第2話 現在-1

現在-1

 

 

2019/06/05

 

 ――夢を見ていた。

 懐かしい夢を。

 ……

 俺は眠気を振り払い、ベッドから出る。

 朝食を食べよう。

 冷蔵庫……ではなく、冷凍庫を開け、アイスを数個取り出す。

 複数のアイスと一本のスプーンをテーブルに並べる。

 

「いただきます」

 

 ボソリと呟き、カップ型のアイスの蓋を開け、スプーンを容器の中に突っ込む。

 それを口の中に入れる。

 うん、美味い。

 カップ型のアイス以外にも、チューベット型のアイスも食べる。

 ……うん。やっぱり美味い。

 朝食を全て食べ終え、洗面所に向かう。

 そこで歯磨きと洗顔をさっさと終わらせ、服を寝巻きから外着に着替える。

 ジーパンに足を通し、シャツを着て、お気に入りのネックレスを首から下げる。

 そして、そのネックレスをシャツの中に入れる。

 お気に入りではあるのだが、あまり目立たせたくはなかった。

 行く支度はこれで終わった。

 カバンを持ち、玄関に向かう。

 さて。

 

「……行ってきます」

 

 声を虚空に響かせながら、ドアを開ける。

 もう、大学に行く時間だ。

 

 

 歩いて10分。

 大学は下宿先のアパートから近くだから、高校の頃と違って、登校はかなり楽だ。

 

「……」

 

 ……あの頃は、長い帰り道をゆっくりと歩いていたな。

 今朝見た夢を思い出す。

 

「……」

 

 大学の講義室に入る。

 一時限目の始まりの時間に遅れながら。

 ……近所のアパートから来ておいて、遅刻とはどういうことだと自分でも思うが、遅刻してしまったのだから、仕方ない。

 席はもう自由には選べそうにない。

 

「……」

 

 ため息をつきたい気分を抑え、首に下げたネックレスの鎖を左手で撫でる。

 さっさと座ろう。

 扉のすぐそばの、女が一人で座ってる横長の机の反対側に座る。

 ただその女の香水がキツく、俺のとこまで匂ってきた。

 ……俺が座ってるのは講義室の中で後ろの席。こんなこともあるのが常だ。

 カバンからルーズリーフと筆箱を取り出す。

 教授はもう黒板の半分を埋めていた。

 俺は急いでそれをルーズリーフに写す。

 ……書き終わるまで、消さないでくれよ。

 

 

「じゃ、今日の授業は終わりなー」

 

 教授の間延びした声が響く。

 それを聞き、隣でいつの間にか爆睡していた女がガバッと起きるから、机が揺れる。

 俺はその女に視線を向ける。

 女は俺の視線に気付かぬまま、机の上に唯一置いていた筆箱をカバンに入れ、ついさっきまで寝ていたヤツとは思えないほどの機敏さで講義室を出る。

 

「……」

 

 俺も次、二時限目の講義室に移動しようとする。

 ……

 はぁ…………

 

 

 二時限目が終わった。

 各々、二時限目のあとにくる、昼休みで昼飯を食べるため、講義室を出ようとする。

 俺はその人達の中で、ある人を探す。

 ……

 見つけた。

 

「あの、君」

 

「……何?」

 

 茶髪のショートカットの女が振り返る。

 一時限目で隣に座っていた女。

 

「これ、落としてましたよ」

 

 俺は敬語で声をかけながら、財布を女に向かって差し出す。

 

「え、嘘でしょ」

 

 女は引ったくるように受け取ると、中身を確認する。

 

「……これ、私のだ」

 

「隣の席で落ちてましたから、あなたの財布だろうと思ってましたけど、やっぱりそうでしたか」

 

「隣?さっきの授業で、隣にあんた居なかった気がするけど」

 

「一個前の必修で、ですよ」

 

「ふーん」

 

 女は財布をポケットに押し込む。

 

「ま、ありがとね」

 

「いえいえ」

 

 俺は笑顔を浮かべながら、ネックレスの鎖を左手で軽く撫でる。

 少し前から癖になっている手癖だ。

 

「えっと、確か名前は志田(しだ)さんで合ってますか?」

 

「……ええ。そうだけど」

 

 女――志田明(めい)は訝しげな視線を向けてくる。

 

「なんで私の名前知ってるの?財布の中身、見た?」

 

「いえ。同じ学科ですから、名前ぐらい知ってますよ」

 

「ま、私もあんたの名前だけなら知ってるし、そういうこともあるか」

 

「そうですよ」

 

 なるほど、こいつも俺の名前を知っていたのか。

 

