第071話 『その日、情報収集を開始した②』
川の水は緩いカーブを描きながら街を横断しており、街の至る所には川の水を活用するための器具や、水車などが設置されていた。
しかしそれらは、流れてくる毒によって見るも無残な姿となっており、腐敗が進み呪いの温床となっていた。
「この空気、呪われたカタコンベを訪れたときの事を思い出しますね」
また、所々には腐敗した魚が堆積しており、異臭を放っている。
腐敗物には蠅や蛆が集ると言うが、毒と呪いにより変質したそれらからは、瘴気を感じさせた。
「物理的に除去しようにも川そのものが毒では、入ることは出来ないですし、魔法を使って排除するにも、人族の街でそれほどの術者がいるとも思えませんね。というより、あの瘴気は近づくだけで病気になりそうですね。お嬢様によってこれ以上毒が溜まることはないとはいえ……。まずはこの辺りに溜まった毒や瘴気を、一度祓ってみましょうか……『浄化』!」
川が光を放ち、ゆっくりと消えていく。しかし川は汚染されたままで、堆積している腐敗物も減ってはいない。
「……ふむ。お嬢様の真似をして、一度に全てを浄化することはやはり私には無理でしたか。お嬢様とは実力が違い過ぎますし、イメージも足りていません。ただ漠然と、出来そうにないという確信めいた感覚を覚えただけでしたか。……まずはあの堆積した腐敗物の除去をしていきましょう。『浄化』!」
腐敗物の山が、少し小さくなったような気がしました。
1度の『浄化』では除去しきることは無理でも、数をこなせばなんとかなりそうです。そのまま何度も『浄化』を繰り返すことで、1つの塊を完全に塵へと返すことに成功した。
視界の左上に映る魔力のゲージが半分にまで減っていることを確認する。
「やはり、『浄化』は魔力を多く消費しますね。しかしお嬢様の言う通り、毒や呪いを浄化するというのは、かなり手ごたえを感じさせます。今の行為だけで、スキルが2も上昇して16に上がりました。今度お嬢様にランスの魔法をお願いしなくては」
成長を褒めてもらう自分を想像し、頬が緩んでしまう。今の姿は、昔の自分では想像できないでしょうね。誰かに仕え、仕えた主人の為に生きる事こそが最上の喜びと感じていたのに。今ではそれと同じくらいに、お嬢様に褒めてもらう事が楽しみになっています。
再び視線を左上に戻す。
「不思議と言えば、お嬢様に頂いたこの『霊鉄のバゼラード』。持ち手の魔力が、自動で回復するという効果を聞いた時はよくわかりませんでしたが、このゲージが可視化された以上、理解せざるを得ませんね」
自分が主人の事を想っていたのは、たった数分程度だったはずだ。それなのに、もう魔力のゲージが7割近くまで回復している。これがもし量産されれば、魔法使いは無限に魔法を使えるのではないだろうか……?
本当にあの方は、素晴らしく、それ故に恐ろしい人です。
私の常識だけでなく、世界の秩序を壊しかねませんね。
その後、魔力が回復しては『浄化』を繰り返し、目に入る堆積物や腐敗物を除去することに成功したが、川の毒そのものを浄化するには至らなかった。
「くっ、何度やっても川の毒はそのままですね。お嬢様に聞けばコツを教えてもらえるのでしょうが、それではお褒めも少なくなってしまいます。それは絶対に嫌ですし、何より……」
悔しいじゃないですか。
リリもお母様も、お嬢様に褒めてもらうために色んなことを頑張っているのは、私自身よく知っている。ここで諦めてお嬢様にコツを聞きに行ってしまった場合……。もし、もしも、リリやお母様だけが褒められて、私だけが褒められないなんて事になったら……。私は耐えられない!
絶対にあってはならないことですが、嫉妬してしまうかもしれない。
そんな事になったら、自分の不甲斐なさも、嫉妬してしまう自分自身も、私はきっと許せない。
絶対に甘えては駄目だ。何としてでも自分で解決してみせなくては。
考えるのです、お嬢様は普段
この旅で何度か、お嬢様が
その度、不思議に思っていました。
あの方は自身がどんなに汚れていても、些細な汚れや髪のほつれであっても、ひとたび『浄化』をすれば、恐ろしいまでに、その日の朝、
もちろん肌の潤いや髪の煌きだけではありません。髪型のセットも、服装の皺も、お嬢様の香りも、何もかもです。
最初は偶然かと思いました。しかし何度か繰り返し見た結果、それは事実であると確信しました。朝のセットは私の仕事ですし、完成度のチェックは必ず行っています。その私が見間違うわけがありません。
不思議に思った私は問いました。『浄化』はそこまで出来るのかと。
お嬢様は答えました。
『髪や服の皺は風魔法とか水魔法とかを併用しているよ』と。
……いえ、そうではなく!!
