第42話 諏訪へ配流㉕ 🌸父・伊達政宗との確執
ところで。
五六八姫には父・政宗への鬱屈が重なっていた。
寛永元年(1624)2月。
見て見ぬふり施策を貫いてきた伊達政宗は、突如、キリシタン弾圧を開始した。
まず見せしめとして火焙りに処せられたのは信徒のマルコ賀兵衛とマリア夫妻、次いで伝道師・カルワリヨ神父と配下の信徒60人が捕らえられ、奥羽山脈の麓の下嵐江から仙台まで30里の雪道を、荒縄で数珠つなぎにされて裸足で歩かされたあげく、すぐ間近に仙台城を仰ぎ見る広瀬川の河原で、水責めに処せられた。
拷問は苛烈を極めた。
罪人の数だけ掘られた深さ1尺5寸(45センチ)、幅3尺(90センチ)ほどの穴に、雪と氷混じりの広瀬川の水が引き入れられ、そのなかに破衣すら剥ぎ取られた神父と信徒たちがひとりずつ押し込まれた。
何としても落とせと至上命令を受けた役人たちは、
「転べ! 転ぶのだ! 転んだら許してやるぞ。早う転べったら転べ!」
声も嗄れよとばかりに絶叫し、歯の音も合わぬほど打ち震えながら、粛然と首を垂れて何事かを唱えつづける信徒たちを容赦なく鞭で打ちすえたが、ひとりとして背教に応じようとせず、全員が打ち揃って天上のデウスのもとに召されて行った。
伝道師・カルワリヨ神父が日本語教則本として愛用していた仮名書きの『太平記抜書』がずたずたに引きちぎられ、黄ばんだ紙片が雪まじりの寒風に無惨に吹き飛ばされるさまが、ひときわ見物人の涙を誘ったという。
政宗の周到な根まわしで、奥山の獣も目を背けるほど残酷を極めたという処刑の実態が、敬虔なキリシタンである五六八姫の耳に入ることはなかった。のちに事実を知らされた五六八姫は、活動期の活火山の如く憤激しながら父に詰め寄ったが、にわかとも思える厳罰の理由が、父の口から明かされることはついになかった。
信仰の絆で結ばれた罪なき朋輩たちが、選りにも選って、自分の住処のすぐ間近で惨たらしい拷問を受け、全員が処刑された。およそ人間業とは思えぬ残虐行為の張本人が、ほかならぬわが父上であるという現実を、娘のわたくしは如何様に受け入れたらよいのか。
このとき、あれほど仲睦まじかった父と娘の間に越すに越せない溝が穿たれた。
愛する夫を奪われ、いままた信頼する父親にも背かれ、ただひとり信仰を同じくする母親は遠い江戸にいて、会うこともかなわぬ。仙台城西屋敷の五六八姫は惨めに孤独だった。
思えば、生まれて初めて当地に居を移したのは27歳のときであった。
正直に言ってしまえば、五六八姫にとっての仙台は故郷でも何でもないのだ。
山川のありよう、四季の気配、人々の表情、話す言葉、食べ物、生活習慣、ことごとくに違和感がつきまとう仙台にひとり放り出された格好の五六八姫をしっかりと支えてくれているのは、なにもかもを承知してくれている寡黙な侍女・茜音と、ときどき見舞いに訪れてくれる片倉小十郎重長のふたりだけだった。
全国の禁制の網を潜り抜けた隠れキリシタンどもが、取り締まりが緩いと評判の仙台に集結するような由々しき事態が生じては、苦心の天下の法度も笊同然。他の大名どもの目も思えば、余が最大の信頼を寄せる陸奥守(伊達政宗)にも、不要な嫌疑をかけぬわけに参らぬ。事と次第によっては、奥羽列藩の元締めの席はおろかお膝元の仙台62万石すら危うくなるやもしれぬゆえ、ここのところは……。
事情を知らない目には、あまりにも唐突に映じた伊達政宗の隠れキリシタン取り締まりは、江戸城のご当代(3代将軍・家光)さまに膝詰め談判されての、やむを得ぬ決断であったことを、五六八姫ものちになって知った。
――将軍さまにも父上にも、それぞれの事情があったのやもしれぬ。
自分を納得させようと思いを巡らせてみたが、数多の罪なき朋輩の命を奪った、非道な仕打ちの事実は残る。ひとたび穿たれた溝は簡単に埋まりそうもなかった。
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