満ちては欠ける、手を伸ばす

六理

満ちては欠ける、手を伸ばす

 それはまるで、月の光に導かれるように。


 その水鏡は禁域とされる宮の中にあった。

 俗世から隠すように人払いをされたあの家の、さらにその奥に隠されるようにあったその宮に連れられていったのは数えて三つの頃。神降ろしの儀をおえて、一人でさらにその最奥まで進んだ。

 野晒しにされ、天井もなく。人の手を入れられずに枯れた草木に隠れたような場所にそれはあった。

 無骨な石枠の中に湛えられた妙に澄んだ水鏡に映るのは、上る満月のみ――のはずだった。


『……あれ、え? 人が映ってる!?』


 覗きこんだ丸い枠の中に、自分とは違う姿の人間が映った。

 黒い瞳と、黒い瞳がぶつかる。

 子供と大人の間。

 相手の間抜けともとれる声と表情に、感情に乏しいと言われた顔も固まる。


『あ、そっちも見えてるの?』


 髪を肩で切り揃えた、まだ幼さの残る顔立ちの少女はこちらに手を伸ばしてくる。

 つられるようにこちらも手を伸ばし、それより先に彼女の指が水面に触れ――消えた。

 残ったのは、波紋に揺れる満点の月。


 それが彼女とのはじめての出会いだった。


『なんかね、あの日は雪がすっごい降ってて。だけど連絡網がなっかなか回ってこなかったから学校行ったのにすぐ帰されたの。すっごい腹立った。瀬上は許さん。んで、せっかくだから遠回りしていこうとしたらずどーんて!』


 彼女の言うことは支離滅裂でよくわからない。


 はじめて彼女を見た次の日から、宮にこっそり忍んではあれはなんだったのか、どうしてああなったのかを何度も確認した。

 結局はその日も、次の月も見ることは叶わなかった。

 次に彼女を見たのは最初に見た時からおよそ一年後――あの同じ月が水鏡に映る日だと気づいたのは三度目から。


『いきなり道路にさ、こう、おっきな穴が開いてなんじゃこりゃー! って叫んだらそのまま滑って落ちて』


 死んだと思ったら、よくわからない国にいた。

 どうも、雪の日にどこかの世界に迷いこんでしまったと彼女は言う。


『びっくりした! なんてーの、漫画で見たことあるようなマホージンがぐわって描いてあって!』


 髪と目が黒とか茶とかじゃない。ピンクとかキミドリとか。顔立ちも妖精なのってくらい整ってる人たちでなんか外国の映画の中にいるっぽい!


 要するに、どう見ても異国の人間だろう人物にいつの間にか囲まれていた。

 さすがに本当に死ぬのかと思っていたら、何故か客人としてもてなされて生きている、と。


 彼女は楽観的だった。

 どう考えてもおかしい状況なのに関わらず、悩んでいるようには見えなかった。

 くるくると、感情豊かな目が、口が動いていく。


『なんでか言葉が通じるの。文字はダメだったけど会話できればなんとかいけるね! ごはんが恋しいけど。あーたまごかけご飯食べたい…』


 他に何か言うことはないのだろうか。

 彼女は自分を見つけると、次から次へと話題を変えていく。

 こちらから話す隙すら与えないほどで、返事さえ口に出さずに首を動かすだけですんだ。

 無理やり着せられた赤い振袖の裾が揺れる。


『あ、こっちの月が雲に隠れそう』


 残念そうに彼女は眉をひそめると、こちらに手を伸ばしてくる。


『またね』


 そしてこちらが手を伸ばす前に彼女の指先が当たり、水面に波紋が立って消えた。


 年に一度、どこかへ繋がるらしいこの水鏡は月を媒介にしているようだった。

 なので、どちらか片方の月が隠れたらそれで終わり。

 自分はまた次の年の月を待つしかなかった。


『なんかさ。わたし、この国の人から「セイジョサマー」とか呼ばれてんの。どうも、わざわざわたしを選んで召喚したらしいんだけど……わたし実はさ、頭はそこまでよくないんだよね』


