第58話

貴賓室に入って来たアルフォンスは、誰よりも美しく凛々しく、そして威厳に満ちていた。


それはローレッタにとって、初めての経験だった。

まるで雷に打たれたかのような衝撃。そして、胸が張り裂けてしまうのではないかというくらい高鳴る心臓。

緑がかった銀髪を後ろへ撫でる様に流し、若葉色に琥珀を散りばめた様な不思議な瞳を持つアルフォンスは、これまで見てきた男たちを遙かに凌駕するほど美しかった。

無表情は冷酷に感じるが、時折緩める表情には甘さが混ざり、目を離すことが出来ない。

よって、ローレッタの目には有里の姿など・・・と言うよりも、アルフォンス以外は視界に入っていなかった。

誰を見て彼の表情が緩んでいるのかなど、ローレッタには関係が無い。彼女の脳内では、自分を見てだと思っているのだから。


何て美しい人なのだろう・・・そして、何て私に相応しい男なの。

無表情の中に時折、私を見て小さく笑みを見せてくれる・・・

あぁ・・・彼は私の魅力を分かってくれてるのね!

バカなサイザリスは折角私から求婚してやったのに、秒で断ってくれちゃって・・・思い出しただけでもムカつくわ!

それに比べてアルフォンス陛下は誰よりも美しいし、私を愛してくれる。

お父様の命令も意外と簡単だったわね。・・・・あっ、でも陛下には一応妻がいたわね。

早速、追い出さなくちゃ。でないと陛下も私に求婚しづらいだろうし。


アルフォンスに対し盲目的に愛を押しつけようとするローレッタの頭の中では、自惚れと非常識とが上手い具合に混じり合い、彼女にだけ都合のよい物語が出来上がっていた。

美しいアルフォンスが、更に美しい自分を愛しているという、誰もが自分に恋をするのだと言う、自分だけの物語。

さて、どうやって愛しい彼の為に妻を追い出そうか・・・と、初めてまともに有里に目を向け、驚きに目を見開いた。


初めて見る、黒を纏う人間。

そして、想像していた以上に美しくも神秘的で愛らしい有里の姿。

その彼女を愛おしそうに見つめながら頬を緩ませるアルフォンス。

そこで初めて現実を目の当たりにする。

彼は一度もローレッタを見てはおらず、何の興味も示していないのは誰の目にも明らかだった。

決して認めたくない現実に、ローレッタは悔しそうに唇を噛んだ。


え?なんで?何でこの女をそんな目で見るの?

その愛おし気な眼差しは、私の為にあるのではないの?

珍しい黒目黒髪なだけで、私よりも劣る容姿じゃない。

やめて!その女じゃなく私を見てよ!

貴方は私の夫となるのよ!!


