4.41.研ぎ音


 深夜。

 恐らくすでに日は回っているだろうこの時間に、木幕とレミは屋敷に帰って来た。


 レミは既にくたくただ。

 実は酒があまり飲めないので、あの場ではああいう言い逃れをするしかなかった。

 相手が酔っていたのもあってすんなりと理解してくれたことが幸いしたが、飲まされていたらどうなっていた事か。


 しかし酒の席で素面で付き合い続けるのは疲れる。

 木幕が居て助かったというのもあるが、ああいうのはその場にいるだけでも結構気をつかってしまうものだ。

 知らない内に疲労していたのに気が付いたのは、屋敷が見えてからだった。


「師匠……私今日は寝ますね……」

「うむ。某はもう少し夜風に当たっていよう」

「おやすみなさぁい……」


 扉を開けて中に入っていった。

 それを見届けた後、木幕は刈ったばかりの草むらに腰を下ろす。


 こういうのも悪くはない物だ。

 刈ったばかりの草から強烈な草の匂いがする。

 今まではぼうぼうに生えていたので、まだ虫たちはその辺に滞在していた。

 リンリンと鈴の音が鳴っている。


「……ぬ?」


 その音に混じって違う音が聞こえてきた。

 何かを擦るような音だ。

 遠くで鳴っているようなので何の音かは分からなかったが、気になったので近づいてみることにする。


 近づいていくと更に音が大きくなっていく。

 そこでようやく正体が分かった。


 シャーシャーシャーシャー、シャッシャッシャッシャ。

 シャーシャーシャーシャー、シャッシャッシャッシャ。

 パシャッ……。


 刃物を研ぐ音だ。

 まだ沖田川起きているのに少し驚いたが、彼は職人だ。

 没頭してしまうと時間が見えなくなるタイプの人なのだろう。


 どうやら井戸の近くにある小屋で研いでいるらしく、そこから一定の感覚で研ぐ音が鳴り響いていた。

 心地の良い音だ。

 刀が機嫌よく研がれているという事がよくわかる。


 邪魔しては悪いと思ったが、その姿を少し見てみたいと思った。

 こっそりと小屋の中へ顔を覗かせると、即席で作った研ぎ台を使って砥石を固定し、柄から抜かれた沖田川の日本刀、一刻道仙が沖田川の手によって磨かれていた。

 蝋燭一本で研ぎ場を照らしている為、殆ど手の感覚による仕事になっている。


 今使っている砥石は盛り上がるようにして削られており、その上の一部を使って日本刀を動かしていた。

 あの砥石はクオーラクラブの体についていた岩から作った中砥石だろう。

 既に良い輝きが出ているという事が、蝋燭に照らされる日本刀から見て取れる。


 しかし、日本刀を研ぐ沖田川の顔は真剣を通り越して執着しているように思えた。

 あの研ぎ方は戦場で培ってきた研ぎの技術。

 どの様な場面で、どの様な刀が、どの様な動きで振られるかを想定している物だ。


 沖田川の一刻道仙は見た所居合刀。

 その一閃を絶対に押し切り通す様な研ぎをしているのだと理解することができた。


 凄まじい程の集中力と、その刀にあった研ぎ方の知識。

 これはまさに研いでいる刀と対話していると言っても過言ではない。


 シャッシャッシャッシャ。

 シャーシャーシャーシャー。

 シャッシャッシャッシャ。

 シャーシャーシャーシャー……。


「……コヒュー……」

「見事」


 揺らめく炎に照らされた日本刀は、まだ仕上げられていないというのに波紋が波打っているかの如く美しく見えた。

 それが見えた瞬間、ボッと蝋燭の火が消えてしまう。

 どうやらもうギリギリだったらしい。


 木幕は持っていたカンテラに火をつけて中に入る。

 それに軽く手を振って礼を言った沖田川は、布で刀についている水分をぬぐい取った。


「帰ったかえ」

「遅くなった」

「構わんわい。一刻道仙は仕上げを残すだけじゃ。それが終わったらお主の葉隠丸も研いでやろう」

「助かる。時に沖田川殿よ。何故お主は研ぎ師を極めておるのに流派を学んだ?」


 大体の鍛冶師はなにかと作った刀を自分では振らない物だ。

 例外はあるかもしれないが、研ぎ師である者が流派を学び日本刀を持つという事は、少なくとも木幕は聞いたことが無かった。


 沖田川は片づけをしながらそれに応えてくれる。


「戦場に出ねば、研ぎは極めれぬ。ただ零れた刃を直すだけが研ぎ師ではないのじゃ。斬れるというだけで満足している内は、ただ刃が付けれるだけの職人。戦場に出て、生きている刀の痛みを理解し、それに共鳴することができてこそ極めれる。存外、儂もまだまだ刀の声は聞けぬがの? ほっほっほっほ」

「流派については?」

「ありゃ儂の流派じゃ。儂が雷閃流の元祖じゃよ」

「集中の境地故の居合術……。これは手強そうだ」


 桶に入った水を外に流す。

 砥石の匂いが一瞬したが、それもすぐに風に乗ってかき消えた。


「しかし、良く砥石を削る道具があった物だ」

「ああ、あれは儂の奇術で斬ったのじゃ」

「……石まで斬れるのか」

「うむ。自慢じゃないがのぉ。そのおかげで荒からやり直すことになったわい」


 石を斬る御業とも呼べる奇術を持つ老人。

 木幕の中で本当に彼を斬れるのだろうかという疑念が、一瞬だけ湧いてしまった。

 彼は本当に強い。

 恐らく槙田正次よりも強敵だろう。


 そんな事を考えている木幕を他所に、沖田川はゆったりとした動きで屋敷の戻る。


「今日は寝るかの。蝋燭も消えたし、仕上げは日の光が無いとできんでな」

「……某も寝るとしよう」


 思う所はあるが、それは口に出せない。

 明日のやることを考えながら、二人は屋敷に戻ったのだった。

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