第2話 FAVさん、そのバンドのベーシストにときめく。

「でもめずらしーじゃねえ? お前が知らんってのも」


 イキはウーロン茶をすすりながら言う。FAVファヴの手の中にはビールの入った紙コップ。近くのカウンターに灰皿も置いている。

 彼はアルコールが呑めない訳でもないが、ドラマーというのは、体には気を使う習性があるらしい。

 彼曰く、「だって俺、体が資本だもーん」。

 確かにそうだろう。彼の昼のお仕事はどちらかというと肉体労働系である。ヘヴィスモーカーのFAVには耳の痛い御意見である。


「そりゃあたしだって知らんことくらいあるわい」

「あーそう、でも確かにすげぇ女達だなぁ、派手だし上手いしでかいし。三拍子揃ってやんの。俺、お前ほどそーゆうロックやってる女見たこたねーと思ってたけど」

「あのなー、人の事派手派手言えんの? あんたは」

「FAVには言えるもーん、俺の方が絶対地味」


 イキは「地味」の「ぢ」に思いっきりアクセントを置いて言った。だが。彼とて街中に出りゃ派手、と言えるような格好をしているわけで。

 上半身裸、エスニックな店のバーゲンで買いあさったようなペンダントをじゃらじゃらとつけ、腰にはやっぱりエスニックな柄のサッシュ。頭にも無造作に髪が目に入らないように何やら巻き付けている。見ようによっては、昔の何処かのアジアかアフリカの国の「人足」。

 以前FAVはそう思って、そう言ったことがある。すると彼は何やら怒ったような面をしたから、きっと本人もそう思ってるのだろう。顔は十人並か、それ以上。それはFAVにも断言できた。


「で、何てバンドなのさ」

「ありゃーさぁ、PH7ぺーハーセブンっーの。最近ここでずいぶん推してるらしいよ」


 初耳だった。そんな名は耳にしたことがない。


「あれ、こっちの方では前からやってたっての?」

「いや、どっちかというと、その周辺…… いちばん最初に出たのは千葉とか埼玉とか言ってたしなあ。うちらと大して変わんねぇんじゃね? でもここんとこ、そーだなあ、この夏あたりからこっちでも人気出てきてるって言ってたけど」

「ほー…… また高校の化学ばけがくの時間のよーな名で……」

「お前化学専攻だったっけ」

「そーだよぉ、楽だと思って取ったらたら何のこたぁない、えらくめんどーだったんで何か今でも憶えてんの。元素記号の周期表なんざぁまだ暗記法憶えてるもんね。暗唱してやろーか? ほれ水兵リーベ」

「今更嫌なこと思い出させるなっての。だいたいお前それでも俺よっか成績良かったくせに」

「あたしゃ努力家なんだよーだ、あんたと違ってね」

「げ」

「でも憶えやすい名じゃん」

「短いしなぁ」

「うちらなんて、だいたいみんな『ふらっと』ですませちまうもんなぁ…だけどだからって今更名を変えたくはねーもん」


 イキは苦笑いを返すと、ステージを指し、気を取り直すかのように、あらためてFAVに対バンのメンバーの紹介を始めた。


「んでもってなぁ、あのベースの派手な女はTEARてあっての」

「てあ? へー…… あー、でっかい胸。それにしては繊細な御名前」

「何処見てんのよお前」


 イキは腰のサッシュにさしたスティックを抜くと、手首の運動、と言い訳の様につぶやいて、ぐにぐにともて遊び、手首を柔らかく回しはじめた。


「お、そろそろ最後か」


 客の盛り上がりが激しい。と。


「らすとーっ!」


 いきなりその声がFAVの耳に刺さった。

 一斉に客がうぉーっ、とこぶしを上げる。

 汗と化粧とヘアスプレーの匂いが混ざり合ったものがその瞬間、やや激しくなる。カウントフォー、雷が落ちたんじゃねーの?と、FAVの背筋が悲鳴を上げた。

 そしてそれを合図に一斉に客が頭を振る。

 追いつけない、と懸命な女の子は長い髪がもしゃもしゃになっても構ってない。構う暇なんてない。

 その髪が汗で人の手や首筋に張り付いて、絡み合ってしまったとしても、そんなことどうだっていーじゃないの、と言わんがばかりに、少女達は全身を振りまくる。この狭っ苦しい会場で。

 ステージは客のフロアとさほど高さが変わらない。だから、他のメンバーに比べやや小柄なヴォーカリストの姿はFAV達にはよく見えない。

 だけど、声は、飛び越えてきた。

 耳につく、赤ん坊の泣き声を一瞬彼女は錯覚した。低音から高音へ一気に駆け登り、一気になだれ込む。


「何、この声」


 FAVは思わず両手でカーテンの端を握りしめていた。イキも目を丸くして、つぶやいていた。


「本当に女かよ」


 時々客の隙間からヴォーカリストの金髪が見えた。はちみつブロンドだ、とFAVは思う。

 重戦車のツインバス・ドラムが心臓の鼓動よりもずっと速く、十六分音符を走らせる。そしてその上を軽やかに凶悪なスネアやタムが散弾銃のように駆け回る。

 そしてベース。直接体の芯に響く。そのままうねうねと複雑なフレーズを叩き弾く。

 ベーシストの女は長身らしく、ヴォーカリストよりよほどよく見えた。

 濃いメイク。それに負けない派手な顔立ち。大きなぽんとした胸。それはじゃらじゃらと跳ね回るアクセサリーの下に隠されてはいたが、それでも露骨に判る。

 だいたいこんなに動きまわるベーシストなんてFAVは見たことなかった。

 下のほうだけまっすぐで、先端に大きめのビーズを付けた髪が、くるくる回るたびに広がる。濃いめの金髪が回るごとに透けてきらきらと光る。

 上半身と下半身の比率が欧米人のようだった。足がしゃんと長く伸びている。結構大きく広げて地を踏みしめている姿はたくましくも感じられる。

 FAVはビールを呑むことなんて、とうの昔に忘れ果てていた。


「……あちゃーっ…… 格好いいぃぃ」

「はぁ?」


 イキは目を疑った。

 はぁ、とため息混じりに、ほっぺたに手を当てて彼女はステージに見入ってしまっている。

 長いつきあいだが、彼女が別のバンドに見とれた所は彼はみたことがなかった。

 そしてFAVは半分悔しそう、半分楽しそうに、彼の肩をこづくと、


「ったくもう…… もっと目立ってやんなきゃつまんねーや」

「でもこの後じゃあ不利だぜぇ」

「インパクト勝負はあたし等の十八番おはこでしょ」

「お前時々古い言い方すんのね……」


 彼はため息をつく。


「悪いーっ?」


 FAVは肩をすくめて言い返す。


「悪いかよーっ、落語だって好きだし、笑点の『大喜利』はいつも見てるんだ」

「俺がお前の言うことにいつ悪いなんて言いました?!」


 イキはげらげらと笑った。

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