【不器用ショコラティエ】

「俺、女の子好きなんだよね」

 その言葉にどれほど傷ついたか。今でも夢に出てくる。


 高杉たかすぎ廉也れんやは僕、若田わかた晴彦はるひこの幼馴染だ。家が隣同士だった事もあって、幼少期から交流があった。廉也は小さい頃、ネグレクトを受けていて、それに気づいたウチの両親がよく廉也を家に呼んで、ご飯を食べさせたり、お風呂に入らせたりした。その事を恩義に感じたのか、廉也は僕の事をいつでも大事に思ってくれている。


 僕は廉也のそんな弱味に付け込んだ。


 僕は彼に好きだよ、と伝えていつも傍に居る様に命じた。それは鎖となって、廉也はずっと僕の隣に居る。


 しかし中学生になったある日、廉也が笑顔で僕に言った。


「俺、彼女出来たんだよね」

 僕は衝撃の余り、何も言えなくなって廉也の顔を覗き込んだ。廉也が僕以外の人を好きになる?そんな事は天地がひっくり返ってもありえないと思っていた。


「へえ、廉也、男が好きなのかと思ってた」

「俺、女の子も好きなんだよね」

 端正な顔立ちの廉也に微笑みながら、そう告げられて、僕は心に深い傷を負った。


 それ以来、廉也は数多くの女の子と付き合っては別れ、付き合っては別れを繰り返した。その度に僕の心はズタズタに切り裂かれて、瘡蓋かさぶただらけ。廉也に僕の事は好きじゃなくなったの?と聞くと、お前が一番好きだけど、お前、女の子じゃないじゃん、と笑った。男としては僕とキスする仲だけど、女としての欲求はお前じゃ満たせないんだよ、と廉也は無邪気に笑った。


 家族やクラスメートには、僕らの関係は秘密にしていたけれど、廉也は自分の彼女の存在は隠そうとはしなかったので、毎回彼女が出来る度に皆に公表していた。


 彼女が出来ると、真っ先に僕に紹介してくる。最低な男。散々、僕の前でいちゃついておいて、隠れて僕にキスをするんだ。その度に嫉妬で殺したくなる。


 今日も新しい彼女……陸上部のエースのシズカ?サヤカ?なんか、そんな名前の女と一緒に下校する、と僕に言ってさっさと帰ってしまった。


 トボトボと帰路に着いた。僕の家は地元で有名な洋菓子店を営んでいる。店名は「ケーキハウス・ショコラ」。名前の通り、チョコレートが名物の店だ。店の裏口から家に入って、自分の部屋に戻った。そのままベッドに倒れこむ。疲れた。毎回毎回、廉也はどうしてあんなに意地悪をしてくるのだろうか?僕の事を嫌いになったのか?


 少し眠って、起きると夕飯時だった。リビングに降りると父さんがキッチンに立っていた。


「おお晴彦、起きたか」

「うん。今日は父さんが夕飯を作るの?」

「ああ……ほら、もうぐバレンタインデーだろ?店が忙しくなるから、その前に少しでも家族サービスしておこうと思って」

「一年で一番忙しい日だもんね」

「クリスマス、バレンタインデー……どちらも忙しいけど、ウチの店はチョコレートが売りだからな」

 父さんは、どこか誇らしげだ。


「晴彦、進路は決めたのか?」

「うーん。まだ迷ってる」

「進学しないのか?」

「やりたい事がなくてさ……」

 僕は少し遠くを見た。進学か就職かを悩んでいる時間より、廉也の事を考えている時間の方が長い。


「そうか……あ!今日、ちょっと店を手伝ってくれないか?夕飯を食べた後でいいから」

「いいよ」

「悪いな、助かる」

 父さんはニコッと笑って、その場を後にした。キッチンコンロに置かれた鍋にはカレーが入っていた。父さんの作るカレーは、とても美味しい。廉也も大好きな一品だ。僕は廉也に今日、カレーだけど食べに来ないか?とメッセージを送った。直ぐに、五分後に行く、と返信が来る。




 あんな酷い男なのに、会えるって思っただけで心が弾むのは何故なんだ。




 廉也がカレーを平らげたのを見て、僕は彼の皿をシンクに沈めた。廉也は美味かった~、とお腹を叩きながら、ソファーに寝っ転がって、TVの電源を入れた。完全にリラックスしているようだ。


「廉也、僕、今から店の手伝いしてくるから、帰りたくなったら一声掛けてね」

「分かったよ」

 廉也はこちらを一切見ずに、手をフラフラと振った。


 バレンタイン一週間前にもなると、既に購入する人も居るので、店内はお客さんでごった返していた。勿論、誰しもが想い人へ気持ちを伝える為ではないだろう……恋人だけでなく、家族や同僚、友人に配る人も居る。それでも、皆が目をキラキラさせながらショーケースを見つめていた。


 バレンタインデーか……。そういえば、僕は廉也にチョコレートを贈った事がなかったな。もし、チョコレートを渡したら、廉也は喜んでくれるだろうか?


