第51話 金に満足することなかれ

 ゆるい坂道を登り終わると、幸十の言っていた『古くせぇ町』がすぐに見えてきた。

 高い城壁にかこまれていて、中をうかがうことはできない。城塞都市というものだろう。厚さを感じさせる黄土色の城壁は、住人を守る盾のようでもあり、逃がさないための塀のようでもあった。


 その町を見るなり、隣にいたベルが目を丸くした。


「バカな。信じられん……!」


 よほど驚いたのだろう。あぜんとして立ち尽くしていた。

 その隣ではアナがやはり難しい顔で町を見つめ、千星をきょとんとさせている。


「どうしたの、ベル。なにかあの町に変なところでもあった?」


 と明人が聞くと、


「ああ。あれは古代都市シャイロウ。私があがめられていた時代の中東にかつて存在した、ある民族の都だ。だが、まちがっても三界に出現するはずがないのだ。その民族と都はどちらもすでに滅びていて、現代に知る者はいないのだから」


 とベルは答えた。

 おおよそ三千年前の中東にあった都市、ということだ。


「まさか。三界は参加者のイメージが反映されるんだから、そんなの出現しないでしょ。似ているだけじゃない?」


「そのはずだが、しかしあれはたしかにシャイロウだ。見覚えがある」


 深刻な顔でベルが言った。

 その様子を見ていた千星が、足もとのアナに視線を移した。


「アナちゃんは知ってる……みたいね」


「ええ、私も見覚えがあります。あれはシャイロウです。といっても三界にある以上、似ているだけのはずですが……問題はなぜ似せられたのか、ですね。当時の姿はもちろん、その存在さえ現代に伝わっていない町です。三界の参加者である現代人にイメージできるはずがないのですが」


「気になるね」


 ええ、とアナが町を見つめたまま相づちを打った。

 どういうことなのか明人も考えてみたが、これといって思い当たるものがなかった。だから


「とにかく中を見てみようよ。それでなにかわかると思う」


 と言った。このようなときは現場を調べるに限る。

 うむ、とベルがうなずき、アナと千星がそれにつづいた。



◇ ◇ ◇



 明人たちが町の入り口に近寄ると、閉ざされた門を守っていた門番がさっそく声をかけてきた。


「中に入りますか?」


 とことん棒読み調である。貪食界にいたのと同じで、おそらく人形なのだろう。


「お願いします」


 と明人が答えると、左右に一人づつ配置されていた門番がさっそく大きな木製の扉を開け始めた。

 きしみ音をたてながらゆっくり開いていく門を見るでもなく見ていると、ふと、扉の上に青銅製のプレートがかかげられていることに気がついた。見たことのない文字が記されている。


「あれ、なんて書いてあるんだろ。昔の文字みたいだけど。ベル、読める?」


「ああ、当時使われていた文字だな。『金を愛する者よ、金に満足することなかれ』だ。なんともこの世界らしい」


「それはまた、強烈な標語だね。……てごわそうだ」


 そう言った。

 古代都市の姿をしていても、やはり虚栄界の町であるわけだ。

 貪食界では食えば食うほど、闘争界では戦えば戦うほど、参加者は引き返せなくなっていった。この罠に該当するものが、虚栄界では金なのであろう。


 開いた門の向こうから、むせかえりそうなほどの活気が明人の顔に吹きつけた。


 姿を見せた町中は、店、店、店であった。

 武器屋が、防具屋が、薬屋が、宝石屋が、飲み屋が、それぞれ、ハリボテの看板で、極彩色のノボリで、けばけばしいネオンで、巨大なイミテーションで、きわどい格好の客引き女で、通行人を店に引きずりこもうとしている。


