蘆名揚北編

栃尾城攻防戦Ⅰ

 俺が出羽から戻った三月の上旬ごろ、本庄秀綱はまだ栃尾城にて粘っていた。俺の元には蘆名家から抗議の手紙が来ていたが、同時に蘆名盛氏の体調が思わしくないという噂も流れていた。俺は蘆名の抗議に特に返事はしなかったが、次第に尻すぼみになっていた。越後に構っている暇はなくなってきたのだろう。


 四月に入ると、俺は三千の兵を率いて上杉領との境まで出陣した。休戦条約は四月の十五日までなので残念ながら俺は上杉の背後を突くことは出来ない。当然俺の出陣を見た上杉軍は奮い立った。何が何でも四月十五日までに城を落とさなければ。そんな熱意が見えた。

 しかし奮い立ったのは秀綱方も同じだった。十五日まで粘れば援軍が来る。人間期限を切ることで辛いことでも頑張れるというところがある。そのため、四月十日になっても城は落ちなかった。


 後で聞いたところによるとこのとき上杉家では新発田軍が後詰に来れば決戦も辞さないという強硬論といったん退くべきという慎重論で真っ二つに割れていたらしい。しかし蘆名盛氏の死期が近いと悟った兼続は慎重論を採用した。秀綱を裏から支援している盛氏が死ねば状況は変わると考えたのである。

 上杉軍は俺から割譲された三条城に斎藤朝信らの兵を入れ、栃尾城周囲にも監視の砦をいくつか築くと、本隊は十四日には栃尾城を去った。秀綱にとって状況は悪いが、俺にとっては戦わずに栃尾城を守るという悪くない結末であった。


 が、俺が国境付近から撤退する間もなく秀綱からの使者が現れた。落城の危機はひとまず免れたものの砦の建設により補給が困難を極めているので助けて欲しいというものだった。救援しようかと思ったものの、もし俺が大軍を率いて領地を離れればその隙に俺の領地に上杉本隊が侵入してくるかもしれない。そう考えた俺は一言謝って兵を退いた。


 その後俺は木場城、水原城周辺など新しく手に入れた領地に農具を配った。出羽に出陣している間も本領にて備中鍬と千歯こきを造らせていたのである。特に備中鍬は田植えに間に合うかどうかぎりぎりのタイミングであり、俺は急いで領内の主だった農家に配るよう手配した。今回無理に兵を出さなかったのはそれらの費用が馬鹿にならなかったことも影響している。

 上杉軍も長らく農地をほったらかして連戦していたせいか、田植えが終わるまでは特に動きを見せなかった。


 そんな膠着した状況に変化が起きたのは六月中旬である。以前から病に臥せっていた蘆名盛氏がついに病没した。

 元々盛氏には盛興という嫡子がいたが、六年前に病没していた。その後盛氏は二階堂盛義を降伏させた際に出させた人質の盛隆を養子としており、他に子がいなかったため盛隆が蘆名を継ぐことになる。人質がそのまま養子になるというのは違和感もあるが、上杉景虎もそうだった。当然蘆名家中では不満を抱く者たちも多く、早くも暗雲が立ち込めていた。


 そんな雰囲気を敏感に感じ取った兼続は六月の末ごろ、景勝に進言して栃尾城を攻めた。蘆名家の金上盛備はすぐに俺に救援要請を送るとともに援軍を送ろうとしたが、安田城の安田長秀に行く手を阻まれる。盛備も蘆名家のことが不安で決戦してでも助けにいこうとまでは考えなかった。

 栃尾城は上杉の包囲策により物資は枯渇しており、援軍なしではもはや長くは持たないという状況だった。


六月三十日 新発田城

「お願いします、我が主を助けていただけないでしょうか」

 秀綱の家臣は俺の元に姿を見せるなり泣きそうな顔で懇願した。確かに蘆名家の事情を無視して上杉と結び、恨みをかってしまっている。ここらで一つ恩を返しておいた方がいいだろうか。そんなことを悩んでいると、

「もし助けていただけるのであれば我らは今後新発田殿にお仕えします」

 使者は衝撃的な言葉を口走った。いや、秀綱の立場に立ってみれば当然のことだろう。蘆名家が頼りにならなければ上杉に降るか俺に降るかしかない。


 この要請を受け入れれば金上盛備や蘆名盛隆は怒るだろう。しかしここで秀綱を見捨てるのは忍びないし、かといってせっかく俺についてくれるというのにそれを断って蘆名家に属したまま助けるのは損である。当主が死んだという運の悪さはあるが、秀綱を守り切れなかった蘆名家が無力だった。力なき者が配下を失うのは戦国の世の定め。俺はそう結論した。


「分かった。そこまで言うのであれば助けてやろう」

「ありがとうございます」

 使者は額をこすりつけて感激した。

 俺はすぐに兵を集めた。ついこの前まで農具作成で金はなかったが、酒田で半年の免税期間が終わり税収が入るようになったため、今は多少余裕がある。


七月三日 栃尾城周辺

 栃尾城を包囲する上杉軍は五千、さらに三条城には斎藤朝信が一千の兵を率いて監視の目を光らせている。対する本庄秀綱の兵は元は蘆名の援軍合わせて一千以上いたものの、劣勢や盛氏の死により逃亡が相次ぎ、三百ほどに減っていた。むしろまだ落ちていないのが不思議なくらいである。


 俺は五十公野信宗、高橋掃部助、佐々木晴信ら四千の兵を率いて到着した。上杉軍はそれを迎え撃つように布陣する。まるで弱り切った本庄秀綱軍がもう出陣することなど無理だと嘲笑うように、上杉軍は全力をこちらに向けていた。城攻めをしている背後を襲うのならば簡単に勝てるが、こうも城を無視して迎撃されると兵力で劣っている分勝ち目は薄い。かといっても、ぼろぼろの本庄秀綱を出撃させて栃尾城が奪われることになれば元も子もない。


「兄上、いかがしましょうか。それがしに兵を与えてくだされば上杉に一当てして先鋒を打ち破って参りますが」

 久しぶりに戦場に同行した信宗の鼻息は荒かった。これまで留守ばかり任せられてうっぷんが溜まっていたのだろう。俺は悪いと思いつつ苦笑する。

「いや、正面からぶつかるのはやめよう。もし優勢だとしても三条城の斎藤殿が側面を突いて来れば不利になるだろうからな。そもそも信宗よ、今回の目的は何だ」

「栃尾城の救援です」

「うむ。幸い上杉軍は一度負けているからかこちらに全力だからな。そこでそなたには兵と物資を率いて栃尾城に入って欲しい。その間、俺が上杉軍を引き付けておく」

「分かりました」

 信宗は三条城に在番していたこともあり、この辺の地理には明るい。三百ほどの兵を率いるとそれぞれに兵糧や武器を持たせて出発した。

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