赤谷城の戦い

十月 新発田城

 三条城の戦いが終わって数日後。本庄繁長と色部長実からほぼ同時に書状が届いた。

 ちなみに本庄繁長は自領の稲刈りも放置して大葉沢城の包囲を続けていたが、鮎川領の稲を勝手に刈り取るという非道な(と言ってもこの時代よくなされていたが)行為を行い、補給を続けていた。

 そのため、いよいよ敗色が濃くなった鮎川盛長は蘆名家の金上盛備に援軍要請を送った。そのため金上盛備は蘆名本家にも援軍を要請して大葉沢城に向かおうとしたのである。繁長は蘆名家を牽制して欲しいという旨を俺に伝えてきた。

 一方色部長実はその隙に蘆名家を攻めたいので上杉方の安田長秀を牽制して欲しいという旨を伝えてきた。


 要するに俺が安田城を攻めればこれらの問題は全部解決する。中条景泰が安田城に逃亡している今、蘆名を除く上杉方の勢力はほぼ安田城のみである。そのため安田城さえ落とせば、俺は後顧の憂いなく上杉方面に専念できるようになるという訳である。蘆名の相手は長実の任せるとしよう。長実も上杉と戦うよりは蘆名と戦う方が気が楽だろうしな。

 俺は長実には快諾した旨を送り、もし蘆名攻めが一段落したら安田城攻めを手伝って欲しいと伝えた。繁長には長実が蘆名を攻める旨を伝えたが、おそらく長実からも連絡は行っているだろう。


 十月五日、俺は三千の兵を率いて出立した。前回より兵が少ないのは三条城の信宗に警備と城の改修のために兵力を与えているからである。それとほぼ同時に長実も二千の兵を率いて蘆名家の赤谷城へ向かった。それを聞いた蘆名家は安田長秀や中条景泰に援軍要請を出すが、両者ともそれどころではなかった。


 そんな訳で俺はその日のうちに安田城を包囲した。とはいえ中に籠る兵力は安田・中条合わせて一千五百ほど。しかもここで負ければ後がない景泰や居城に籠る長秀の士気は高く力攻めで落とせる雰囲気ではなかった。加えて稲刈りを終えたばかりの時期で城内には兵糧が豊富にある。数か月間囲むのならともかく、すぐに落とせる気配はなかった。

 幸い景勝は越中に兵を向けたようで時間はある。俺は砦などを築きながらゆっくり待つことにした。三条城の時といい、最近はこんな戦が多い。それもこれもある程度俺の勢力が拡大して焦る必要がなくなったからと思えば悪くはなかった。


 一方、赤谷城に籠っていた小田切盛昭は兵力を金上盛備に渡していたこともあり、五百ほどの軍勢しかいなかった。当然盛備への救援要請を出したものの、盛備は鮎川盛長の窮状を聞いて拒絶。さらに盛昭は蘆名盛隆にも救援要請を出したが、盛隆はすでに盛昭に援軍を出しており、それ以上の兵を出す予定はなかった。

 このとき、すでに蘆名家は盛隆に従う者と盛隆を嫌う者に分裂しており、大軍を送る余裕はなかったのである。色部軍に無理やり従わされた中条家の者たちは戦意が低かったものの、長実は五日間の戦いの末、赤谷城を落とした。


 一方、赤谷城への援軍を拒絶した金上盛備は三千の兵を率いて大葉沢城への救援に向かった。繁長は再び大宝寺家に援軍を要請した。大宝寺義勝は前回援軍に出向き出羽の鮎川領を制圧した阿部良輝に再び援軍を命令。このとき良輝は繁長が敗れれば大宝寺における繁長の力を減らせるのではないかと考えた。しかし大宝寺家に血縁はおらず、近隣から養子を迎え入れれば繁長にその者がとって代わるだけだ。それにどこから養子を迎えるかでまたひと悶着あるだろう。そう考えた良輝は泣く泣く援軍を出した。


 良輝の援軍が着くと、繁長は良輝に城の包囲を任せて黒川為実とともに金上盛備の軍勢と戦った。兵力がほぼ同数だったため決着は着かなかったが、繁長が戦っている最中に大葉沢城への兵糧の搬入に成功した盛備は赤谷城陥落の報を受けて赤谷城へ向かった。


 赤谷城に入っていた長実は捕えた蘆名家臣に内通を約束する書状を書かせた。敗れたため心ならずも敵軍に従っているが、心は蘆名とともにありせめてこれば必ず城門を開けて蘆名軍を迎え入れるという内容である。盛備はすぐには信じず、赤谷城に到着するとひとまず城を包囲した。


 盛備が策に乗らないと見た長実は今度は蘆名家を罵倒する文章を書かせて矢に結び、ばらまかせた。その中には『二階堂の人質に頭を下げる臆病者』『盛隆のような愚君を担ぐ能無し』などの文言があった。

 盛備は取り合わないよう命じたが、蘆名家の中には元々盛隆擁立をよく思っていない者も多かった。特に盛隆擁立に反対する針生盛信は盛備に対して敵意を抱いていた。

「このまま馬鹿にされて黙っていられるか。内応してくれる者もいるし、わしが城を攻め落として武功を挙げ、盛備を追い落としてくれる」


 息巻いた盛信は夜襲を敢行。内応文の内容通り、城の裏門が開いて盛信の軍勢を招き入れた。が、そこに待ち構えていたのは色部軍の兵士であった。味方が裏切って門が開いたというよりは、最初から門が開くことを見越して待ち構えていたようである。

 本来の城攻めなら後続がいるので簡単に包囲されることはないが、単独行動であった盛信はたちまち包囲されて討死した。勝利に乗じた長実は追撃を行う。盛信は味方を出し抜いて一番槍の手柄を挙げるため、密かに攻め込んだのがまずかった。

 事情を把握しないうちに針生隊が崩壊していること、しかもなぜかぼろぼろになった針生隊が逃げ込んでくるという状況に蘆名軍は混乱。元々盛隆や盛備に不満を抱いていた者たちが我先にと逃亡したのをきっかけに総崩れとなった。

 こうして無事勝利を収めた長実は赤谷城に五百ほどの兵力を残して安田城攻めの応援に訪れたのである。

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