第108話 『その日、呼び出しがあった』

 山積みの金貨と書類を前に、その人物は苛立ちを隠せずにいた。自分が立てた計画はこれまで何の障害も起きず、順調に進行してきた。

 溢れんばかりの金貨、未知のアイテム、上質な酒、上等な女。飽くなき欲求は尽きる事はなく、望む全てを奪い、手にしてきた。


 そして目的のモノまで、後少しのところまで来ていたはずだった。


 しかしここ最近、各地に放った部下からの報告が途絶えていた。それと同時に、届くはずだったもまた、一向に届く気配がない。


「誰かが欲をかいたか?」


 そう考えたが、それはあり得ないと首を振るう。

 部下を作るときにはまず、絶対的な力と恐怖を最初に見せつけている。そうする事で、裏切った際の凄惨な死を理解させ、尚且つ従ってさえいれば自然と美味い汁を吸える。その程度で満足する連中しか、支配下には加えていなかった。

 それに一部の特権階級の人間には、直接あのお方に会わせていた。あの方を見ておいて裏切るなど、恐ろしくて考えられないはずだ。

 裏切りの代償は、命だけでは済まされないだろう。


 過去には見せしめとして、軽い盗みをした者を連帯責任で一斉に処罰した事がある。あの方の壊し方を見て、恐怖しない人間などいない。

 その記憶が残っている内は、誰も裏切らないだろうし、それを恐れて相互に監視をし合っているはずだ。


 そして外部からスパイが紛れ込み、我々の行いを感知し、情報を盗み出すこともあり得ない。例えば過去に、今までやましい事をした経歴の無い人間が、突然仲間に加えて欲しいと仄めかすようなこともあった。

 だが、仲間にする際に行う最初の儀式のお陰で隠し事は出来なくなっている。何故なら、を最初に装着させるからだ。

 そうする事でそいつの本意と、本性を探る事が出来、更にはそいつの弱点と情報も自由に引き出せる。


 今までもそうやって、潜り込む為にやってきたものを捕らえ、危険を回避して来た。あとは得られた弱みを使って、我輩の陣営に引き込むなり、役に立たせた上で処分すればいい。


 この首輪には誰も逆らえないのだ。

 裏切りなど起きるはずがない。


「では誰かがヘマをしたか? それともテラーコングやマンイーターが、思いの外暴れて荷物も一緒に喰われてしまったか……?」


 それに例の竜達に関しては、災害だと思えとあのお方も言っていた。もしあの2匹により荷物が減らされていたら……。その時はあのお方も納得してくれるかもしれん。


 その為にも、至急確認の人員を送らねばなるまい。

 丁度いいは、先日ログナートの倅に貸したばかりだったな。奴らもガキのお守りがあるとしても、そろそろ戻って来てもいいはずだ。早速に連絡を……。


『チリンチリン』


 手元にあったベルを鳴らす。いつもであれば真っ先に飛んでくるはずのメイドが来ない。


「なんだ? 我輩相手に怠慢か?」


 生意気な、呼ばれたらすぐに来るよう厳命しているだろうに! 今日はきつめの灸を据えて……。

 そう思ったが、ふと思い出した。


「そうだった。あの女は昨日したんだったか。まったく、多少雑に扱った程度で壊れおって」


 館のも消耗して来たし、そろそろ補充を考えねば。


「くそ! どいつもこいつも役に立たん!」


 思うように行かず、机を盛大に殴りつける。昔であれば拳が真っ赤に腫れていただろうが、今では机の方が耐えられない。金貨は宙を舞い、書類は散らばり、机はひび割れる。

 それでも尚怒りはおさまらず、癇癪を起こしそうになった男の背後に、蜃気楼の様に揺らめく黒い影が現れた。


『ふふ、荒れていますね』

「ッ! こ、これはこれは使徒様。みっともない所をお見せしました」


 男は跪き、最上位の礼をするが、影の興味を惹くことはなかった。男の言葉に対し、一切の感情の揺らぎも見せず、ただ怪しく存在していた。


『先月納められた生贄達ですが、鮮度は悪くないものの、壊れた家畜が多ぎすますねぇ』


 影からの大事な言葉を聞き逃さないよう、男は黙って過ごす。しかし次第に、影から感じられる感情が『呆れ』と『怒り』へと変化している事に気付き、体が震え始める。


『絶望に染める手段は不問とは言え、壊れてしまった人間は生きた人間よりも、絶望の味も、そして濃度も半減してしまう。家畜の扱いは丁寧にと、再三注意を促していた筈ですが……? なぜこんなにも、壊れた家畜が多いのでしょうねえ?』


