第3話後編.その願いは叶えさせたくないから - 2

 翌日、つきねは調べものをするため、久しぶりに自転車に乗り、美癸恋町の図書館にやってきた。

 土曜の午前中ということもあってか、利用者が少ない。館内にある検索用パソコンで調べるも、うまくヒットしなかった。つきねはカウンターで「美癸恋町の歴史や残っている昔話」について知りたいと職員に尋ねた。

 すると、この郷土史を扱う棚の前に案内された。

 思いのほか書籍は多く、本のタイトルを見るだけで難しそうな印象を受ける。昔話の成立なども研究対象に含む民俗学という学問があるらしく、そういった書籍も役立つかもしれないと教えてくれたが、つきねの所感は「これはちょっと大変そう……」というものだった。

 しかし、民俗学は単に歴史だけでなく人々の習慣、伝説、民話、歌謡など生活の中に伝わってきた様々なものを研究するものらしく、今日のつきねの目的からすると避けて通れないものだ。

 司書が勧めてくれた『美癸恋町の鬼伝説に関する一考察 流行り病と伝承の成立について』という書物——というよりも、少々厚めの古びた小冊子を試しに開く。

 文字通りこの町の昔話のことが書かれているようで、つきねはこの本に挑むことにした。

「難しそうだけど……頑張らないと」

 その他にも数冊手に取りテーブルまで運ぶと、つきねは椅子に腰かけた。


 数時間の格闘の末、十全に理解できたとは言えないが、つきねはいくつか気になる情報を掴んだ。

「疲れた……受験勉強の時もこんなに頑張らなかったかも」

 つきねはゆっくりと伸びをした。

 この町は鬼と縁深く、美癸恋という名称も古くは『見鬼囲』と記し、『鬼を見ることができる村』あるいは「鬼に囲まれている村」という意味があったようだ。

「これは昔お母さんに教えてもらった気がする」

 ここでいう「鬼」とは鬼だけのことではなく、妖怪や怪異と言ったものを指すらしい。古くからこの土地では病が流行することが多く、人々が自分たちではどうにもできない病気の原因を、人ならざるモノに求めたためではないかと推察されていた。

 また、つきねも聞いたことのある「鬼の姉妹の伝説」はその成立を探ると、その原型は千年も前からあるという。それほど古いお伽噺が近年まで口伝で残っていたのは、奇妙な病が大きく関係している。

 この集落に生まれる姉妹はどちらがか夭折するという病だ。周期的にこの病に罹る者が現れ、発症すると決して症状が治まることはなく激しい苦痛に苛まれて命を落とす。その「死」に至る病を人々は次第に「呪い」と呼ぶようになった。

 ここねの日記にあったように「呪い」と呼ばれる病とそれにまつわる伝承は確かに存在した。呪術や占い、疾病治療の知識を持つ方術士の男と心優しい鬼との間に生まれた二人の姉妹のお伽噺だ。

 家族四人で幸せに暮らしましたとさ、という結びは来ない。世の理、人と鬼が交わってはならぬという運命に反して子をなしたがために、世界に呪われたのだという。

「やっぱり悲しいお話だ……」

 これだけなら、呪いの存在をつきねは認められなかったかもしれない。しかし、一点だけ身に覚えのある事柄が書かれていた。

「……紅い月」

 この病に侵された姉妹は、紅く染まった月を幻視するというのだ。二十世紀の初めにこのあたりの集落でのみ起きる病を調査した記録やカルテが一部残っており、発症する前後で「月が紅い」という幻覚を見る者が多いと冊子にはまとめられていた。

(あの月は……見たことあるけど)

 幻覚と呼ぶにはあまりに鮮明で今でもつきねの記憶に刻まれている。そっとつきねは冊子を閉じた。

「鬼の姉妹の伝説と姉妹ばっかりがかかる病気……呪いかぁ」

 つきねは誰にも聞こえない声で呟いていた。

 古い伝承によれば呪われた者はすぐに落命するとあったが、この調査が行われた時点で死に至るまでだいたい数週間から一、二か月と個人差があるようだった。高熱による熱さと息苦しさ、意識の混濁。そして魂を削られていくように肉体は衰弱していく。

 この風土病の経過観察の記録は、つきねの闘病体験と一致するところも多い。つきねもただの偶然だとは考えられなかった。 


 帰宅後もつきねは呪いのことをここねに聞けずにいた。

 姉の体調が芳しくないことが一番の理由だけれど、「呪い」のことを口にすれば、日記を見たことがバレてしまう。

 ここねの日記にはこうあった

 ——夢で見た鬼の姉妹のように心臓を貫けば「呪い」を奪えるはず、と。

(流れ星を見に行った日、おねーちゃんの腕が……胸に突き刺さってたのは、夢じゃないんだよね。きっと)

 お伽噺の詳細を触れて、鬼の姉妹の最期はつきねも知っている。だが、呪いを奪ったり与えたりすることができるというような記述は、図書館で見た書籍にはなかった。呪いが発現した姉妹にしかできないことなのか。ここねは何故知っていたのだろう。どんな夢を見たのだろう。

 眠れず、つきねはそんなことばかり考えてしまう。

「水でも飲んでこよ……」

 廊下に出ると、小さなうめき声が聞こえてくる。つきねがここねの様子を見に行くと、うなされていた。

「うぅ……ぅ」

 駆け寄ると、ここねはベッドの上で悶え苦しんでいた。呼吸が荒い。つきねはそばに置いてあったハンドタオルでここねの汗を拭く。タオル越しでもすごい熱だというのがつきねには分かった。

「き……ね」

「おねーちゃん!? ……何かやってほしいことある? お水いる?」

 しかし、その問いかけに返答はなく

「つきね……は、守るから。もう大丈夫……」

 ここねの胸が締め付けられる。

 紅い月が支配する静寂。つきねを貫いた優しいここねの腕。そして死をもたらす呪いが、つきねの中で確固たる現実感を持ち始めていた。

 現にここねが体調を崩してから、つきねが発熱することはない。

「全然大丈夫なんかじゃないよ……」

 どちらかしか健康でいられない。どちらかしか生きられない。その理不尽さこそが呪いだ。

 つきねたちは呪われている。

 遠い昔から繰り返されてきた、逃れられない運命みたいなものに。

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