お嬢様は割と自堕落なところがあったり、必要なところが抜けてたり、大事なことを忘れることが多かったり、天然なところもあってそこがまた可愛らしいのですが……んんっ!
自分の容姿の事となると、完璧主義者です。朝のセットでは1ミリたりともズレを許しません。
初めてお世話をさせていただいた時や、初めての髪型をセットさせていただく時には、必ずその片鱗が伺えました。私がセットを完成させた途端、ズレを一目で見抜き、素早く直すのです。
恐らく無意識なのでしょう。私がミスを謝ろうとしても、修正した行為を認識していないせいか、何に対しての謝罪なのか、すぐにはわからないご様子でした。
試しに私の仕事を返上して、お嬢様1人で朝のセットをお願いした時がありました。その結果は、以前にセットした時と全く同じでした。
普通、髪型や服装などは、たとえ同じ物であっても、その日の気分で多少の誤差は発生するものだと認識しています。しかしお嬢様にとっては、ご自身の完成された姿は、何があっても不変なのでしょう。
何がお嬢様をそうさせるのか、気がかりなところではありますが……今は後回しにしましょう。
先ほどの通り、お嬢様は自身の一番ベストな状態を、常に意識しているのです。ですから『浄化』をする度に、風と水魔法を併用させ、朝の正常な状態へと戻せているのでしょう。
話を戻しますが、『浄化』による正常化も同じことが言えるのではないでしょうか。
『今』の穢れた状態と、『元』の正常な状態。そこにある『差』を理解し、魔法の力を借りて『異常』を消し去ることで、完全な『浄化』となる。……イメージの理屈を考えている間に、魔力は全快したようです。やれるだけやってみましょう。
「……お嬢様、今だけは詠唱することをお許しを。――――、――――『浄化』!!」
汚染された水を見据え、お嬢様が浄化しきった綺麗な水を思い出し、その差である毒素と呪い、瘴気を消し去るイメージを整え、持てる魔力全てを用いて、『浄化』を行使する。今回はお嬢様を称える讃美歌ではなく、イメージを言葉にしただけなのできっと許してくださるだろう。
イメージと魔力を集約させ、足元付近の水から、段々奥へと対象を広げていく。対象となった水は光り輝き、それに比例して魔力も消費されていく。
◇◇◇◇◇◇◇◇
気付けば、心配そうな顔をした人に声を掛けられていた。
「おい、君! 大丈夫か!」
「……わた、しは。……気を、失っていたのですか」
揺すられ、襲い来る頭痛に耐えながら視界を動かす。……ああ、魔力ゲージが1割を切って点滅している。魔法の枯渇による気絶ですか……。まさか夢中になって『浄化』を使い続けた挙句の気絶とは、他が疎かになるお嬢様の事を注意出来ないではありませんか。
このようなヘマ、お嬢様に見られず済んで良かった。失望、はされないまでも揶揄われていた事だろう。……むむ。この件でお嬢様に揶揄われるのは何だか癪です。
このことは内密にして頂かなくては。
「ゴホン。いえ、少々立ち眩みをしました。私は気を失ってはいません。いいですね?」
「うん? ……ああ、何ともないのなら良いんだが。無理はしないでくれ」
お話をしている間に、体の状態も落ち着いてきました。魔力も2割ほど……動くには問題ありません。
お嬢様のバゼラード、よし。
マジックバッグ、よし。
飛び道具に隠し武装、よし。
何も失ってはいませんね。男は私の様子を気にも留めず、感慨深そうにつぶやいた。
「君が川に何かをしているのを遠くから見ていたんだが、やはり悪さを働いていた訳ではなかったようだ」
男の視線を追うと、透明な水が流れる、正常な川が視界に入った。
その何処にも淀みはなく、一瞬出来過ぎた結果に、目をこすってしまう。
「私が、これを……」
「はは、自覚が無かったのかね? いや、それほどまでに必死になってくれていたのか。これほどの御業、私ですら目にしたことは無い。奇跡としか思えんよ」
奇跡ですか。確かに少し前までの私では、これほどの力を振舞う事は出来なかったでしょう。このような力の行使を、容易く人に教えられるあの人の存在こそが奇跡とも言えますね。
「ああ、私達の街の象徴でもある、ナイングラッツの川の煌き。この光景は8日ほど前までは、誰しもが当たり前のように享受していたのだな。……たった8日か。何年もこの光景を見ていなかった気さえするよ。本当に長く、辛い時間だった。……ありがとう旅の方。私たちの誇りを取り戻してくれて」
『
しかしこの男、若い身なりですが貫禄がありますね。要職の人間でしょうか。
「この街を助ける事は、我が主が望まれたこと。ですがその言葉、ありがたく頂戴します」
「うむ。今この街は未曾有の大混乱だ。すぐにお礼が出来ないのは心苦しいが、この街の存亡をかけた戦い、可能であれば手を貸してくれると助かる」