 男は冷や汗が噴出した。

 その影……使徒が発した言葉には心当たりがあったからだ。つい先日廃棄した女も、処分したのだった。


「も、申し訳ありません。生贄の数が増える分、絶望に染める人手も増えてしまいどうしても質に振れ幅が出来てしまい……」

『言い訳は結構。どうやら貴方は契約時の痛みを忘れ、我らの存在に慣れてしまった様ですね。我らを都合の良いゴミ箱と軽んじる浅ましさ、随分とコケにしてくれたものですね。我らを舐めるとどうなるか、思い出させてあげましょうか』

「そ、そんな」


 使徒の言葉は丁寧だが、そこに隠された溢れんばかりの感情は、男の肌に痛いほど突き刺さった。

 男は、使徒と出会った時の恐怖と痛みを思い出す。あの時の苦痛はごめんだ! 震える体を抑える様に、声を張り上げた。


「……倍! 今月は倍の数をお納めします! 質ももちろん先月よりも良く致します! ですからどうか、どうかご慈悲を……!」

『……ふぅ。そこまで言うのでしたら、今回は収めておきましょう。ですが、今の言葉忘れないように。もし破ろうものなら、死の恐怖を思い出させてあげましょう。忘れない事です、代わりはいくらでも居るのですからね。……それにしても、欲望だけを強くしてはこうなりますか。流石は家畜ですね、次を作るとしたらその辺りはよく調整して……』


 意味深な言葉を残し、使徒は闇と共に姿を消す。重圧から解放された男は床にへたり込んだ。


「……くそっ、至急今月分を確保せねば。奴隷娼館の規定を改め、処分に回すラインを下げるか。質は……魔法が扱えるだけでも質は上がると使徒様は言っていた。ルドルフの傘下にいる連中のガキ共も適当に捕まえてしまおう。極上のエルフもそろそろ届くはずだ。味わい尽くす前に処分するのは勿体ないが、命には変えられん。それで何とか……」


 計画の軌道修正をする男の部屋に、次点の玩具の声が響いた。


「旦那様、王城から呼び出しが掛かっております。領地の運営に関して確認したいことがあるそうです」

「……領地運営か」


 先日新たに派遣された代行官を洗脳し、適当に繁栄しているとでっち上げたが、その件だろうか。勲章はいくらあっても足りんし、もし昇爵出来れば今後の行動範囲も増える事だろう。

 ポイントを稼ぎに行かねばな。


「……そうか。準備をするから手伝え。そして今宵はお前が寝室に来い」

「か、畏まりました」


 この玩具にも飽きて来ていたし、壊れる寸前まで追い込んだらコレも贄にしてしまうか。

 いや、そう言えば領地には寒村がいくつかあったな。集落ごと潰して廃棄に回そうか。掘り出し物も見つかるかもしれん。集落は魔物によって滅んだことにして、適当にでっち上げた討伐情報で更に国から報酬を掠め取ろうか。

 くくくっ、餌に出来る人間はまだまだいる。笑いが抑えられんわ。


 アブタクデと呼ばれた男は、ほくそ笑みながら着替えを始めた。



◇◇◇◇◇◇◇◇



 近くに控えているだけで良い。

 そう公爵様にお願いされて、シラユキと一緒に突っ立っているけど、存外暇ね。昨日は夜遅くまで騒いじゃってたけど、シラユキと一緒に眠ると疲れが取れるのよね。不思議だわ。


 暇とは言え、これもお仕事なのだからしっかり役目は果たさないと。

 隣のシラユキは……いつも通りぼんやりしちゃってるわね。相変わらず何考えているのかわからないけど、いつ見ても綺麗で可愛らしいのよね……。ああもう、こっち見て微笑まないでよ。

 柄にもなく胸がときめくじゃないの!


