第8話 東の村テアレム



 春告鳥フォルタナの翼亭で東の村テアレムの中級妖魔ホブゴブリン退治の依頼を請けた翌日の早朝、マリアベル達は各々おのおの準備を整えてクナートの東門に集合した。


 純前衛職と自負するシアンは使い込まれた半身鎧ハーフプレート姿で待ち合わせ場所にやって来た。腰には細剣を2本いている。本人曰く「二刀流ってかっこいいだろ!?」との事だ。

 シアンと共にやって来たシュウカは、異国風のちで動き易さを重視した簡易鎧クロースを身に着けていた。胸当てには朱色で美しい文様が描かれており、彼女の真っ直ぐな黒髪がよく映えている。腰にはやや長さのある細身の刀剣をき、左手には盾代わりと思われる頑丈そうな小手をつけている。

 マリアベルは着慣れた半身鎧ハーフプレートを身に着け、背には使い慣れた両刃の大剣を背負っている。もともとマリアベルは細々こまごまとした身のこなしは不得手で、大剣を大雑把に振るう方が性に合っている。だが、森の中にも入る可能性を考えると、大きな剣を振り回せない事も考えられたため、苦肉の策として腰に短剣を下げる事にした。

 後衛職、とシアンに大歓迎を受けたベンとピーターは簡易鎧クロースという軽装だった。ベンは肩に弓を、背に矢筒を背負っている。ピーターは左手にシンプルなスタッフのみだ。



「よーし、全員揃ったな?!」


 東門の前に集った面々を見まわしてから、シアンは満足そうに一つ頷いて片手を高く上げた。


「んじゃ、しゅぱーつ!」


 意気揚々いきようようと号令をかけると、残る4人はそれぞれ声を上げて応じた。



* * * * * * * * * * * * * * *



 馬車が余裕を持ってすれ違える程の広さを持つ東の街道は、きちんと整地されており、歩きやすい道だった。道の左右には葉を茂らせた樹木が等間隔で植えられている。木の高さが一定というところから推定するに、人の手で植樹されたものだろう。


 シアン、シュウカはともかく、マリアベルやベン、ピーターは冒険者としての初仕事だ。目に映るもの全てが新鮮に見え、心が浮足立つ。これから向かう村の事について、中級妖魔ホブゴブリンについて、など、あれやこれやと情報交換という名の雑談をしながら、一行は何度か休憩を挟みながら進んだ。


 色々な事を話しながら進むと、あっという間に目的の村テアレムに到着した。質素な村の門をくぐりながら、シアンは一同を見まわした。


「ひとまず依頼元に挨拶だけでもしとこうぜ」


 その言葉に全員異議はなく頷いた。


 今回の中級妖魔ホブゴブリン退治の依頼元は、テアレムの村の村長になる。

 村は20~30戸の家屋があり、そのどれが村長宅になるか分からない。しかし幸い、通りすがりの村人の青年にを尋ねるとすぐに教えてくれ、しかも道案内までしてくれた。冒険者に好意的なのか、それとも偶々たまたま気の良い人物だったのかは分からないが、有難い事には変わりない。

 村長宅前で代表してシアンが礼を述べると、村人の青年は気さくに笑いながら一行の顔を見回し、――そして、ほんの僅かに微妙な――強いて言えば“何だか残念そうな”表情を浮かべた。だが、すぐに表情を改めると、笑顔で片手を振って去って行った。

