佐和山城の戦い Ⅰ
三月二十七日 未明
佐久間盛政の軍勢七千は天野川上流の川幅が狭いところに集結した。当然警戒していた羽柴軍右翼の摂津衆もそれを迎え撃つために移動する。が、盛政は一切躊躇するなく渡河を命じた。
「皆の者、羽柴軍は我らがこれまで戦ってきた一向一揆や上杉に比べれば弱兵揃いぞ! 一気に踏みつぶせ!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ここまでにらみ合いばかりで鬱憤が溜まっていた兵士たちは雄たけびを上げて川に入る。しかし、掛け声とは裏腹に佐久間軍の先鋒は鉄砲避けの竹束を構えて身を隠しながらじりじりと進軍する。
佐久間軍の闘気にあてられたのか、迎え撃つ羽柴軍の兵士たちのうち何人かは思わず発砲してしまう。散発的に放たれた銃弾は距離があることもあり、竹束にはじかれて川に落ちる。
「落ち着け! 敵が接近してから撃つのだ!」
中川清秀が叱咤すると兵士は多少落ち着きを取り戻し、発砲の音がやむ。その間にも佐久間軍の兵士はじりじりと距離を詰めていく。
「撃て!」
十分近づいたところを見計らい、羽柴軍から鉄砲と矢が同時に放たれる。それとほぼ同時に佐久間軍の後続も矢を放つ。
佐久間軍の兵士はばたばたと倒れるが、それでも波が押し寄せるように進軍を止めない。一方の羽柴軍も少しではあるが佐久間軍の矢で倒れる者が出る。
「二射目、撃て!」
次第に両軍の距離が近づいていき、撃ち合いで倒れる死者は増えていく。渡河を強いられる佐久間隊の方が死傷者は多かったが、それでも銃撃と進軍を繰り返すうちに、やがて対岸に辿り着いた。
対岸に辿り着いた佐久間隊の兵士たちは、この時を待っていたとばかりに竹束を打ち捨てて刀を抜く。中川隊も鉄砲足軽が下がり、長柄兵が前に出る。
「突撃!」
先鋒が接敵した瞬間に盛政は号令をかけると自ら馬を駆って川に飛び込んだ。たちまちのうちに両軍が交わる乱戦となり、あちこちで兵士たちは刀や槍で打ち合う。
序盤は渡河した兵力が少なく、川から上がったばかりで水に濡れた佐久間軍が苦戦したものの、盛政が対岸に辿り着くと状況はがらりと変わった。
「殿より遅れる者は恥と思え!」
「殿を敵に討たせるな!」
この年働き盛りの三十歳の盛政は六尺(百八十センチ)の大男で、「鬼玄蕃」の異名を持つ。そんな盛政の突撃に味方の兵士は奮い立ち、敵の兵士は恐怖する。
瞬く間に戦況が変わり、それを見た中川清秀は声を張り上げる。
「盛政を囲め! 自由に動かすな!」
しかし盛政の勢いに呑まれたのか、兵士の動きは鈍い。やむなく清秀は自ら馬を駆って前線に向かった。それを見てようやく兵士たちは盛政を取り囲み始める。
が、それでも盛政の勢いは止まらない。
「雑兵ごときがわしを止められるものと思うな!」
「退くな退くな!」
清秀は兵士の動揺を静めるために前へ出ざるを得ない。
が、それを見た盛政は足軽を槍で蹴散らしながら、清秀の前に馬を走らせていく。返り血で真っ赤に染まったその姿はまるで鬼のようであった。
「ようやく名のある相手と戦えそうだな」
「者共、盛政を討ち取れば手柄は思いのままぞ!」
清秀は兵士を鼓舞しつつも槍を繰り出す。しかし盛政はそれを強く払った。清秀の手が少しではあるが痺れる。
(何という膂力だ)
清秀も摂津では猛将として名高い人物であったが、すでに四十二歳。盛政と違って働き盛りを過ぎていた。一合、二合と打ち合ううちに少しずつ力を失っていく。
兵士たちも次々と渡河してくる佐久間軍の兵士への応戦に追われて清秀を援護する暇もない。
(このまま打ち合っては不利だが、ここで引く訳には行かぬ。ならばここは一か八か、勝負に出るしかない!)
清秀は渾身の力を振り絞って槍を突き出す。先ほどまでは槍を払っていた盛政だったが、今回は馬を繰ってそれをかわす。
「そこまで殺気を向けられてしまうとさすがに受けられぬ」
が、渾身の一撃をかわされた清秀は思わず体勢を崩す。盛政はそこを見逃さずに槍を突きいれる。槍は清秀の太ももを突きさし、たまらず落馬する。そこに盛政の郎党が群がり、首を挙げた。
「中川清秀、討ち取ったり!」
盛政は戦場の真ん中で大音声を上げる。それを聞いた羽柴軍の兵士は動揺する。特に大将を失った中川隊は一斉に崩れ立った。清秀の左右で佐久間隊の渡河を防いでいた池田恒興と高山右近は防ぎきれないとみて、たまらず陣を下げる。そして中央の羽柴本隊付近まで退いて援護を受け、ようやく兵を立て直したのだった。
ちなみに、羽柴本隊は佐久間隊を援護するために渡河の構えを見せた佐々成政の牽制を受けて援護出来る状況ではなかった。
そしてその混戦の中、柴田勝政率いる近江衆を中心とする五千の兵は撤退した池田恒興らが布陣していた跡を抜けて一路佐和山城を目指していた。
佐久間隊と摂津衆が激戦を繰り広げていたため、勝政の渡河は当初佐久間隊への加勢と見られていた。そのため、羽柴本隊は佐久間隊への備えを厚くしたが、その隙に勝政は盛政の後ろを駆け抜けて佐和山城へと迫った。
佐和山城兵はまさか目の前の羽柴本隊を放って城が襲われるとは思わなかったのだろう、羽柴本隊の撤退時に迎え入れる用意をしていたところを敵の大軍が迫って来たので慌てて城門を閉ざすとともに、救援要請した。
こうして激しい戦いが始まったものの、羽柴本隊の大部分と丹羽長秀、柴田本隊と佐々成政や前田利家らはまだ本格的な戦いを始めておらず、川を挟んで鉄砲を撃ちあうのみだった。
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