5.急転と暗転
一通りの見学を終えて、一同は休憩スペースで一息をついていた。
窓から夕陽の温かい光が差し込み、病院内をオレンジ色に染める。
クロガネは缶コーヒーを飲みながら、ガラケーに『活動日誌』を書き込んでいる美優を見た。今日は彼女にとって有意義な一日であっただろうか?
「今日はこんなところかしらね。満足した?」
「はい、とても」
白衣を着た真奈の問いに、美優が顔を上げて頷く。
「それは良かった」ホッとする。
「クロガネさんもありがとうございます」
大したことはしてないと、軽く手を振る。
「さて鉄哉。早速だけど、今日の埋め合わせをして貰おうかしら?」
唐突に真奈がそう言い出した。無理を言って彼女に職場見学の案内を頼んだ折、「今度埋め合わせをする」と言って承諾して貰ったのだが。
「今から? 随分とまた急だな」
「私の休みは今日まで。明日からは通常勤務で美優ちゃんと一緒に遊べるのも今日まで。
「ああ、なるほどね」
ならば仕方がない。必然的にクロガネの奢りとなる流れだろうが、受け入れる。
「ちゃんとエスコートして貰うわよ」
「はいはい」
さて、どこに行こうか。外食は美優の手前、候補から除外する。
「今からだと遊べるのは限られてくるな……」
これから予定を詰めるとしたら映画やカラオケ、ゲームセンターにボウリング辺りだろうか? と言うと、
「構いません、行きましょうっ」
興味津々な様子で美優が席を立つ。そういえば、彼女にとって娯楽らしい娯楽はテレビゲームくらいだった。
「ふふん、ゲーセンでは『太鼓で達人』のトップレコードを持つ私の独壇場ね」
真奈が勝ち誇った笑みを浮かべると、
「すぐに塗り替えてあげますとも」
負けじと不敵に返す美優。
「果たして美優ちゃんの音感スキルはどれ程かしらね。簡単には覆せないわよ」
「……検索完了。該当ゲームの内容はバチで太鼓を叩いてコンボを繋ぎ、相手プレイヤーをリズミカルに叩きのめす格闘ゲームですね」
たぶん大体合ってる。
「対戦系なら負けません」
「私の華麗な必殺コンボで場外に弾き出して上げるわ」
「それなら私はマウントを取って、そちらのHPがゼロになるまでボコボコにしてあげます」
「……えっ、そんなゲームだったけ? 音ゲーだよな?」
そこはかとなく武闘派な内容に、ゲームに疎いクロガネは思わず二人に訊ねた。
その後、映画は何を観ようか、カラオケは何が歌えるかなどと談笑しながら出口に向かう三人。
普段より時間がゆっくりと進むような感覚に、クロガネは苦笑した。
今回は
これほど穏やかな気持ちになったのはいつぶりだろう?
今回の依頼は、美優との出会いは、そう悪いものではないようだ。
だが終わりは突然やってきた。
広いロビーを横切ろうとした際、
「ああ、居た居た。見つけたぞ、美優」
良く通る男の声。
三人の前に現れたのは、黒服の男を伴った青年だった。
高級ブランドのスーツを着こなすすらっとした長身に、細い手足。そして俳優でも通じる甘く整った顔立ち。年齢はクロガネと同年代だろう。
クロガネは美優と真奈の前に出る。
「……失礼ですが、貴方は?」
青年はにこやかに名乗った。
「
「「ッ!?」」
クロガネと真奈が同時に息を呑む。
(――なんで、こいつがここに……!?)