 はあ、あたしは至ってノーマルだと思ってたんだけど、そっちの人だったのかしら。

 ……ううん、こんな風になるのはシラユキが相手の時だけよ。


 アリシアさんはこんな粗暴なあたしにも優しくしてくれるし、冒険者を始める切っ掛けでもある憧れの人。あの人は綺麗だし、近くにいるとドキドキするけど、これはきっと昔からの気持ちが衰えていないせいだ。だからきっと違う。


 イングリットはおっとりしているけど芯があって、食事の前に必ずするお祈りは、とても美しくて思わず見惚れてしまうけど、これもきっと違うわ。朝はもっと輝きながらお祈りしているみたいなんだけど、あたしは朝が弱いから、まだ1度も拝めていないのよね……。残念だわ。


 リーリエさんとリリちゃんの親娘だって、小動物みたいで可愛い上に、リーリエさんからは溢れんばかりの母性が溢れていて、ついつい甘えたくなっちゃったりする。リリちゃんも抱きしめると幸せになれる温もりを感じられるけど、それもきっと違うはずだわ。ただの庇護欲よ!


 フェリス様は話してみればとても良い人で、歌ったり踊ったりするのが好きらしいんだけど、はしたないから人前ではさせてもらえないんだとか。そんな中であたしの『踊り子』という職業に興味があるらしい。今度、フェリス様にも踊りを見せる約束をしちゃった。


 ソフィア様は、正直よくわからないけど良い子ね。シラユキが気に入ってるし、というかずっとシラユキとお話してるから、あたしとはあんまり話せてないんだけど。でも見た感じ、あの子もシラユキにお熱よね。

 ……ん? 『も』ってなによ『も』って! あたしは関係ないわよ!


 そうよ。あたしは至ってノーマルなのよ!


「大丈夫? 緊張してるの? 平気よ、私がついてるから」


 そう言ってシラユキが手を繋いできた。

 ああもう、シラユキと一緒にいると、悩んでいた事がどうでも良くなって来ちゃうわ。うーん、このままだとちょっと悔しいし、ちょっと困らせてやろうかしら。


「違うわ、シラユキのことを考えてたの」

「え? そうなの?」

「これから先、シラユキ達は学校に行って、イングリットは教会に戻って、あたしは今まで通り冒険者家業をしつつ酒場で踊って生きてゆく。今まで通りといえばそうなんだけど、この数日間が濃厚すぎて、簡単に戻れるか不安だわ」


 ……ってえ! 何言ってるのよあたし!!

 シラユキを前にすると、何故か本音がポロッと……。って、本音なんかじゃないわ!


「つまり寂しいってことね?」

「ち、ちが……くない、かも」


 そう伝えると、シラユキの手に力が込められた。


「そっか、そっかそっか。ふふ、嬉しいな」

「うう、こんな事言うつもりなかったのに。恥ずかしい……」

「王都は広いとはいえ、同じところに住んでるんだもの。きっといつでも会えるよ。それに仕事場所を教えてくれたら私も会いに行くし、1人じゃ大変な依頼とかあったら手伝いに行くよ。それにリディから会いに来てくれても良いしね」

「そ、それは魅力的だけど、でも学園って部外者が入っちゃダメなんじゃ……」

「えー、いいじゃない。友達なんだし。ねえ公爵様、良いですよね?」

「む?」


 突然話を振られた公爵様がこちらへと振り返った。ああもう、いきなり話しかけたら失礼じゃない。


「そうだな……。本来は駄目なところだが、リディエラお嬢さんは優秀な冒険者だし、あの方法でなら……。ふむ、では後でリディエラお嬢さんと相談して決めようか」

「は、はい! ありがとうございます!」

「やったねリディ」

「もう、シラユキったら……」


 公爵様にお願いだなんて、そんな恐れ多いこと、普通は出来ないわよ。図々しいと言うか、度胸があると言うか。


「仲が良いのは美しいが、そろそろ始まるだろう。少し静かに頼むよ」

「は、はいっ」


 そうだった、あたし達今、お仕事中だったわ。


「はーい」


 だと言うのにシラユキってば、こんな時でもマイペースなのね。公爵様の頼みだって言うのに、まるで気負ってる感じがしないわ。

 思えば不思議なのよね、シラユキの気品や知識もとんでもないけど、王侯貴族に対する慣れというべきかしら。彼らを相手取るときもペースを乱さないし、この王宮にも初めて訪れたはずなのに、迷いなく堂々と歩き回っていたわ。

 場数を踏んでいる感じがするし、この子は一体どういう境遇の子なのかしら。陛下が昨日、冗談で他所の国の姫とか仰っていたけど、あながち間違いじゃないんじゃ……。


 ってダメダメ! 今はお仕事中なんだから考え事をしちゃ。今日はが現れるんだから!