 残された5人は、何となくお互いの顔を見合わせた。


「さっきのアレ、なんだろうな?」


 ピーターが、チラリと村人の青年が去って行った方へ視線を向けつつ、頭を掻きながら言った。その言葉に、隣にいたベンがすぐに食いついた。


「あ、お前も変な感じしたか? だよな? なんか妙な顔してたよな」

「俺たちがだったとか?」

「うへぇ……やめてくれ、テンション下がる」


 苦い顔をしてベンが肩を竦める。


「我々だけならともかく、シアン先輩やシュウカ殿は十分実力のある冒険者だから、そんな事は無いと思うが」


 むぅ、とマリアベルが真面目くさって呟くと、シアンが顔を輝かせた。


「おぉ! ベル、よく分かってるじゃん! そうそう、俺はデキる男だからな!」


 しかし、直後に会話に割って入ったシュウカの言葉で一気に表情が引き攣る。


「ふふっ シアン、かわいい」

「ゲッ やめろ! 何がだよ! つか、大体「かわいい」って言われて喜ぶ男なんかいねーし!!」

「何故だ? 褒め言葉だぞ? 得意顔のシアン、私は好・き・だ・ぞっ」

「やーーーめーーーーろーーーーーー!!」


 鳥肌を立てながら逃げ回り始めるシアンと、ピッタリと後を追うシュウカ。それを見ながら、ベンとピーターはいささか羨ましそうな表情を浮かべた。シアンの方は迷惑千万なのだろうが、シュウカは東国オリント人ならではの切れ長の瞳と真っ直ぐな美しい黒髪を持つ、見ようによっては神秘的な雰囲気の女性だ。男性陣としては追い回されるシアンは贅沢者に見えるのかもしれない。


 しばらく、くるくると逃げ回っていたシアンだったが、急停止して「ストーップ!!」とシュウカに片手の平を突き出した。


「おふざけはここまでだぜ、シュウカ。早いとこ村長に挨拶して、村の人達からも情報を集めないとなんだからな」

「ふざけたつもりはないのだが、村長に挨拶に行くのは早いにこしたことはないな。承知した」


 ないのか、とぼやきながらも、シアンは走り回って若干崩れた身なりを軽く整えた。――結構な速さで走り回っていた割には、2人とも息切れもしていないのは、流石中堅冒険者、といったところだろうか。



「こんにちは、村長はご在宅ですか!」


 ドアをノックしてから、シアンはドアの外から家屋の内部へ呼びかけた。しばらくすると、ドアの内側から「はい、はい、ただ今」と女性の声が聞こえ、その後すぐにドアがひらいた。初老の女性は、シアンを、そしてその背後に立つ4人を見て、驚いたように軽く目をみはった。


「驚かせてすみません。クナートから依頼を請けて来ました。冒険者のシアン・バレンティーノです」


 素早くシアンが挨拶し、軽く礼を取る。すると、女性は相好を崩した。


「まぁ、冒険者の方でしたか! 遠いところ、ありがとうございます。さ、どうか中へ」


 ドアを大きくひらき、一行を屋内へと促す。礼を述べつつ、5人は村長の家の中に入った。その際、ふとマリアベルは女性の表情に、先ほどの村人の男性と同様の、“少し残念そうな表情”が浮かんだ事に気付いた。


「主人を呼んでまいりますね」


 一行を居間に通しテーブルへ案内した後、女性はそう言って部屋の外へ出て行った。どうやら彼女は村長の妻らしい。足音が遠ざかったのを確認してから、マリアベルは口を開いた。


「先ほどの女性も、道案内をしてくれた男性と同様に、どことなく残念そうだったな」

「あ、ベルもそう思った?」


 ピーターが頷く。ベンは気付いていなかったのか「そうか?」と首を捻っている。


「シンさんが前この村に来た事があるって言ってたから、案外、シンさんがまた来ると思ってたのかもな」

「ああ、そういえばそう仰っていましたね」


 シアンの言葉に、マリアベルは頷いた。頷き返しながら、シアンは続けた。


「昨日の夜、寝る前に思い返してみたんだけど、確か、去年の聖夜祭の前……秋頃だったかな? ネアさんが春告鳥フォルタナの翼亭で依頼を請けて……そん時に、シンさんも行っ……てた、気がする。俺はその時、調べたい事があって行かなかったんだよな」


 腕組みをしつつやや不満げな表情を浮かべた。その時、居間のドアがひらいて、初老の男性が先ほどの女性をともなって室内に入って来た。


「どうも、どうも、お待たせして申し訳ないです。冒険者の皆様。私がこの村の村長を務めております、ヘンドリクセンと申します。こちらは、妻のエイダです」


 村長が名乗り、傍らの女性が深々と礼をとった。一行も各々おのおの名を名乗る。全員が挨拶を済ませると、女性――村長の妻は部屋を退出した。それを確認してから、村長はテーブルについた。


