第32話

「ユーリ!!」


アルフォンスは名前を叫ぶと、先ほどまでは支えられていなければ歩く事もおぼつかなかった足取りも、まるで最後の気力を振り絞るかのように一歩一歩自ら進めていく。


「アル!!」


そう叫び走ってくる、初めて見る有里の姿にフィンレイは驚きに目を見開いた。


無造作にまとめ上げた黒髪。大きく見開かれた黒い瞳。

異国の服装ではあるが質素で動きやすそうな格好。

華美なところは、何一つない。なのに、大勢の中に埋もれていても姿を確認できるほどに、人目を惹く容姿。


アーロンはまるで送り出すように手を放し。

フィンレイはやっと触れるところまで縮まったと思っていた距離を手離したくなくて。

だけれど彼は自分にではなく、まっすぐに彼女へと手を伸ばし、愛おしそうに抱きしめるのだった。







フィンレイ・メルストール 十八才。


彼女は騎士団の医療班に所属しており、この度の遠征に同行していた。

金髪碧眼の美少女ではあるが、他者より秀でた医療知識と技術でこの度の遠征の医療班副班長という地位を勝ち取っていた。


フィンレイは本来、騎士志望だった。

十六才の時に一目惚れしたアルフォンスの、彼の傍に居たいというそんな願望から騎士に志願するという、綺麗な顔とは裏腹に猪突猛進な娘だった。


彼女は、自他共に認めるその美しい容姿から自分自身に異常なほど自信を持っている―――所謂、自意識過剰タイプで更にポジティブな人間だ。

美丈夫と名高い騎士にですらも、その程度では自分には相応しくないと袖にするほど高飛車で可愛らしくない性格に育っていた。

それに関しては周りの大人にも大いに責任があり、その美しさに『きっと皇帝陛下も目に留めてくれるはず』と冗談半分で口にしていたのを、まだ子供だった彼女は本気にしてしまっていたのだから。

そして、社交界デビューを兼ねた舞踏会で、初めて見た若き皇帝陛下に一瞬で心を奪われてしまったのだ。

キラキラと光を反射し輝く、うっすらと緑掛かった銀髪。

若葉色に琥珀を散りばめた様な不思議な瞳。

凛とし、若いながらも皇帝としての威厳を備えた美しいその人は、これまで言い寄って来た男達より全てにおいて遙かに群を抜いていた。

大人達の言葉を鵜呑みし、皇帝陛下であろうと自分の美しさで虜にしてやると意気込んで挑んだこの日なのに、反対に落されてしまったという、彼女にしてみれば何とも予想外の展開になってしまったのだ。

若き皇帝はフィンレイだけではなく、その場に居た女性全てを虜にしたといっても過言ではない。

独身で浮いた噂もない皇帝に、女達は我先にと彼に気に入られようとご機嫌伺に群がる。

だが当のアルフォンスはというと興味なさげに一瞥し、笑うこともなくその場を辞した。

残念がる女性たちを横目に、フィンレイは別の事を考えていた。


どうやったら彼の傍にいる事ができるのかしら・・・・

きっと私を見れば、振り向いてくれるはずよ。

周りの女たちは・・・化粧は濃いし、同年代の子はみんなパッとしないし・・・・私が一番綺麗だもの。

先ほども、陛下は私を見ていたわ!当然よね。


大きな勘違いも全て前向きで、どうすれば彼の目に留まるかを考える。

兄と同じ文官をも考えたが、それこそ彼の傍に召されるくらいまで出世するには時間がかかりすぎる。

そして出た結論が、騎士になることだった。

そこは実力主義であり、なによりアルフォンスが騎士団のトップなのだから。


あまりに突拍子もない申し出に『嫁入り前の娘が騎士なんて、とんでもない!』と当然、両親から反対されたことは言うまでもない。

フィンレイの容姿だけは社交界でも話題に上るほどで、婚約の打診は結構舞い込んできていたのだ。

長い時間を掛け両親は説得を続けたが、本人の意思が余りにも強く折れざるおえなかった。

もっと別の方法があったのでは?と思うのだが、常に傍に居るにはと考えた時、なにを思ってなのか彼が統括している騎士団に入る事が最善だと思ってしまったのだ。

彼女の家は伯爵家。蝶よ花よと育てられた娘が、いきなり剣を振り回すことなどできるわけがない。

当然、騎士には不適合判定。

それでも諦めきれなかった彼女はその頭脳と器用な指先を活かし、騎士団に所属する医療班へと志願した。

愛しい皇帝陛下の目に留まる為に。


騎士になったからと言って常にアルフォンスの傍に居られるわけではない。

ましてや、騎士落第の彼女は医療班。だが、その姿を見かける機会が普通の人より多くなったことは嬉しい事だった。

そしてこの度の遠征での抜擢。

彼女は天にも昇る気持ちで、その喜びを噛み締めていた。

少しでも彼の目に留まることができれば、こちらのものだ!・・・という烏滸がましい事を考えながら。


だが、それより数日後、女神の使徒である有里が召喚され、皇帝の妃候補であるとの噂が一気に大陸を駆け巡った。

正に天国から地獄へ突き落されたかのように、フィンレイの落胆は凄まじいものがあった。

次第に耳に入ってくる話は信じられない事ばかりで、我が耳を疑う。

無表情が通常装備の皇帝が、彼女といる時には常に笑顔を絶やさないとか、大切そうに何時も寄り添っているとか、仕事の虫だったのがよく彼女とお茶をしながら休息を取っているとか。