「そうだ、志田さん。せっかくですし、この後、一緒にお昼ご飯食べませんか?」

 

「良いよ。早く学食行こう。さっさとしないと混む」

 

 志田はそう言うと、スタスタと歩き出す。

 俺はその後ろをついていった。

 

 

「では、いただきます」

 

「いただきます」

 

 俺と志田はスプーンでカレーを食べる。

 俺は一口二口、胃にカレーを流し込むと、すぐに口を開いた。

 

「志田さんの趣味ってなんですか?」

 

「ねぇ、その前にさ」

 

 志田はスプーンを、恐らくわざとだろう、皿にカンカンと音が鳴るようにぶつける。

 

「別に同期なんだし、タメで良いよ?」

 

「敬語の方が、慣れていますので」

 

「言い方を変える。タメで話しなさい」

 

「……」

 

 ま、そう言われちゃ、仕方ないか。

 

「じゃあ、言い直すけど、志田の趣味は何だ?」

 

「うむ。それでよろしい」

 

 志田は満足そうに頷いている。

 

「で、私の趣味だっけ?……特に無いなぁ」

 

「……じゃあ、普段、何をしているんだ?」

 

「えっと、ねー」

 

 志田は顎に手をやり、考えるようにする。

 

「……上谷って、今または過去に恋人居たことある?」

 

「……」

 

 俺は口の中に入ってるライスをゆっくりと咀嚼する。

 それを飲み込み、口を開こうとすると、

 

「私には、以前まで恋人がいた」

 

 俺が返答する前に、志田が哀しげにそう言うから、俺は口を閉ざす。

 

「もう、別れちゃったんだけどね」

 

 志田は哀しそうな顔のまま笑う。

 

「石田快樹(いしだかいき)って言うんだけど、知ってる?同じ学科の人なんだけど」

 

「……いや、知らないな。顔だけなら知ってるかもしれないが」

 

「そう」

 

 志田はトレーに置いてあるコップを持ち、中身の水を一気に飲む。

 

「私達、良いカップルだったんだ。周りが羨むほど」

 

「へぇ」

 

 俺は相槌を打つ。

 

「今でもその時のことを思い出したりしてる。それが私の普段やっていることかな。ラブラブだったし」

 

 ……俺はこの会話の流れなら『ラブラブなら、なんで別れたんだ?』って聞かなければ不自然な気がしたが、そこを聞くのは薮蛇になる気もした。

 なので、違うセリフを吐く。

 

「そうなんだ」

 

 ただの相槌なのだが。

 

 

「ねぇ、上谷は何時限目まで授業あるの?」

 

 昼休みもそろそろ終わろうか、という時間になって、志田はそう言ってきた。

 

「今日は四限までだけど」

 

「そのあと、遊べない?」

 

「……あー、悪い。四限のあと予定ある」

 

 俺は左手でネックレスの鎖を摩(さす)る。

 

「そう」

 

 志田は明らかに不機嫌になる。

 ……リカバリーした方が良いよな、これ。

 

「今日はダメだけど、明日とかはどう?」

 

「……どうしても、って言うなら良いけど」

 

「どうしても」

 

「……わかった。良いよ」

 

 志田は不機嫌な顔のままだったが、承諾した。

 

「良かった」

 

 俺は胸に手をやり、撫で下ろす仕草をする。

 

「じゃ、そろそろ行きましょうか」

 

 もう次の三限目まで10分しかない。

 志田は立ち上がりながら、移動の提案をする。

 

「ああ」

 

 俺も頷きながら、立ち上がる。

 

「あ、そういえば」

 

 一つ、気になっていたことがあった。

 

「志田って、香水付けてるの?」

 

 今日隣に座った時から漂っていた柑橘系の匂いについて聞く。

 

「ええ、そうだよ。オレンジの香り」

 

「良い、香りだね」

 

「そうでしょ。ずっと使ってるんだー」

 

「へぇ」

 

 俺は左手でネックレスの鎖を弄る。

 

「じゃ、もう時間がないから急がなきゃ」

 

「ああ。そうだな」

 

 三限目は一般教養の選択科目で、俺と志田は違う科目を選んでいる。

 食堂からの方向も別々だ。

 

「じゃ、またね」

 

「またな」

 

 俺と志田は別れの挨拶もそこそこに、それぞれの講義室に向かった。

 

 

 2019/06/06

 

「遅ぇ……」

 

 四限後、理工学部の講義棟前で待ち合わせだったのだが、志田が約束の時間20分経っても現れない……どころか、連絡の返事一つさえしてこない。

 

「……」

 