「クナートからわざわざ申し訳ない。もうすぐ日が傾きますので、今日は我が家でお身体を休めて下さい」

「え、良いんですか?」


 驚いてピーターが口を挟む。その言葉に「勿論ですとも」と村長はにこやかに頷いた。


「以前、クナートから冒険者の方がいらした際も、我が家の客間でお休み頂いたんですよ。丁度、2階に3部屋客間がありますから、自由に使って頂いて構いません。食事も出来る限りご提供させて頂きます」


 至れり尽くせりだ。村の人々が困っている中級妖魔ホブゴブリンの退治に来た冒険者だからもてなしてくれようとしているのだろうか、とマリアベルは思ったが、微妙な顔をしているシアンとシュウカを見ると、どうもそうではなさそうだ。村長も彼らの表情に気付いたらしく、僅かに苦笑して言葉を続けた。


「この村には宿はありませんし、――何より、以前いらして下さった冒険者の方には、色々と……――ご迷惑やご面倒をお掛けしてしまいまして。次にいらっしゃった際には、精いっぱいおもてなししなくては、と妻と常々話していたんですよ」

「迷惑や面倒、っすか?」


 首を傾げながら聞き返すシアンに、村長は大きく何度も頷いた。


「ええ、はい。昨年の秋の終わり頃でしょうか。低級妖魔ゴブリン退治の依頼をしまして……結果的に、中級妖魔ホブゴブリンを討伐して頂いた事があったんです。しかも、丁度森に潜んでいたエイクバの犯罪グループの残党まで捕まえて頂いたんです」

「あ、やっぱりあの時の、か」


 シアンがぽん、と手を打った。


「なるほど。確かに、ネアさんとシンさんなら、ぺんぺん草一本も残らないくらい殲滅しそうだな」

「仰る通り、あの後はしばらくずっと平穏だったんですが、――少し前からでしょうか。空だった根城にまた中級妖魔ホブゴブリンが住み着いてしまいまして」

低級妖魔ゴブリン中級妖魔ホブゴブリンも、他のヤツの空の根城を使って住み着いたりするからなぁ……今回殲滅したら、根城の入り口をふさぐなり何なりした方が良いのかもだな」

「そうして頂けると助かります」


 村長が頭を下げ、顔を上げたタイミングで彼の妻がお茶のワゴンを引いて居間に入って来た。その後ろに、何故か数人の青年がついてきて、ドアの間からこちらを覗いている。思わずマリアベル達は彼らの方へ視線を向けた。それに気付いた村長が青年たちへ苦い顔を向けて「おい、お前たち、なんだ、行儀の悪い」と注意する。目に見えてギョッとした彼らは、慌ててドアの外で口々に言い訳を始めた。


「あ、いや、村長。冒険者が来たって聞いて……」

「挨拶をって思って……なぁ?」

「そうそう。あ、俺、森で中級妖魔ホブゴブリン見たから、情報提供ってヤツで」

「お前、抜け駆けするなよ」

「いや、本当だって」


 騒々しい言葉は、村長が一つ咳ばらいをするとピタッと収まった。ややあってから「すみません」と異口同音に謝罪の言葉を述べ、とぼとぼと帰って行った。

 彼らがドアの外からいなくなったのを確認してから、ベンが頭を掻きながら村長に問うた。


「えーと……冒険者が珍しいんですかね?」


 すると、村長は苦笑して首を横に振った。


「いやぁ、以前この村に冒険者の方がいらっしゃった際に、とても綺麗なお嬢さんがいたもので、村の若い者たちは冒険者が来たと聞くと、未だに浮ついてしまうのでしょう」

「“綺麗なお嬢さん”?」


 訝し気にシアンが問い返す。村長は妻と顔を見合わせてから、そうですよ、と頷いた。


「以前、冒険者の皆さんが村に来て頂いた初日に、村の者が中級妖魔ホブゴブリンに襲われまして。その際に、そのお嬢さんが身を挺して村の者を守って下さったんです」

「助けられた者は皆、お嬢さんに会ってお礼を言いたかったのでしょう。以前はバタバタしていてきちんとお礼が言えなかったもので、今回、いらっしゃるかもしれないと期待している者も多かったのではないかと思いますよ」