「陛下。アブタクデ伯爵が到着した様です」

「うむ、通せ」


 あたしの緊張なんてお構いなしに、時間は進んでいった。謁見の間に現れたのは、シラユキの言う様にまるでオークが知性を得たかの様な姿の、醜悪な男だった。

 今日あたしがここにいる理由は、これからこの男を捕らえる計画なんだけど、暴れた時のための護衛という名目だった。実際のところシラユキ1人で十分だとは思うけど、同じBランクという事であたしも呼ばれた。

 何故かアリシアさんはこの場には来ていないみたい。なんでもシラユキが待機をお願いしたんだとか。あのアリシアさんにべったりなシラユキにしては珍しいわね。


 謁見の間にはあたしとシラユキ、そして護衛対象の公爵様。そして陛下と宰相のザナック様。そして昨日もいたお偉いさんの貴族様に近衛兵。昨日より近衛兵の数は倍近くいる。

 ちょっと物々しいけど、これだけ居れば少しは安心ね。


 改めてその男、アブタクデを見てみる。

 着ている服は趣味の悪い紫をベースにした貴族服。そして両手の指には下品なほど大きな宝石が身につけられ、その目は飢えた獣の様にギラついていた。


 うわ、目があった!

 男に全身を舐め回す様に見られるのは慣れっ子だけど、コイツは生理的に我慢ならないわ。鳥肌が立つなんて久々よ。ああ、きっついわぁ……。

 あっ、アブタクデの視線があたしの隣に向かった。そしてその瞬間、男の動きが止まった。


 視線を追うと、そこには男女問わず見惚れるほどの、絶世の美女がいた。うんまぁ、今あたしが手を繋いでる相手なんだけど……。

 見惚れてしまうのは当然としても、段々と下品な表情に変わっていっているのをコイツは自覚してるのかしら。シラユキはそれを涼しい顔で受け止めてるけど、こんな男の視線に晒され続けるなんて、シラユキが穢れちゃうわ……。


「アブタクデよ、何を立ち止まっておる」

「はっ! し、失礼しました陛下」


 アブタクデはハッとなって陛下の元へと駆け出し、定位置で膝をついた。……そう言えばあたし達、あの時膝を付かなかったけど失礼じゃなかったかしら。


「して、今回お主を呼んだのは他でもない。領地経営の件だ」

「はっ」

「新しい担当官からの報告では、領内で暴れていた魔物の討伐に成功し、更には新たに出現したダンジョンの発見、並びに危惧されていたスタンピードの兆候も退け、新たな収入源となる鉱脈の確保まで出来たとか。それが事実なら、昇爵も視野に入れるつもりだ」

「おお、ありがたき幸せ」

「だが、それが事実ならば、だ」

「は……?」


 予想外の言葉だったんでしょうね。アブタクデは間抜けな顔を晒していた。


「お主の領地では目覚ましい発展の報告ばかりが入って来ておる。代行官も調査団も、秘密裏に探りに行かせた者も全て、お主の街は素晴らしいと豪語しておる」

「陛下……? な、何をおっしゃいます。我輩の領地は何も問題はございませんぞ!」

「余はその言葉を信じ、今までお主の発展を願い様々な褒美を与えて来た。いや、与えて来てしまった。よもや彼らがお主に良いように操られていたとはな。思いもしなかったぞ」


 アブタクデの顔色が変わる。明らかに狼狽しているようだ。

 というか、実際この男が無実だったとしても、いきなりこんな事言われたら驚くわよね。


「陛下、何を言っておられるのです。我輩は何も」

「あくまで知らぬと申すか。では、これにも心当たりがないのだな?」


 そう言って陛下は、あの気味の悪い首輪を取り出した。

 あの時、あたしの事を操っていたのと同一種の首輪を見て、思わず首元を撫でてしまう。あの時、もしもシラユキが助けてくれなければ、あたしは今頃……。


「そ、それは……!?」

「余が何も知らぬと思ったか? 西方地域で起きている数々の事件、そしてこの首輪。お主が関与している情報も入って来ておる。領地の経営と合わせ、聞きたいことは山ほどあるぞ」


 シラユキが陛下に提出した数々の陰謀の証拠は、確実にこの男を捕らえる為の方便にはならないみたい。アブタクデがそんなことは知らないと言い続けた場合、調査を行い動かぬ証拠を発見するまではお咎めには出来ないみたい。

