38.街が生まれたとき
辺境の地にあるその
だから、そこに住む者も、それ以外の街の者もそこをあまり街と呼ばなかった。
でもそれはこれまでの話だ。
今日、この日から確かにそこに住まう者たちは「街」が生まれた息吹を感じ取った。
幾千のモンスターが湧き出し、怪しい光が飛び交う中で視線を交わし合った、英雄ふたり。
大剣の英雄ファナ、そして守りの英雄マコト。
ふたりは息を合わせると、巨竜の首をいとも簡単に斬り落とした。
――辺境の街ハタダ 英雄叙事詩 序章
◆
「いやぁ、きっと300年後には絶対そんな風に伝説になってるね!」
マコトたちの泊まる宿屋の食堂で赤ら顔のオヤジ――冒険者の男が上機嫌に笑った。そんな男につられて周りの者も「俺なんか伝説と一緒に弓を撃ってたんだぞー」だの、「なんとこの宿に英雄は泊ってる、つまり俺らは英雄と同じ釜の飯を食った。もはや俺らも英雄」だの騒いでいる。
ちなみに宿屋に名前はない。何故なら辺境の街に宿屋は一つしかないので、宿屋と言ったらここしかない。
宿屋の女将は肩をすくめた。もう冒険者たちのこの話も5回目だったからだ。酔っ払いの話というものはループしがちだ。
ただ、それだけ嬉しかったのだろうということは伝わった。女将も『朔の日』が訪れるのだと神父クレトから聞いた時には、もうこの街も終わりだと思った。しかし、次の瞬間には広大な敷地に渡って空を覆う防壁が出来上がったのだ。期待しなかったとは言えなかった。
しかし、これだけ損傷なく街を守り切れるとまでは思っていなかった。
「しかも、あのマコトくんとファナがねえ……」
でこぼこながらも息のあったコンビの二人。宿屋に連泊しているので、女将にとってももはや親戚の子どものような存在であった。まさか、そこまで実力のある冒険者だとは思っていなかった。
「夕飯もお祝いだね」
――なんせまだ主役を祝えていない。
女将は頷くと、いまだに騒いでいる冒険者たちの後頭部を引っ叩いた。
「痛ってえ! 女将さん、なにすんだよ!」
「いい気分で酔ってるところ悪いけど、もう仕舞いの時間だよ。夕食の準備をせにゃならん!」
街のいたるところで似たような光景が広がっていた。戦いが終わったのは早朝のことであったので、まだ昼前だ。だというのに街には酔っ払いが溢れていた。
自らの武勇伝を誇る者、街の無事を祝う者、様々な反応があったがそのどれもが祝い酒を飲みながら、ドラゴンの首を斬り落とした女性――ファナと、街の防壁を作り上げたマコト、その双璧をなす英雄について語らっていた。
中にはそれを聞き、マコトに憧れる街の女性も出始めた。しかし、そこは容赦なく冒険者たちが言う。
「あのファナと付き合っているらしいぞ」と。
アイツは趣味が悪いからやめといて俺にしとけ、という冒険者たちの魂胆がみえみえの発言であったが、一方ファナは女性にすこぶる人気だった。ゆえに、そんなファナ姐さんの意中の人だと知った女性たちはマコトを狙うことを諦め、知らぬうちにマコトのモテキがはじまり、知らぬうちに終わっていた。
◆
窓に設置された透かし彫りの花の模様の彫刻から、柔らかな光が教会に降り注ぐ。
教会の控え室で、神父クレトと村長のアランは向かい合って座っていた。やっと『朔の日』から解放されたとは言え、まだ街の為政者にはやることがたくさんあった。戦後復興のための体制作りは、施政者と教会関係者の責務なのだ。ゆえに街の者たちのように酒を飲むわけにはいかない二人だった。
「しかし、一時はどうなることかと思ったが、こうもうまくいくとは」
街の復興計画についてある程度素案がまとまったところで、アランが伸びをしながらそう言った。
「マコトさんのおかげですよ。彼はきっと神が遣わした御子だ」
クレトは両手を目の前で組んで、うっとりとしている。
うっすら目には涙が浮かんでおり、それがきらめく。なぜだか後光が射しているように見えてくる美しさだった。
「お前その顔でマコトに話しかけるなよ」
変な道にマコトが進みかねん、とアランは嘆息した。
しかし、アランの心配は必要などなかった。……すでに手遅れなので。
この後マコトはクレトを見るたびうっとりするので、ファナにジト目でみられる自体となっていた。マコトのそれは、推しのアイドルに対する
◆
弓使いのエルフ、アイレはお得意の隠密行動で、マコトたちの行動を見守ってきた。
マンゴーオレンジを採取しまくっていたときには、影からそれを見守りギルドに売られた瞬間に、卸売りの店に走り、マンゴーオレンジを買い占めた。
猪をしとめたときにも、牛をしとめたときにも同様だ。しかし、変な翼みたいなものを創り出して飛んでいくのだから焦った。幸いにも見失った地点で数日間張り込みをしているうちに帰って来たのが見えたので、またそれを追ってギルドに向かった。
牛は美味であった。そして、アイレは確信した。この人たちについて行けば、絶対に美味しいものが食べられると。
アイレは根っからの食いしん坊だった。
しかし、同時にコミュ障だった。
なので、どうやって話しかけようとか、どうやって自分を売り込もうとか、断られたらどうしようなんて考えているうちに月日が過ぎ去っていって、気がついたら『朔の日』がやってくるとかいう話をギルドマスターからされた。アイレにはまずは隠密部隊として森の様子を探ってきた後、後方支援についてほしいのだという。
アイレだけなら隠れていれば助かるかも、とは少しは考えたが、それでもアイレとて冒険者の一人。決死の覚悟で弓使いとして戦線に参加することを決意した。
しかし、森の偵察から帰って来てみれば街は巨大な壁に覆われており――マコトたちを監視していたアイレは当然、マコトが一日でこの壁を立てたことに気が付き一気に楽勝ムードになった。
同時にアイレはへこんだ。
ああ、これでマコトもファナも大活躍して、きっと英雄の仲間入りするだろう。
そしてそれは現実のものとなった。
「私なんて、食い意地だけが張った根暗女……相手してもらえないじゃないですかぁ……」
アイレは一人、涙目で路地を歩いていた。
「アイレちゃん、ちょっと依頼があるんだけど」
路地裏にある焼き鳥屋さんに行きたいと思っていたところだったので、断ろうと口を開きかけたところで話しかけてきた男がそれを遮って言った。
「マコト君と、ファナに関するお仕事なんだけどな」
「やります!!」
アイレは自分の胃袋に従った。近くの小さな美味より、遠くに確実に見えている大いなる美味だ。
グルメには長期的視点と戦略が大事なのだ。
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