第三章 ③
「まあまあまあ。これはお久しぶりですわ。ご機嫌いかがですか? 最近は夜になるとすっかり冷えますね。ちゃんと温かくして眠らないと、風邪を引いてしまいますわ」
「はっ? いや、そんなことはいいからさっさとこいつを殺せ!」
「夜といえば、私最近は読書などが趣味でして。紅茶を用意して物語を紐解くというのは、とても充実した時間になりますの」
「人の話を聞け!」
なにか、重い音がした。
「ええ、ちゃんと聞いていますのよ」
だからこうして、準備をしているのではないか。
リジェッタは前から背中が見えるほど上体をひねっていた。それは、ボールを全力で前に飛ばす仕草とよく似ている。しかし、大きな違いがあった。右手にはなにも持っていない。あるのは、膨大な筋力と堅牢な鱗、そして剣呑たる剛爪のみ。冴えた技術ではない。知恵のある作戦でもない。ただ一撃、ただ一振り、ただ一発。このたった一つの動作に全力を注ぐのだ。
赤マントが、まるで軍の火薬庫に火のついた松明を投げ入れられたかのように大慌てで駆け出した。リジェッタの背後に回り、身を縮ませる。
蜘蛛女が脳天に突き刺さったナイフを引っこ抜こうとするも、生身の手が動かない。節足では物を掴めない。人間としての機能を失ったがゆえに、隙が広がってしまう。
「結局、あなたは最後まで名前を教えてくれませんでしたね。それがあなたの礼儀だというのなた、仕方ありません。では、私は私で名乗りましょう」
鱗に覆われた腕が一回り太くなった。筋肉が限界まで肥大化し、極限まで力を増大させていく。
蜘蛛女がナイフを抜くのを諦め、節足を束にしてリジェッタへと打ち下ろす。その威力、帝国軍最新式の大型戦車の主力砲に勝る。
それでも、足りはしなかった。
リジェッタの右腕が、解放される。
風が質量を覚えた。違う、質量が風の領域を突破した。腰のひねりと共に放たれた剛腕が衝撃波を巻き込みながら必殺の弧を描く。剛爪が節足に触れ、そのまま突破、チーズ一欠けらの抵抗すら許さず切り裂いた。なにもかも五等分にしていくカタチある蹂躙を前にして、反撃も防御もない。砕け散る甲殻が火花を散らし、辺りに異臭が漂った。
ついに、節足を剛爪が突破する。
蜘蛛女の腹部へ一閃、人差し指の爪が走った。斜めに刻まれた軌跡を浮かび上がらせたのは真っ赤な血だ。数秒遅れて傷口が笑う。悪魔が舌を出したかのように内臓がこぼれた。大腸と小腸がほどかれながら本来の長さを想い出す。
蜘蛛女が悲鳴を上げた。
なんとか傷口へと内臓を押し戻そうとするも、無理だった。
ぐるんと勢い良く音を立てながら白目を剥き、横に倒れた。
二度と、起き上がりはしなかった。
溢れ出る血の量に、赤マントが口元を手で覆った。
リジェッタの表情は変わらなかった。右腕を軽く振って血を払い、優雅に一礼する。
やっと、挨拶が済んだ。
「私は、リジェッタ・イースト・バトラアライズ。この街では《偽竜》とも呼ばれている掃除屋です。どうか、お見知りおきを」
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