第13話

 その日から、美羽は鏡を見るたび、わずかな違和感を抱くようになった。


 洗面所の鏡、スマートフォンの前面カメラ、電車の窓――


 “映っている美羽”が、ほんの少し、動きが遅れている。


 最初は疲れだと思った。目の錯覚。偶然のタイミング。


 けれど、それは少しずつ、明確に“ズレ”を持ちはじめていった。




 月曜日の朝。

 美羽は、登校中にふと足を止めた。


 小学校時代の記憶が――改ざんされていた。


「朱音って、昔から一緒だったよね?」


 麻理が笑顔で言った。


 朱音。そう。親友。中学からじゃなかった? いや、小学3年の時にはもういたはず……?


 写真。アルバム。LINEの履歴。


 すべてに、朱音がいた。


 でも、美羽の中の“感情”だけが、首を横に振っていた。


(おかしい。こんなに鮮明なはずなのに――“懐かしさ”が、ない)




 放課後、美羽は鏡守の間を訪ねた。


 老婆は、美羽の顔を見るなり呟いた。


「もう、始まっておるな」


「“反射体”が、君の意識と重なってきた。朱音を戻そうとした代償じゃ」


「代償……?」


「思い出そうとしたことは、すなわち“新たな存在”として構築すること」

「君が“あの子”を強く思うほど、朱音は“朱音ではない何か”として世界に滲み出す」


「その影響が、君にも出始めておるのじゃ」




 その夜、美羽の夢に“鏡のない部屋”が再び現れた。


 そして、そこに座っていたのは朱音……ではなかった。


 美羽自身だった。


 けれど、表情が違う。目に光がない。

 何かが“抜け落ちたような顔”。


 そして、夢の中の“もう一人の美羽”が、ゆっくりとこう囁いた。


「あなた、わたしを見ていたんだよね」

「ずっと前から、ずっとずっと――鏡越しに」

「でもそろそろ、“入れ替わって”いい頃じゃない?」




 朝。

 制服のポケットから、一枚の手紙が出てきた。


 自分の字だった。


 ――“わたし”はあなた。だから、あなたは“もういらない”――


(……誰が書いたの?)


 確かに、自分の筆跡なのに、書いた覚えがない。


 鏡を見る。映っているのは、美羽。

 でも、その唇がゆっくりと動く。


 「“わたし”はあなた。だから、あなたは“もういらない”」




 鏡が、笑った。


 スマートフォンの画面に映る自分が、まばたきしない。


 電車の窓に映る顔が、口を裂いて笑った。


 廊下を歩く美羽の後ろで、足音がずれて重なる。


 自分の名前を、クラスメイトが口にするとき、

 なぜか「どっちの“美羽”のこと?」と、聞き返したくなる。




 夜、美羽の部屋の鏡が、ついに“音を立てて”ひび割れた。


 そこに、もう一人の“美羽”が立っていた。


 白い制服。瞳に色がない。

 だけど、完璧に“自分”だった。


 彼女は、鏡の向こうから問いかけた。


「あなたの名前は、何?」

 美羽は、言葉が出なかった。


 その代わりに、“もう一人の自分”が、笑って答えた。


「わたしの名前は、“ミウ”。本物の、“ミウ”」




#ホラー小説

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