第13話 寝取られ

時刻は9時55分。待ち合わせの5分前に、僕はなんとか佐々木さんとの待ち合わせ場所である駅前広場に着くことができていた。




案の定、駅前は人混みでごった返している。僕の住む街はいわゆる地方のベッドタウンというやつで、特別有名な観光名所などがあるわけではないのだが、学校やモール、水族館といった公共施設や娯楽施設が近隣に点在しているため、アクセスがかなりいい。




駅前の大通りには、雑誌でも紹介されたことのあるカフェや今流行りのタピオカドリンクのお店もあり、遠目で見ても、開店前の店先に、カップルや学生らしき私服姿の若者が、楽しそうに並びながら談笑している姿が見て取れた。




僕も入学前の春休みに、幼馴染三人で並んだものだ。ぶっちゃけ味は普通だったので今日のデートで行くことはない。渚曰く、ああいうのは並ぶことに価値があるそうなので、安い授業料だと思うことにした。






ようやくこの街にも訪れた少し遅い春の陽気の影響もあるのだろう。


この広場の象徴として中央に存在する、よく目立つ巨大噴水に向かって歩く僕とすれ違う人達の顔は、老若男女問わず、明るさに満ちていた…いや、そうでもなかった。


元気に満ちすぎて大はしゃぎしている子供を連れたお父さんの顔は、既に疲れ始めている。あ、足を蹴られた。痛そう。




ご苦労様です、と心の中で労い、思わず止めてしまった足を、また前へと一歩踏み出した。


…僕も将来ああなるのかなぁ。なんて、ちょっと嫌なビジョンを脳内で描きながら。








佐々木さんのことは案外、すぐに見つけることができた。チャットアプリは使用していない。


初デートでいきなりその手段に頼るのは、なんとなく無粋な気がしたのだ。


自分の目でちゃんと彼女を見つけたいという、男のちょっとした意地である。




噴水前に点在する、こじゃれたデザインの木製ベンチの一つに、佐々木夏葉は腰掛けていた。


僕が彼女を見つけられたのは、佐々木さんが美少女で、人目を引いたからというわけではない。


辺りのベンチは全て埋まっているわ、人は多いわでそういった外見を判断基準にして、イチイチ確認しながら待ち人を即座に判断するのは難しかったのだ。






膝下に敷いた、紺色のストールと、白のワンピース。そしてなにより、綺麗な所作でカバーをかけた文庫本をめくる姿に、目を奪われた。






この時がはじめて、僕が佐々木夏葉という女の子のことを、幼馴染からの逃避先ではなく、一人の女の子として認識した瞬間だったのかもしれない。






しばしの間、僕は呆然と立っていたが、肩にぶつかる衝撃で我に返った。軽くこちらを睨んでくる大学生くらいの男性にすみません、と頭を下げ、彼女のもとへ足早に向かった。




佐々木さんはページを捲る合間に、また前髪をいじっている。この一週間で分かったことだが、それは彼女が緊張してる時に出る癖らしい。


僕と帰るときは、だいたいいつもいじっていたので、常に緊張させてしまってるのかと思うと、少し申し訳なさがでてくる。




その気持ちを吹き飛ばすように、僕は彼女に声をかける。目の前に立ったので、座っている彼女に影が落ちていたが、佐々木さんはまだ文庫本に、目を落としていた。




「佐々木さん、お待たせ」




「…………」




あれ、おかしい。返事がない。




「あの、佐々木さん?」




「…………」




無視されてる、というわけではないと思いたい。表情に変化がないし、明らかに集中している最中なのだろう。


その後も何度か声をかけるが、相変わらず反応がなく、僕は思わず天を仰ぐ。正直少し涙目だ。


彼女の隣に座っているおじさんが、どこか同情するような、かわいそうなものを見る目で僕を見ていた。




そんな目で見るのはやめてくれ、本当に泣きそうだ。








ゴールデンウィークで賑わう駅前で、僕は付き合ったばかりの彼女を、活字の世界に寝取られていた。

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