 村長の言葉に、彼の妻も続けて言い、それから「実は、私もほんの少し、期待してしまって、つい」と続けてから微笑んだ。

 となると、最初に村長の家を案内してくれた青年も、同じく一行の中に目当ての“綺麗なお嬢さん”がいなかった事でどことなく残念そうだったのかもしれない。そう考えると納得がいく。マリアベルは近くに座るベンとピーターと顔を見合わせた。彼らも納得した表情をしている。チラリとシュウカを見やると、彼女も同様だ。

 ――しかし、最後にシアンを見やると、彼は皆と違って、一人奇妙な顔をしていた。


「シアン先輩、どうかしましたか?」

「え? いやー……ネアさん、どう考えても“綺麗なお嬢さん”って顔じゃ……、いや、顔っつーか、別に顔が悪いとか言ってる訳じゃないんだけど、お嬢さんって年じゃ、絶対無いっていうか、」


 腕組みをしてシアンは首を傾げて呟いた。


「ネアさんとシンさん以外に、誰か一緒に依頼請けて来たのか?」

「ええ、以前この村にいらっしゃった冒険者の方は3人ですよ」


 シアンの言葉に村長が答えた。


「見た所、熟練ベテラン冒険者の方がお2人と、初心者の方――“綺麗なお嬢さん”の、3人です」

「へぇー、名前は?」

「さて、お名前は……何だったでしょう。おい、覚えているか?」

「いえ、私はお聞きしていないです。お泊りになった初日は中級妖魔ホブゴブリンが出てしまいましたし、翌日の夜は捕縛した罪人が数人いてバタバタしておりましたので……女性の方はネアさん、と仰いましたけど」


 村長が問うと、妻は片頬に片手を当てながら視線を宙に彷徨わせた。その言葉に村長も同意する様に頷いた。


「リーダー的なまとめ役として、よくわしらと会話したのが、ネアさんと仰る女性で。他のお2人は、あまり接しなかったですね。特に、“綺麗なお嬢さん”は中級妖魔ホブゴブリンから村人を逃がすために囮になって下さった際にお怪我をされて」

「ネアさんとシンさん――がいるのに、?」


 違和感にシアンが問い返す。気にした様子もなく村長は頷いた。


「ええ。同行されていた半妖精ハーフエルフの男性――シン、さん、と言いましたか。彼が非常に心配して付き添ってらっしゃったのを覚えていますよ」

「ふーん…………誰だろ? シンさんの知り合いかな」


 村長へ相槌あいづちを打ちつつ、シアンは後半独り言のように誰にともなく呟いた。――その問いに返答出来る者はこの場にはいない。結局、その話題はここで終わりとなり、一行は村長の妻に2階の客間に案内してもらう事にした。



 2階の客間は、少し広い部屋が2つ、他と比べて半分ほどの広さの部屋が1つある。シュウカはシアンと同室を強く要求していたが、シアンが全力で却下した。その結果、シュウカとマリアベル、ベンとピーターがそれぞれ一室ずつ、残りのやや狭い部屋にシアンが泊まる事になった。中級妖魔ホブゴブリンの根城の位置は村長も把握しているそうだった為、翌朝早々に中級妖魔ホブゴブリンの根城へ向かう事となった。



* * * * * * * * * * * * * * *



 翌朝、神経が高ぶっていたマリアベルは早々に目を覚ました。まだ日が昇る前だ。同室のシュウカは静かに寝息を立てている。起こさないように床に降り立つと、盥に水を注いで顔を洗い、降ろしていた鈍い金色の髪を手早く一つにまとめる。いよいよ今日、妖魔モンスターと戦う事になるのだ。


