閑話② .1 納得がいかない事だらけ


 ──ある日、父が爆弾発言をした。


「女の子を一人、引き取りたいんだ」


 母は動揺のあまり手にした淹れかけの茶器を倒し、ショックで固まったまま、すぐには溢れたお茶を拭くことも出来ないでいた。


 私だって、驚き過ぎて声も出ない。

 だが、停止した母の代わりに、私が訊くしかない。


「お父さん、いつから浮気を?」

「待て。その発想はどこから来る。いつ、お父さんがそんな素振りを見せた?」

 今度は父が慌てる。


「だって、女の子を引き取りたいって……」

「お前と同じ、中学3年生の可愛らしい子だよ」

「同い年!? そんなに前から?」

「だから、その発想はやめてくれ。

 お父さんの又従兄弟の眞二君がな、亡くなったんだ。奥さんも一緒にね、車の事故だったらしい」

 両手を組み、ギュッと拳に力を込め、俯く父。


 多感な思春期の娘(自分で言うのもなんだけど)が、父親から子供を引き取りたいって言われたら、浮気を疑っても仕方ないと思う。


「で、でも、あなた……

 うちは、生活に困ってるほどではないにしても、受験生をふたりも養うほどの余裕は……

 美弥子だって、いずれ大学へ進むともっとお金もかかるだろうし……」

 母の言う事ももっともだ。取り立てて貧乏でも、贅沢して余裕あるって事でも無い、一般的な家庭だ。

 父だって役職者だとか高給取りって訳でもない。今はよくてもいずれ、破綻するかもしれない。


「こんな事を言うと、誤解されるかもしれないが、眞二君の保険金を、養育費として毎月定額受け取れるんだ。

 その子の小遣いやちょっとした経費も、眞二君の残したお金があるし、家は他人ひとに貸すらしい。その家賃収入でその子の雑費は賄えるとの事だ」

「え!? まさか、お金目的で引き取るの?」

 言いにくそうで顔色の悪い父に、言ってはいけないかもしれない言葉を投げかける。


「だから、誤解だと言うんだ。その子の養育費として預かるんだから、うちで自由に出来るわけじゃない」

「だったら、なんで……」


「他にアテがないんだよ。小百合さん……眞二君の奥さんには身寄りが無くてね。

 眞二君のご両親、私の従伯父いとこおじは足を悪くしてから介護施設にいて、その奥さんも老齢マンションに一人住まい。眞二君の歳の離れたお兄さんやお父さんとは別の親戚達には、子供を預かったり育てたり出来ない環境の人達ばかりでね、可哀想だとは思わないかい?」


 その、会ったこともない父の又従兄弟の娘には同情しないでもないけど、こっちだって、他人に優しく出来るほど余裕がある訳じゃない!


「私は反対よ。うちだって、余裕あるわけじゃないでしょう?」

 私がピアノを習いたいと言った時も、お母さんが私を私立の女子校に行かせたいって言った時も塾通いさせたいと言った時も、お父さんは余裕がないって断ったし、お母さんもうちの経済状態解ってるから納得したでしょう?


「習い事や塾通いもさせられないくらいの余裕のなさなんでしょう?」

「だから、その子の分の生活費や学費養育費は保険金から出る。その子の小遣いも交友費も、眞二君の貯金と家賃収入から出すんだ、うちとしては、成人までの後見人兼保護者として、寝場所と生活環境を整えるだけだよ。

 社会人として就職するか、早ければ18歳までの四年間、長くても、短大で二十歳はたちか22歳の大学卒業まで。

 未成年が、父親の残した家に一人で暮らすわけには行かないだろう?

 美弥子だって、きょうだいが出来ると思えばいいんだ。お兄ちゃんかお姉ちゃんが欲しいと泣いた事もあっただろう? 誕生日は秋と聞いてるから、お姉ちゃんが出来るんだよ」

 上のきょうだいが欲しいと泣いたのは小学生低学年まででしょ!