 それは聞いていてわかっている。もう少し文脈を考えて発言してほしい。


 月日は流れて、自分は十三になっていた。

 そろそろ周りを欺いてここまで来るのが難しくなってきている。

 しかし十年も続いた秘密事を、楽しみという楽しみさえないあの家でようやく見つけた娯楽を簡単に投げ出せるものではない。

 長すぎて鬱陶しい髪を手の甲で背中に流すと、いまだに涼しげな彼女の短い髪を見やる。

 あれだけの長さならまだよかったのに。

 しかし、彼女は逆のことを言った。


『長くていいなー! わたしね、小さい頃から髪を伸ばしたかったのに、お母さんが「あんたが小まめに手入れできるわけない」っていつも短くされてさ。これでもいまが一番長いんだ』


 肩で切り揃えた黒髪を、彼女は指先でいじる。

 自分とは違う、どこか硬質で癖のある髪だった。


『クラスメイトでさ、えと、男の子なんだけど』


 袖のない、ぴったりと身体のラインに合わせた白い服は細い彼女をことさらに細く見せる。


『喧嘩仲間だよ。小学からいっしょでさ、あいつも頭悪いからセンセーに勉強とか比べられたりして。最終的には拳で語り合って七割は勝ってたんだ。だけど』


 中学校、上がったくらいからだんだん、なんていうのかな。


『わかってたけど男女差がさ、力の差が出てきてむこうも手加減してくるのね。それがさ、悔しくって悔しくって。やっぱりことあるごとに挑んでたけどダメだね。あたし高校入ってからは勝ちっぱなしなのに負けっぱなし』


 勝ったのに負けたとは。

 どういうことかと首を傾げれば、彼女は笑った。

 水面の向こう側の彼女はいつだって笑みを浮かべていたが、その時だけは。

 いままでで、一番元気のない笑顔で。


『中三の時、あいつがバレンタインデーにさ、後輩の女の子からチョコ貰ったの見ちゃって。からかってやろうってこっそり近寄ったらさ、嬉しそうなの』


 すっごい、嬉しそうなの。


『髪が長くて、きれいな子でね』


 どうして。


 そんな辛そうな顔で笑うのだろうか。


『えへ。気づきたくないのに気づいちゃった。でも遅いよね。ダメだよね。わたしはそれに、あいつに気づかれたくなくって。でもやっぱり近づきたくって、最近になって足掻くように伸ばしてみた、けど』


 わたし。


『帰れるのかなあ……』


 ぽろりと、彼女の頬を伝う雫が水面に落ちる。

 それは小さな波紋となって水面を震わせ、繋がりを絶った。


 伸ばしたこの手は届かなかった。


 次に見た彼女は、とてもはしゃいでいた。


『ようやくこっちにきた意味がわかった! なんかね、こっちの人たちって短命なんだって! 怪我しやすいんだよね、なぜか。みんなどっか包帯巻いてたりするんだ』


 あの時に見た姿が嘘のように、彼女は興奮で頬を赤くしてこちらに話しかけてくる。

 こちらの水鏡は石枠に縁取られただけの両手を広げたほどの大きさで質素なものだが、彼女のほうはそう大きくはないらしく、持ち運びができるものらしい。

 珍しく彼女の周りには夜空だけでなく窓枠や部屋の雑貨が映る。


『百年に一度? くらいにセイジョサマをお呼びして神に祈るんだって。その神がなんかこう、食わず嫌いらしくって、この国の人じゃダメなんだって。別にわたしじゃなくてよかったのにさ』


