第56話 その後のそれぞれ(その2)
モンゴメリ卿はフィオナの婚約の話を聞いて複雑な顔をしていた。
「絶対にジャックとお似合いだと思ったんだよ。意外に活動的でやる気のある娘だった。見た目と違ってね」
ジャックが、すっかり落ち込んでいると聞くと、モンゴメリ卿はちょっと意外そうに、しかし困った顔をした。
「ジャックに申し訳ない結末になってしまった。まさかグレンフェル侯爵が出て来るとは思っていなかったし……」
そのジャックは、どん底まで落ちていた。
自分のことは、冷静で落ち着いた、物に動じない人物だと思って生きてきた。
だが、全然そうじゃなかった。
恋に狂う男だったのだ。
そう思うと陰鬱になった。
女と手をつないでいたり、人目をはばからずキスしたり、熱い目線で見つめたり、そんな奴のことは軽蔑していたのだ。
自分はそんな格好の悪い真似は絶対にやらないだろうと思っていた。
ところが、いざ、夢中になれる娘が現れると、自分で嫌になるくらいいろいろしでかしてしまった。
「人目なんかどうでもいいと思ってしまった……」
それでも、フィオナは彼を選ばなかった。
ジャックの腕は空っぽで、彼の傍らに愛しい人はいない。カップルを見るだけでムカついて、目を逸らした。世の中から、恋人同士なんか消えてしまえばいい。
唯一、救いだったのが、姉のクリスチンが自分の失恋に塩を擦りに来ないことだった。来たら殴りかねないくらい恨んでいた。(マークに殴り返されることは覚悟の上で)
「あら、ジャックは真剣に好きになったのよ。嫌がらせなんかするわけないじゃない。いつもすかしているから、ちょっと腹が立っただけで」
クリスチンはけろりとして言った。
「ジャックが自分に正直になっただけですもの。でも、フィオナはセシルを見た途端に恋に落ちたのよ。勝てなくても仕方ないわ」
マークがクリスチンを見た瞬間から恋に落ちたように。
悔しいから、マークはそんなこと、クリスチンに言ったことがなかった。今後とも、バレないように気をつけねば。
彼は、長い間、クリスチンの周りをウロウロしてチャンスを狙っていたのだが、あまのじゃくのクリスチンにそれがバレたら、何をされるか知れたものではなかった。
だが、もうそろそろ限界だった。
クリスチンだって、マークのことを心のどこかで好きだったに違いない。それもマークは知っていた。体当たりする時が来たのだ。それが、あのセシルとの出会いのパーティーの夜だった。
「やっと手に入れた」
十年越しの恋の結実だった。スイスのどこかのやたら高そうなホテルで、彼は満足そうに、やっと自分のものになったクリスチンをしつこく虐めて堪能していた。
クリスチンに文句を言われると、こう答えた。
「何のためにここに泊まってると思ってるの?」
それから、ニヤリと笑うと付け加えた。
「十年分のお返しだよ。利子付きだ。さあ、お行儀よくするんだ、クリスチン」
十年前、セシルは初めてフィオナに出会った。
彼の兄との婚約が決まる前も、親に連れられて度々来ていた。
兄との婚約が整って、初めて、彼は意識し始めた。すでにその時にはもう手遅れだったが。
そして、月日は流れ、面倒くさくて最後だけ参加することで出席したことにしようと訪れたパーティーで、彼は彼女を見つけた。
フィオナの方は彼より年下だったので、よく覚えていないかも知れなかったが、彼の方は兄のおかげで肖像画も持っていたのでバッチリだった。(フィオナも、彼の死んだ兄の肖像画を持っていたはずだが、そもそも別人だし、縁起が悪いので伯爵家は屋根裏のどこかに仕舞い込んでそれっきりになっていた)
セシルは、マルゴットと一緒に通り過ぎるフィオナを暗闇から呆然と見つめていた。
彼女だ。
侯爵家の当主として、いろんな女性から声をかけられてまくっているセシルだったが、小さな幼馴染が夜のパーティに来ているのを見ると、心がざわめいた。
あぶない。
あんな頼りにならなさそうな老年の付き添いと二人だけで、こんな場所に来るとは!
ダンスを申し込まれたらどうするつもりだ。見知らぬ男の手を取るのか。
そんな危険なマネを! ダメではないか。
フィオナは知らない。
そのあとの仮面舞踏会の最初の出会いも、ピアの舞踏会の出会いも偶然なんかじゃない。全部セシルの涙ぐましい追跡活動によるものだった。(ストーカーともいう)
マークと二人で田舎の家の襲撃も計画した。追い詰めて劇的に演出して、何が何でも結婚を承諾してもらわなくてはならなかった。もう時間がないとセシルは焦っていた。
いずれ街に帰らなければならない。遺産相続の噂が流れている。ひとたび町に帰れば、余計な求婚者が殺到するに決まっていた。不心得な者も混ざっているに違いない。
大体、肝心の婚約者の名前が間違っている!と、セシルは憤慨した。
『莫大な財産のために結婚したい男ではなく、フィオナを心から愛してくれる男を探すために、婚約が決まるまで遺産相続は秘密とする』
そのはずだったのに、ダーリントン伯爵家には、すでに婚約者がいるフィオナに結婚申し込みが殺到した。
「遺産相続の部分だけ噂になってしまって、結婚を申し込まれたのだと思います。他人の家の遺言書を全部読めるはずがないですからね。しかし、件数が多いうえ、非常に熱心なお申し込みもあって、断るのに苦労しました……」
アンドルーは自宅にやって来たゴードン弁護士に説明した。
「誠に申し訳なく……」
冷や汗を光らせながら、ゴードン弁護士は詫びた。
このうわさの出どころは、事務員のウィリアムのフライングだと言うことはすぐにわかった。
「噂を根拠に、秘密事項のはずの遺産相続をしゃべってしまいました。弁護士事務所としてあるまじき大失態です」
くだんのウィリアムはクビになり、弁護士は平身低頭、アンドルー夫妻に謝った。
「婚約決定に間違いはなかったですからね。まあ、相手が違うと言うのは、さすがにちょっと……」
ガセネタを流したのはジャックだったが、アンドルーも婚約者はジャックのつもりだったのだから、そこまで文句を言えた義理ではない。
「誠に申し訳ございません!」
「代わりと言ってはなんですが……」
そして、アンドルーは引換条件で職を得た。ウィリアムの代わりに、ゴードン弁護士事務所で働くことになったのである。
アレクサンドラからは「え?」と言われたし、正直ゴードン弁護士も微妙な顔をしていたが。
アンドルーが法律には、とんと無知なことは、以前の遺産相続の時の騒ぎで知っていた。
こんな男を法律事務所でどう使ったものか悩むところだったが、のちに実に有用な人物であることが判明した。
彼は貴族風にあこがれる平民の金持ちの招待状だの喪のお知らせだのの文面を、儀礼に則って代筆する仕事を開発したのである。
例えば、シャーロット・マッキントッシュ嬢の社交界デビューのパーティの招待状は、どんな貴族に送っても決して笑われないような百パーセント上流階級風であるのに、身分をわきまえて決して出過ぎず、しかも気の利いた文章だと評判になった。アンドルーの作文だった。
ある種の文筆業である弁護士事務所に、代筆屋の需要は結構大きかった。
「そんな平民の仕事を請け負うだなんて」
アレクサンドラはツンとしたが、アンドルーは聞く耳を持たなかった。
需要があるなら、何でもするつもりだった。彼も一皮むけたのである。
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