第73話

「収穫無しか……」


 事前に取っていた宿屋へ戻り、ベッドに寝かせた女を見ながら物思いに更ける。


「……どうしたもんかなぁ」


 結局奴らは何も知らされておらず、ただ運ぶだけの役割を任せられた下っ端のみで構成されていた。


 どの道この女はジューダスに引き渡さねばならないし、何よりダークエルフだ。下手をすればエルフ族全体から恨みを買い兼ねない。慎重に動かなければ。


「せめて目を覚ましてくれたらな」


 裸の上にシーツを掛け何とか裸体を晒してはいないものの、こんな場面を誰かに見られては言い訳の立ちようも無いだろう。


「一度戻るか……仕事まで時間はあるし、二時間もあれば戻って来れるだろ」


 ただの宿屋の一室で彼女を誰にも認知させないというのは些か難易度が高いだろう。ならばもう少し時間が経った後に闇夜に紛れてアステリオに送り届けた方が無難な選択肢だろう。


 ――――瞬間。街の中から鳴り響く悲鳴。海から聞こえてくる轟々しい嵐の音。


 窓から外を見やればすぐそこには巨大な水の壁が迫ってきている。『海王星』が発生させた巨大な津波に酷似した水の暴力が街全体を飲み込まんとしていた。


「『焔星』!」


 宿屋を飛び出し、巨大な圧縮した劫火を津波に向かい撃ち放つ。


「『狼星』!」


 津波と火球が衝突した瞬間、火球の振動数を操作し波全体を包み込むように波及させる。巻き起こる水蒸気の嵐、その隙間から見えた人影に向かい直進する。


「……何で生きてやがるんだ?」


「愚問だな。そもそも生きてはいないのだ、故に死ぬ事も無いだろう」


 数日前に会敵した海の魔物、魔王軍幹部、六残光が一人、『海王星』の姿があった。以前と変わらぬ鋼の体躯を不動とし、水柱の上から睨みを利かせて。


「しかし、またしても冥王と遭遇するとはな。我も運が無い」


「そうみてぇだな。どの道、貴様等は滅ぼすんだ。何度襲って来ようとも、何度でも返り討ちにしてやるよ」


「そう何度も戦う事など無いであろう――――宿命が待っているのだからな」


 故に、冥王の相手は自分では無いと海王は言い放つ。


「破壊する。今のうちに命乞いでも考えてろよ」


「宿命から逃げるのか? どうなるかなど、当に理解している筈であろう?」


 ――――戦わなければ。僕も一緒に立ち上がる……だから……。


「――――うるせぇ」


「知らぬ、存ぜぬ、貴様は敵だ。死ぬがいい。敵の素性も、動機も知らずに暴力で圧殺する。そこらの童の方が余程人として位が高いだろうに」


「恒星核にその程度の口撃、効くと思ってるのか? アンタだって……そうなんだろ?」


「誠に、その通りだ。恒星核に辿り着いてしまえば最早精神に成長の兆しなど現れんだろう。不変的な星同様、天の末席に座り、ただ輝き続けるのみ。哀れよな、殺す事に特化した星を掲げてしまえば、最早衝動からは逃れられない」


「ああ……本当に、哀れだよ、俺もオマエも――――」


 ――――しかし。


「今この状況ではアンタは敵だろう。ならばさっさと殺して、それで終わりだ」


 構えながら『焔星』の炎を体に纏わせる。俺の立つ建物の屋根が溶け落ち、大気が震え夜闇の黒に炎の赤が灯る。


「生憎だが、貴様の相手は我では無い」


 街の一角、港の方角が爆ぜる。黒の粒子が巻き起こり、爆炎を撒き散らせながら周囲の建物が溶ける様にして空気と同化していく。


 鳴り響くのは、気高い狼の咆哮。




――――


「だ、団長ぉッ!」


「怪我人は後ろに連れて行けッ! 戦える者は二番港で戦線を構築する、着いて来いッ!」


 突然の襲撃、海から現れた大量の魔物に翻弄された監視の者達は即座に応援を要請した。


 蠍の猟団、モイラを率いる七人は迫り来る海洋主の魔物を相手取りながら二番港まで突き進む。


「『糸星シュナイダー』」


 モイラは自身の星を起動させ、海から上がってくる地点に対し鋼糸ワイヤーのトラップを張り巡らせる。


 陸に上がりあぐねている魔物に対し追撃として鋼糸を叩き込む。


 糸を束ね、高速で撃ち出し魔物の体を両断する。トラップ、高威力の切断攻撃、その両方が防衛作戦において高水準でその力を発揮していた。


「――――アレは」


 海が突然盛り上がり、以前にも街を襲った津波が現れる。


「総員退避っ! 下がれぇッ!」


 しかし街の全てを飲み込む波には逃れられない。誰しもが死を意識したその瞬間、赤い爆炎が巨大な波を蒸発させる。


「おいおい……化け物しか居ないのか……」


 モイラは真っ当に優秀な星光体だと自負していた。戦闘や移動の術技は多岐に渡り、そこに数多の戦場を越えた戦術眼を備えている。七星には僅かに劣るものの、勝負としては成り立つのだろうと評価を固めていた。


