第六章 ②
今度は、リジェッタがオルムへと肉薄した。五指をそろえた右腕が巨大な槍となって標的を串刺しせんと迫る。
オルムが胸の前で両腕を交差させた。
すると、今度はオルムがはね飛ばされた。
これまでずっと冷静だったオルムの表情に、驚愕が浮かぶ。
「……これは」
「ふふふ。いかがですか?」
まだ宙に浮いたままでいるオルムとの距離を喰い荒らし、リジェッタは右足を振るった。床から天井へと半円の奇跡を描く。黒影に包まれたオルムが、腹部へと衝撃を叩き付けられ天井へと肉体を押し込まれた。瓦礫が雨のごとく散る。音が反響、粉塵が視界を覆う。
それでも、リジェッタの動きには淀みの欠片すらなかった。目が、耳が、鼻が、皮膚感覚が互いに足らぬ情報を互いに補填する。舌に移植された熱を観測する器官が、獲物の姿をあぶり出す。
「調子に乗らないでいただきたい」
腹部で衝撃が爆発した。リジェッタの身体が〝くの字〟に折れる。そのまま壁に激突、隣の部屋まで身体が飛ばされた。
赤い絨毯を転がり、リジェッタは咳き込んだ。鉄錆の味が口内に広がる。
「ようするに、魔造手術によって得た力を開放しているだけでしょう。まさか、私が対策していないとでも? 《偽竜》であるあなたは、その肉体を極限まで進化させすぎた。ゆえに、体力が続かない。その力は一時的なもの。ワイバーン騎士団の副団長である私が負ける道理などない」
いくら高性能なエンジンがあろうとも、燃料を入れる容器が小さければ力を出しきれない。
リジェッタの能力は確かに強大だ。しかし、それは魔法のような都合の良い奇跡で支えられたものではない。身体を動かせば体力を消費する。そんな当たり前の法則からはけっして逃れられないのだ。
「この身体はいわば破壊王代理の化身。無尽蔵の力は万物を退ける。いくら《偽竜》だろうとも、敵いませんよ」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
オルムが数歩後退する。
それは、恐怖だった。
夜道を歩いているとき、ふと影が別の生き物に見えたように。
得体が知れない、不明への不安だった。
リジェッタが笑う。それはそれはおかしそうに。この世全てのジョークを搔き集めても、ここまで楽しそうに喉を鳴らすだろうか。
とうとう目尻に涙を浮かべたリジェッタは穏やかに首を傾げた。
「まさか、あなた。私がなにも成長していないと本当に想っているのですか?」
リジェッタがオルムへと肉薄する。赤と黒の腕が激突し、火花を散らした。一回だけに留まらず《偽竜》はさらに追撃する。その攻撃、まさに嵐だった。
異変を感じ取ったオルムがわずかに目を見開いた。
「……新しく、魔造手術をおこなったのですね」
「ふふふ、ご名答です」
リジェッタへと爪が迫る。両手の指、合わせて十本の槍が鱗の上から叩き付けられた。今度はどちらも退かない。むしろ、一定の距離を維持したまま渾身のみをもって殴り合う。
オルムがリジェッタの後頭部を殴れは、リジェッタはオルムの腹部に膝を突き入れる。防御などない。互いに攻撃だけを選んだ。どれだけ傷付いても、先に相手が死ねば満足だと。
リジェッタの爪がオルムの右肩を切り裂いた。血霧が舞い、オルムの爪がリジェッタの腹部を突き刺す。細い爪を伝って滴った血が絨毯より真っ赤に染めた。
お互いに傷付き、死を押し付け合う。
照らし合わせたかのように同じタイミングで距離を取る。すると両者の肉体がみるみるうちに再生を始めた。最初から傷などなかったように治癒が続く。ただ、再生の速度はリジェッタの方が数段速かった。それこそが、決定的な優劣の差だった。
「今の私に、制限などない」
新しく生えそろった鱗が真紅に輝きを増して、リジェッタの戦意に応える。
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