第7話 センター街のチーマー:シブヤのリアル(1)

 もし仮に、東京の繁華街を列挙しようとした場合、即座に思い付くのは、山手線の駅で言うと、池袋、新宿、そして渋谷であろう。こういった地区には数多くの専門店や百貨店、あるいは飲食店や遊技場が立ち並び、それ故に数多くの人が集まり集うからだ。

 たとえばシブヤ――

 JRの渋谷駅のハチ公口は、まさしくその改札口の名称が示しているように<忠犬ハチ公の銅像>が、また西口には<モヤイ像>が設置されている。

 これらの銅像は、東急百貨店東横店(二〇二〇年三月末日に完全閉店)を挟んで正反対の改札口に位置しており、それぞれがシブヤにおける待ち合わせのスポットになっている。ここでは昼夜を問わず多くの人々が落ち合っているのだが、あえて言うと、池袋や新宿に比べると、外国人観光客や若年層が多いのがシブヤの特徴である。

 そして、ハチ公口方面には、道玄坂、円山町、文化村通り、あるいはセンター街など幾つものストリートが存在しているのだが、それぞれの街路には独自の性質がある。

 たとえば、ハチ公口を出て<109>を目印に進むとしよう。109を中心に据え、その左側には、多種多様な専門店や飲食店が立ち並ぶ<道玄坂>がある。

 その坂を少し上って右折すると、そこが<円山町>である。この一帯はラヴホテル街になっている。

 そして、このラヴホ街をを抜けると、そこには<円山町ランブリングストリート>があるのだが、ここは数多のライヴハウスが立ち並ぶライヴハウス街になっている。

 この小坂を下ってゆくと、<松濤(しょうとう)文化村ストリート>に合流する。

 この街路には東急本店が面しており、東急本店には、道玄坂とは逆側、109の右側の沿っている<文化村通り>を通っても辿りつくことができる。

 かつて、この通りは、件の百貨店が位置していることから<東急本店通り>と呼ばれていた。ここが今現在、<文化村通り>と呼ばれているのは、一九八九年(平成元年)に<Bunkamura>が開業したからである。ここには、美術館<ザ・ミュージアム>、パリの老舗カフェを模した<ドゥ・マゴ・パリ>、劇場<シアターコクーン>、コンサート会場<オーチャードホール>、単館上映の数多くの映画をかけている<ル・シネマ>などが入っており、主としてパリの文化・芸術の場として存在している。

 このように、ここまで見た街路は、それぞれが隣接しているにも関わらず、道が一本異なるだけで、一般的繁華街、ラヴホテル街、ライヴハウス街、芸術的文化街と全く異なる様相を示しており、こういった街路の混交性が、いわゆる<ストリート文化>としてのシブヤの特徴の一つとなっているのだ。

 とは言えども、シブヤを代表している街路と言えば、これらのストリートの出発点、いわばシブヤの起点になっている<スクランブル交差点>とそれに隣接する<センター街>であろう。

 JR渋谷駅ハチ公口を出てすぐのハチ公前広場から、スクランブル交差点の中でも最も長い、その距離三十六メートルの横断歩道を斜めに進むと、そこに在るのはスターバックスコーヒーやTSUTAYAが入っている八階建ての商業施設QFRONTである。その左側を走っている小道こそが<センター街>である。ちなみに、渋谷駅からセンター街へと流れてゆく人の数は、平日で約五万人、休日になると約七万人にも達するという。

 このセンター街には飲食店が立ち並び、昭和三十年代後半には早くも若者の姿が目立つようになっており、そしてこのストリートは、今なお、数多くの外国人観光客や若年層が数多く集う繁華街であり続け、シブヤにおける「若者のストリート」という性質を帯びている。

 しかしながら、センター街は「若者のストリート」という性質を維持しつつも、時代によってその様相を変化させていったのもまた確かであろう。

 たとえば、二〇〇〇年代以降のセンター街、特に深夜におけるこのストリートは、家出少女、神待ち少女、援助交際の少女、こういった<少女>達が存在する<場>という側面を持っていた。

 そして時代を少し巻き戻し、一九八〇年代後半から一九九〇年代半ば頃までのセンター街、この時代のセンター街を象徴していたのは<チーマー>の存在ではなかろうか。

 チーマーとは、仲間や組織を意味する英語「チーム」から作られた造語である。

 この時代、チーマー達の中にはロン毛で、ヘアバンドやバンダナをする者も多かく、また当時「渋カジ」と呼ばれていたストリート・ファッションで身を包み、時として、チームごとに、たとえば同じ革ジャンを着ることで集団としての統一性を示すチームもあった。

 一九九〇年代前半のシブヤには数多くのチームが乱立し、シブヤではチーム同士、あるいは、他の地域の暴走族やヤンキーとの抗争も起こっていたと言う。

 隠井はこの頃に東京に上京し、大学時代の友人の中には<チーマー>がいた。そのため、<シブヤ>、特に<センター街>と聞くと、どうしても、九十年代におけるこうしたチーマーのイメージを思い浮かべてしまうのであった。

  

<参考資料>

石井研士『渋谷学』,東京:弘文堂,2017年,pp. 74-111,pp. 154-165.

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