 しかし、この戦場は異常だろう。


 街一つ飲み込める程の巨大な津波を放つ六残光の一人、ポセイドン。極め付けはその津波を消し飛ばした男の方だ。先程までモイラと酒を飲み交わしていた男、アイルの存在だ。


 ただのフリーの冒険者。一人でこんな依頼を受けに来たのだ、ある程度の社交性を備え、フリー故に臨機応変な男なのだろう、これがモイラが抱いていたアイルへの印象だった。今回の依頼を受けた者の中では真っ当に自身が最優なのだろう、直接指名され呼ばれて来た責務を果たすのだ。


 いつもの如く、当たり前の事。当たり前に仕事をこなし、当たり前に家に帰り、当たり前に一人で酒を煽る。そんな無想は儚く散りゆく。これこそまさに神話の世界だろう。


 当たり前に優秀なだけの彼女は静かに戦慄し、ただ静かにアイルが飛び去った方角を見据え続ける。


 ――――そんな当たり前の彼女の前に、明確な死の番人が訪れる。


「――――、ッ!?」


 声が出ない、目が離せない。海から蛇の魔物に乗って上陸した黒銀の鎧に戦線に参加した全ての冒険者の目は釘付けにされてしまう。これはダメだ、終わってしまう、ここまでだ、走馬灯の様に駆け巡るのは数々の人生の航海記。


 闇の瘴気を纏った黒の狼型の鎧。武骨な体躯、二メートルを超える背丈から流れる黒の鬣。その双眸を飢えた獣の如く赤く血走らせ、牙は貼り付けられた様に剥き出しのまま不動を演じている。黒の外套をはためかせ、直立不動のまま周囲を見回す。


「――――ひとつだけ忠告だ……誰も動くな」


 男の声、間違い無く目の前の狼から放たれたそれは全ての冒険者の心臓を穿つ様に鋭く、忠告を破ればどうなるかなど日の目を見るより明らかだ。


 狼は静かに動き出し、迷う事無くアイルが進んだ方角へと歩を進めている。


「――――、ッ! 総員、攻撃開始っ!!」


 港に集う全ての冒険者がその合図と同時に狼に向かい攻撃を放つ。火が、風が、衝撃が、糸が、襲撃者である狼の命を刈り取る為に放たれる。


 思いも寄らない様な脅威、神話の登場人物の乱入にしかし、当たり前に優秀なモイラは瞬時に判断し動く事が出来た。奴が魔物を従える襲撃者、人類の敵である事は明白だ。


 ――――故に彼女は動く事が出来た。そう――――動いてしまった。




 ――――闇の冥夜に抱かれながら、死の狼は黄泉を降る。

 天へ轟く嘆きの声を響かせながら、我らの死骸に縋り付く。物言わぬ骸の躰に成り果てようと、気高き誇りはこの胸に。

 夢に描いた銀河の果ては、何とも虚しく至らない。輝く星の皆一切、滅びてしまえばいいとさえ。

 祈りの詩などもういらない、貪り食らうは我が宿命。

 友と共に駆けたあの日は、決して嘘では無いのだから。


 ――――ならば響かせ、呪いの声よ。冥王ハデスに並ぶは我が運命さだめ。怨みの叫びを吠え称え、彼方の楔よ果てるのだ。


「『冥狼星ケルベロス――波及するは万の呪詛カンツィオーネ天を喰らう漆黒狼アンチマター』」


 放たれるは漆黒の反粒子。火が、風が、衝撃が、糸が、全ての攻撃が分解される。漆黒の闇は空に波及し続ける、この世の全てを喰らい殺す為に。


「――――悪いな、ここで死ね」


 響き渡る声と共に港全体を覆わんとする反粒子。全ての星を分解しながら、正道の星光に叩き付ける。


「『反粒天体アンチマテリアル』」


 闇の奥底から漆黒が溢れ出す。星光と反粒子、異なる粒子が正面からぶつかり合う事により発生する次元孔。別次元の法則によってこの世界に存在する力の全てを分解する破壊の煌めきが発動される。


「――――」


 息を飲む、声が出ない、ここが自分の死に場所なのか。


 港に存在する生命の一切は行き着く果てを幻想し、ただ静かに滅びの破壊が訪れるのを瞑目しながら待ち続ける。

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