 数ヶ月年上だからって、いきなり赤の他人を姉だと思えるわけないじゃない。


 そう言いたかったけど、もう、父の中では決定事項のようだ。4~5年、窮屈な思いをしたら、解放されるんだ。構わなきゃいいのよね。


 結局、中学生の私が、家長の意見に反対出来る訳もなく、父を立てて暮らしてきた母が今更異をとなえる事も無く、明後日のお葬式の後、その足でうちに来る事になった。



 *****



 その子は、線の細い、暗い子供に見えた。


 暗いと思うのは、たぶん、俯いてるし硬い無表情に近い顔と、両親を亡くしたからだろう。

 けど、車から降りて玄関前に立った時、俯いた顔をあげると、暗いと思ったのは間違いだったのかと思うような、なんとも印象的な眼をしていた。


 睨みつける……というと語弊があるかも。でも、そんな感じで、真っ直ぐ私を見た。

 なんか、嫌な気分だった。


 顔の作りなら、どちらがより良いかと訊ねたら、悪いけど私の方がより良いと答える人の方が多いに違いない。


 柔らかそうな黒に近い暗褐色の髪。

 日焼けを知らないのかと思える、白いつるんとした化粧っ気のない顔。ガッツリ化粧しろとまでは言わないけど、今どき、色つきリップくらいしたらどうなの? 親の葬式で、喪主として親戚一同の前に立つんでしょう?


「さあ、詩桜里しおりちゃん、中へ。しばらくはここが君のお家になるんだ、遠慮は要らないよ」

 父が優しく話しかけ、母も柔和な笑顔で迎える。


 私は彼女の両親の葬式には出なかったけど、新しい家族を迎えるにあたって、母と自宅待機していた。


 父に促され、母に肩を抱かれて玄関から入っていく彼女を見届け、なんとなくすぐには後を追う気にもなれず、父が車を車庫入れするのを見ていた。


「野々原、おい、野々原ぁ」

 甲高いでもなく、重低音でもない、変声期のしゃがれ声から逃れたばかりの柔らかい少年の声が私の耳朶を擽る。

 この声は、岸田君!


「な、なぁに?」

「なあなあ、今の、だれ誰? お前、姉妹きょうだいはいなかったよな? 親戚か?」

 なんだか興奮気味に、訊ねてくる。まさか、詩桜里に興味を持ったの? それともただの質問?


「制服もちょっと見たことないし、うちの学校じゃないだろ? どこの?」

「うちの学校よ。来週からね。遠縁の子なんだけど事情があって、しばらくうちにいるのよ」

「学年は?」

「一緒よ、同い年。……気になるの?」

「ま、まぁな。委員長として、昨日は普通だったのに今日になって急に休んだ野々原の様子を見に来たんだ、が、見慣れないがいるから、ちょっとだけな。

 ……あ、これ、来週の木曜までに全部記入して出すプリント、ついでだからもらって来といた」

 解りやすく、目の下と耳を赤くして、視線を逸らしがちに答える岸田君。いつもなら、真っ直ぐ私を見て話すのに。

 なんてことなの!? うちに来たばっかりでもう、車から降りて家に入るまでの僅か数瞬で、たまたま来てくれた岸田君の興味を惹いたってこと?


 ──な、なんて○ッチな……!



 昨夜の父の言葉を思い出す。


 倒した茶器と、たっぷりお茶を吸った布巾を持って母が台所へ下がった後、こっそり話してくれたのだ。


「小百合さんは、かなり線の細い儚げな美人でね、体が弱かった事もあって、いつも愁いを帯びた眼をした、透き通るような存在感の人だったよ。

 詩桜里ちゃんは、その小百合さんに似てるんだ。体の丈夫さは眞二君譲りだがね、母子おやこ二人で寄り添っている姿はどこか近寄りがたいほどに清楚で綺麗でね。妖精か天女がいたらこんな感じかなって……

