【ゆうべは お楽しみでしたね】
「ゆうべは お楽しみでしたね」
皮肉を込めて、チェックアウトする勇者に声を掛けた。勇者は私の言葉を聞いて、少し動揺した後、ムッとした表情をして宿泊料金をカウンターの上に置く。昨夜、宿泊した、この勇者には連れが居た。この国の第二王女である。
ったく。ここはラブホテルじゃないんだぞ?
私は城下町で宿屋を経営している。そんなに大きくはないけれど、冒険者が頻繁に訪れる宿だ。メインストリート沿いにあるというのもあって、割と繁盛している。
宿泊客は、近くの国の王様から命を受けて旅立った冒険者が多い。ここは
カウンターを出て、宿泊部屋のある二階への階段を登ろうとした
「エルランドさん!おはようございます!」
入ってきたのは、近くの山に住む魔女だ。まだ10代後半の可愛らしい少女。店で使う消毒液や石鹸などを定期購入しているので、月初めには、こうして商品を売りにやって来る。
「ああ、魔女さん」
「エルランドさん、いつもありがとうございます。早速ですが、今月の商品のご確認よろしくお願いします」
「はいよ」
魔女は背負っている大きなバッグから、数個の消毒液と石鹸を取り出してカウンターの上に置いた。それを一つ一つ確認して、代金を支払う。
「しかし今日は暑いね。ご苦労様」
「そうですね。今日はここ数日で一番暑いですね!」
魔女は汗を
「そういえば、エルランドさん、聞きました?来週、隣町からサーカスが来るんですよ」
「へえ!」
「多分、観光客も沢山来るし、サーカスの人たちもエルランドさんの宿に泊まるかも知れませんね」
商売上手だな、と私は思った。
「はいはい。じゃあ、消毒液と石鹸、少し多めに貰おうか。あと、ポーションも欲しい。疲れた客は
「ありがとうございます」
そう言って、魔女はバッグから商品を取り出した。商品を改めて確認して、料金を支払う。
「では、私はこれで」
魔女も私の支払った銅貨を確認して、笑顔で頭を下げた。若いのに、その商才には脱帽である。
「サーカスか……」
私は魔女が出て行くのを見ながら、何度か
ベッドメイキングを終えて、受付に戻ると、そこに一人の女性が居た。慌てて受付カウンターに戻る。露出度の高い服装を着ていて、目のやり場に困った。踊り子だろうか?女性の薄い布で覆われた肢体を見て、目を
「こんにちは。部屋を借りたいのですが」
「はい。どのお部屋にしましょう?」
「夫と二人で宿泊したいので、ツインかダブルの部屋があれば嬉しいです」
「
踊り子なのに、何処か品を感じさせる
「こちらになります」
彼女を通したのは、少し値の張るダブルベッドの部屋。これは私の勘だが、恐らく彼女はやんごとなき身分の女性だ。歩き方や話し方で分かる。だから私はわざと通路の奥にある、あまり人目につかない部屋を選んだ。
「良い部屋ですね」
彼女は微笑んで言った。
「お気に召しましたか?では、台帳に記名をお願いします」
キーを取りに二人して、一階に向かう。
「はい。あ……」
「どうかなさいましたか?」
「いえ。そういえば私、最近結婚したので、姓が変わったのを思い出しました」
あらあら、と嬉しそうに彼女は笑った。
「こういう些細なことで、幸せを感じられるのって、いいな、と思いまして」
「素敵ですね」
サラサラと台帳に記入した名前を見て、私は沈黙した。
サラ・シュナイダー。
シュナイダー……それははるか昔に、私が捨てた姓だ。偶然だろうか?それとも、運命だろうか。私は思わず
「どうかなさいましたか?」
「いえ、知人に同じ姓の者が居たので、少し懐かしくなっただけです」
「そうですか……」
サラ・シュナイダーも何かに気付いたようで、何度か
「で、ご主人はいつ頃、宿にいらっしゃいますか?」
「夕方には」
「承知しました。夕飯はどうされますか?」
「食べます。部屋まで運んで頂けますか?」
「はい」
私は、短く答えてカウンターの中に入った。サラ・シュナイダーは、ペコリ、と頭を下げて部屋へ向かう。その後ろ姿を見ながら、私は心の中に一抹の不安が
数時間後、
長い銀髪に紫色の瞳。サラ・シュナイダーと同じく、高貴な身分の雰囲気がする。
「こんばんは。こちらにサラという女性客が宿泊していると思うのですが」
「ああ、お連れ様ですね」
「はい」
「二階の奥の部屋です」
ありがとうございます、と一礼して男は二階へと上がった。その後ろ姿を見て、私は胸に懐かしい感情が去来するのを感じる。
サラ・シュナイダーとその夫は、それから数日間、滞在した。
最終日、丁度サーカスが街にやって来た日。二人はサーカスを見に行って、そのまま地元の街に帰ります、と言って宿泊料金を払った。私は本当は何か言葉を掛けたかったけれど、結局何も言う事が出来ずに二人を見送った。
あの男は、魔王、フィルズ・シュナイダー。
私の実の息子である。
恐らく、あの女性は何処かの国の貴族か何かだろう。二人の逃避行を少しでも手伝う事が出来たら、という想いで私は店の看板を「close」にして、外へ出た。サーカスに
私は臆病な男だ。
勇者の強さを目の当たりにして、魔族を見捨てて逃げ出した、臆病な男だ。
そして、私は父親でもあった。
魔族だけでなく、私は……当時まだ赤子だった息子をも捨てたのだ。
しかし、私は父親だ。
あの時のことを償えるとは思えないが、息子が幸せになるのなら、この身を
サーカスに向かうと、そこにはテントの中に入って行く二人の姿があった。私は二人に近づいて、声を掛けた。
「サラさん」
「あら、宿屋のご主人。どうかなさいましたか?」
「あの……えっと……」
しどろもどろになった私を見て、息子もサラ・シュナイダーも、困惑している様だった。
「サラさん。これ、忘れてましたよ」
「……」
私は懐の中から、高級ポーションと金貨が数枚入った布袋を渡した。そっと、サラ・シュナイダーに目配せをする。
「ありがとうございます、ご主人。では私達は、西の国に帰ります。御達者で」
頭を下げるサラ・シュナイダーに、一礼を返して、私は宿に戻った。
数時間後、街に憲兵があふれ出す。
ああ、この街に居るのがバレてしまったんだな。
数人の憲兵がウチの宿にもやって来た。
「おい、銀髪の男と踊り子の夫婦を見なかったか?」
恐ろしい剣幕で、憲兵が私に尋ねてきた。
「その二人なら、数日間、滞在してましたよ」
「なんだと!?二人は何処に行くと言っていた?」
「何処に行くとは言ってませんでしたが、船のチケットを取ってましたね。東の国行きのやつです。もう直ぐ港から出る筈だと……」
「おい!港を押さえろ!」
憲兵達は急いで宿を出た。少しでも二人の助けになっただろうか。
二人の部屋を片付けていると、ベッドの脇にメモがあった。メモの上には銅貨が置いてある。チップか。筆跡はサラ・シュナイダーの物ではない。ということは、息子が書いた物か。
「ご主人、いつも美味しい食事を用意してくれて、ありがとう。ここ数日、妻ととても快適な暮らしが出来た。この礼は後日、必ず」
嬉しくなって、メモをベッド脇から持ち上げると、裏側にも何かが書いてある。
裏返すと、この様に書いてあった。
「追伸。結婚式には招待する。愛してるよ、親父」
タキシードを用意しないとな。私はメモを懐に仕舞って、少し泣いた。
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