外に出たけど、ワイ息しとらんやんけ!(焦り

「よしよし、頭が見えて来たわ」


おかあやんの足と足の間、お股から

ようやくその頭頂部を見せはじめる

おっさん赤ちゃん。


分娩室で助産師さんの声がすると、

何やら奇妙な音が鳴り響きはじめる。



ズゴゴゴゴォォォォォッ



 あかんやん!

 何か変な音聞こえて来てるやん!


 歯医者のキュィィィィンて

 音するやつぐらい

 変な音させとるやん!


 あかんあかん

 変なことするのやめてぇなぁ!



実は案外びびりなおっさん。

吸引器の吸い込む音に

何をされるのであろうかと

すっかり恐れをなしている。

そしてどうやら歯医者も嫌いらしい。



 クソババア!

 なにする気やねん!



今は目が見えないおっさんではあるが、

助産師さんのしわがれた声から

高齢の助産師さんであると判断した模様。



時間をかけてようやく出て来たおっさんの頭頂部に

助産師さんは容赦なく吸引器をくっつけて引っ張る。



 コラッ! クソババア!

 何してケツかんねん!

 そんなんで頭引っ張たらあかんやろ!

 アホかぁ!

 頭取れるわ!

 

 ちょ、ちょ、待て

 痛いがな!

 こんなん、頭のカタチ

 おかしくなってしまうがな!


 人のこと

 掃除機でゴミ吸い取るみたいな

 扱いしよってからに


 このクソババア

 しばいたろか、ホンマに



実際に吸引器で引っ張られて

赤ちゃんの頭のカタチがほんの少しだけ

細長く伸びてしまうことはよくあることらしい。

でもその後しばらくすると成長とともに

ほとんど気にならないぐらいに戻る。


赤ちゃんの命がかかっていることだから

仕方ないと言えば仕方ない。


-


吸引器で

ズゴゴゴゴォォォォォッされてようやく

おかあやんの足と足の間、お股から

ヌルッと外に出てくるおっさん赤ちゃん。


おかあやんの体液やら血やらで

体の表面がヌルヌルしているので、

さすがにスポッというわけにはいかない。

どうしてもヌルっとになってしまう。



助産師さんは手際よく

出て来た赤ちゃんを抱いて、

おかあやんとつながっているヘソの尾を切断する。


それは、目が見えない

おっさん赤ちゃんにもはっきりとわかった。



 ワイとおかあやんをつなぐヘソの尾が……


 ワイとおかあやんをつながりが……



人は誰しも、誰かとつながっていたいと思っている。


そのもっとも確かな物理的なつながりが

母と子のヘソの尾だというのは間違いない。

ヘソの尾を通じて赤ちゃんは母親から

成長するための糧を直接与えられているのだから。

人間の一生涯を考えてもこれ以上に確かな

物理的なつながりというのは存在しないだろう。


物理的なつながりが絶たれた以上、

ここから先は自力で生きて行けということにもなる。

もちろん子供が成長するまで

親の庇護が受けられることが多いのだが、

もし仮に受けられなかったとしても

ここから先はひとりでも生きていかなくてはならない。

親はなくても子は育たたなくてはならないのだ。



 コラッ! クソババア!

 何してくれてんねん!


 おかあやんとつながっとった

 大事な大事なヘソの緒を切りやがって!


 ワイとおかあやんのつながりが

 切れてしもうたやないか!

 ワイはこの先どないしたらええんや!



赤ちゃんであるおっさんは

そう食ってかかりたかったが、

当然言葉などまだ話せるはずもない。


それよりもはるかに重大なことが

助産師さんの口から明かされる。


「あかん!

この子、まだ息してないわ!」



 はぁっ?


 ワイ、息してないんか?


 そんなん、死んでまうがな!



赤ちゃんのおっさんは

慌てて息をしようと試みるが、

前世の肉体とは当然ながら勝手が違うため

思うように今の体を扱うことが出来ない。

まだ肉体の機能が充分に

出来上がっていないということもある。


「ちょっとあなた、息してないんで、

息してもらっていいですか?

このままだと死んでしまいますよ?」


「これはどうもすいません、

ついうっかり息するの忘れてましたわ、

ご丁寧にどうもありがとうございます」


さすがにそんな風にはいかない。



助産師さんは

おっさん赤ちゃんの足首を掴んで、

逆さにして持ち上げる。



 コラッ! クソババア!

 何しとんねん!

 人のこと吊るし上げる気か?



まさにリアルガチで

吊るし上げを食らっているわけだが、

助産師さんはそのままおっさん赤ちゃんの

お尻をペシペシ叩きはじめた。



 コラッ! クソババア!

