第347話 鬼の逆鱗

 本来ならば美しい草原が広がっていたそこは、砂塵が舞う荒野と化し。

 至る所にクレーターが形成され、壮絶な戦闘があった事を物語る光景を、飛び散った血液が地面を赤く染め上げて色付ける。


 そんな熟練の兵士であっても目を背けるであろう光景の中で、煌めくような美しい黄金の髪を揺らして1人の美女が静かに佇む。

 見に纏う純白だった軍服は赤く染まり、白磁の様に美しい肌は血で濡れている。


「ぅゔ……」


 絞り出すように漏れ出た呻き声が荒野にこだまする。

 それと同時に、統一神界を取り囲むように点在する巨大なエネルギー。

 その中でも特に強大なエネルギー同士の衝突を正確に感じ取り……


「あら、どうやら向こうも始まったようね」


 頬に飛び散った血を左手の甲で拭い、血を拭った手の甲をペロリと舐めて微笑みを浮かべる。


「ねぇ、貴方はどっちが勝つと思うかしら?」


 この惨たらしい光景を、たった1人で作り出した美女。

 ルーミエルの眷属にして、全ての吸血鬼の頂点に立つオルグイユがコテンと首を傾げて問い掛ける。


「ぅ……」


「どちらが勝つと思うか、と聞いているのよ?

 私は今、凄く機嫌が悪いの。

 イラついて殺しちゃいそうになるから、質問にはしっかりと答えてくれないかしら?」


 声に苛立ちが混ざるオルグイユの鋭い視線の先にいるのは、苦痛に顔を歪める1人の男。

 男の名はアースロー。

 魔皇神4位にして、ヴィスデロビアが眷属の一角。


 そんな男は今、オルグイユの華奢な右腕によってその体躯を持ち上げられ、その手がアースローの首を締め付ける。

 オルグイユの細い指がアースローの首にめり込み、ピチャっと首から滴る血が地面に跳ね……


「ゔっ! ゴフッ……!」


 ゴキュッ


 鈍い音が鳴り響き、アースローが噴き出した血がオルグイユの頬にへばり付く。


「あら、ごめんなさい。

 でも早く答えてくれない貴方が悪いんですよ?」


 ドサリ


 オルグイユがパッと手を離すと、アースローは力無く地面に落下して倒れ伏す。

 超越者の中でも上位者にあたるアースローは首が折れようが、例えもげたとしても死にはしない……いや、死ねない。


 本来なら頭部が消し飛んだも瞬時に回復するハズの自己修復の治りは遅く。

 負ったダメージで立つ事もできずに、少しでもこの化け物から遠ざかろうと血に濡れた地面を這う。


「ふふふ、どこに行くのですか?」


「ひぃ! く、来るな! 助けてくれっ!!」


 そこに魔皇神4位としてプライドなど既に存在しない。

 そんなモノはこの女と遭遇してすぐに打ち砕かれた。

 今のアースローの心を支配するのはオルグイユへの恐怖心。


「助けて? かのヴィスデロビアの眷属ともあろう者が命乞いとは情け無い」


 パチン!


 次の瞬間。

 突如として地面から大量の細く巨大な赤黒い槍が林のように立ち上り、アースローを空中に貼り付けにする。

 別に身体に刺さっている訳でもないのに、雁字搦めで身動きが取れないアースローは微笑んでいた化け物の顔から表情が抜け落ちているのを見て恐怖に顔を痙攣らせる。


「お前はルーミエル様を侮辱した。

 助けて貰えると本気で思っているのか?」


 凄まじい殺気。

 ただオルグイユから殺気が放たれただけで、地面に亀裂が走り大気がまるで恐怖しているかの様に震え出す。


 アースローは、彼は犯してはならない禁忌に触れた。

 ただでさえルーミエルと離れ離れになり、超絶機嫌が悪かったオルグイユに対して……


「確か……『可哀想に、馬鹿で愚かなあんなガキがボスじゃ無かったら俺に遊ばれる事も無かったのにな。

 まぁでも安心しろや、あのガキは見た目は良いし、あぁ言うのが良い変態もいる。

 主従一緒に俺達が遊んでやるぜ?』 だったか?」


 そう、アースローは鬼の逆鱗に触れてしまったのだ。

 かつてフォルクレスをして、シングルの数名は食うほどの強者だと言わしめたオルグイユの逆鱗に。


「ルーミエル様を侮辱し、あまつさえ弄ぶ様な発言……万死に値する」


 まるで虫けらでも見るようなオルグイユの視線がアースローに突き刺さる。


「死に至るその瞬間まで苦しみ、悔い改めろ」


 拘束されたアースローの周囲に浮かぶ、血で造られた無数の剣。

 その切先は全てアースローへと向けられており……


「そして心優しいルーミエル様のご慈悲に感謝しながら死になさい」


 踵を返したオルグイユの背後で、くぐもった悲鳴が鳴り響いた。

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