第41話
アルフォンスが部屋を出ると、入れ替わる様にリリとランが有里の着替えを手伝うために入ってきた。
「「おはようございます」」
「おはよう」
彼と寝室を共にしてから、例え何もなくても朝に彼女等と顔を会せるのが恥ずかしかった有里。
なのに今では、照れもなく普通に挨拶をかわす自分に、慣れって恐ろしいわ・・・と、ほんの少し前の照れていた頃が懐かしい。
そんな事を考えながら、有里は双子侍女を朝食に誘った。
「ねえ、今日の朝食、一緒に食べない?」
有里の提案に二人は「喜んで!」と即答。アルフォンスが遠征中は彼女等と食事を摂っていたので、大して時間は経っていない筈なのにひどく懐かしく感じる。
その朝食中、今朝のアルフォンスの言葉が気になり二人に聞いてみると、ごくごく近しい人達で夕食会を開くのだという。
先日の遠征の慰労会はもう少し先に延ばされたので、それとは別に少人数で催されるようだ。
「気心知れた人達となので、楽しい夕食になると思いますよ?」
リリが嬉しそうに言うので単純に楽しみだと思った。
たった数日前の事なのにアルフォンスの怪我の事、不思議な体験の事、彼からの告白の事、そしてこれからこの身に起こるであろう出来事を想像するだけで、期待と不安と喜びで精神的に少し疲れてきていたのだ。
そんな気持ちを少しでも払拭できるのであれば、気心知れた人達と楽しく騒ぐのも気分転換になっていいのかもしれない。
―――そう軽く考えていたのだが・・・・・・
その日も一日、いつもと変わらぬ日常を送っていた。夕刻に近づくまでは。
「ではユーリ様、お支度をしましょうか」
「え?支度?」と首を傾げる有里の手を引き、リリは籠っていた図書館を後にした。
部屋へと戻れば、何時も警護をしてくれているシェス達はおらず、別の騎士に変わっている。
「シェスさん達、今日は早上がりなの?」
「えぇ、大事な用事があるようです」
「そうなんだ・・・・」
部屋には既にランが準備しており「ユーリ様、本日のドレスはこちらになります」と、綺麗なドレスを広げた。
「―――親しい人達との夕食会だよね?」
「そうですよ」
「にしては、何か・・・立派すぎない?それ・・・・」
用意されていたドレスは純白の、エンパイアラインのシンプルなドレス。
シンプルとは言っても、生地は最高級品で肌を滑る触り心地が素晴らしい。
「なんか、シミつけそうで怖いんだけど。普段着のちょっといいやつでいいんじゃない?」
親しい人達で集まるのであれば、失礼にならない程度の服装でいいのでは・・・と思ったのだが、双子侍女は不満そうに頬を膨らませた。
「何言ってるんですか!これでも地味な方ですよ!いくら内々のとは言え、本来であればもっとこう・・・豪華な刺繍とか宝飾品とかで飾り立ててもいいくらいなのです!」
もっと豪華に・・とは言うが、このドレスも十分に豪華である。
シンプルではあるが、肩から胸にかけて繊細なレースが使われており、所々に小さな宝石が縫い付けられ光の加減でキラキラと、まるで星が瞬いているようだ。
「ですが陛下より華美にならないようにと仰せつかっているので、妥協に妥協してこちらなのです!」
「これのどこが地味なのよ!全く妥協を感じないわ!!怖くて着れないわよ!」
じりじりと後ずさる有里を追い込む様に、双子侍女はにっこりと微笑んだ。そして、
「ユーリ様。諦めてください」
「さっ!磨きますよ!!」と、嬉々と有里を剥き始める彼女等を止めるすべは、もうなかった。
風呂で洗われ、マッサージで磨かれ、まさにピッカピカになった有里は、疲れたように鏡の前に座っていた。
その身に付けているのは先程ランが見せたドレスで、正直なところ有里は「怖くて、何にも食べられない」とブツブツ言っていたが、段々出来上がっていく自分の姿に思わず顔が強張っていく。
やはりドレスを変えてもらおうと口を開こうとすれば「動かないでください!紅がはみ出ます!」「頭を動かさないでください!髪がほつれます!」と、リリがメイク、ランが髪のセットを最後の仕上げとばかりに、もの凄い真剣な顔でしてくれているものだから、有里は諦めたように目を閉じたのだった。
「出来ましたよ」「お綺麗です!!」と、どや顔の双子が手鏡を渡してくれた。
「ありがとう」といい、それを覗けば、確かに自分でいうのもなんだが・・・可憐に変身した自分が映っていた。
綺麗に結われた髪には白い薔薇に似た花が飾られ、シンプルではあるが可愛らしい小さな花を模したイヤリングが控えめに輝いている。
ドレスも一見『可愛すぎるのでは・・・』と思っていたが、鏡に映る自分に違和感は見られなかった。
そこで有里は改めて思う。
―――本当に若返ったんだ・・・・と。
これまで何度も鏡は見ていたし、生活していく中で体力的なものや精神的なものでふっと思う事があったが、結構、自然な形で生まれ変わった事を受け止めてきていたのだと、どこか能天気だった自分に思わす感心した様に苦笑した。
鏡を見ながらぼうっとそんな事を考えていると「最後の仕上げです」と、ドレスと同じレースのベールをふんわりと被せられた。
「へ?」思わず間抜けな声が出る。
ちょっと待って。これ被せちゃったら・・・どう見ても、ウエディングドレスだよね?多分、そうだよね??え?これから結婚式あるの!?聞いてないけど??誰が結婚すんの??私?私なの!?
