第7話 初めての魔物

 浮遊感の後、気づけば小部屋にいた。四方の壁は土でできていて、いかにも地下にあると匂わせる。出口は一つで扉はなく、洞窟のような通路が続いている。


 幸いにもここに他の勇者候補はいなかった。ただ一人の女の子を除いて。


「うーん、私たちパーティー認定されたみたいだね」


 ウインクしながら、語尾にハートでもついていそうな声色で言うプラン。彼女とパーティーを組めたことは幸いかもしれないが、そもそも参加するはずのなかった身としては不幸でしかなかった。


 やけに身体が冷たくて、呼吸が荒くなる。視界が揺れ、回転しているような錯覚。転びそうになったところをプランに支えられた。


「大丈夫?」


「ああ。……悪い」


「酔っちゃったかな? 転送魔法が苦手な人って結構いるよね」


 プランは平気そうな顔をしている。


 不調は転送魔法のせいではないが、勘違いしてくれているようで助かった。


「顔色を悪くしてる場合じゃないよ? 私と二人きりなんだから、もっと喜ばないと!」


 死地だというのに会場にいたときと変わらぬプラン。肝が据わっている。それに引き換え、クロイスは手足が震えていた。声を出したらそれがバレてしまいそうで怖い。


 ここでプランに見捨てられたら、一人で進まなければならない。しかも最後の四人になるまで終わらない戦いだ。


 つまり、生きて帰るためにはその四人に自分が入らなければならない。クロイスは戦いの素人。強力な仲間が必要だった。


 膝から崩れ落ち泣き叫びたい衝動をぐっと堪えて、クロイスは平静を装う。


「ありがとう。もう大丈夫」


「そう? ならよかった」


 浮かべる笑みはこの殺伐とした場所に似合わぬ華やかさで、思わず現状を忘れそうになる。


「これからどうする?」


「うーん、それより先に確認なんだけどね」


 プランは正面からクロイスの首に腕を回して、耳元で囁いた。


「私たちって、パーティーでいいんだよね?」


「あ、ああ、そ、そ、そうだな!」


 胸に当たる柔らかい二つの物体に、クロイスの思考能力はゼロとなる。とりあえず頷いた。本能は背中を抱きしめろと喚き散らすが、服の裾をきつく握って耐え凌いだ。


「そっか、よかった」


 離れる彼女の左手。そこに一瞬だけ見えた鋭利な刃に、内心ドキリとする。


「じゃあ、行こっか」


 すでにプランの手にナイフはなく、彼女も何事もなかったように振る舞った。目の錯覚だったのだろうか。


「初っぱなから殺し合いじゃなくてよかったよ、ほんと」


 何気なく放たれた言葉に、クロイスは背筋が凍った。


 もし、否定していたら――。


 体中から冷や汗が噴き出して、胸が苦しくなる。想像したくもなかった。


「ほら、行くよ?」


「あ、ああ。今行く」


 気持ちを切り替え、プランの横に並ぶ。少し距離を開けたのは恐怖心からだった。だが、彼女はクロイスの顔を見ると、微笑して彼の腕に抱きついた。


「私のこと、守ってね」


「も、もちろん」


 正直、クロイスは自分がなんて答えたかわからなかった。動揺と恐怖。そこから来る震えとぎこちない仕草。彼女にマイナスな印象を与えるすべてを隠すことに必死で、プランの顔色以外に気が回らない。


 道を進んだ先の曲がり角。不意にその奥から獣のうなり声が聞こえた。


「さっそくお出ましだね」


「え、何が?」


 クロイスの疑問への答えはプランの返答を待たず、目の前に現れた。


 針のように鋭い体毛。それは闇に溶け込むように禍々しく黒い。二つの瞳は血のように赤く光り、獰猛な牙の奥から漏れる低い唸り声は、理性の欠片もない殺意を感じさせる。四肢は地を削るように掴み、低く縮んだ体勢は臨戦態勢を示す。


「黒狼なら一人でちょちょっとやれるよね?」


 プランの言葉に、クロイスは喉を鳴らした。


 黒狼は魔物の中では弱いとされる部類だ。普通の狼とは異なり、基本的には単独行動を好む。鋭い牙と爪は容易く人肉を裂くため、一般人には、かなりの脅威となる。


 しかし、武を身につけた者であれば苦戦することはない。勇者候補であれば、軽々と打ち倒さねばならない相手だ。


 だからこそ、プランは魔物が現れても余裕な様子でクロイスに丸投げしたのだろう。


 だが、クロイスは一般人だ。簡単に殺される未来しか見えない。


 それでも引き下がることはできなかった。ここで逃げれば、プランはあっさりと自分を見捨てるだろう。


 クロイスはぎこちない手つきで腰の剣を抜いた。両刃の剣。その剣身は鏡のようによく研がれており、壁面に備え付けられた光石の光を鋭く反射する。


 両者ともに探り合う。その時間は長く感じられたが、実際には数秒もなかった。勢いよく地を蹴った黒狼が、地面をなめるようにしてクロイスに肉薄する。


 動きの素早さに焦り、クロイスは咄嗟に剣を振り下ろした。手を伝う感触は硬い響きを捉え、滑りのある温かな液体が頬に飛んだ。気づけば、頭部の潰れた黒狼が地面に息絶え、剣先から血が流れ落ちていた。


「へえー、線が細いから非力かと思ったけど、案外、力あるんだね」


 お疲れ、と言いながらクロイスの肩を叩き、黒狼の死骸など意にも介さず足を進めるプラン。


 クロイスは手が震えているのを隠すように血を払い、剣を鞘に収めた。


「まあね」


 平気な顔で言うが、内心はとても穏やかではなかった。今も心臓が異様な速度で脈を打っている。変わり果てた黒狼の姿を目にしても、自分が魔物を倒したことが信じられなかった。理不尽な職場ではあったが、力仕事をしてきたことが活きたのだ。


 プランに駆け寄り、道を進む。一歩一歩踏み出す度に魔物を倒したことへの実感が湧いてきて、少しだけ希望を見いだした。


 何も正面から勇者候補と殺し合う必要はないのだ。彼らを避けつつ、こちらを狙ってくる魔物を倒していけばいい。そうすれば彼らと戦わずに勝利することも不可能ではない。勝手に殺し合い、数を減らして貰えればいいのだ。


 卑怯極まりない考えに、けれどクロイスは開き直る。そもそも自分は勇者候補ではない。大した力は持ち合わせていない。だからこそ、生き残るために手段を選んではいられない。


 その直後だった。十字路で人間と鉢合わせしたのは。

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