「元よりそのつもりです。微力ながら力を貸しましょう。ですが、その前に家族で一度集まり、情報の交換をする予定なのです。すぐに解決に取り掛かれないところはご容赦を」
「とんでもない! 君のような優秀な人に助力してもらえるだけでも大助かりだ。……ふむ。情報ということなら、私も手伝えると思う。同行しても構わないだろうか」
おや、それは願ったりですね。この者は街の内情にも詳しそうですし助かります。しかし、どうもこの顔には見覚えがあります。私の記憶に間違いがなければ恐らく……。
不確かな人間を家族に近づける訳にはいきません。きちんと聞き出しておかねば。
「それは構いませんが……。しかし、貴方の事はどこかで見たような気がします。失礼ですがお名前をお伺いしても?」
「これは失礼、挨拶が遅れてしまった。私はこの街の領主、グラッツマン子爵だ。よろしくお願いするよ、
◇◇◇◇◇◇◇◇
『探査』で得たマップの情報を頼りにしながら、街の様子を調べていく。シェルリックスとは違い、どうやら屋内で大人しくしている訳ではなく、ある程度は人の流れがあるようだった。ただそれでも活気があるわけではなく、皆顔に生気がない。
症状が重い人はどれだけ酷い事になっているのか分からないけれど、あんな川の近くで生活を続けていたら、体を壊しても仕方ないわ。アリシアちゃんが様子を見に行ったけど、大丈夫かしら? あの子は私たちの中で一番の年長さんだし、強いのも知っているけれど、娘であることに変わりはないもの。心配だわ。
ただアリシアちゃんには、いざとなったら自前の魔法で回復が出来るし、シラユキちゃんからは予備の回復薬も全員が常備することを厳命されているのよね。リリがあの洞窟で、回復薬のおかげで一命を取り留めたと聞いて、シラユキちゃんの中で回復薬の重要性が高まったみたい。
それにしても元気のない街の人の様子を見ると、しばらく前までの自分の状態を思い出すわ。あの時の私は、人前では問題ないように振舞ってはいたけれど、1人の時はあんな風だったわね。全身を覆うような倦怠感。度重なる頭痛や吐き気、仕舞いには咳に血が混じり始めて……。
その頃にはリリにもバレてしまって、『リト草』や『ゲドク草』を採りに友達と出かけるのが当たり前になったころ、あんな目にあってしまった。
あの頃の事を思い出すと、今でも怖くなってしまうわ。その問題の1つ1つを、シラユキちゃんが解決してくれたけど、あの子が現れなかったらきっと……。
シラユキちゃんには今尚お世話になりっぱなしだわ。感謝してもし足りない。あの子が望むなら、何だって叶えてあげたい。今はママとして、めいっぱい甘やかしてあげましょう。
「はぁ、シラユキちゃんの事を考えるだけで幸せな気持ちになっちゃうわね」
考え事をしている内に、冒険者ギルドに到着した。中の様子は『探査』で丸わかりだった。リリを示す青点の周りに、青い縁の白丸がいくつも取り囲んでいる。あの子の無邪気さは皆を笑顔にしてくれるのよね。誰一人として赤い縁がないことからも、安心して見に行けるわね。
……シラユキちゃんの披露する知識や力は、どれも驚愕するほど便利な物や素晴らしい物ばかりだけれど、ママとしてはやっぱりこの『探査』が一番すごいと思うわ。
だって、人の心。
「この力、本当に公開して大丈夫なのかしら……」
考え始めたら急に不安になってきたわ。これは私1人で抱えていたらダメな話ね。議題として、次の家族会議であげましょう。自分だけで勝手に判断して、結果家族を危険に巻き込んでしまうなんて、もうコリゴリだもの。
「よし。それじゃあ行きましょう。……こんにちはー」
中へと入ると、一際騒がしい一団が目に入った。中心にいるのは可愛い一人娘……いいえ、三姉妹の末っ子のリリね。女の人だけでなく、強そうな男の人からも好意的な視線を浴びて可愛がられているわね。皆お酒とかお水とかを飲んでて、リリのあれはジュースかしら。きっと奢ってもらったのね。
……この街での水分補給は、ちょっと敏感になるべき事項だけれど、あれは大丈夫なのかしら。でもゲージに変化はないし、大丈夫、なのよね??
オロオロしていたら、私に気が付いた冒険者さんが手招きしている。
「あっ、そこにいるのはリリちゃんのお姉さんでは!? こっちへどうぞ!」
ふふっ、どこにいっても姉妹に見られちゃうのよね。初見で母娘と見抜いてきたのは、私より背の低いノームさん達くらいだったわね。
少し前までは可愛いと褒められても戸惑うだけだったけれど、最近はシラユキちゃんが全力で褒めてくれるから、可愛いと褒められるのも悪くないと思えるようになったわ。
あ、リリも気付いたみたい。ふふ、幸せそうな顔で手を振ってるわ。
こっちまで笑顔になっちゃうわね。
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