 それだけ、過去に色んな褒美を与えすぎたのね。強権を発動しにくくなるほどに。


 陛下も公爵様もそれは思って悔しそうにしていた。けれどそんな状況下でも強気に呼び出し、この場で断罪する方法を取れるほどに、あの首輪は万能だった。


 だって、あの首輪は装着さえされてしまえば、本人の意思を完全に無視して、従属させたり強制的に相手の本音を引き出すことが出来るんだもの。本当にイカれた魔道具だわ。

 今回の事件が終わったら、処分するなり何らかのルールを設けた方が良い気がするわね。


「そ、そのような首輪、預かり知らぬものですぞ。陛下といえどもその様な暴論聞き捨てなりません! 貴族院を通じて抗議をさせていただきます!」


 アブタクデは怒り心頭と言った様子で、ズカズカと退室しようと動くも、陛下が先手を打ち近衛兵達が扉前に陣取った。


「お主が何も知らぬというのなら、まずはこの首輪をつけてみよ。余の話を冤罪だとするならば、まずはこれを装着してみせよ」

「アブタクデよ。私はどこかで、お前のことを盲信してしまっていたのかもしれん。一度怪しめば、今までの行動の中で不審な点はいくつも思い浮かんで来た。今までお前とは腹を割って話していなかったな。これを機に私と話そうか……余計な首輪があるかもしれんがな」


 公爵様が陛下より首輪を受け取り、アブタクデへと近寄る。


「くっ……ここまで我輩の計画は完璧だったはずだ。一体どこで間違えたのだ……」

「確かにお主の計画は完璧だっただろう。余も臣下も、誰1人としてその計画に気付いておらなんだ。だがな、お主の邪悪な企みを見つけた者がいたのだよ」

「それは一体……まさかお前が!?」


 男に睨まれたシラユキは、とても無機質な表情でそれを受け止めていた。

 シラユキのこんな顔は初めて見る……。その瞳は男を見ているようで全く別の物を見ているみたい。まるでその辺にいる魔物でも見ているかのような……。


「さあ、大人しくこの首輪をつけよ」

「……せっかく、ここまでやって来たのだ。目的まであと1歩だったのだ! 我輩は、ここで終わって良い存在ではない!」


 そう言って男は、懐から魔石を取り出し、高く掲げた。


「っ! アブタクデ、一体何を!」

「貴様らをここで始末し、我輩がこの国を支配してやる!」


 アブタクデが魔石に魔力を流すと、魔石からどす黒い瘴気が溢れ出した。そのまま瘴気は男の体を包み込み、1つの塊へと変貌する。それは生き物のように蠢き、脈動を始める。

 瘴気が繭のように膜を張ると、今度は臓器のように『ドクンドクン』と音を立て、次第にその体積がどんどん膨れ上がって行った。


「ひっ」


 あたし達はその異質な光景に対して、手出しすることが出来ず、ただ見守る事しか出来なかった。なぜならその瘴気に触れたら、絶対にタダでは済まない予感がしていたからだ。

 近衛兵達は繭を囲み警戒している。暗部の人達は天井から身を乗り出し、短剣を構え、宮廷魔導士は陛下の前で防御を固める。


 そして緊張が部屋の中を満たし、聞こえるのは気持ちの悪い脈動だけとなった頃、急に繭から溢れる瘴気が止まり、鼓動も止まった。

 一瞬の静寂が訪れた次の瞬間。繭がひび割れ、中から一体の魔物が現れた。


『……グファファファ、チカラガ溢レル!! コレガ、我輩ノ、アラタナチカラ!』

「うわあ!?」


 近衛兵から悲鳴が上がる。

 圧倒的な存在感を持つ魔物の登場に、畏怖から来る本物の恐怖によって、誰もが腰を抜かしてしまっていた。貴族様も、近衛兵たちも。そしてあたしも。


 そんな中、いつものようにマイペースに、見る者を魅了する表情で、その人は笑って見せた。


「ぷふっ!」


 突然の笑い声。

 ふと隣と見ると、美しい少女が美しい声で、カラカラと笑っていた。


「オークが変身して本物のオークになるとか、ほんと笑っちゃうんですけど!」

『ナ、ナンダト!?』


 ああ、彼女が居ればきっと大丈夫だ。あたしは心から、そう安堵した。

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