第四章 ⑤


 十年以上前、南と東を分担させた戦争〝南東の大戦〟。その東側陣営を束ねていたのがマフィア、フェンリル騎士団であり騎士団長たるジャックスは常に最前線で戦い続けた。

 多くの命を救った。多くの救えぬ命があった。それでも、この街は真なる平和を得たとは言えない。

「ワイバーン騎士団は、他の三陣営と繋がっている。奴らは本当に、我が騎士団をここから追い出すつもりらしい」

「ならば、どうして動かないのですか? あなたが動けば、あの程度は枯れ木を折るようなものでしょう」

「だからこそ、動けん」

「おっしゃっている意味が、よく分からないのですか?」

 すると、ジャックスが笑みを浮かべた。

こちらを小馬鹿にする笑みを。

「ふっふっふ。汝が最初に喧嘩の売り買いをしたからである。自分で言っただろう? パーティーを始めると。なのに、我が主催よりも前に出るなんて無粋なことが出来ようか」

 まだ首をひねるリジェッタを見て、ジャックスが頬を掻いた。やれやれ、と目が言っていた。

「汝は、向こうの連中になんと言った?」

 想い出されるのは、オークション会場での会話だった。

『どなたでしょうか?』

『失礼。私、ワイバーン騎士団の副団長であるオルム・イースト・ライギニーネと申します。当騎士団がこの街で初めておこなうオークションに、掃除屋として高名なバトラアライズ様が参ったと耳に挟みましてこうして挨拶に向かった次第です』

『私がリジェッタです。オークションの開催、おめでとうございます』

『恐縮です。リジェッタ様とは良い関係を築けると願う次第です』

『花代は、しっかりと稼げていますか?』

『確かに私は、あの《魔狼》とそれなりの関係を築いていますが、必ずしも歩幅を合わせるわけではありません』

『なにかお困りでしたら、どうぞ遠慮なく声をかけてください。私が仕事を受ける条件はただ一つ、利益ですから』

 記憶を掘り起こし、意味を吟味していく。

 段々と、リジェッタの顔から笑みが抜けていった。

 まるで、潮が引いていくように。

 ジャックスが、答え合わせを始めた。

「汝は魔狼と共同関係ではないと言った。ワイバーン騎士団は、汝を討っても我らフェンリル騎士団が動く義理などないと判断したのだろう。だからこそ《偽竜》を討とうとした。分からぬか? なのに、我が己が騎士団を引っ提げて首を突っ込んでみろ。汝の信用は地に落ちるぞ」

 あの《偽竜》は、フェンリル騎士団に泣きつくほど〝弱い〟のだと。

「《偽竜》が本当の偽物になってしまう。そうなれば、お前が培った抑止という名の刃は錆びて朽ち果てるのみよ。汝が目指す最強など、所詮は紛い物だと、皆が笑うだろう。……折角我が《泥鼠》を通して汝に機会を与えたというのに。汝はいらぬことを言っただけだったな」

 元を正せば全て、リジェッタがいらぬことを言ったのがきっかけだった。ワイバーン騎士団を、新米だと侮らなければそれで済んだ話なのだ。だというのに、わざわざ上からの立場で余裕たっぷりに言ってしまった。

「私は独りぼっちです。と、言ったようなものであるな」

 いつの時代だって、弱者は強者の餌になる。そして、集団よりも孤の方が仕留めやすいと歴史が物語っていた。

「誰にも助けてもらえず、かつ、仕留めれば向こうの格が上がる。これほど格好の獲物などあろうか。汝は、自分で自分を〝腹の中を香草で満たした豚〟にしたのだ」

 ロデオやカレンが言った内容と、ほぼ同じ。お前はなめられたと。ただし、街を管轄する騎士団長から直接言われたとなれば、意味は大きく異なる。

 屈辱以外のなにものでもない。

「パーティーを楽しみしているぞ《偽竜》よ。我も、彼女達も、汝には期待しているのだぞ」

 自分から種をまいて自分で回収する。

 こうなると、自分でパーティー云々と言ったのが酷く滑稽である。

 レストランで『今日は私の誕生日だから皆で祝ってください!』と叫ぶようなものだ。羞恥の極みだ。

「なにを」

 頭で考えるよりも先に、口が動いた。

 それは、動揺だった。

「なにを、私に期待するというのですか?」

 リジェッタは困っていた。

「ならばこそ」

 ジャックスが顔を近付ける。

 こちらを真っ直ぐに見る。

「ならばこそ、二人に言われたことを想い出せ」

 また、リジェッタは記憶を掘り起こす。

『正義の味方になれとは言わない。それでも、果たすべきことがあるはずだ』

 ロデオはリジェッタをワイバーン騎士団と衝突させるのを前提で言った。

そこにどんな意味があった?

『お前、この街を変えてみないか?』

 すでに街を支配しているフェンリル騎士団ではなく、リジェッタを選んだ。

そこにどんな意味があった?

『ワシは狼を目指した。けれど、なれなかった。こうして、番犬になるのがせいぜいじゃった。……主は、違うだろう?』

カレンはリジェッタへと望みを託した。

そこにどんな意味があった?

『そうじゃ。これから、こんなことは挨拶代わりのように続けられるぞ。フェンリル騎士団を敵視する連中は多い。お前も、敵を増やすだけじゃろう。いつか、狂気は日常化する。しかし、それでは駄目なのじゃ。誰かが、楔にならんといけない』

 カレンは街を危惧していた。

そこにどんな意味があった?

『主が竜の、その先を目指すなら見てみたいものじゃ。無論、ワシだって最大限に協力する。ロデオだって、そういうつもりじゃて』

 孤独な戦いを独りにはしないと言ってくれた。

そこにどんな意味があった?

『くふふふ。なーに、良い頃合かと想うてな。この街も、そろそろ新しい風を吹かすべきじゃ。それこそ、竜のはばたきのように大きな風を』

 楽しそうに、カレンは言った。

そこにどんな意味があった?

『ああ、それでええ。つまらんしがらみなど、全部吹き飛んだ方がマシじゃろう。《偽竜》の働きを、ワシらは願っている』

 皆がリジェッタを独りでワイバーン騎士団と戦わせるために口裏を合わせていた。だが、それはけっして街の嫌われ者を生贄にしようとしたわけではない。むしろ、その逆だった。ちゃんと、支えてやると言ったのだ。

「そこにどんな意味があった?」

 ジャックスが言った。

「どんな?」

 リジェッタは、答えられなかった。

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