三者会談
八月二十日
葛尾城を落とした俺は村上国清の旧領を奪還すべく南に兵を進めた。それに敏感に反応したのが真田昌幸である。村上家の旧領の一部は真田家の所領にもなっている。そこで真田昌幸は依田信蕃を介して徳川家に鞍替えする旨を通告してきた。そのため、俺は真田領の手前で進軍を止める。
なぜ俺ではなく徳川家かと言えば、海津城にて真田家からの使者と無断で会うことを禁ずるなど真田を警戒したからだろう。正直真田を配下にしても面倒ごとが増えるのでそれで構わなかったが。
翌日、真田昌幸の手を借りた依田信蕃は上野から小諸城への糧道を断ち、孤立を恐れた大道寺政繁は上野へ退却した。さらに昌幸は嫡子信幸を派遣して上野の手子丸城を攻撃するなど領地拡張にも余念がなかった。昌幸の離反により北条氏邦らの沼田城包囲軍も士気が下がり、厩橋城へ撤退し、逆に守勢を強いられていた。
さらに南信濃でも高遠城を守っていた保科家の軍勢が離反し、北条方の内藤昌月らの軍勢を追い出して城を占拠した。信濃に残るのは北条本隊を除けば、諏訪頼忠ぐらいになっていた。
また、北関東で挙兵した佐竹義重は滝川一益に出仕していながら北条家に寝返った国衆の城下に火を放って回ったが城を落とすには至らなかった。
尻に火がついた北条本隊はついに上野へと退いていった。その後を追うように徳川家康は東信濃に入り、依田信蕃・真田昌幸らと合流している。
九月中旬、織田信雄からの使者が俺と家康、そして北条氏政の元に届いた。内容は争いをやめて和睦するよう促すものである。俺の元に集めた情報によるとこのころすでに織田家の内情は不穏なものになっており、織田信孝は安土城に滞在するはずの三法師を岐阜城に抱えて離さず、秀吉も堀秀政に羽柴姓を与えるなど味方集めに余念がなかった。
それがおもしろくなかった信雄は秀吉に接近する一方、徳川家康の依頼で和睦の仲介を行うことで求心力を得ようとしていた。
そして九月末日、俺は今は徳川領となっている小諸城に向かった。北条家も一度は占領しているし、俺も甲州征伐に同行したときに入ったという三者に因縁がある城で、おおむね三者の領地の中心であった。
徳川家からは本多正信だけでなく家康その人も現れた。家康はこの年四十で、何となく俺たちが想像するような太った陰険そうな狸親父というよりは恰幅のいい壮年武将といった雰囲気だった。甲州征伐以前は武田勝頼と各地でしのぎを削っており、現在も北条家の大軍と戦っていた家康はこのころは立派な猛将だった。
一方の北条家は現在上野で真田・長尾、下野で佐竹への対応に迫られているためか、板部岡江雪斎のみの参加だった。
「和睦とのことだが、当家はまだ信濃を諦めておらぬ。後顧の憂いを断って再戦を挑むつもりはある」
江雪斎は北条家が劣勢だからか毅然とした態度をとっていた。それを聞いた家康は薄く笑う。
「そうか。ならば我らも真田を先鋒に上野に攻め込む準備がある。織田家は清州会議でまとまったゆえ、我らの後ろは盤石だからな」
そもそも家康が信雄に和議を依頼したのだが、そんなことはおくびにも出さない。ついでに言えば織田家は盤石ではないが、関東に火種を抱える北条に優位を主張しているのだろう。こういうところはすでに狸であった。
「ならばこの話はなかったということで、次は戦場であいまみえよう」
「いや、ここはお互い待とうではないか」
なぜか俺が仲裁に入る羽目になる。お互い和議に応じる意思があるから出席しているのだろうが、自分から言い出すと弱気と見られるからか、好戦的なことしか言わない。
「北条家は宿願の関東制圧があり、徳川殿にも三法師様を支えるという大切な役目がある」
気が付けば俺も思ってもないことを口にしていたが、ようやく二人とも話を聞く態度をとってくれた。
「とりあえず北条家と徳川家は上野・信濃を国境とし、上野の真田領だけを徳川領とするというのでどうだろうか」
「何と。そんなことは断じて認められない。上野は一寸たりとも譲れぬ」
江雪斎は青筋立てて反論した。
「とはいえ我らを頼って来た真田の領地を勝手に割譲することは出来ぬ」
結局真田か。ちなみに史実では上野を北条に割譲し、上野の真田領を家康が代わりに宛がうという条件だった気がする。だが、家康が真田に替地を宛がうことはなく、上田合戦に繋がった訳だが。
とはいえ、家康が真田に替地を与えることを拒否する気持ちは分かる。
「それから新発田殿、長尾家の沼田城攻略についても返還を要求する」
今度はこちらにも矛先が来たか。
「悪いが、長尾家は俺に従っている訳ではない。それは出来ない」
「では我らが沼田城を奪取しようと、三国峠を越えて長尾を滅ぼそうと関知せぬということであるな?」
「そうだ」
もっとも北条家がわざわざ三国峠を越えることはしないだろうという確信があったので言質を与える。そんな訳でこちらのことはすぐに解決した。問題はやはり真田である。
「殿、それでしたらこうしてはいかがでしょう。信濃真田領は殿に、上野真田領は信幸殿に継がせて北条家に従うというのは」
本多正信がささやくと家康が頷く。
「なるほど。それなら悪くないか」
清州会議の話の時も思ったが、会議をまとめるためには得てして不参加者の利益が損なわれる方向でまとまりがちである。
江雪斎としても納得いかないところはあったが、これ以上強く出て和議が破綻するのが一番困る、という顔をしている。昌幸が素直に飲むとは思えないし、仮に受け入れたとしても将来の火種になるような気がしたが、俺が異論を唱える理由はなかった。
それに、信濃にまで攻め込んだ北条軍を追い返すのを手伝ったから家康にも十分恩は売ることが出来ただろう。
「俺も異存はない」
「真田が離反してもその際は新発田殿は支援しないでいただけますな」
江雪斎は俺に言質をとることも忘れていなかった。俺が警戒されているのか、真田が警戒されているのか。
「分かった。それは約束する」
こうして新発田・徳川・北条の和睦は成立した。また、家康の娘を北条氏直に嫁がせることが決められている。
「では我らは信濃と織田家について相談しようではないか」
江雪斎が帰った後、家康はこちらを向いた。
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