 通行人は、本物の参加者か、それともサクラの人形どもか。

 いずれもとんでもない格好をしていた。

 珍妙な水鳥みずとりの羽をクジャクのようにひろげたマント。

 奇矯なモンスターの頭部をそのまま乗せた兜。

 人々の目を痛めさせたいとしか思えない金ラメの鎧。

 ごってごての特大の宝石をくっつけた指輪。


 どれも悪趣味の極みだ。

 値段さえ高ければ見栄えを気にしないその徹底ぶりは、まさしく虚栄界の住人というべきか。


「うわあ……。正直、引く。これ、中に入らなきゃだめ?」


 千星が顔を引きつらせた。

 アナも嫌悪感を隠していない。

 戦士の心意気を持つ彼女たちの美意識に照らせば、ギラついた財産をみせびらかす住人たちの姿は醜悪の極みであろう。


 その気持ちは明人もよくわかったが、幸十との待ち合わせがある。いやでも入らないわけにいかない。


「しかたないよ」


 と先陣を切った。ベルとアナも続いた。

 そうなると千星も一人で立ち止まっているわけにいかない。かなり嫌そうではあったが、彼女もついてきた。


 通りに入った明人たちを、通行人たちがちらちらと見た。

 その顔がなんだか勝ち誇っている。

 彼らの目には、明人たちがみすぼらしい安物を着る貧乏人と映るのだろう。

 上品な民族衣装に身を包む千星でさえ、派手さという点では見劣りしている。まして学生服姿の明人や簡素な白服を着たベルとアナはくらべるべくもない。


「拝金主義をつきつめた世界のようですね」


 アナが低い声で言った。

 明人もうなづいた。

 そのあり方からは、ありとあらゆる物事を金銭でのみ測り、それ以外の価値を認めない思想が見て取れる。金額だけを基準とするこの世界の戦闘も、この拝金主義が根底にあればこそなのだろう。


 かまわず通りの中へと足を進めた。

 店のいくつかを眺めた。

 外観は古代風だ。黄土色の日干しレンガや石でできている。

 だが売っている品物は、ゲームに出てきそうなアイテムが多かった。おそらく参加者のイメージが反映された結果なのだろう。そこはこれまでのルール通りというわけだ。


 いずれの店も、中にクセのありそうな人相の店主がかまえている。

 ただ、中で立っている店員たちの鬱屈した瞳が、明人は妙に気になった。


「人形かな、あの店員」


「それならあんな目はすまい。人間ではないか。『買い手のつく限りあらゆるものを売れる』世界なら、己を売ることもできよう」


 ベルが面白くもなさそうに言った。

 奴隷ということだ。


「お金ならモンスター退治で手に入るのにね?」


「それはそうだが、最初から武器を持たなかったり、気づかずに武器を売り払ったりした者には無理だろう?」


「あ、そっか」


 なにしろ装備品の金額だけが戦闘の基準なのだ。いったん装備品を失ってしまえば、もうモンスターを狩る術はない。

 千星がしまったと言わんばかりの顔をしていた。彼女は武器を置き捨ててきてしまったのだ。つまり、彼女のような行動を取ると、詰むわけだ。


「ともあれゆっきーと合流しよう。町の中央に神殿があるって言ってたけど、あれかな」


 と言って明人は奥を指差した。

 通りの突きあたりにある店の、黄土色の屋根の向こう側に、丘がある。その丘の上に、大きな建物が建っているのだ。

 つまりは町の中に高い丘があり、その上に神殿が建てられているわけだ。


「あれが八神君の言っていた神殿かな?」


 と千星が言った。


「だと思う。位置的にもそれっぽいし。さっそく……」


 向かおう、と明人が言おうとしたそのとき。


「ドロボーっ!!」


 とつぜん罵声ばせいが飛んだ。

 何事かと声のほうを見ると、近くの武器屋の中を物見高い通行人たちがのぞきこんでいる。

 と思うと、みすぼらしい服を着たふとっちょが、ごてごてした長剣をふりかざして店から飛びでてきた。


「どけっ! どけっ!」


 ふとっちょが、あわてて避けた明人の前を走り去った。


 と思うと、今度は店主と思しきたいこ腹のオヤジが武器屋から飛びだしてきた。

 なにかを書いた紙を振りかざし、逃げるふとっちょの背に血相変えて叫んだ。


「おいっ! お前、戻れ! 3分以内に支払う契約だぞ! これは約束じゃない! 大神官様の名のもとに契約が成立しているんだ! 聞こえないのか、これは契約だ!」


 だがふとっちょは聞く耳持たない。


「どけオラァ! 殺すぞ!」


 とうとう剣を引き抜いて、抜き身の刀身で通行人を追いちらし始めた。

 ちょうどその先にいた通行人たちが、悲鳴をあげて道の脇につぎつぎ避けた。


「くそっ、ど素人が!」


 たいこ腹のオヤジが忌々しげに吐き捨てた。

 通行人たちの中の何人かが、それを聞いたとたん、意味ありげなニヤニヤ笑いをうかべはじめた。

 そして、逃げるふとっちょの背をみつめた。


「おかしいな。彼らはなぜ笑う?」


 ベルが周囲の通行人たちのニヤニヤ笑いを気に入らなさそうに見た。


「後で良いでしょう。まずはあの不心得者をとりおさえてやりませんと」


 と血気さかんなことを言って走り出そうとしたアナが、しかし、足を止めてけげんな顔をした。


(どうしたんだろう?)