「……戦神ケルノス様、どうかご加護を」


 己の胸元へ手を充て、マリアベルはそっと祈りの言葉を口にした。


「もう起きたのか? 早いな」


 背後から突然声が掛かったため、ハッとして振り返ると、シュウカがベッドで半身を起こしていた。起こしてしまったのか、と慌ててマリアベルは向き直って詫びの言葉を述べようとしたが、彼女は手で制しながらベッドから降りてきた。


「私はいつも大体このくらいの時間に起きている。自然に目を覚ましただけだ」

「そうか。ならば良かった」


 ホッとして肩の力を抜いて笑うマリアベルに、シュウカは少しだけ首を傾げた。


「そういえば、ベルは戦神ケルノスの信徒だったか」


 先ほどの祈りの言葉を聞かれていたらしい。少し頬を朱に染めつつ、マリアベルは頷いた。


「ああ。……実は、妖魔モンスターと対峙するのは初めてで。それで、朝も早々に目を覚ましてしまったんだ」

「なるほど。――初めてなら気が高ぶるのも致し方ない。しかし、あまり肩肘を張らずに周囲に注意を払う事を忘れずにな」

「肝に銘じる」


 真面目くさった面持おももちで頷くマリアベルに、シュウカは目を細めて頷き返した。普段は切れ長でクールな印象の瞳を持つシュウカだが、笑むと印象が変わる。鋭さが影を潜め、大人の成熟した美しさが際立つ。真向から視線を受けたマリアベルは何だか照れくさくなり、はにかんだ。



 しばらく2人は部屋で談笑をした後、日が昇る頃に着替え、連れ立って下の階へ向かった。まだ男性陣は起きておらず、村長の妻が全員分の朝食の準備を始めようとしていたところだった為、手伝いをする事にした。

 朝食のパンが焼き上がる良い香りがする頃、男性陣が匂いにつられるように一人、また一人と起きて来た。



 しっかりと朝食を取った後、一行は中級妖魔ホブゴブリンの根城へ向かって出発をした。



* * * * * * * * * * * * * * *



 村長の家から外に出ると、一行はまず村の畑へと向かった。森の手前にある畑では、既に数人の村人たちが農作業にいそししんでいる。一行に気付くと、気さくに挨拶をしてきた。挨拶を返しながら畑の中の道を通り、森の入り口に立つ。ベンとシュウカが地面の様子を観察する。


「目立った妖魔モンスターの足跡っぽいのは無いみたいだな」

「まだ村まで来ていないだけかもしれん。進むぞ」


 狩人レンジャー技能スキルを持つと思われるベンの言葉にシュウカが応え、先頭に立つように森へ入って行く。どうやらシュウカも狩人レンジャー技能スキルを持っている様子だ。

 彼女の後にシアンが続き、次いでマリアベル、ピーター、ベンと、縦一列になって細い森の道を歩く。――否、“道”というより“獣道”かもしれない。村人は必要最低限しか森に入らないらしく、生い茂った草で足元が見えにくい。狩人レンジャー技能スキルを持たず、山道を歩く事に慣れていないマリアベルは四苦八苦しながら――たまにピーターやベンの手を借りながら、森の奥へと進んでいく。


 しばらく経つと、眼前に少し開けた場所が見えた。「シッ」と口元に指を宛がいながら、先頭のシュウカがもう片手で後に続く面々を制する。それから、視線だけで先を示した。身を顰めて目を凝らすと、崩れかかった土壁に囲まれた洞穴ほらあなが見えた。低く抑えた声でシュウカが短く「恐らく根城だ」と告げる。その言葉に、殿しんがりを務めていたシアンが身を屈めながら彼女の横へ並ぶ。