 一度だけ眞二君に言ってみた事があるが、それはもう、鬼のような顔をして、小百合はやらんって……お父さんだって結婚してて、お母さんも美弥子もいるって言うのにね」

 また、誤解されやすい台詞を……

 眞二小父さんの愛妻家っぷりを披露したつもりなんでしょうけど。

 一応、母の前では言わない程度には、厄介な内容だと思ってるのね。

 私も、本当は小百合さんが好きだったのかと疑ってるもの。


 本当にそっくりな親子なら、詩桜里を見ればお父さんの言葉は大袈裟だと思うけど、病弱な人だって言うから、本当にそんな風に見える人だったのかも。

 詩桜里は普通だけど。


 その普通程度の詩桜里が、クラスでも岸田君の気をひいた。


 血の雨が降るかも……


 女子の派閥や  仲良しグループ 上下関係カーストはけっこう泥沼化しやすいし、イジメにも発展する。

 岸田君が委員長に押し上げられたのは、クラスの代表ならみんなが平等に関われる機会があるからなのに。

 ま、いいけど。

 岸田君から近寄るのは抜け駆けじゃないし、それであの子がまわりからハブられても私には関係ないわ。


 *****


 詩桜里は、母親が寝込みがちだったからとかで、家事一般が出来る。


 料理の下拵えから、ちょっとした料理に皿洗い。


 洗濯も、きちんと仕分けして、手洗い、洗濯機を使い分け、どうやったのか、殆どアイロンなくても問題ないくらいに、綺麗に干して丁寧にたためる。


 トイレ掃除も嫌がらずやるし、朝、玄関周りの掃き掃除までやってのける。


 不思議なくらい、年寄りかと思うほど生活の豆知識を持っていたり、上手い具合にコツを摑んで、むしろ、うちの母よりうまく手早くこなす。


 ──ババくさ


 負け惜しみだと心のどこかでは解っている。いるが、そうそう認められるものでもない。


 今まで、クラスでも家庭でも、そつなくこなして過ごしてきたのに、突然現れた仮の『姉』が、その地位を脅かすのだ。


 当然、面白くはなかった。


 父や母の前では、明るくお行儀のいい借りてきた猫を演じるが、ひとたび私室──納戸部屋を片付けるまで、私の部屋に間借りしている。──に下がると、陰気な子供に戻る。


 私だって、部屋を占領されて面白くないし、プライバシーないし、話しかけたくなんかないから。


 必要事項がある場合を除き、無視する方向でいいわよね。

 お互い不干渉の方が気楽でいいでしょう?


 父は、同い年の女同士、本が好きで読書家なところも、仲良く出来るはずだと言うけど、冗談じゃない。

 年が近くたって、本を読んでたって、ジャンルも色々あるし、一括りにしないでよね。



 初登校の日、父は一緒に行くものと思ってたようだけど、残念でした。部活があるのよ。

 ピアノもヴァイオリンも習わせて貰えなかったから、学校の吹奏楽部で、備品のクラリネットを担当してるし、伴奏用のピアノを触らせて貰ってるんだから。休んだり遅れたり出来ないわ。


 詩桜里は、朝早いので、もたもたしてると一緒に行くことになる。

 仕方なく、食パンに蜂蜜とシナモンシュガーだけ塗りくわえて、詩桜里が着替える前に飛び出した。

 ザマーミロ。

 どうせ、父か母が付き添って来るでしょう。


 * * * * *


 学校に着くと、音楽室に入る前に、岸田君に会った。

「お、おう、野々原。……今日から、親戚の、学校に来るんだろ?」

 モジモジと、岸田君らしくない姿だ。

 まさか、マジで気になってるの? ひと目見ただけでしょう?


「そうよ。私は部活、朝練があるから先に来たの。後から普通の時間に来るわよ」

 たぶんね。


「そ、そっか…… うん、俺、委員長だし、案内とか、説明とか、頑張らないとな!」

 張り切りすぎて、空回らないようにね。


 な~んか、気分が削がれたわ。せっかく誰よりも早く来て、朝練開始までピアノを触れる機会だってのに。


 * * * * *


「あれぇ? 美弥ちゃんなんか気落ちしてない?」

「そう?」

「大好きなピアノを弾いてきたんでしょ?