 と明人が不思議に思ったその瞬間、


「うわーっ!」


 城門のほうからふとっちょのただならぬ叫び声がした。

 そちらを見て、


「なんだ!?」


 おもわず声をあげた。

 ふとっちょが大量のハエに群がられている。

 蠅は見る間にその密度を増し、まるで放置したロールパンをカビが覆うように、すっかり男を包みこんだ。


「うっ、うおおおおおおっ! おげええっ!」


 真っ黒な人型になったふとっちょが絶叫し、ついで嘔吐するような声をあげる。

 そして、地面にばたりと倒れた。


 蠅の群れが、潮が引いていくように去った。虚空に消えたように明人には見えた。

 あとには両手で顔を塞いだふとっちょが残った。ぴくりともせず、地べたで丸まっている。


「どいた、どいた!」


 さきほど武器屋から出てきたオヤジが、野次馬たちをかき分けるようにしてふとっちょに近づき、そばにかがみこんだ。

 盗品なのであろう長剣を手にとろうとした。

 が、どうしたわけかつかみ上げることができないでいる。


 と、奇妙なゾウ頭のマスクをかぶった者が、オヤジに近づいた。


「無理だぜ、あんた。おおかた、このデブに物を先渡しする契約を結んだってとこだろ? だったら所有権はこのデブのもんさ。死人の物は剥げない」


 とせせら笑うような声で講釈をぶった。


(死人?)


 ギョッとして明人は地べたに倒れたままのふとっちょを見た。

 たしかに先ほどから動かないままだ。顔も土気色をしている。


「なんてこった。丸損だ」


 だが目の前で起きた人死にも、オヤジにはどうでもいいことらしい。

 そんなことを言って、しょんぼりと泣きそうな顔をした。


「あんた『シロウトは先渡しでハメろ』ってマニュアルを読んだ口だろ。ありゃあ契約と約束の区別もできない、まるっきりのドシロウト相手にやっちゃダメだ。もっといいマニュアルを持っているから、見せてやるよ」


「そりゃありがたいな。店で詳しい話を聞かせてもらおう。もちろんタダだろうね?」


 あつかましい要求をしたオヤジに、


「そうはいかないが、なに、元はすぐとれるさ」


 ゾウ人間はなれなれしくオヤジの肩を叩き、連れ立って店の方へと戻っていった。

 野次馬たちも興味をなくしたか、一人また一人と歩きはじめた。

 ふとっちょの死体をまだ見ているのは、明人たちだけとなった。


「悪趣味なだけの世界のはずはないと思っていたが、ここまでとはな」


「うん。あの蠅はなんだろう? セネメレクに似ていたけど、蠅の男ではなかったみたいだ」


「おそらく契約違反に対する死の制裁だろうな。そういう仕組みをこの虚栄界に入れこんでいるのだろう。そう考えれば『先渡しでハメる』の意味も通る」


「というと?」


「うむ、つまりだ。あえてお金を払えそうにない人間に、商品を先渡しで渡すとするな? しかし所持金が足りない場合、その客は契約を守れない。制裁され、死ぬ羽目になるわけだ」


「そうなるね」


 門の前に倒れている哀れなふとっちょが今まさにそうなった。


「だが、そこでもう一つ、店のオヤジが別の契約を持ち出して、『死にたくなければこちらにサインしろ』と迫ったらどうだ。たとえば『死ぬまで店員としてタダ働きしろ』というような契約だな。奴隷となるも同然だが、やらねば死ぬとなれば、客はサインしないわけにいくまい。店のオヤジはずっとタダでこき使い続けることのできる人間を一人手に入れられる、という寸法だ」


「なるほどね。……悪辣あくらつな」


 明人は顔をしかめた。

 陰湿な世界だ。おそらくは参加者なのであろうオヤジが客を積極的にだまそうとするのもひどいし、それを当然と見なしているらしき住人たちもにたりよったりだ。

 これが虚栄界、というわけだ。


「最大の被害者は、案外あの盗人であったかもしれませんね」


 アナがポツリと言った。

 通行人たちはもう誰もふとっちょのほうを見ていない。先ほどの出来事をもう忘れたかのようだ。

 ただ、近くにいた薬屋の店員が、その陰鬱な瞳を悲しげにふとっちょの死体へとむけていた。


「……。『買い手がつく限り売れないものはない』、ね」


 幸十の説明を思いだしつつ、いま一度、明人は通りを見まわした。

 欲望むき出しのギラギラした看板。

 ハロウィンの仮装にもつけていけそうにない悪趣味な装備品の数々。

 人を陥れて金を稼ぐことに疑問をおぼえてさえいなさそうな住人たち。


「品性を買える店はなさそうだね」


「とっくに売り払った後なのだろうさ」


 明人の軽口に、同じくベルも軽口で答えた。

 アナや千星はコメントをひかえている。

 だが一人、近くでウインドーショッピングに勤しんでいた買い物客が、ニタリと声もなく笑った。

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