疑問。憤怒。怨恨。殺意。
先程までの穏やかな感情は霧散し、代わって胸に渦巻く黒い激情を自覚しつつも、クロガネは表情には出さず努めて冷静に平静を装う。
獅子堂玲雄。
この鋼和市の開発スポンサーである獅子堂重工の長男である。
総資産が世界全体の数%にも及ぶとさえいわれている獅子堂重工は、多額の開発資金の他に優れたサイバー技術を国に提供し、今日の鋼和市発展に最も貢献している巨大企業だ。実質的に鋼和市の真の支配者であるため、その親族もそれなり以上の発言力と権力を有しており、こと鋼和市においては獅子堂家の名を知らぬ者はいない。
ただ、長男である玲雄は黒い噂が絶えないことでも有名であり、実際クロガネも過去に少なからずの因縁があった。
とはいえ、特殊な状況だったため顔を合わせたのは今回が初めてであり、玲雄の方はその因縁すら記憶にないだろうが。
「……何故、貴方ほどの方がここに?」
「そこのガイノイドを回収しに来たんだよ」
玲雄はクロガネの背中に隠れる美優を指差した。クロガネの服を掴む彼女の手は小刻みに震えていた。顔を見ずとも怯えているのが解る。
「回収?」
「ああ、そいつは獅子堂重工製のガイノイドだ。つまりは獅子堂の所有物。ここまで言えば解るだろ? さっさとこちらに引き渡して欲しいね」
「……俺はこの子の護衛を任された者だ。彼女は国の重要ポストに配属する予定と本人から聞いている。何かの間違いでは?」
玲雄はうんざりとした表情を見せた。冷めた視線を美優に向ける。
「ふーん……そんな嘘をつくんだ、機械の癖に」
嘘……?
「ああ、それとも……それを盗んだ君がそう言えと調教したのかな?」
盗んだ? 美優を? 俺が?
美優は国も関与している存在である筈だ。彼女は何者かによって非合法に連れ出されたとでもいうのか?
「違います! この人は何も知りません! 全部私の独断です!」
怯えと緊張が入り混じった表情で、美優がクロガネを庇うように進み出た。
「独断? ……どういうことだ?」玲雄が訊ねる。
「……それは」
「ああ、いいよいいよ。話は後で聞かせて貰うから」
周囲の目を鬱陶しく感じた玲雄は美優の話を遮り、彼女に手を伸ばした。
クロガネが再び美優を庇う。
「事情は解らないが、俺の元に来たのはこの子の意思だ。せめてあと三日、この子の身柄を預からせてくれないか?」
ややこしい状況になってしまったが、受けた依頼は必ず果たす。プロとして自らの仕事に責任とプライドがある。
……断じて報酬の三千万円のためではない。
「……何、君さっきから? この僕に、獅子堂玲雄に歯向かうわけ?」
静まり返る院内。不穏な空気が立ち込め、周囲の医師や看護師、患者や見舞い客たちは固唾を呑んで事の成り行きを見守っている。
「三百万」
玲雄が指を三本立てた。
「三百万円でそれを譲れ」
「断る」
即答。繰り返すが、報酬金額がその十倍であるから断ったわけではない。
「じゃあ幾らだ? 幾らなら良い?」
「幾ら積んでも、今この場でこの子は渡さない」
へぇ、と嘲笑した玲雄は「それじゃあ」懐に手を伸ばす。
「これなら」拳銃を抜き、
「どうだい?」銃口をクロガネの眉間に突き付ける。
周囲で小さく悲鳴が上がった。近くにいる警備員が身構えたが、それだけだ。相手が玲雄では取り押さえることも出来ない。
勝ち誇ったような笑みを浮かべる玲雄に、クロガネは心底うんざりする。
「……今度は脅しか」
カチリと、安全装置が外される。
「脅しだと思うかい?」
「ここで俺を殺せば、そちらの立場が危うくなるのでは?」
「脅し返すとは大した度胸だね。でもそんな心配は無用だよ。僕の力なら、何事もなかったことに出来るからね」
金と権力に物をいわせて殺人行為をなかったことにする。
こいつはどうしようもなく、無邪気で我儘な子供のまま大人になってしまったクズだ。大した努力もせず、
……無理だろうが。
「良い歳なのに手前のケツを親に拭かせるなよ、情けねぇ」
思わず口が滑ってしまった。
気付いた時には、その場の空気が凍り付いていた。
生まれてから一度も罵倒された経験はなかったのだろう。玲雄の顔が憤怒に赤く染まり、歪む。
「……ッ、……言ってくれるじゃないかぁ……この、愚民がぁッ!」
怒りに任せて引き金を絞る――より速く、クロガネの右手が霞んだ。
――それは魔法のような光景だった。
