【不器用ショコラティエ】
「俺、女の子も好きなんだよね」
その言葉にどれほど傷ついたか。今でも夢に出てくる。
僕は廉也のそんな弱味に付け込んだ。
僕は彼に好きだよ、と伝えていつも傍に居る様に命じた。それは鎖となって、廉也はずっと僕の隣に居る。
しかし中学生になったある日、廉也が笑顔で僕に言った。
「俺、彼女出来たんだよね」
僕は衝撃の余り、何も言えなくなって廉也の顔を覗き込んだ。廉也が僕以外の人を好きになる?そんな事は天地がひっくり返ってもありえないと思っていた。
「へえ、廉也、男が好きなのかと思ってた」
「俺、女の子も好きなんだよね」
端正な顔立ちの廉也に微笑みながら、そう告げられて、僕は心に深い傷を負った。
それ以来、廉也は数多くの女の子と付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返した。その度に僕の心はズタズタに切り裂かれて、
家族やクラスメートには、僕らの関係は秘密にしていたけれど、廉也は自分の彼女の存在は隠そうとはしなかったので、毎回彼女が出来る度に皆に公表していた。
彼女が出来ると、真っ先に僕に紹介してくる。最低な男。散々、僕の前でいちゃついておいて、隠れて僕にキスをするんだ。その度に嫉妬で殺したくなる。
今日も新しい彼女……陸上部のエースのシズカ?サヤカ?なんか、そんな名前の女と一緒に下校する、と僕に言ってさっさと帰ってしまった。
トボトボと帰路に着いた。僕の家は地元で有名な洋菓子店を営んでいる。店名は「ケーキハウス・ショコラ」。名前の通り、チョコレートが名物の店だ。店の裏口から家に入って、自分の部屋に戻った。そのままベッドに倒れこむ。疲れた。毎回毎回、廉也はどうしてあんなに意地悪をしてくるのだろうか?僕の事を嫌いになったのか?
少し眠って、起きると夕飯時だった。リビングに降りると父さんがキッチンに立っていた。
「おお晴彦、起きたか」
「うん。今日は父さんが夕飯を作るの?」
「ああ……ほら、もう
「一年で一番忙しい日だもんね」
「クリスマス、バレンタインデー……どちらも忙しいけど、ウチの店はチョコレートが売りだからな」
父さんは、どこか誇らしげだ。
「晴彦、進路は決めたのか?」
「うーん。まだ迷ってる」
「進学しないのか?」
「やりたい事がなくてさ……」
僕は少し遠くを見た。進学か就職かを悩んでいる時間より、廉也の事を考えている時間の方が長い。
「そうか……あ!今日、ちょっと店を手伝ってくれないか?夕飯を食べた後でいいから」
「いいよ」
「悪いな、助かる」
父さんはニコッと笑って、その場を後にした。キッチンコンロに置かれた鍋にはカレーが入っていた。父さんの作るカレーは、とても美味しい。廉也も大好きな一品だ。僕は廉也に今日、カレーだけど食べに来ないか?とメッセージを送った。直ぐに、五分後に行く、と返信が来る。
あんな酷い男なのに、会えるって思っただけで心が弾むのは何故なんだ。
廉也がカレーを平らげたのを見て、僕は彼の皿をシンクに沈めた。廉也は美味かった~、とお腹を叩きながら、ソファーに寝っ転がって、TVの電源を入れた。完全にリラックスしているようだ。
「廉也、僕、今から店の手伝いしてくるから、帰りたくなったら一声掛けてね」
「分かったよ」
廉也はこちらを一切見ずに、手をフラフラと振った。
バレンタイン一週間前にもなると、既に購入する人も居るので、店内はお客さんでごった返していた。勿論、誰しもが想い人へ気持ちを伝える為ではないだろう……恋人だけでなく、家族や同僚、友人に配る人も居る。それでも、皆が目をキラキラさせながらショーケースを見つめていた。
バレンタインデーか……。そういえば、僕は廉也にチョコレートを贈った事がなかったな。もし、チョコレートを渡したら、廉也は喜んでくれるだろうか?
そんな事を考えながら、レジでお客さんの対応をしていると、事務所の方から廉也が顔を出して、そろそろ帰るわ、と言ってきた。僕は、また明日、学校でね、と笑顔で送り出した。
チョコレート……どんなチョコレートを送れば、廉也に気持ちが伝わるだろうか?やはり手作りだろうか?仕事が終わって、店の片づけをしている時に父さんにチョコレートの作り方、教えてくれない?と聞くと父さんは少し驚いた顔をした。
「なんだ?急にどうしたんだ?」
「渡したい人が居て」
「男から渡すのは変ではないと思うけど……海外では、そういう習慣だしな。ただ、突然だな」
「ダメかな?」
「そうだなぁ……ここ数日は忙しくなるからなあ」
「父さん、お願い!」
僕の真剣な眼差しを見て、父さんは、う~んと
「まあ……店が終わってからなら」
「ありがとう!父さん!」
その日から、僕は授業が終わるチャイムが鳴るなり、家に走って帰った。店の手伝いをする事が、父さんから出された条件だったからだ。直ぐに制服に着替えて、レジに立った。バイトのお姉さんが、晴彦くんって頑張り屋さんだね、と言ってくれて、少し照れた。
廉也に放課後、何処か遊びに行こうぜ、と誘われても、ごめん用事があるんだ、と言って一目散に家に帰った。後ろ髪を引かれる。けれど、これもひとえにバレンタインデーの為だ。
店が終わると、父さんに色々な事を教わった。
「チョコレートはただ溶かして固めただけだと、パリッと固まらない。 チョコレートの温度を50℃まで上げて溶かした後、混ぜながら28℃まで冷ます。その後、30℃に温度を上げ、この温度をキープしたまま、コーティングしたり、薄く伸ばしたりする」
本格的なチョコレートを作る工程は、とてつもなく複雑だった。
けれど、廉也にこの想いを伝えたい!という気持ちが強くて、僕は決して折れなかった。何度も試行錯誤をして、
ホッとして、自室に戻って明日の事を考えた。鼓動が早くなって、僕は今日は多分、眠れないんだろうな、と自嘲した。
そして迎えたバレンタインデー当日。
廉也は朝から沢山のチョコレートを貰っていた。その事実に僕の気持ちは冷めてしまって、鞄からチョコレートを出す事が出来なくなってしまった。本当は渡したい。けれど、ここで渡すと数多くのチョコレートの内の一つにしかならないんだろうな、と思って落ち込んだ。
気持ちが萎えたまま、家に帰った。父さんが、どうだった?と聞いてきて、僕は思わず空元気で上手くいったよ、と嘘を
もう廉也の事は忘れよう……そう決心した時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。はい、と返事をする前に廉也が部屋に入って来た。
「廉也……どうしたの?」
「お前の親父さんに聞いたよ……『最近、晴彦がチョコレート作る練習してる。アイツ、ウチを継いでくれる気かな?』って」
「……」
「お前、継ぐの?」
「分からない……まだ決めてないよ」
僕は涙の跡が見つからないように、明るく答えた。
「おい、晴彦」
「なに?」
「チョコレート、渡せよ」
その言葉に逆らえなくて、僕は顔を伏せたまま、チョコレートを渡した。廉也は直ぐにラッピングを
「美味しい。お前、なんで学校で渡してくれなかったの?」
「渡せなかったんだよ。廉也、女の子から沢山貰ってたし、
「渡してくれれば良かったのに」
廉也は僕にキスをして、目を見つめながら
「お前、ホワイトデー覚悟してろよ?」
その言葉に僕の心は甘く沈んだ。
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