 俺はネックレスを指でさする。

 ……別に遅れること自体は気にしてないのだが、いつまで待てば良いのかわからないのは、悶々とする。

 ……

 

「お待たせー」

 

 志田がやっとやって来た。

 

「じゃ、行こっか」

 

 志田はそのままスタスタと行こうとする。

 

「行くって、どこだよ」

 

「あ、言ってなかったっけ。私の家だよ」

 

「……は?」

 

「あんた、耳悪いの?もう一度言うけど、私の家。宅飲みしよ」

 

「……」

 

 ……話がトントン拍子で行き過ぎてる気がする。

 ……

 ……まぁ、良いか……

 

 

「ここが私ん家」

 

 アパートの扉の一つを指す。

 そのまま流れるように部屋の鍵を開けて、そのまま入る。

 ……

 

「早く、来い」

 

 俺が扉の前でこのまま続いて良いものか悩んでいたら、部屋の中から苛立っている声が飛んできた。

 じゃあ

 

「お邪魔します」

 

 俺は部屋に入り、靴を脱ぐ。

 そのままリビングに続く廊下を歩こうとするが、真っ直ぐには歩けなかった。

 廊下にめちゃくちゃ物が散乱していたからだ。

 

「あ、それは踏まないでね」

 

 志田は何かを指さすが、正直どれのことを言っているかわからない。

 なんとか部屋の真ん中のテーブルに辿り着くと、そのテーブルの真ん中に、コンビニで買った酒が入ってるビニール袋を置く。

 

「じゃ、飲もっかー!」

 

 ビニール袋からビール缶を取り出す。

 俺も一本、桃のサワー系を取り出す。

 

「乾杯ー」

 

「乾杯」

 

 俺と志田は缶を軽くぶつける。

 俺はサワーを呷る。

 酒はあんまり飲まないが、たまに飲むのも良いかもしれない。

 

 

「それでさぁ、快樹がさぁ!」

 

「……」

 

 俺が一本飲む間に、志田は五本ビールを飲んだが、大分酔っている。

 先程から快樹という名の元カレの愚痴しか出てない。

 いや、割と最初から出てたような気もするが。

 

「会いたいって言っても、『また今度』って言うんだけど、なんなのアイツ。それを毎回」

 

「そうだな、酷い奴だな」

 

 俺は適当に頷く。

 

「は?あんたが快樹の何を知ってるの?」

 

 そう言いながら、志田は俺の肩をど突く。

 

「……」

 

 これは、重症だな。

 どうしようか俺がこめかみを揉んでいると、

 

「しょっと」

 

 志田がいきなり立ち上がった。

 

「どうした?」

 

「トイレ……」

 

 そう小さく呟き、近くの小さい小袋を手に取るとトイレに入っていった。

 ……大分悪酔いしてたからな。時間もかかるだろう。

 ……

 

 

 10分後。

 

「はぁ〜スッキリした!」

 

 イイ顔をした志田がトイレから出てきた。

 

「そうか、そいつは良かったな」

 

 俺は酒をチビチビ飲む。

 

「今私は気分が良い〜」

 

「そうか」

 

「だから、一発ヤっとこうか?」

 

「……は?」

 

「この距離で何聞こえないフリしてんのよ。だから、寝ようって言ってるの。ほら、あんた顔イケメンだし、この私が抱いてあげようって言ってんのよ」

 

 ……

 ……十中八九『そういう』意味でこいつは言っているだろう。

 ……

 

「……お前、正気か?」

 

 それしか言葉が出なかった。

 

「あんたもそういうつもりで付いてきたんでしょうが」

 

「違ぇよ……」

 

 俺はあからさまに嫌な顔を浮かべる。

 

「え、何、あんた今更怖気付いたの?」

 

「違うつってんだろ」

 

「あんた、童貞?」

 

「……はぁ」

 

 俺は缶に入ってる酒を一気に全部飲み、それをテーブルに叩くように置く。

 

「ご馳走さま。お前も大分酔ってるようだし、俺はもう帰る」

 

 俺は立ち上がり、ドアに向かおうとする。

 

「逃げるんだ?」

 

 後ろから馬鹿にしたような声が聞こえる。

 

「今女と寝たい気分じゃないんだよ」

 

「へぇ、あんたって、いー」

 

「もううるさい、黙れ」

 

 俺は志田の言葉を遮り、そのまま部屋を出た。

 ……

 

「はぁ……」

 

 俺は首元のネックレスのチェーンを弄りながら、ため息を吐く。

 ……もう、今日は帰るか。

 俺は自分のアパートに向けて、歩みを進めた。

 

 

 

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