「中にいる感じか?」

「いや、ここからでは分からない」

やっこさんの方は気付いてないみたいだな。――なら、」

「奇襲をかけるか」


 声を潜めて交わされる先輩冒険者2人の会話に、マリアベルとベン、ピーターは息を殺して耳を傾ける。


「ピーター」

「あっ はい」

「お前、魔法行けるんだったよな。あの入口に見える野菜屑の山に火は放てるか?」

「火、ですか? 山では危険では……」

「土壁に囲まれてるから、燃え移るとしても洞穴ほらあなだ」


 ニヤリ、と底意地が悪そうにシアンが笑う。――いぶり出すつもりだ。マリアベルは表情を強張らせ、背の大剣にいつでも手を伸ばせるように居住まいを正した。シアンの言わんとする事を、ピーターも察したのか、固い表情で頷き、シンプルなスタッフを左手に持ち、右手をそれに添えた。


「中から妖魔モンスターが出てきたら、すぐに眠りの魔法で」

「分かりました」


 シアンの指示に、スタッフを構えたままピーターが頷く。


「他の皆は、寝落ちしなかったヤツに備えて戦闘準備」

「承知」

「はい!」

「オーケー!」


 それぞれの言葉で応じ、シュウカは腰に佩いた細身の刀剣を、マリアベルは背の大剣を抜き、ベンは弓に矢を番えた。準備が整った事を確認したシアンが、ピーターに短く声を掛ける。


「……よし、ピーター」

「“単焦点炎矢射術――展開”」


 古代語で紡がれた言葉と同時に、ピーターの持つスタッフの先端に赤い光が灯った。スタッフをそのまま横に薙ぐように払うと、赤い小さな火の玉が真っ直ぐに洞穴ほらあなの前にある野菜屑の山に飛んで行った。火の玉が当たった直後は何も無かったかのように見えたが、次第に野菜屑の山から細い煙が上がり始め、徐々に勢いを強めて行った。


「――まだ出るなよ?」


 細剣を2本、両手に構えながらシアンは身を低くして面々に目配せをした。こくりと生唾を飲み込みつつ、マリアベルは大剣を握る手に力を込め、息を殺した。

 しばし時間を置いて――否、実際はすぐだったのかもしれないが、マリアベルにとっては長く感じた――洞穴ほらあなの中から奇妙な声が複数上がった。


『グォググ……!!』

『ゴアッ ゲググググ、ゴォ!!』


 獣とは異なるうなり声に、ぎくりと身を強張らせ、反射的に前に飛び出しそうになるマリアベルの眼前にシアンの片手が伸びて制した。そのまま彼はピーターへ目配せする。頷いたピーターは洞穴ほらあなを注視し、タイミングを見計らってスタッフの先端で文様を描き、次の魔法を放った。


「“微睡まどろみの霧、展開”」


 素早く紡がれた言葉と同時に、スタッフで描いた文様に円が足され、淡く発光した円陣が一直線に洞穴ほらあなの入り口に飛び、地面に当たった瞬間、白いもやが湧きだした。


『グェア! グゲゲ!!』

『ゴアァァァアアアッ!!』


 絶妙なタイミングだったようで、丁度洞穴ほらあなから出てきた妖魔モンスターらしき影がかすみの中で身悶えする。

 飛び出しそうなマリアベルを押さえていたシアンは、神経を研ぎ澄まし、魔法の霧が晴れる瞬間を見計らって叫んだ。


「よし! 全員突撃!!」


 言いながら、先陣を切って茂みを飛び出す。シアンに続いてシュウカ、マリアベルが飛び出す。ベンはその場に残り、矢をいつでも放てるように弓を引き絞った。


『ゴアァァァアアアアア!!!』


 咆哮を上げる妖魔モンスターは、頭部を含め体毛は無く、灰色がかった緑色の肌をした小柄な老人の様な姿だ。眼球は怒りによって血走って爛々らんらんと輝いている。――あれが“中級妖魔ホブゴブリン”か、とマリアベルは初めて目にする妖魔モンスターに全身の毛を逆立てた。