その中でも一番衝撃的だったのが彼女が皇后の部屋に住まい、毎日朝晩、陛下と一緒に食事を摂っているという事。

立ち直れないほどの衝撃を受けたものの、この目でその状況を見ていない、あくまでも噂なのだと・・・『私が一番美しいのだから私を見れば、きっと私を選ぶに違いないわ!』と自分に言い聞かせ欝々とした思いを払拭させるかのように、自分に都合の良い妄想を描き続ける。

だけれど、有里の噂は日を追うごとに多く聞こえてくるようになる。

特に騎士たちの間では、人気が高く彼女からもらった花束で求婚をしたという騎士まで出てきた。

時折会う騎士達に「使徒様はどんな方なの?」と問えば、概ね同じような答えが返ってきた。

艶やかな漆黒の髪。まるで夜空の様な瞳は暖かく、くるくる変わる表情がとても魅力的なのだと。

「まぁ、美しさから言えばフィンレイの方が美人だと思うけど、外見じゃないんだよなぁ」

と、必ず最後に言われるのだ。


気に入らないわ・・・・私は容姿だけが綺麗なわけじゃないのよ!

どこに嫁いでも、陛下に嫁いでも恥ずかしくないよう、教育も受けている。

なのにっ!女神が召喚したってだけじゃない!珍しい毛色してるってだけじゃない!

私のどこが劣っているのよっ!!


聞かなければいいのに、自ら進んで有里の噂を収集し、ヒステリーを起こすフィンレイ。

遠征への準備が忙しく、あまり騎士たちの練習場に赴くことが無かった彼女は、今だ有里の姿を一度も見る事が出来ていなかった。

どんな容姿をしているのかもわからない、そんな有里を讃える様な噂話を聞くことが辛くてしょうがない。

だがそんなある日、偶然、フォランドとアーロンの会話を聞いてしまったのだ。


「なぁ、フェル、ユーリって実際のところ、アルの事どう思ってるのかな?」


ユーリ・・・使徒様の事?


フィンレイはとっさに身を隠し聞き耳を立てた。

「ユーリは・・・正直なところ、アルの事は一人の男としては見ていないでしょうね」

「あぁ、やっぱり?なんかあの二人には妙な温度差があるんだよなぁ」

「というより、アルは自覚がないだけですけどね」

「ユーリの事が好きだって?」

「そうです。あれだけ態度に出ているというのに」

「そうなんだよ。俺聞いたんだよ。ユーリの事、好きなんだろ?って」

「あぁ・・・何て言ったか想像はつきますが、間抜けな答えを返したんでしょうね」

「わからないって、本当に間抜けな事言ってたよ」

「・・・切っ掛けなのでしょうね。あの二人に必要なのは」

「まぁ、アルが自覚さえしてくれれば、後はユーリをグイグイ口説けば済むことなんだけど」

「この度の遠征に期待するしかないでしょう」


どんどん彼等の声が遠くなり、反対にフィンレイの心臓が高鳴る。


陛下と使徒様は・・・・恋人ですら、ない?


このところ欝々としていた気分が一気に晴れて行くかのような感覚。

その先には希望と言う名の願望が全身を満たしていく。


陛下に自覚がないのなら、そのままでいい・・・自覚する前に私を好きになってもらえればいいのだから!

そんな期待を胸に、遠征へと望んだのだった。


だが実際は、セイル遠征中あまりアルフォンスと絡むことはなかった。

任務遂行時も怪我人の手当てなどで忙しく、アルフォンスと言葉を交わしたのは出発の時にだけなのだが、それも言葉を交わしたといえるのかと言う感じだった。

フィンレイにしてみればどんな状況でも構わない。彼の目に自分が映るのであれば。

だが、アルフォンスの反応はフィンレイにとっては意外としか言いようがなく、あっさりとしていて何の興味も示してはくれなかった。

遠征に同行中の騎士でさえ、場をわきまえず口説いてくる輩が何人もいたというのに。


こんな質素な服だもの・・・

舞踏会でのようなドレスを着ていればきっと、陛下も私を見初めてくれたはず!


何事もポジティブに捉える彼女は、そんな思いを胸に、遠征中はアルフォンスの目に留まるよう精力的に働くのだった。

どんなに着飾ろうとも、そういう意味で彼の『目に留まる』ことなどないのだという事を知ろうともせず。


――――そして、事件は起きた。


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