鏡を見ながら絶賛混乱中の有里。リリ達を問い詰めようと口を開こうとしたその時、「陛下がお見えになりました」とリリが告げた。
はっとしたように立ち上がれば、そこにはいつもとは違う、貴族のように正装したアルフォンスが立っていた。
見慣れないその姿に目を奪われ立ち竦んでいると、アルフォンスは嬉しそうに有里の手をとった。
「綺麗だ。ユウリ」
その言葉に、まるで音がしそうなほど顔を真っ赤にし、これまでそんなふうに言われた事のない有里は戸惑う様に視線を彷徨わせた。
「あ・・・ありがとう・・・その、アルも・・・カッコイイ・・・です」
やっとの思いで言えば、彼は本当に嬉しそうに破顔し、有里の手を取ったまま、いきなり片膝をついた。
またもや「へ?」という間抜けな声を上げるも、アルフォンスに至っては先ほどまでの眩しい笑顔を引っ込め、どこか切羽詰まった様な眼差しで見上げてきた。そして、
「改めて申し込ませてほしい。ユウリ、私と結婚してほしい」
この格好で、この雰囲気で、正直なところそうくるのではと思っていたが、なんとなく彼等の意図がつかめなくて戸惑う様に首を傾げた。
先日、彼の求婚を受けている。だから、婚約発表もしている。
結婚式だって、諸外国の要人を招待し・・・・いつの予定になるのかわからないが、挙げる予定だ。
なのに、何故こんな風に求婚してくるのか。
有里は困惑した表情で返事をじっと待つアルフォンスを、凝視した。
「ユウリ?」
何の反応も示さない有里に、アルフォンスは不安そうな眼差しを向けた。
「あ・・・えっと・・・状況が、飲み込めなくて・・・」
素直に言えば、どこかほっとしたように目元を緩めた。
「すまない。今宵は内々の・・・本当にごく親しい人だけを招き、結婚式を挙げようと思ったのだ」
「結婚・・・式?」
「なるべくユウリの世界に近いものをと、思ったのだが・・・・」
そこまで言って困った様な照れた様な、そんな表情でぽりぽりと頬を掻いた。
そういえば双子と女子会をした時に、有里の世界の事を色々聞かれていた事を思い出した。
主に、男女間の恋愛に関する事が多かったような気もするが・・・あまり気にも留めず話したと思う。それを参考にしたのだろうか・・・
でも、何故今ここで式を挙げようとしているのかがわからず、有里は小首を傾げた。
「俺はこの国を守らなくてはいけないし、この国の為に生きていかなくてはならない」
「うん」
「本来であれば、自分の意思とは関係なく誰かと婚姻を結ばなくてはいけなかった」
「うん」
「だが、幸いなことに俺は愛する人と添い遂げる事ができる」
「・・・・・・・・」
「でもその所為で、ユウリには負担ばかり強いているという自覚もある。ユリアナの頼みとはいえ全く知らない世界に一人で降り立ち、普通に生活するのではなく俺の妻として国母としてこれからは生きていかなくてはならない」
自分以外の人間から改めて言葉にされると、その重みに知らず知らず彼に取られていた手に力が入った。
「だから、その第一歩はせめて笑顔で踏み出してほしいと思った。国事としての式ではなく、ユウリを愛してくれる人達と共に祝い、そして感じて欲しいと思った」
アルフォンスはゆっくりと立ち上がり、愛おしそうにそっと有里の頬に指を滑らせた。
「一人ではないのだと。ユウリにはこんなにも味方がいるのだと知ってほしい」
その言葉に、有里は目を見開く。
「そして、その中でも一番の味方が俺なのだと、知ってほしい」
あぁ・・・ごめんなさい・・・・
アルフォンスのその言葉に対して、心の中で叫んだのは謝罪だった。
有里は目を閉じ、天を仰ぎそして俯いた。
これだけアルフォンスに・・・彼等に思ってもらっているというのに、自分は未だ覚悟の一つもできていなかった。
彼の気持ちを受け入れたくせに、自分の事だけをうじうじ悩んでいた。
その悩みの中にアルフォンスはいただろうか?リリやラン、フォランドはいただろうか?
