第16話
緊張の為か応接の間に近づくにつれ、有里は言葉少なになり、握っていたフォランドの手に力を込めてくる。
時折不安げに揺れる眼差しが庇護欲を誘い、ついつい彼女には甘くなってしまうのだ。
「大丈夫ですよ。私がいます」
そう言えば、黒曜石の瞳を大きく見開き、安心したかのようにふんわりと笑みを浮かべた。
あぁ・・この笑顔に皆がやられてしまうんですよねぇ・・・
何を隠そう、フォランドもその一人なのだが・・・
有里は、扉の前で大きく深呼吸すると、先ほどとは違う強い意志を秘めた瞳でフォランドを見上げた。
「では、行きましょうか」
「はい」
お互い頷き合うと部屋の前で待っていたエルネストが、ゆっくりと扉を開いてくれたのだった。
「お待たせして申し訳ありませんでした。アークル伯爵」
普段からは想像できないような、凛とした有里の声が室内に響いた。
初めに有里が室内に足を踏み入れ、そしてフォランド、エルネスト。最後に有里の侍女であるリリとランが室内に入ると扉を閉めた。
アークルの目の前に立つと何処か幼さを滲ませたような微笑みを向けた。
「初めまして。二階堂有里と申します」
優雅にお辞儀をすると、ソファーに腰を下ろした。
それを見届けフォランドはすいっと有里の後ろに立ち、その横にはエルネストが。さらにその後ろにはリリとランが立った。
噂に聞いていたものとは全く違うその美しい姿の彼女と、その後ろに悠然たる態度で立つ二人の重鎮。
その異様な状況にアークルは挨拶を返すのも忘れ、あんぐりと口を開けた。
その様子にフォランドはほくそ笑む。
有里はアークルの様子など構うことなく、後ろに立つ4人を紹介した。
「ご存知かとは思いますが、こちらにおられるのがベルモント宰相閣下」
その言葉にフォランドが軽く会釈する。
「こちらはアルカ侍従長」
彼もまた会釈する。
「そして、その後ろにいるのが私の侍女であるリリとランです」
彼女らも恭しくお辞儀をした。
いつまでも惚けているアークルに、有里は「どうぞお掛けになって」と、にこりとほほ笑んだのだった。
我に返ったアークルは挨拶もそこそこに、何故彼等が控えているのか聞いてきた。
それもそのはず。宰相が同席することは想定内だった。
だが、彼は彼女の後ろに立ち、そして前皇帝の護り刀と謳われていたエルネストまで当然のように立ち、控えている。
これではまるで、彼等の主が彼女であると言っているようなもの。
先ほどまで、待たされていたことに対して嫌味の一つも言おうとしていたことなどすっかりと忘れてしまうほど、動揺していた。
「あぁ、実は伯爵のお話が終わった後に、こちらからお聞きしたいことがありましたので、彼等に同席していただいておりますの」
「聞きたい事・・・ですか?」
「えぇ。まずは、本日はどのようなご用件ですの?」
普段の態度からは想像できないほどの優雅な物言いに、後ろに控えている四人は顔には出さないものの心の中では『この人、誰!?』と、恐らく声にすればハモっていたに違いない。
アークルもまた、噂とはかけ離れた有里の姿、言葉遣い、所作の優雅さに出鼻を挫かれ思い描いていたように話ができない。
「え、えぇ。ユーリ様もまだこちらの生活には慣れていらっしゃらないのではと思いまして、私の娘をユーリ様付きの侍女にお召しいただければと思いまして」
こいつ、バカか?・・・と、フォランドは心の中で吐き捨てる。
恐らくは、丸め込む様に回りくどく自分の娘を売り込もうとしていたのだろうが、この状況に動揺し、いきなり本題をぶつけてしまったようだ。
これでサクッと拒絶されれば、そこで面会は終わるのだ。なんともお粗末である。
有里本人もこの展開は想像していなかったようで、少し驚いたようにしていたが、すぐに笑みを浮かべる。
「お気遣い有難うございます。ですが私にはすでに二人の侍女がおりますので、お気持ちだけ頂いておきますわ」
フォランド達の予想通り、サクッと切り捨てられた。
だが彼は己の失態と、あっさりと断られたことに対しての腹立たしさで、益々冷静さを欠きムキになった様に食い下がってきた。
「あの侍女達は出自がわからない者達というではありませんか。そのような人間を傍に置いて何かあってからでは遅いのですよ。
ならば、しっかりとした家柄の者を傍に置いた方が安心ではないのですか?」
一瞬、後ろに控えている者達の視線が鋭くなった様だったが、有里は眉一つ動かさず伯爵を見つめていた。
「・・・・・伯爵は、私がこの世界に連れて来られた時、あの場にいらっしゃいました?」
「え?いえ・・・・」
意表を付かれた様に、アークルはどもる。
「では、ユリアナの言葉は聞いていないのですね?」
女神を呼び捨てにする目の前の「小娘」に、アークルは何故か戦慄したように身震いした。
「私の前では身分は無きに等しいものです。身分が高いからと言って誠実とは限りませんし、低いからと言って不誠実とは限りません」
その声は凛としていて、まるでナイフのように鋭い。
「人間と言うものは愚かな生き物で、互いに優劣をつけたがるものです。ですが、この纏う肉塊を剥いでしまえば、皆同じなのですよ?」
言っている事はかなり物騒なのにその笑顔は優しげで、だが瞳は冴えわたる白い月の様に冷たい。
「ならばどうやってその人の本質を見極めるか。それは難しい事ですが、幸いにもこの肉塊もまた見極める判断にはなっています」
自分に自信のある者は堂々としているし、ない者は俯き加減だったりする。
心根の優しいものは身分関係なく接するし、そうでない者は見下し馬鹿にする。
「そう言うものは自然と滲み出るものなのですよ」
まるで幼子に言い聞かせるように、有里はやわらかく言葉を紡ぐ。
「リリとランは侍従長の推薦です。侍従長は前皇帝陛下の護り刀でしたが、今は私の護衛責任者でもあります。私は彼に全幅の信頼を置いております。
その彼が身分などという事を理由に私の侍女を選ぶとは思えません。彼がこの人ならばと選んだのがリリとランです。ならば私が彼女らを疑う事自体、無意味です」
それに・・・と、一拍置くように息を吐くと、誰もが見惚れる様な笑みを浮かべた。
「侍従長は現皇帝陛下の左翼守護者なのですから」
その言葉にアークルは愕然とした。
この国には双翼の守護者が存在する。それは公にはされていないが、皇帝の後ろには必ず存在する人物で幻の守護者ともいわれていた。
有里のいた日本で「左上右下」という言葉がある様に、この世界でも左が上位とされ、左翼守護者は右翼守護者よりも力も権限も上なのだ。
ちなみに右翼守護者は、有里は名前は聞いてはいるがまだ会ったことはなかった。
双翼の守護者に関しては謎が多く、口々に色々な噂は囁かれてはいるが全て憶測の域を出る事は無く、正に幻とされていた。
有里も実際にはどのような
というよりも、明かしては貰えなかったと言う方が正しい。
エルネスト自身は、貴族出身でもなければこの国の人間でもない。
とあることをきっかけに前皇帝に拾われ、長い間彼を護ってきた。
その実力と実績と信頼を基盤とし、彼は今の地位に立っている。
「ご理解いただけましたか。」
有里の問いかけに、放心状態のアークルはコクコクと頭を縦に振るしかできなかった。
それを見て有里はにこりと笑い「この話はおしまいです。では、本題に入らせていただきますね」と立ち上がり、横にフォランドを招き座らせたのだった。
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