 ピーターの眠りの魔法で倒れたのは、最初に洞穴ほらあなから出てきた3匹。奥から更に5匹出て来て、マリアベル達に気付いて襲い掛かって来た。


「いっくぞー!」


 両手に細剣を構え、シアンが地を蹴った。洞穴ほらあなの入り口に真っ先に向かうと、崩れかけた土壁に回し蹴りを入れる。元々もろくなっていたのか、土壁は簡単に崩れて入り口をふさいだ。これでもし万が一、洞穴ほらあなの中に中級妖魔ホブゴブリンが残っていたとしても、新たに外に出てくるには時間が掛かる。その上、野菜屑はまだ燃えたまま中に残っている。いたとしても、戦力を大いにげる可能性が高い。


「おらぁ!!」


 蹴りを入れた勢いのまま、細剣を両手に身を翻し、左足を軸に回転を掛けつつ手近な中級妖魔ホブゴブリン1匹に斬りかかる。


『ギャアアアァァ!!』


 赤黒い飛沫が上がる。だが、とどめには至らなかった様で、血の泡をまき散らせながら中級妖魔ホブゴブリンは反撃とばかりに爪を振り上げる。


「させるか!」


 短く叫んだシュウカが長い黒髪を靡かせ跳躍する。その勢いで細身の刀剣で手傷を追った中級妖魔ホブゴブリンの肩口から脇腹に掛けて一閃する。声も上げずに中級妖魔ホブゴブリンは絶命した。


「助かった」

「妻だからな」

「それは違う」


 軽口を叩きながらも、シアンとシュウカは洞穴ほらあなの前で背中合わせに剣を構えた。一方、茂みの前に立つマリアベルは大剣を構えたままどこに斬りかかるか考えあぐねていた。


「ベル!! そっち行ったぞ!!」

「!」


 シアンの鋭い声でハッとする。左前方から中級妖魔ホブゴブリンが躍りかかってくるのが見えた。慌てて大剣を構えるが、一瞬出遅れる。――しまった、と表情を強張らせたその時、何故か眼前の中級妖魔ホブゴブリンの重心が傾き咆哮を上げた。その隙を突いて、マリアベルは大剣を大きく振るった。大剣の重さがそれを振るう勢いを加速させ、中級妖魔ホブゴブリンの首から体幹を切り裂いた。


「“単焦点炎矢射術・展開”!」

「ベル! 無事か?!」


 マリアベルの背後にいたピーターとベンが、魔法と弓で加勢する。3人の集中攻撃を受けて中級妖魔ホブゴブリンは間もなくその場に倒れた。その間に、シアンとシュウカは残りの起きている中級妖魔ホブゴブリンを倒し、且つ、眠っている中級妖魔ホブゴブリンのとどめを刺していた。


「おっ まぁまぁやるじゃねーか!」


 シアンが細剣についた中級妖魔ホブゴブリンの体液を布で拭い取りながら、ベル達に声を掛けた。


「すみません、シアン先輩に声を掛けて頂けなかったら、完全に出遅れていました」

「まぁ、目移りしちまうのは仕方ないって。そういうのは慣れだし。けど、よく反応出来たな。怪我が無くて何よりだぜ」


 笑いながらベルに片手を振ると、シアンは洞穴ほらあなの方へ行き、中の様子を確認し始めた。シュウカは息のある中級妖魔ホブゴブリンがいないか最後の点検をしている。ベンとピーターは初めての中級妖魔ホブゴブリンとの闘いについて、お互い意見を交わしている様だ。マリアベルは皆を見まわした後、足元に横たわる己が倒した中級妖魔ホブゴブリンを見下ろした。――そこで、マリアベルは奇妙な点に気付いた。


「……うん?」


 中級妖魔ホブゴブリンの左目が、潰れている。――過去に負った傷ではない。負って間もないような傷だ。今の戦闘中で、この中級妖魔ホブゴブリンの左目だけ狙った攻撃をした者などいない。――否、そういえば、マリアベルの眼前でこの中級妖魔ホブゴブリンが襲い掛かろうとした時、何故か重心が傾いた。――右方向に。つまり、あの時左目に何らかの攻撃を受けていた……?


「どういう事だ?」


 立ち竦んだまま、マリアベルは呆然と呟いた。

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