 そんな事を考えながら、レジでお客さんの対応をしていると、事務所の方から廉也が顔を出して、そろそろ帰るわ、と言ってきた。僕は、また明日、学校でね、と笑顔で送り出した。


 チョコレート……どんなチョコレートを送れば、廉也に気持ちが伝わるだろうか?やはり手作りだろうか?仕事が終わって、店の片づけをしている時に父さんにチョコレートの作り方、教えてくれない?と聞くと父さんは少し驚いた顔をした。


「なんだ?急にどうしたんだ?」

「渡したい人が居て」

「男から渡すのは変ではないと思うけど……海外では、そういう習慣だしな。ただ、突然だな」

「ダメかな?」

「そうだなぁ……ここ数日は忙しくなるからなあ」

「父さん、お願い!」

 僕の真剣な眼差しを見て、父さんは、う~んとうなった後に溜息混じりに呟いた。


「まあ……店が終わってからなら」

「ありがとう!父さん!」


 その日から、僕は授業が終わるチャイムが鳴るなり、家に走って帰った。店の手伝いをする事が、父さんから出された条件だったからだ。直ぐに制服に着替えて、レジに立った。バイトのお姉さんが、晴彦くんって頑張り屋さんだね、と言ってくれて、少し照れた。


 廉也に放課後、何処か遊びに行こうぜ、と誘われても、ごめん用事があるんだ、と言って一目散に家に帰った。後ろ髪を引かれる。けれど、これもひとえにバレンタインデーの為だ。


 店が終わると、父さんに色々な事を教わった。


「チョコレートはただ溶かして固めただけだと、パリッと固まらない。 チョコレートの温度を50℃まで上げて溶かした後、混ぜながら28℃まで冷ます。その後、30℃に温度を上げ、この温度をキープしたまま、コーティングしたり、薄く伸ばしたりする」

 本格的なチョコレートを作る工程は、とてつもなく複雑だった。


 けれど、廉也にこの想いを伝えたい!という気持ちが強くて、僕は決して折れなかった。何度も試行錯誤をして、ようやく自分で満足がいく物が出来た。バレンタインデー前日。ギリギリ。


 ホッとして、自室に戻って明日の事を考えた。鼓動が早くなって、僕は今日は多分、眠れないんだろうな、と自嘲した。




 そして迎えたバレンタインデー当日。




 廉也は朝から沢山のチョコレートを貰っていた。その事実に僕の気持ちは冷めてしまって、鞄からチョコレートを出す事が出来なくなってしまった。本当は渡したい。けれど、ここで渡すと数多くのチョコレートの内の一つにしかならないんだろうな、と思って落ち込んだ。


 気持ちが萎えたまま、家に帰った。父さんが、どうだった?と聞いてきて、僕は思わず空元気で上手くいったよ、と嘘をいた。自室に入るなり、声を殺して泣いた。ぬぐっても拭っても、涙は止まらなかった。


 もう廉也の事は忘れよう……そう決心した時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。はい、と返事をする前に廉也が部屋に入って来た。


「廉也……どうしたの?」

「お前の親父さんに聞いたよ……『最近、晴彦がチョコレート作る練習してる。アイツ、ウチを継いでくれる気かな?』って」

「……」

「お前、継ぐの?」

「分からない……まだ決めてないよ」

 僕は涙の跡が見つからないように、明るく答えた。


「おい、晴彦」

「なに?」

「チョコレート、渡せよ」

 その言葉に逆らえなくて、僕は顔を伏せたまま、チョコレートを渡した。廉也は直ぐにラッピングをがして、一口食べて僕に言った。


「美味しい。お前、なんで学校で渡してくれなかったの?」

「渡せなかったんだよ。廉也、女の子から沢山貰ってたし、おおやけには渡せないし」

「渡してくれれば良かったのに」

 廉也は僕にキスをして、目を見つめながらささやいた。


「お前、ホワイトデー覚悟してろよ?」

 その言葉に僕の心は甘く沈んだ。


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