選択

七月十一日

 茶々と初の婚儀が終わるのを待っていたかのように柴田勝家は息を引き取った。数多の戦場を駆け抜け、特に越前加賀での一向一揆との戦いや上杉謙信・景勝との戦いで活躍し、また尾張時代から信長の死後まで織田家の筆頭家老を務めた勝家の死は織田家の内外に大きな衝撃を与えた。

 勝家死す、の報はすぐに在京諸将の間を駆け巡った。勝家恩顧の武将や織田家に長く仕えた者たちは悲しみに暮れたものの、残念ながらゆっくりとそれに浸る時間は残されていなかった。


 葬儀の準備を嫡子勝敏が家臣たちと一緒に進める傍ら、早速滝川一益は北条攻めの動議を行った。佐々成政らは「時期尚早」と反対したものの、一益は勝家亡き後でも織田家が健在であることを示すため、時期を先回しにすれば佐竹家ら反北条勢力が降伏してしまいかねないことなどを理由に押し切ってしまった。


 それを聞いた俺はすぐにまだ在京していた徳川家康に会いにいった。

 家康が素直に北条攻めに応じるつもりなのか、根回しを駆使してうやむやにするのか、適当に時間を稼ぐのか、それともその他の手段を用いるのかを知っておきたかったのである。

 家康も俺のことは重要視していたのか、使者を送るとすぐに会ってくれることになった。


七月十五日 徳川屋敷

 徳川家の屋敷に向かうと、少しだけ慌ただしい様子であった。まるで屋敷を引き払うかのようである。そんな中俺は中に通され、すぐに家康が出てくる。

「慌ただしいようであるが」

「わしはおそらく北条攻めの先鋒を命じられるだろう。そうなれば京屋敷には少数の者を残して帰国しなければならない。だから今のうちに撤収の準備をさせている」

 家康の表情は相変わらず何を考えているのか分からなかった。


「ということは北条攻めの先鋒は引き受けるのか」

 俺はずっと気になっていたことを尋ねてしまう。

「もちろん、織田家の合議で決まったことであれば引き受けなければならない。わしに続いて新発田殿も越後口から攻め入るよう指示が来るのではないか」

 同盟相手である北条家への侵攻は徳川家にとって重大事であるはずなのに、家康の物言いはまるで他人事である。北条家との同盟など切り捨てても構わないということなのか、それとも。


「徳川殿は本当に先鋒を務めるのか」

 ほぼ同じことであるが、俺はもう一度尋ねる。ただ、「引き受ける」と「務める」では微妙にニュアンスが異なる。

 俺の問いに家康はふっと真顔になる。


「正確に答えると、北条攻めは発生しないだろう」

「発生しない?」

 中止になる、とか延期になる、とはまた違った意図を匂わせる言葉選びだ。


「そしてここからが重要なところなのだが、新発田殿、そして柴田家関連の者たちにはこれから先に何が起こっても中立を貫いてほしい」

「まさか、何か事を起こすつもりか?」

 俺はにわかに緊張する。

 おそらくではあるが家康はこのまま北条攻めの先鋒を引き受ければそのまま織田家の臣下に組み入れられると踏んでここで何かを起こすつもりなのだろう。織田家は強大ではあるが、実際のところ成政ら北陸軍団と勝家が畿内に持っている所領を除けば、徳川家とさして所領は変わらない。


「わしが起こす訳ではないが、そのうち何かが起こるだろう。その際に柴田家の者たちには中立を保ってもらうようそれとなく伝えて欲しい。このことをどのように打診するか悩んでいたが、新発田殿から伝えてもらうのが一番いいかもしれぬ」

 確かに家康が直接成政たちにそれを言えば野心ありと思われ(実際にあるのだろうが)、余計な警戒を受ける可能性がある。


 家康が起こす訳ではないが、北条攻めが立ち消えになるかもしれない何かが起こるとすれば、今考えて一番可能性があるのが織田信雄関連だろう。信雄が何かを起こしてそれに家康が加勢する。

 次点で可能性があるのが長宗我部・毛利間で紛争が起こり、家康が再び議論を毛利攻めに向けるという方向だろうか。

 柴田家に中立を保って欲しいということは、柴田家の内部に調略をかけているということはなさそうである。


「中立さえ保ってもらえれば悪いようにはしないし、勝家殿の遺言にも沿うようにしよう。このようなことを言っては悪いが、向こうには滝川殿の後ろに羽柴殿がついている。羽柴殿は山崎の戦いの後、織田家を簒奪しようとした。今回も同じことを企んでいないとは言えないだろう」


 実際、俺が家康に頼んで信雄を秀吉から切り離さなければ秀吉は信雄を担いで信孝と勝家を倒していたことだろう。何より正史で何が起こったかを考えれば家康の言うことには説得力がある。もっとも、それは家康にも同様のことが言える訳だが。


 ただ、一つだけ言えることがあるとすれば家康と一益の争いに対して俺が中立を貫くのはあまり良くないということだ。おそらくこの戦いで勝った者が織田家の権力を引き継ぎ、天下人に王手をかけることになる。領地を保つことを考えれば次の天下人に対しては出来る限り恩を売っておきたい。

 そして恩を売る相手という点で言えば領地が遠くそこまで縁のない一益や一度敵対した秀吉よりも、領地が近くこれまでも度々協力してきた家康の方が適任である。


 そこで俺はかねてから考えていた案を口にする。これは誰が天下をとるにせよ行おうとしていたことである。

「分かった。ところで徳川殿、我が家には現状跡継ぎがいない。妻が身ごもってはいるが、息子か娘かすら分からない。勝家様のことがあって万一に備えておこうと思っている」


 要は徳川家から養子を迎えたいという申し出である。

 俺は中身が現代人であるせいか、血筋そのものにはそこまでこだわりがなかった。どちらかというと血筋よりも家と領地を末永く残したいと考えている。

 徳川家の養子を迎えればその人物に家を継がせざるをえなくなるが、結びつきは格段に強くなる。


 俺の申し出に家康は少し考えた後に答えた。

 

「分かった。事が成った際には考えておこう」

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