限に抑える必要があるからな。


「さて。これでいいか。俺も少し眠っておかんとな」


 俺は外の物音に警戒しつつ身を横たえ、意識をゆっくりと浅い眠りの中にしずめていった。

 ゾーラン隊にいた頃と違い、この辺境に来てから周りは敵だらけだから、こうして半分起きているように眠るのが特技になっちまったぜ。


 しばらくすると外からシトシトと雨の降る音が聞こえてきた。

 降り出してきたか。

 朝にはもっと激しくなることを祈りつつ、俺は体を休めるために身を横たえていた。

 すると背後でティナがわずかに身じろぎをしたのか衣擦きぬずれの音が聞こえる。


 俺は少しだけ体の位置をずらし、背後に座っているティナをチラッと見た。

 ティナの奴は座ったまま部屋の壁に背をつけ、両手両足を縛られた状態で静かに寝息を立ててやがる。

 小さな体。

 ちっぽけな存在。

 見習いの身で護衛もつけずにただ1人、悪魔たちの世界に身を投じる小娘。

 あまりにも無謀むぼうで馬鹿馬鹿しい所業だ。


 しかしそれを笑うことは簡単だが、俺も似たようなものだ。

 下級悪魔の分際で俺は上級悪魔にいどもうとしている。

 下級種は上級種には勝てないものだ。

 能力に差があり過ぎるし、その差を埋めることなど到底できないのだから。

 ならばなぜあらがうのか。


 現実を知りながらなお、俺は心の底で勝利をあきらめられないからだ。

 運命にあらがうことをやめられないのは、そのせいだ。

 もしかしたらティナも、そうなのかもしれない。

 俺がそんなことを考えていると、眠っているティナの奴がボソッと寝言をつぶやいた。


「天使長さま……」


 天使長?

 天使長って……あの天使長イザベラのことか?

 俺も名前だけしか知らねえが、その名の通り、天使どもの総大将を務めていた女だ。

 天樹の塔をめぐる戦いで傷つき死んだとも、損害の責任を負って退位したともうわさに聞くが、真相は分からねえし興味もねえ。

 しかし……もしかしてこいつが言っていた「あの御方」ってのは天使長のことだったのか?


 こいつまさか、天使長の直属の部下……なわけねえか。

 こんな見習いが。

 まさかな。

 俺はそれ以上の思考を止め、脳と体を休ませるべく再び体を横たえた。

 雨音は俺の思惑通り、少しずつ強まっていた。

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