5.40.決戦前夜


 指示をするだけして、後はドルディンに全て投げてきた木幕は南の城壁付近を歩いていた。

 もうすっかり暗くなり、雲っていなければ月が顔を出していてもおかしくはない時間帯だ。


 冬の夜風は一層冷え込み、息を吸うたびに肺を凍らせてしまいそうだ。

 外套を纏っていても身震いしてしまう。

 だがこの冷たい空気は気持ちがいい程に綺麗なものだった。

 白くなって出て行く吐息を見てそう思う。


 こんなに暗くなっていても作業は続いている。

 できるだけ早く準備をしようと、ギルドの冒険者たちや領民が一丸となって働いていた。

 外で炊き出しも行われており、温かい食事が振舞われる。


 ここは戦場になる場所だ。

 地形と建物をできるだけ記憶しておきたい。

 周囲の作業風景を横目に、木幕は城壁の周りを歩いたり、一度外に出て遠くを見やる。


 三千の敵兵が、この先に陣を構えている。

 鬱蒼とした針葉樹の森が遠くに見えた。


 そこで木幕は葉隠丸を抜刀する。


「奇術」


 そう呟くと、周囲に針葉樹の葉が舞った。

 やはり広葉樹の葉は出てこない。

 これを何とかすることはできないのだろうかと思い、もう一度葉隠丸を握り直して構える。


「……名を考えてみるか」


 構えを解き、舞っていた針葉樹の葉を一枚手に取ってみた。

 松の葉だ。

 鋭く尖ったそれは、手に少し触れただけでもチクチクと痛む。


 今回の魔物との戦いは、この奇術をうまく使わなければならない。

 人と戦うのであればいづ知らず、魔物と戦うのであればあの技は必須だ。

 敵も使ってくるのだから。

 自尊心を貫き通して死んでしまっては意味がない。


 そもそも他の葉は出せないのだろうか。

 そう思い、木幕は木の葉のイメージを強く頭に焼き付ける。


「……金木犀」


 呟きながら葉隠丸を振る。

 ヒョウッという音を鳴らした刃の先に、ふと強い香りが漂った。


「……何故葉ではなく花なのだ……」


 そこには宙に漂う金木犀の花があった。

 ふわりふわりと舞うその葉は、金木犀の良い香りを周囲に漂わせている。


 はてと思いながら葉隠丸を納刀する。

 だが、イメージで出せる葉は変わるということが分かった。

 これであれば、もしかすると戦場で優位に立てるかもしれない。


「そろそろ、向き合わなければな」


 奇術がどのようなものなのか、木幕はあまり理解していない。

 単に刀の能力だということは分かってはいたが、それを使いこなそうとは思わなかった。

 だがそのせいで、ボレボアとの戦いでは苦戦を強いられたように思う。


 針葉樹の葉が突き技に特化しているという事を知らなかったし、そもそもこの雪国で出せる葉が変わるということも知らなかった。

 自分の能力は自分で分かるが、これは刀の力。

 それを使いこなせなければ、これより先また苦戦を強いられるかもしれない。


 簡単な話ではないだろうが、ただ稽古の時間が長くなるだけだ。

 そんなに難しいことではない。

 使っていれば、また何かわかることもあるだろう。


 そこで本題に戻る。

 名前を考えなければ。

 技の名前があるかないかで、動きは変わってくる。

 決められた形をなぞる。

 それに名前を付けていれば、生涯忘れない自分の技となる。

 呼び出してやらねば可哀そうだ。


「葉我流奇術……んー……」

「何してるんですか」

「む?」


 振り返ってみれば、そこにはレミと津之江がいた。

 二人とも薙刀を持っており、余っている手には炊き出しで貰ったであろう温かい食べ物が乗っている。

 余分にもう一つあるようだ。


 レミはその余っている物を木幕に押し付ける。

 鍋だ。

 匙が突っ込まれており、スープには肉の油が浮いていた。


「かたじけない」

「どういたしまして。で、何してたんです?」

「奇術の稽古をな……」

「あら、これは金木犀の匂い……?」

「きんもくせー?」


 おもむろにしゃがんだ津之江は、雪の上に落ちていた金木犀の花を拾う。

 懐かしいとでも言わんばかりの優しい表情を浮かべ、その匂いをもう一度嗅ぐ。

 この世界にはない花だ。

 小さい花であるというのに、その匂いは強い。

 一度でも嗅いだことがあるのであれば、忘れない匂いだろう。


「うちの庭に、よく咲いていました」

「へー。可愛い花ですね。でも何処から?」

「某の奇術で出すことができた。葉ではなく、花であったがな」

「そんなこともできるんですか……それ……」


 とはいえ戦いには使えない物だ。

 逆に何故出せたのか不思議で敵わない。


 葉の種類は針葉樹か広葉樹しかないのだろうか。

 これも確認していなかければならないだろう。


 木幕は手に持っていた食べ物を食べる。

 冷え切った体を中から温めてくれる優しい味だ。

 立って食べるということに少し違和感を覚えたが、戦場ではどのような場所であっても食べれるようになっておかなければならない。

 座って食事ができるということができない場面もある。


「レミの稽古はどうだ、津之江殿」

「いやぁー、呑み込みが早くて助かっていますよ。後は日々の稽古ですね!」

「頑張ります!」

「そうか。ではここを出るまで稽古をつけてもらうといい」

「はいっ! ……ん?」


 木幕のその言葉に、レミは少し引っかかりを覚えた。

 ここを出るのは最低でも二ヶ月後。

 それまでずっと世話になるということなのだろうか。


 おや、といった顔で、津之江は木幕に尋ねる。


「あら? 木幕さん、私との勝負は良いのですか?」

「不要だろう」

「え!? どうして!?」

「他にもいるだろうからな……」


 いる場所は分かっている。

 別に今でなくてもいいのではないか、と木幕は考えたのだ。

 テトリスにはまだ彼女が必要だ。

 今いなくなってしまえば、必ず戦いに身を投じることになるだろう。


 木幕としても、あのティアーノという小娘の側にテトリスを置いておきたくはない。

 考えもなしに戦いに身を投じる者など、危険分子でしかないのだ。

 その後ろをついていく?

 冗談も大概にして欲しい。


 だが決めるのはテトリスだ。

 彼女の決定には、何の文句も言うつもりはない。


「フフッ、まぁ私はいいですけどね。この戦で死ぬかもしれませんが」

「お互い様だな」

「確かに」


 戦いを前にしてここまで余裕でいられるのはこの二人くらいなものだ。

 レミはそう思いながら、また温かい具材を口に運んだのだった。


(ま、私も津之江さんにはなんだか死んでほしくないしね)


 心の何処かでほっとする。

 それが一時的なものだということは、彼らは知らないことだった。

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