 それに、お父さんの又従兄弟の娘、だっけ? 親戚の人、今日からうち通うんでしょ?」

 お友達と別れて、初めての所に一人で心細いだろうから、美弥子が面倒みてあげないとね!

 なぜかさくらが張り切ってガッツポーズを作る。

 大きなお世話よ。そんなつもりはないわ。

 岸田君が張り切ってるし、副委員長だから彩愛あやめも面倒見るでしょ。


 近年、初夏でも熱中症の恐れがあるとかで、校庭は勿論、講堂や体育館での朝礼や全校集会も殆ど行われない。


 月曜日だけど、普通にショートホームルームと出席をとるだけで、すぐ授業になる。

 その、ショートホームルームがこんなに憂鬱だった事は無い。


 担任がへらへらと笑いながら、詩桜里を伴って入って来た。

「おう、野々原、お前冷たいなぁ、1回だけでも、初日くらいは一緒に来てやれよ」

 大きなお世話よ。クラスのみんなの前でそんな言い方しなくてもいいでしょうに。


 益々、気が沈んでいく。



 担任に呼ばれて、クラス委員の岸田君と彩愛あやめが教卓の前に出る。


曉月あかつき、こいつらがクラス委員長の男子と副委員の女子だ、まずは2人の顔を覚えとけ」

 先生に紹介された2人が順に頭を下げる。


「初めまして、委員長の岸田きしだ繁幸しげゆきです。アカツキさん、これからよろしくな?」

「初めまして、曉月あかつき詩桜里しおりです。よろしくお願いします」

「シオリちゃんかぁ。野々原の親戚なんだって? あんまり似てねぇな?」

「父親同士が又従兄弟で、そんなには近い関係じゃないから……かな」

「ふぅん、そうなんだ?」

 明るい色の髪をフワッと揺らして、目の下と耳を赤く染めて、やや俯き加減で詩桜里に挨拶をする岸田君。

 あ~あ、この瞬間、クラスの女子の大半を敵に回したわね。


「おいおい、岸田よお、お見合いじゃないんダゾ。2人で話してないで、軽く挨拶したら、クラスのみんなに紹介してくれよな」

 先生がからかい半分で、割って入る。岸田君は少し赤みを増して黒板の方を向き、チョークを取る。更に追い打ちかけてるわね、先生?


「先生、発想がオジサンで貧困、且つ、下世話で低俗です」

「おお、そっか、すまんな。岸田、そう恥ずかしがるな、冗談だよ」

「先生、追い打ちです。謝るだけでいいのですよ」

 彩愛が冷ややかに先生に言い放つと、岸田君の赤面は目元だけでなく、顔面全域に広がる。


 不愉快極まりなかった。


 日直で黒板を整えていたさくらが、すれ違うついでに彼女らしい明るさでひと言。

「美弥ちゃんの親戚なんだね、よろしくね。後で、おトイレとか食堂とか案内してあげるね」

「ありがとうございます」

「もう硬いなぁ、ありがと♡だけでいいよぉ」

「そうだな、今日からお友達だろ、もっとフランクにいけよ。委員長の岸田に頼んでもいいが、更衣室と便所は無理だからな、ハハハ」

「先生。だから、ひと言余計なのですわ」

 やっちまったなぁと笑って済ます先生。いつもの事だが、今朝は特にイラッときた。



「それじゃ先生も気が済みましたか?

 そろそろ彼女に自己紹介をしていただきましょう」

 彩愛あやめの音頭でSHRショートホームルームが再開される。

 

 これから毎日、女子に総スカンされる詩桜里と、それを庇う彩愛あやめやさくらに岸田君が加わって更に険悪になる光景や、意外にするりと入り込んで、我が家でのように静かに空気のように存在してるのを見る事になるのか。そう思った瞬間、目が眩み平衡感覚をなくすほどの強い閃光に包まれた。



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