否、そこには有里しか存在していなかった。正に自分の事しか悩んでいなかったのだから。
初めからわかっていたことではないか。彼と結婚するという事はそう言う事なのだと。
できないと思ったのであれば、拒絶すればよかったのだ。ならば悩むこともなかったのだから。
だけれども、拒絶する事も出来ないほどアルフォンスに惹かれていたのも事実ではあるが、それは言い訳にはならない。
わかっている。何度も何度も頭の中で繰り返していた。まるで自分自身を追い詰め、覚悟だけを求めるように。
でも、そこにもアルフォンスは存在していなかった。
彼はこんなにも自分の事を考え、寄り添ってくれようとしているのに。
「ユウリ?」
いきなり俯き黙り込んだ彼女に、何処か戸惑い気味に名を呼ばれる。
有里は大きく深呼吸すると、ギュッと彼の手を握りしめた。
そして、意を決するように一文字に唇を引き締め、彼を見上げる。
「アルフォンス、私と結婚してくれますか?」
突然の逆プロポーズに、アルフォンスは目を見開く。
「私はとても我侭で、自分の事しか考えてなかった。正直なところ、このまま結婚していいのか。怖くて怖くてどうしたらいいのかわからなかった」
困った様に笑いながら話す有里に、アルフォンスは戸惑いながらも何も言わず聞いている。
「悩んでいるんだけど、そこには自分しかいなかったの。自分の事しか考えていないんだから当然よね」
「それは悪い事ではないだろ?」
「違う。だってこの悩みは自分一人で抱えるには大きすぎたんだもの。アルフォンスやリリやラン、フォランドやアーロン・・・皆を頼らなきゃ解決できないものなんだから」
「それは、俺だって同じだ。周りの者に助けられてばかりだ」
「ううん、私はこの世界の事が、この国の事が何もわかっていない。アルの隣に立つために何をすればいいのか・・・それすら分かっていないの。だから、怖かった」
「・・・ユウリ?」
「ただ、ユリアナに召喚されたというだけで、何も出来ないし自信も何もなく・・・貴方の隣に立つべきでは無いのかもしれない。でも、今更貴方を手放すことなんてできない。だから、皆の手を借り進んでいこうと思う。こんな私でも、望んでくれますか?」
こんな事を言ったら、嫌われてしまうかもしれない・・・そう思ったが、やはりこの欝々とした気持ちを抱えたまま結婚は出来ないと思った。
嫌われたらその時はその時だ・・・と、言いたいことを言いきった有里は、吹っ切れたように鮮やかな笑みをアルフォンスに向けた。
その笑顔をまともに受けたアルフォンスは一瞬放心したように見惚れ、我に返った瞬間、片手で顔を覆い「はぁぁぁ・・・・」と、腹の底から絞り出すように息を吐いた。
「アル?」と、何処か不安そうに声を震わせながら有里が呼べば、未だほんのりと朱に染まる頬をそのままに、それを知られまいと彼女を抱きしめた。
「ユウリ・・・・俺を何度惚れさせれば気が済むの?」
「え?いや・・・」と、わたわたする彼女を封じ込める様に腕に力を込めた。
「自分の事しか考えていないというなら、俺だってそうさ・・・ユウリに溺れてしまって息もできないくらい、苦しい・・・」
そう言いながら、まるで身体中の熱を吐き出すかのように、またも大きく息を吐いた。
ゆっくりとした動作で束縛を解き、そして彼女の頬を両手で包み込み、蕩ける様な笑みを浮かべた。
「ユウリからの求婚を心の底から嬉しく思う。有難く受けさせてもらうよ。だから、俺からの申し出も受けてもらえるかい?」
「喜んで!大好きよ、アルフォンス」
彼女は何時も笑っていた。だが今、自分に向けられる笑顔はこれまでのものとは比ではないほど眩しくて可憐で、愛おしい。
堪らないとばかりにアルフォンスは有里に口付けていた。
自分達以外に人が居るのにと、焦る有里だったが、あまりに優しく愛おしさの溢れる唇に、観念したようにそっと目を閉じたのだった。
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