 何すんじゃ!

 痛いんじゃぁっ!

 人のお尻をぺんぺんしはじめやがって!


 あれか? あれなんか?

 プレイかなんかなんか?

 こんな時にプレイはじめる気か!



よくまぁ、呼吸をしていないという一大事に

こんなしょうもないツッコミを入れられるものだが、

助産師さんはさらに強くおっさん赤ちゃんのお尻を叩く。



 痛い、言うとるやろがっ!

 このクソババア!

 しばいたろか!


 痛い! 痛い!


 痛いんじゃぁぁぁぁぁっ!!



おっさんはそう叫んだつもりだったが、

今の赤ちゃんの肉体でには違う表現に変換されていた。


「おぎゃぁぁぁぁぁ! おぎゃぁぁぁぁぁ!」


おっさんは自分で自分の泣き声を聞いて驚く。



 なんや、ワイ、赤ちゃんみたいやな



まごうことなく赤ちゃんそのものなのだが。


「よかったわぁ、これで一安心やね」


生まれてすぐ赤ちゃんが息をしていない時に、

お尻を叩いて泣かせて、呼吸をさせるというのは

昔も今も変わらない方法であるらしい。


泣いているのは生きている証。



 なんやそういうことやったんか

 まぁあれやな、ワイも無事に生まれたことだし

 ババアもよくやってくれたほうやな


 一応礼を言っとくで、ババア

 ありがとうな、おおきに



助産師さんに産湯で体を洗ってもらっている

赤ちゃんのおっさんは心の中で礼を言う。

目が見えないからババア呼ばわりしているが、

助産師さんは声が枯れているだけで、

前世のおっさんの年齢より十歳以上は年下ではるかに若い。


本人は極めてのん気なものだが、

吸引器を使われたり、

外に出て来て息をしていなかったり、

決して楽な出産ではなかったことを

もっと自覚した方がいい。

最悪の場合、そのまま

死産になってしまう可能性すら有り得たのだから。


-


「はじめまして、

私がおかあちゃんやで」


おかあやんは抱きかかえている

赤ちゃんに向かってそう呼びかける。


目が見えないおっさん赤ちゃんではあるが、

その声の持ち主が、

自分のよく知る人であることはすぐにわかった。


いやお腹の中にいる時から

おっさんも薄々気がついていた。


お腹の中にいる時は、

プールの水の中で聞いているような

声の聞こえ方だったため、

はっきりとはわからなかったが、

口調や喋り方、言い方などは

おっさんがよく知る人とまったく同じだった。



 やっぱり、やっぱり、

 お嫁ちゃんやったんやな

 ワイの今のおかあやんは……


 会いたかったんやで

 お嫁ちゃん……



お嫁ちゃんの胸の中に抱かれるおっさん赤ちゃん。



 長かったわ、ここまでホンマ長かったわ……

 大変なことがいっぱいあったんやで

 どんなに話しても語り尽くせんぐらいや

 話したらホンマ長い話になるで



おっさんは感慨深くここまでの道のりを振り返ってみる。



 オネエジジイに会って

 精子になって、卵ちゃんに会って

 お嫁ちゃんのお腹の中にずっとおったんやで


 ……


 ……案外、そんなに長くもなかったわ



しかし、おっさんはお嫁ちゃんに会えて嬉しくて

感激のあまりに思わず泣き出してしまう。


「おぎゃぁぁぁぁぁ!」


当然中身のおっさんが泣いて

赤ちゃんの体に変換されると

単なる泣き声になるわけなのだが。


「おぉ、よしよし」


泣き出したおっさん赤ちゃんを

抱っこして優しく揺らしあやすお嫁ちゃん。


その腕に抱(だ)かれ、

その胸の中に抱(いだ)かれ、

全身をお嫁ちゃんの匂い、

ぬくもりに包まれるおっさん赤ちゃん。

おっさんにとっては間違いなく至福の時だろう。



こうしてようやくこの物語の主人公は

現世に誕生をしたことになる。


それでは今までこの物語に

主人公はいなかったのかと言うとそうではない。


何をもって人が存在しているとするのか、

ということになるだろう。

肉体なのか魂なのか、

はたまた精神なのか思念なのか。



そして、おっさんが

念願のお嫁ちゃんに再会出来てよかったよかった、

ここでハッピーエンド、めでたしめでたし、

おしまいというわけにもいかない。


赤ちゃんになったおっさんには

この先まだまだ受難が待ち受けている。

はてさてこの先おっさんは

どんな子に育っていくのやら。






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