頑なに有里の存在を認めず、フィルス帝国にいる時と変わらぬ考えと態度を貫こうとする。

これまで自分の思い通りにならない事はなかった。

唯一、思い通りにならなかったサイザリスの事など、都合よく忘れてしまうくらい全ては彼女の思うがままだった。

だから彼女は何時もの様に、沸き上がる嫉妬をそのまま視線にのせ有里をなのだ。

自国では敢えて口に出さなくとも、周りがローレッタの意を汲んで勝手に処理してくれる。

気にいらない人間など、彼女が睨めばすぐさま兵士達に連れて行かれ、二度と会う事はない。

どんなに彼女に慈悲を求め縋りつこうと、ゴミでも払うかのように手を振れば最悪、命すら取られる。


それが、彼女の常識であり日常でもある。

そして、それは何処に行こうと変わる事のない常識だった。彼女の中では。


だが・・・・

今、自分の置かれている立場は味わった事の無い屈辱的なもの。

地下牢に入れられるなど、考えられない事。

目の前にいる自分の味方であるはずのフィルス帝国の騎士は、冷え冷えとした眼差しでローレッタを見下ろしていた。


「そこのお前!私をここから出しなさい!」

たかだか騎士の分際で自分をそのように見下すその視線が許せず、ローレッタは叫ぶ。

「それは、できません」

「何故!?私を誰だと思っているの?国に返ったらお父様に言って処分してしまうわよ!」

「どうぞお好きに」

ローレッタが激高すればするほど、目の前の騎士は淡々と抑揚なく答える。

それがまた彼女の癇に障って、声を荒げてしまうのだ。

「ここはフィルス帝国ではありません。ユリアナ帝国であるという事をお忘れなく」

「知ってるわよ!」

「・・・・・・さようですか。ならば、そのように下品に叫ばないよう。貴女のその態度で、育った環境や受けた教育が想像される」

ローレッタは怒りにカッと顔を赤くし、悔し気に唇を噛んだ。

そんな彼女の事など気にすることなく騎士は両皇帝の意向を伝えた。

「貴女は明日、フィルス帝国へと送り返されます」

「なっ!」

「ユリアナ皇帝陛下より、この国でではなくフィルス帝国での裁きを希望されているとの事」

「裁き?」

「皇后陛下に害を成す者を一日たりともこの大陸に置いておきたくはない、との事です」

「なっ・・・裁きとは何!?私が一体何をしたというの!?」

そう、彼女はフィルス帝国に居た時と全く同じことをしただけなのだ。

これまで何をしても罪に問われた事などないのに、何故、このような状況になっているのかがローレッタには理解できない。

そんな彼女を憐れむかのように、目の前の騎士は小さく溜息を吐いた。

「先ほども言った通り、此処はユリアナ帝国なのです。貴女の常識が通じるのはフィルス帝国内の御父上の側でだけの話。他国では通じないのですよ」

「何を言っているのか分からないわ。私はいずれフィルス帝国の皇女となり、アルフォンス陛下の妻となるのよ?あの女を排除しなければ私が妻になれないじゃない」

騎士はローレッタの言葉に、驚いたように目を見開いた。

「私は特別なの。この立場も美貌も、何より私を取り巻く全てが特別。アルフォンス陛下の為にあの女を排除しようとしただけなのに、それが何故罪になるというの?」

ローレッタの言葉は、騎士には理解しがたいものであり、ここまで愚かだったのかと愕然とする。

彼・・・アリソンはフィルス帝国の騎士であり、宰相に最も近しく、彼からかなり高い信頼を得ている数少ない一人でもある。

だがその実態は、サイザリスの腹心であり、レジスタンスの中心人物でもあるのだ。

帝国の為とはいえ宰相の信頼を得るために、意にそぐわない事もしてきたしローレッタの理不尽な我侭にも目を瞑ってきた。

だが、これは余りにも常軌を逸している。

フィルス帝国内での行動も異常ではあったが、国外では一応、まともに行動してくれるものだと思っていたのだ。


なんと・・・・ここまでだったとは・・・


彼だけではなく、恐らく彼女の父親でもある宰相ですら気付いていないかもしれない。

何故なら、主都から一度も出たことが無く、ユリアナ帝国が彼女にとっての初外交なのだから、国外でどのような行動をとるのか分からなかったのだ。

大人しく侍女としてサイザリスに付いていたので、外国では外見だけでもまともに取り繕えるのだろうと、誰もが思っていたのに・・・・

「何と、ここまで常識が無かったとは、驚きを通り越して感心してしまいますね」

呆れたとばかりに額に手を当て、大きく溜息を吐くアリソンにローレッタは又も噛みついてくる。

「常識が無いのはお前の方よ!これから先も騎士でいたいのなら、大人しく私の言う事を聞いていればいいのよ」

「・・・・私の今後よりも、ご自分の今後を心配された方がよろしいかと」

「はぁ?何を言ってるんだか」

「先ほどの貴女の発言は看過できるものではありません」

「発言?」

何か問題発言をしたのかと、本気で首を傾げているローレッタにアリソンは厳しい眼差しを向けた。

「貴女はご自分はいずれフィルス帝国の皇女になるのだと、言いましたね?」

「えぇ、だって本当の事ですもの」

胸を張り自慢げに頷く目の前の女に「コイツの頭は飾りか?」と本気で疑ってしまう。

「貴女が皇女になるという事は、貴女の父上である宰相が皇帝の位に就くという前提で話しているのですよね」

「皇帝の位に就くというか、皇帝そのものじゃないの。役職が宰相というだけで、お父様が大陸を動かしているのよ!」

「例え宰相が実権を握っていたとしても、皇帝ではありませんし、なる事はできません」

「あら、サイザリスはきっと皇帝の座を父上に譲ってくれるわ」

「それは、天地がひっくり返ってもないでしょう」

「そんな事はないわ。いずれサイザリスはいなくなるのだから」

「・・・・それは、どういう意味ですか?」

その言葉に不快そうに眉を寄せ問うアリソン。そんな彼に突然思いついたようにローレッタは笑顔を向けた。

「貴方はお父様の側近の一人よね。なら、お父様の意を汲んで行動すべきだと思うのよ」

「意を汲む?」

「えぇ。サイザリスを意のままに操れるよう痛めつけてくれない?最近、色々と口を出してきて煩いと、お父様が言っていたのよ」

『殺せ』とは敢えて言わないが、実質、暗殺命令に近い言葉だった。

アリソンは、ただただ呆れるしかない。馬鹿ではあれど彼女の言葉にどれほどの威力があるのか・・・・父親が宰相であり、彼の命によりこの国に来ている事を考えれば、彼女の言葉は宰相の言葉として捉えられてもおかしくはないのだ。

しかも『宰相の意を汲め』と言う。

その言葉は・・・今、彼女が発した言葉は全て宰相の言葉であり、フィルス皇帝への反逆を意味するものになる。

アリソンは大きく息を吐き、右を向き「全て記録されましたか?」と問いかけた。

彼以外誰もいないと思っていたローレッタは鉄格子を掴みながら、彼の視線を追った。

ローレッタの入っている牢の隣は牢ではなく小部屋になっている。

そしてドアは開け放たれており、そこから一人の青年が紙の束を持って顔を出した。



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