第56話
広い教会の中、椅子が散乱し、焼け焦げている。
横には地下へと至る道だろうか、両側に備え付けられているのは幾重にも連なる扉の数々。
教会の奥、巨大な白銀の十字架の前に、一人の女性が跪いている。
「……人を探してんだけどさ、マリグナントって奴は居るか?」
既に市民の全ては逃走し、教会の中は伽藍洞だ。その中で日常に留まるように祈りを捧げ続ける彼女は、決して常人などでは無く、大方正体には気付いている。
「如何にも、私がマリグナントで御座います。スヴァルト正教国で大司教なるものを務めさせてさせて頂いております」
お淑やかにマリグナントは語る。
今になってはコイツの人柄など最早関係無い。聞きたい事を聞くだけ聞いて、後は殺すだけだ。
「質問いいか? 答えてくれないならすぐに殺すだけだけどな」
「ええ、どうぞ、何なりと。私でよろしければ」
「話が早くて助かるな。――――どうして勇者を狙った?」
「勇者とは……つまりは星神からの贈り物。それを我が物にしようと思うのは妥当な判断だとは思いませんか?」
「その為だけに戦争を仕掛けたのか? 馬鹿を言うな、訪れるのは破滅だろう? 英雄が居る国に喧嘩を売るなんてな」
「それでも、求める事こそ信心でしょう? そこに現在の情勢など意味は無く、ただただ求める――――愚かな
深々と被ったフードから顔を覗かせる。銀色に染まった頭髪からは眩く程の星光が漏れ出す。瞳の中に歪に存在するのは金の十字架。美しい顔立ちは憂いを帯びた笑みを浮かべ、こちらを見染めている。
「それがアンタの本性って訳か。世界の情勢を面白可笑しく掻き混ぜて、巨大な戦禍でも巻き起こそうってか?」
こういう気狂いはたまに見かける。ただし、それらの一切は碌な終わりを迎えてこなかった。マリグナントも同様だ、喧嘩を売った相手が悪かった。
――――しかし。
「世界など……どうでもいいだろう?」
「ああ?」
「――――世界の情勢? くくっ、知らんなそんなモノ。戦禍で無辜の民を咽び泣かせる? ああ、下らない、楽しくないだろう、そんな事由は」
微笑み、顔を赤らめながらこちらに歩み寄ってくる。
「覚悟がある様に見えたか? 野望がある様に見えたか? 知らんさ、そんなモノ。この世で最も不要な長物だろう」
「……それで、アンタは何がしたいんだ? 隠している事があるのなら言っておけ、どうせここで消える命だ」
奴の命を滅ぼす為に、俺も彼女に歩み寄る。
「何も無いのさ。国を統べる野心も、大敵を嬲る嗜虐心も、何も、何も、必要ない。ただそこに、在るがままを受け入れながら、人間賛歌を奏でるだけよ」
「……俺には狂った歯車に見えるがな」
「いいやその逆、私には、世界が澄んで見えるのさ」
お互い、止まらない。長い聖堂の端から、ゆっくりと進み続ける。
「失いたく無い」
「ああ?」
「自分の尊厳を、理想を、魂を。全て焦がして永遠に語られる傷跡を世に残したい」
「その為に星神の亡骸を使って実験を? 一発の博打、再度の補充の目処も無い兵器を運用した……と?」
「先ずは……軍から……」
雄弁に彼女は語り続ける。
「彼らの心を亡骸で蝕み、分かりやすい大義を示す。そうすれば、人は何処までも着いてくる。特に、神に嵌まる哀れな人達は……な」
「ああ、聞いて無かったな。アンタの星の能力は? 大方、洗脳系だと踏んでいるんだが……合ってるか? 答え合わせをさせてくれよ」
「洗脳などでは無いよ。さっきも言った通り、目的を与え、力を与え、思考を鈍らせ、後は背中を押しただけ。軍全体に広まるソレは一気に国全体にまで波及する。いやぁ……実に面白かった」
「つまり……星神の骸で軍を支配して、軍がそういうなら……と、国中の奴らの目も曇らせたのか?」
「概ね、その通りだ。何せ私に人を治める話術など備わっていないのだから」
一層警戒を強める。コイツは……今までで見た事が無いタイプの人物だ。
「失いたく無いのは……ああ、君の方だったね?」
「――――黙ってろ」
「失いたく無い、死んでほしく無い。だからお願い、行かないで。俺が全てを殺すから。その理想郷で、君と共に生きていたい。……女々しいねぇ、守る為に殺すか、それこそまさしく人の業だねぇ」
馬鹿にした様な笑顔を作り悦に浸った顔で俺の心象を吐露する。
「――――死なないで、守る為に殺すから。この二つがアイル君の中で渦巻いているね。一つは幼く純朴な願い、一つは枯れ果て擦れた狂気。――――成程、何か混ざっているね?」
「いいから黙ってろ。直ぐに楽にしてやるからよ」
名乗ってもいないのに、マリグナントは俺の名前を言い当てた。俺の心象をこうまで理解しているというのなら『冥星』や俺の大切な者まで熟知しているかも知れない。
迅速に――――殺さなければ。
遂に俺たちは互いの手が届く位置にまで詰め寄った。マリグナントの顔は病に伏せる病人の様に、恋をする乙女の様に顔を赤らめ、静かに俺を見上げている。
「――――この世は所詮、楽しければそれで良いのだ」
「死んだ果てに、楽しみなんて在りはしない」
首を握り締め、じわじわと死の毒を滲ませていく。
苦しみ藻掻く彼女の姿を嘲笑い、呆気なくその人生に終わりを与える。
「……気味がわりぃ」
僅かに残る虚しさを心に滲ませながら、彼女の亡骸を死の影で飲み込み、完全に殺し切る。
――――奇想天外、喜怒哀楽。生とは意図せず儚く摘まれ、性とは怠惰に命を育む。
おお、地に眠るレムリアよ、海に沈んだニライカナイよ、我らの生を喜びたまえ。
生にしがみ付き、生に見放され、それでも我らは夢を見る。
夢に描いた銀河の果ては、我らの
理想郷とは儚く散るモノ、人の生に相反し、触れられずとも我らは常に隣り合う。
故に
――――極楽下りて涅槃に至る。穢土を嗤うは彼の天楽。共に嗤おう、卑しき
――――これぞ我らの桃源郷。
心臓が跳ね上がる。耳に響くのは負の怨嗟。以前俺が辿り着いた極致に、この女は星神の骸を利用して辿り着いた。辿り着いてしまった。
「『
「『
煌く様な銀河の光。願いを超えて、その力は現実に昇華する。
地獄の底から生を求める声が這いずり出て来る。聞こえるのは大量の人の呻き声。足音を掻き鳴らし、蠢き軋ませ、ソレは――――いいや、ソレ等は、教会の地面の全てを砕き、地下からその姿を覗かせる。
「――――ククッ――――クハッ! ――――アッハハハハハハハハッ!!」
地が砕かれ落下する中で見たのはマリグナントの狂気に満ちた笑顔だった。
「共に往こうッ!! 人間賛歌を響かせながらッッ!!」
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