第7話 その頃当のPH7では②
「まあそれはそれとして、テープ聴きませんかね? TEARが『ふらっと』がずいぶん好きだってのはよーく判りましたし」
「P子さんまでーっ」
「事実でしょう?」
はあ、とTEARは頭を抱える。まあ確かに事実なんだが。
当初は偵察のつもりだったのだ。
横浜あたりのインディーズ・シーンでなかなか話題になっているバンド。
見た目もさることながら、そのギターにも定評のある女。噂はこちらへも結構広がっていた。
だから、敵情視察のつもりだったのだ。
ところが。
「……まさかあそこにいたとはなあ……」
「何か言ったあ?」
耳聡くMAVOが聞きつける。
何でもないよ、とひらひらとTEARは手を振った。そして自分の振った手で起こした風に甘い香りが漂ってくるのに気付いた。
「お、今日はチョコレート味」
「ザッハトルテだって」
「ああ全くこのバンドに居てよかったーっ」
TEARはうるうるうる、と泣き真似をしてみせる。
P子さんはそのあたりには構わず、HISAKAから借りたカセットデッキにテープを入れた。
「何曲目?」
「うちは三、四曲目。F・W・Aは七、八曲目」
とりあえずは関係ない一曲目から聞き始めた。
P子さんが加入するかしないか迷っているくらいの頃、このバンドにオムニバスアルバムの誘いが来た。
話をもってきたのはオキシドールの店長エノキである。一応ハードロック/ヘヴィメタルというジャンルの中で、「有望株」というものを拾ってみたらしい。
一バンド二曲で六バンド。その中にPH7もF・W・Aも入っている。
「エノキさんは妙にうちを推すと思わねえ?」
とTEAR。
「別に悪い気はせんけどさあ」
「推されて悪いということはないでしょう? だいたいPH7って同じジャンルのバンドには評判悪いんだから」
HISAKAは言う。だったら少なかろうが味方である人は大事。
ある程度自分達の地位を作り出したバンドはいい。自分達に自信があるから自分達のことだけで忙しくて、他のバンドをねたむ暇がないのだ。
オキシで人気のあるラ・ヴィアン・ローズがPH7となかなか仲がいいのはそのせいである。PH7を嫌うのは、PH7よりやや動員の少ない「正統派」バンドに多い。
一、二曲目が勝手に流れている。マリコさんはトレイ片手に「スタジオ」へ入った途端、こう言った。
「雑音ですねえ」
一瞬空気が凍り付いた。
「ちょっと真ん中空けてくださいな」
「あ、はいはい」
TEARは急いでテーブルの真ん中に散らばっていた譜面や音楽雑誌をかき集めた。何はともあれ彼女はマリコさんの手料理のファンであった。
「これまた見事」
「ドイツ系の料理の本、こないだ買いましたからね」
それですぐ作ってこれだ。基本的に料理ができないHISAKAも、「食えるものなら何でも」というTEARも「食える程度のものならまあ」というP子さんも感心せずにはいられない。
「ですから今夜はソーセージを……」
「濃そう……」
「あれだけ動き回っている人が何ですか」
そう言ってマリコさんはテーブルの真ん中のザッハトルテにナイフを入れた。しっとりとしたチョコレートスポンジからはキルシュの香りがほのかに香る。
「あー…… 上手く切ったつもりだけど」
何じゃい、という表情でMAVOはケーキを眺める。
「もしかしてチョコにひびが入ったのを悔やんでる?」
「そうですよ。ここまでやったんなら完璧に」
つまりは表面に掛かったチョコのことなんだが。それがナイフの入れ具合で切り口以外にひびが入ってしまったことを言っているのだ。
「はいできた。はいお皿。はいフォーク。取りたい人取ってください」
「あたしこれーっ!」
「ちょっと待ったそのでかいのは」
と、甘いものが似合う子と甘い物も好きな子が続けて言った。
その間にも音楽は延々流れている。HISAKAは続けて持ってきたお茶をティーポットから注いでいるマリコさんに訊ねた。
「雑音かしら?」
「とりあえず私の耳には」
「じゃあもう少し居てね。やっぱり第三者の御意見が聞きたいわ」
はいはい、とマリコさんはうなづいた。
さてPH7の二曲は「FLOWERS」と「CIRCLE OF LIGHT」というタイトルがついている。前者は割合最近作られた曲で、後者は以前から演奏されているナンバーである。
「ノリは『光の輪』の方がいいんですけどね」
リーダーに指名された「第三者」は評する。
「メロディはお花の方がいいですね」
「ふむ」
どちらもHISAKAの曲だった。
「あたしもそれは思う」
とヴォーカリスト。
「お花の方が歌いやすい」
「ワタシは光の方が好きですね」
「あたしも」
だろうな、とHISAKAは思う。
どちらかというと「お花」の方がシンプルでメロディアスである。「光」の方はアレンジは凝っているがメロディらしいメロディはない。
「でもどっちもどっちですね。今の私ではとちらもまだきついですよ」
「そうかなあ」
とTEAR。
「そうですよ」
「でも何にしてもいまいちまだ足りないって気はする……」
MAVOがつぶやく。
「だーな」
「どういう感じ?」
「すきまだらけ、って感じ」
「そんなアナタ、冬のボロ家じゃああるまいし」
そして五、六曲目とまたケーキタイムと化してしまう。
甘くて重いからHISAKAやP子さんは一切れで十分、と甘ったるくなってしまった舌を紅茶ですすいでいるようにも見えた。
「よく行けるねー」
「んー? だってこんなん、そうそう食えないし」
「食べれる状況だって美味しいものは幸せなのよっ」
はあ、とHISAKAとP子さんは顔を見合わせてため息をついた。
と、きゅるる…… と音がして、カセットがリバースした。
「お、始まる」
ケーキを頬張ったままTEARが言った。
音が出てくる瞬間を待つ。
「は?」
あれ、とHISAKAは思った。こないだとは全然違うじゃない。
「これ本当にこないだのバンド?」
「本当だってば」
「いや曲は一緒だと思うけれど」
ギターの音が突出していた。HISAKAは頭の中のスクリーンにぱっと明るい色が広がり、鮮やかな絵を映し出されたような気がした。
あ、印象派の。
明るい音だった。
タイトルを見ると、まあ割合この辺りのバンドがつけやすいものになっている。
歌詞がヴォーカリストの名になっているから、きっとタイトルもそうなのだろう、とHISAKAは思う。
「でも」
「ん?」
リーダーのつぶやきにTEARは反応する。
「このバンドにこの音はもったいないわ」
「はい?」
何を言い出すつもりなんじゃ。
いつの間にか他のメンバーもHISAKAの声に耳を立てていた。そしてご希望に応えたリーダーは、はっきりと言った。
「FAVさんも欲しいな」
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