一瞬にして拳銃を奪われた玲雄の眉間に、銃口が突き付けられる。
「は? な? え?」
玲雄が混乱した声を上げる。やがて自分が置かれた状況を把握すると、数歩後退った。
「お、お前、今何をした……?」
「見れば解るだろ? 撃たれるのが嫌だったから銃を奪った。それだけだ」
淡々と答えたクロガネは、マガジンキャッチを押して拳銃に装填された弾倉を落とす。
「病院で」左手でスライドを引いて初弾を排出し、
「こんなもの」スライドを分離させ、
「振り回すんじゃない」両手を開いて、二つに分解した拳銃を床に落とした。
玲雄は役立たずと化した拳銃を呆然と見つめるも、はっと我に返ってヒステリックな声を上げる。
「お、お前、ただじゃ置かないからな! 獅子堂に逆らったことを後悔しろ!」
すでに見下げたクズと関わってしまったことに絶賛後悔中である。
「お前も! なんですぐに動かない!? こいつに銃を突き付けられたんだぞ!」
怒声を浴びせられる黒服の男。ぱっとしない地味な顔立ちで年齢が読めない、おそらく三十代くらいだろうか。体格は中肉中背で、『特徴がないのが特徴』を地で行くような印象を受ける。両手を後ろに組んだまま静かに佇んでおり、一連の動きにまったく反応を見せなかった男に対し、クロガネもある種の不気味さを感じていた。
「お言葉ですが若旦那、この男は引き金に指を掛けなかったことから殺意が見られませんでした。若旦那に危害を加えることが見受けられなかった以上、私から動く理由はございません」
男は冷静に興奮する玲雄を諭す。あくまで護衛に徹するプロフェッショナルのようだ。その佇まい、観察力からしてかなり出来る。腐っても獅子堂家の護衛ならば当然か。
「何をワケ解らんことを!? なら命令だ! そいつをぶっ殺してあの人形を回収しろッ!」
「……はぁ」
溜息をついた男は両手に着けた手袋の具合を確かめると、クロガネと対峙する。
「この度は若旦那がご迷惑をお掛けし、誠に申し訳ありません」
丁寧な謝罪と共に、男は頭を下げる。
「どうかそちらのお嬢さんを、こちらに引き渡して貰えないでしょうか?」
「断る」
「……残念です」
男は身を起こすと、いつ抜いたのか拳銃を持った左手を真横に伸ばし、銃口を無関係な人間――しかも子供に向けた!
「ッ!」
咄嗟にその銃を叩き落とそうとしたクロガネの胸に、男は右手人差し指と中指を銃身に見立てた指鉄砲を当てる。
「しまっ――」
院内に乾いた銃声が二回、連続で鳴り響いた。
鮮血が舞い、糸が切れた人形のようにクロガネは崩れ落ち、指鉄砲をかたどった男の指先――銃口から硝煙が上る。
「クロガネさんッ!?」「鉄哉ッ!?」
美優と真奈の悲鳴は周囲の悲鳴に掻き消され、二人は倒れたクロガネに駆け寄った。
出口に向かって逃げ出す大衆をよそに、男は拳銃を真奈に向ける。
「や……めろ……」
息も絶え絶えに、倒れたまま男を睨み付けるクロガネ。即死ではなかったが、心臓を撃ち抜かれた以上、誰の目から見ても致命傷だ。
「ガッ……!」
「やめてッ!」
男が容赦なくクロガネの頭を踏みつけ、美優が悲鳴を上げる。
男は銃口を涙目の真奈に向けたまま、
「やめてほしければ若旦那の元に戻れ。さもないと、次はこの女性を撃つ」
カチリと撃鉄を上げる。
「解りました、従います! だから……!」
美優の懇願に、男は銃口を真奈に向けたままクロガネから数歩離れた。
美優はクロガネの傍に跪く。
「ごめんなさい、クロガネさん……私のせいで、こんなことになってしまって……本当に、ごめんなさい……」
機械仕掛けの眼から洗浄液――涙がクロガネの頬に零れ落ちた。
見上げるクロガネの目に、悲しそうに微笑む美優の姿が映る。
「色々とありがとうございました。貴方と過ごした日々はとても……とても楽しかったです……さようなら……」
立ち上がり、真奈にも一礼して美優は玲雄の元へ向かう。黒服の男も銃を下ろし、二人の後に続いた。
「……み…ゆ……」
視界が暗くなっていく中、クロガネは美優の背中に手を伸ばす。
病院前に停めてあった高級車に乗り込む寸前、美優は振り向いた。
その諦めつつも、どこか助けを求めるかのような悲痛な表情を目に焼き付けた直後、クロガネの意識はブツリと途絶えた。
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