第25話 修羅場(ジャック編 続き)

ジャックは突然フィオナの方を振り返った。


「フィオナ嬢、姉のアパルトマンをご案内しよう」


「え?」


人の家である。


「あの、構わないんですか?」


「全然大丈夫さ。姉の家なんだから」


マークが横でびっくり仰天していた。


クリスチンとジャックの仲が最悪で、ジャックがここへ一度も来たことがないことをマークは知っていた。案内するどころではないはずだ。


「ええと……ジャック、それは……」


止めた方が……と言いかけて、マークは語尾を濁らせた。ダメだ。ジャックの目がすわっている。


止められないなら、一緒に部屋に入るべきか? マークは一瞬悩んだ。


フィオナ嬢の名誉のためにだ。

いやいや、グレンフェル侯爵の為、否、違うかクリスチンのためだ。

確か、今日初めて聞いたけど、このジャックとグレンフェル侯爵は多分ライバル関係……だよな? とマークは悩んだ。

ジャックがフィオナを連れて、グレンフェル侯爵の目の前で密室入りを果たしたら、主催者と言うか責任者のクリスチンはどうなる?


しかし、ついて行っても、フィオナ嬢以外の誰にも感謝される気がしない。

ジャックにとっては邪魔者以外の何者でもないし、クリスチンはマークにまで部屋を覗かれたらさらに怒るだろう。


フィオナ嬢だって、もしかすると、ジャックと二人きりになりたい可能性が……そんなふうには見えなかった。むしろ、マークはフィオナ嬢からSOSを受け取ったような気がした。


この間5秒。


「さあ!」


ジャックは声を荒げるとフィオナの手をつかんでドアを開けて、二人で中に入ってしまった。



*******



後ろ手にドアを閉めると、そこは廊下だった。暗い。

ジャックはフィオナの手を掴んだまま、空いている方の手で手近の立派そうなドアを開けると中へフィオナを押し込んだ。


「この部屋は?」


ジャックは、ドアに鍵をかけてやっと微笑んだ。


「知らない」


「えっ?」


「だって、この家、来たの初めてだもん」


「えっ?!」


その部屋は、書斎兼衣装室らしかった。

正確に言うと、元は書斎だったが、主が本よりドレスに力を入れていたので、こうなったらしい。


「二人きりになりたかった」


ジャックは言い出した。




どんなに二人きりになりたくても、このパーティーでやるのだけは絶対に止めて欲しい。


フィオナは、力一杯思った。


ギャラリーが多すぎる。


それどころではない。理屈より本能で理解した。まずい。思いっきりケンカを売っているようにしか見えない。セシルに。


分別ある人間ならですね、こんなマネしなくたっていいじゃないですか、と、言いたかったが、セシルのセの字でも出そうものなら、何をしでかすかわからない。


ここは、おとなしく……しかし、おとなしくしていると、何をされるかわからない。


助けて! クリスチン様!


フィオナは心の底から、ただし、心の中で叫んだ。


この状況、セシルに助けてもらうわけにはいかない。

お願い!


手をとられたまま、ジャックの顔がゆっくり近づいてくる。手を握っていない方の腕が彼女を絡めとる。


「好きだよ、フィオナ。うまく言えない」

彼はそのままフィオナにキスした。至福の瞬間だった(ジャックにとって)。


カンカンに怒った様子のクリスチンが、ガバッとドアを開けて、フィオナを救出したのはその三分後。鍵を開けるのに手間取ったのだ。怒りを抑えに抑えて、クリスチンは二人をサロンへ連れ戻した。

そのまま、壮絶な姉弟ゲンカに発展するところを客の手前、青筋を立てながら、クリスチンは我慢した。


「どうだった? フィオナ? 別に面白いものなんかなかったでしょ?」


何事もなかった体を装えと、ものすごい圧がかかる。


さすがのクリスチンも弟をなめ過ぎていた。読み違えていたともいう。


招待客のグレンフェル侯爵の顔を潰すわけには行かない。

この小芝居を見せるために呼んだのかなどと勘ぐられようなものなら(それに近いものはあったが)、今後、クリスチンは侯爵家に顔向け出来なくなってしまう。

クリスチンはそこまで大胆不敵……違う、空気が読めないわけではない。でなければとっくの昔にダーリントン伯爵夫人第二号になっている。


「お部屋をちょっとだけいくつか拝見させていただきましたわ、ありがとうございます。趣味の良いインテリアでした。弟のジャック様がご自慢なさるのも無理はございませんわ。いろいろお聞きしてしまって……」


複数の部屋を見せてもらったので、時間がかかった、質問したので時間がかかった。それ以外、何もする時間、ありませんでした!


フィオナが自己申告した。


「おほめに与かって恐縮ですわ! あら、もう、こんな時間!」

クリスチンが唐突に叫んだ。


時間を見ると、確かにもう終わる頃合いだ。田舎の屋敷での大パーティーではない。泊まる施設だってないのだから。



その時、つかつかとグレンフェル侯爵がジャックのところに近づいてきた。


まさに「キター」である。ギャラリーは、全員、息を詰めて彼らを見つめていた。


だが、彼はジャックのことは、空気以上に無視してフィオナの手を取った。


「フィオナ嬢、ダーリントン家まで、お送りしましょう」



マークはジャックがこんなに堂々としているところは、未だかつてまだ見たことがなかった。ジャックは落ち着き払って言った。


「グレンフェル侯爵、フィオナ嬢は、姉がお招きした当家にとって大切なお客様です。今晩のところは、私が責任を持ってお送りいたします」


グレンフェル侯爵が一瞬、ジャックをジロリと睨んだ気がしたが、次の瞬間、軽く笑って、親しみを込めてジャックの肩を叩いた。


「ダーリントン家とは懇意にしている。父上の伯爵も兄上もよく知っているよ。心配する必要はないさ」


その上、この小憎たらしい男は付け加えた。


「クリスチン嬢とお知り合いになれて楽しかった。社交界の花だと遠くから見ているだけだったけど、本当に美しい方だね。彼女は頭がいいね。また、お目にかかりたいものだ」


ジャックは、後半のセリフに毒気を抜かれた。

なんだって?


「まあ、グレンフェル侯爵にお送りいただけるなんて、ステキですわ。よかったこと、フィオナ」


クソ度胸の座っているクリスチンが、さらっと援護した。血を分けた姉が宿敵になった瞬間だった。


グレンフェル侯爵は、にこやかに笑いながら、フィオナと一緒にクリスチンとその愉快な仲間たちに挨拶した。


そして、いかにも自然にフィオナの手を取ったまま、もろともに自分の馬車に納まったのだった。

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