#9

 ノルベルトの定期メンテナンスの為に加賀野井と紋田のマンションに訪れた小寿は、彼らが用意してくれた色とりどりのドーナッツに瞳を輝かせる。


「わあ、かわいい!」


「好きなだけ食べていいわよ~。いつも頑張ってくれてるからね~。」


「ありがとうございます!甘くて美味しい!」


「小寿ちゃん本当に甘いものとかわいいものが好きね。」


「はい、好きです。かわいいものに囲まれていたい。」


 加賀野井は三人分のコーヒーを淹れて来た。目にはくまがあり、あまり眠れていないようだ。大きなあくびをしながらノルベルトの点検を始める。


「加賀野井さん、ちゃんと休んでいますか?疲れていそうですが。」


「うん、ここ最近ちょっとノルベルトの機能拡張ができないか研究をしているんだ。まあ楽しくてやっているから苦じゃないよ。」


「少しくらい休みなさいよ、加賀野井くん。私みたいに八時間くらいちゃんと眠る方が効率上がるんじゃないの?」


「そうかも知れないけれど、僕の集中力はスケジュール通りにいかない一過性のものでね。その時ノッてたらその間にやるのが一番性に合っているのさ。」


 すると玄関が開き、戸土井が入ってくる。手には高級マカロンを持っており、皆に手振りで挨拶をすると、目を輝かせている小寿に渡す。


「おや、もう既に甘いものを食べているところだったかい。まいったな。」


「あら、戸土井さん、今日来る予定でしたっけ?」


「いや、たまたま近くで用事があったんでついでに寄ってみたんだ。小寿ちゃんも来る日だったのを思い出してね、お土産と言うわけさ。」


 そう言って戸土井は小寿にウィンクを送る。


「ありがとうございます、戸土井さん!カラフルでかわいい!」


「良かったわね、小寿ちゃん。」


「山入端さん、そんなに食べたら太るんじゃないの……?」


 四人はコーヒーを飲みながらのんびりと時間を過ごしている。彼らと小寿は年齢が離れているし、高校生と大人というのは、年齢とはまた違ったギャップというものがあるものだが、それでも小寿は彼らと過ごす時間に安心感を抱いていた。


 紋田は面倒見が良く、小寿に色々とお下がりの服を与えたり、化粧品やお菓子などいろいろな女の子らしいことを教えてくれた。加賀野井はマイペースだけれど、憎めない人で、いつもノルベルトと小寿の関係を自分の子どもたちを眺めるような優しい目で見守っていた。戸土井はあまり彼らの場所には現れないが、知的で細かい気遣いや大人の余裕が小寿を安心させた。


 良明を失って沈んでいた彼女を親身になって支えてくれたのも彼らだった。小寿は今自分が折れることなく二本の足でしっかりと立てているのは、東京で知り合った学校の友人や、彼らのような仲間が自分に優しく接してくれたお陰だと思っている。彼らの気持ちに報いたい。しかし彼らとてそうなのだ、彼女がいるからF.Y.D.の被害者を出さずに済んでいる。その活躍に心から感謝していた。


 彼らの関係は良好だった。F.Y.D.の被害者をなくす、それだけの為に集まった彼らだったが、同じ目的を持つのみならず、気付けば互いに信頼関係を築いていた。


「そう言えば皆さんはどうしてソフトブリテンを発足したのですか?」


 その質問に対して三人は少し間を置いて、やがて戸土井が話し始める。


「うん、そうだね。キミにもちゃんと話しておいた方がいいか。よし、正直に言おう。僕はF.Y.D.プロジェクトに投資していた実業家のひとりだ。」


 その言葉を聞いて小寿は身を固くした。自分の幼馴染を死なせたプロジェクトに加担していたという事実は、彼が直接的な原因でなくとも、彼女に少なからず警戒心を抱かせた。


「まあ、待ってくれ。確かに僕は関係者だったが、危険なことが判明してからプロジェクトの中止を唱えていた。このソフトブリテンにしてもそうだ、僕が発足した。F.Y.D.システムの基礎を盗み、加賀野井くんに協力してもらい、介入システムを完成させた。僕は味方だ。」


「……分かりました。信じます。」


「ありがとう。まあ、とにかく僕は自分の参加したF.Y.D.に責任を感じている。他のプロジェクト参加者はそれぞれこの問題を放置しているが、僕は見て見ぬ振りをできなかった。これがソフトブリテン発足のきっかけだ。」


「私は恋人が被験者だった。そして帰らぬ人になった、それだけよ。恋人の行方を探していたとき、その情報を教えてくれたのが戸土井さんだった。」


「僕はF.Y.D.の技術者ではないけれど、戸土井さんに技術面でF.Y.D.の相談をたまに受けていたんだ、それでこのシステムに関して興味を持っていた。そしたらプロジェクトの中止とともにF.Y.D.の暴走が起き、問題を解決するために僕に声をかけてくれたと言うわけさ。僕は紋田みたいに命を賭けるような理由を持ち合わせていないように見えるかも知れないが、この技術にはとても執着している。それこそ命を賭けて良いくらいに。僕はF.Y.D.の基礎となってる夢エネルギー変換の秘密を知りたい。」


 三人はそれぞれ多くは語らなかったが、小寿は彼らのF.Y.D.の問題に当たるその理由を知ることができた。それだけのことだったが、彼女は彼らへの信頼感を改めるような気持ちになった。自分だけが自分の理由に固執していて、他の人間は一つの思想で一丸と想像していたので、肩身の狭い思いを少なからずしていた。その為、全員が各々の理由でこの組織に参加していることが知れて安心したのだ。


「私は、自分だけが我儘にこの仕事に当たっているんだと思っていました。あ、その、悪い意味ではないです、が、皆それぞれに想いがあるのだって知れてよかった。」


「まあ、全員がエゴを隠さずにこれに当たっているよ。僕はこれで良いと思っている。良いじゃないか、目的は同じだ。」


「私は世界を救うとか言われてもピンと来ないからね。恋人の無念を考えるほうがリアリティがあるわ。その方がモチベーションになる。」


 そのときアラートが鳴る。落夢を報せるものだ。紋田が急いでディスプレイを確認する。そこには落夢が発生した地点を示す地図と、出現した夢世界のステータスが表示されている。


「場所は杉並区の方ね、対象者は男性。なんてこと、夢世界内で活動する生命体の身体的特徴からまだ小学生くらいの子供だわ。」


「え!?大丈夫なんですか!?精神の影響とか。」


 通常、落夢の検知にはタイムラグがあり、検知した頃には既に数時間が過ぎていることが多い。夢世界では時間の流れが現実世界と違い、多くの場合は加速している。こちらの世界の数時間が、夢世界では既に何日も、場合によっては一ヶ月くらい経っている可能性がある。時間の進み具合は夢世界によって差異があるので一概には言えないが、たいてい小寿が夢世界に行くまでに、夢の主はその世界で数日以上過ごしている場合が多い。


「夢世界の精神感応の度合いは年齢差よりも、夢世界そのものの性質の差の方が大きいはずよ。夢世界が優しいものであれば精神に対する悪影響も緩やかなものであるはず。」


「優しい世界であることを祈るしかないですね……。すぐに行きます。」


「すまない、小寿ちゃん。せっかくの休息中なのに。キミに頼るしかないのが情けないよ。」


「いいんです。私が望んだことです。」


「ありがとう。現場付近へは僕の車で送るよ。電車で行くよりは早いだろう。」

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