 ぶーぶーと文句を言いながらも彼女は嬉しそうだった。


『これが終わったら帰してくれるって!』


 だからそれまでおとなしくしといてください、と言われて部屋から出るのも禁止された。

 この水鏡は彼女の部屋ではなく、世話になっている王宮の中庭にある水瓶のひとつらしく、昼にこっそりと窓から脱出して持ち出してきたそうだ。

 瓶の大きさからいって、よく周りにばれなかったものだと思う。

 彼女は「いい仕事をしたなあ」と汗をかいていないのに拭う仕草をしてみせた。


『いやー、長いようで長くなかったかな。ちょっとした留学だと思えばそこそこ楽しかったよ。ええと、こっちの月って大体一週間くらいで満ち欠けするから……』


 指折り数えて、さらに片手の指を折る。それでも足りなかったようで、どこかに置いていたらしい荷物からノートとペンを取り出した。

 開かれたノートの端にはどこかで見たことのあるキャラクターが歪んで描かれている。


『んーと日本だと三ヶ月ってとこか。やばいな……進学できるかな』


 テストの成績が悪いので、せめて出席だけでもとぶつぶつと彼女はうめく。

 それでも彼女は、憑き物が落ちたかのように落ち着いた笑みを浮かべていた。

 最初の間の抜けたようなものでも、次の年の相槌を許さないほどに気張ったものでも、なにかを堪えるような笑みでもなく。

 自ずと、つられて人形のようだと言われたこの固い顔が弛んだ。


『ありがとう。あのね、ずっと不安だったの。いきなりこっちに来てさ、よくわからん人たちから「セイジョサマーセイジョサマー」て呼ばれてさ、わけわかんないしどうしようもないし』


 でも君のところとさ、たぶん、偶然だろうけど繋がって。


『本当に小さいころからさ、ただ聞いてくれた君がいて。すっっごい助かったんだ。正直、君と話せたらもっとよかったんだけどな!』


 その言葉に、口を開こうとした。

 声に出したことがないだけで、おそらくは通じるはずだった。

 しかし、いまのまま、これで通じてきたのだからこのままでいようと口を閉ざした。


 勘違いされていたほうがいい。


 しばらくはそのまま、彼女が語るのをそのまま聞いていると、不意に彼女が立ち上がってカーテンを閉めた。


『ちょーっと、まってて』


 その言葉を残して、遠くから彼女とよくわからない言語のやりとりが聞こえはじめた。

 あれだけはしゃいでいたのだから、見回りにきた誰かに見られたか聞かれたのかもしれない。

 ひとりごとだと言い張るには、むしろ心の病を心配されないだろうか。

 窓の外か、広縁に置かれていただろう水鏡は夜空に輝く、どこか青白い月の光を反射する。

 こちらとよく似た形の、しかしずいぶんと大きな月が静かにそこにあった。

 そして、彼女は戻ってこないままに月は水鏡から遠のいてしまい、彼女の指が触れていないのにかかわらず水面が強くさざめいて元の風景を映しだす。

 惜しい別れ方をしたと思ったが、自分もこれ以上はここにいられないと席を立った。


 それから数年、彼女を見ることができなくなった。


 同じ月の下、どれだけ待っても彼女の姿が現れることはなかった。

 日が悪いのか。天気が悪いのか。

 彼女は、いつだって笑みを浮かべて待っていたのに。


 もう、来ないのだろうか。

 もう、帰ってしまったのかもしれない。


 それならいい。

 それは彼女が望んだことなのだから。

 あの笑みが崩れないままに帰れたのなら。

 だけど、もしかすると、なにかがあったのかもしれない。

 あのあとに、風邪でも引いてしまったのかもしれない。バカは風邪をひかないと自慢をしていたのに。

 異国の人は何故か怪我をしやすいとも言っていた。もしやなにか怪我をしたのかもしれない。彼女は破天荒な人だから。


 いや、そもそも彼女という人は本当に存在したのだろうか。

 あれは、あの家に閉じ込められた自分が見せていた幻だと言われたら――返す言葉が見つからない。


 暗闇に、静かに映る欠けのない月を虚ろな目で見つめる。


『ちょーっと、まってて』


 変わりのない光景に、ただただ言葉もなく座って待ち続けた。


 妹が生まれた。

 待望の、本来の跡継ぎが。

 ようやくだ。これであの家に自分の席はもうないが、清々した。

 これで晴れてひとりの人間として生きていける。

 現人神と祀られる人形から、ただの人へと。


 彼女が褒めてくれた髪は、手ずから切った。

 もう褒めてくれる人などいないのだから、こんなものどうでもいい。


 周囲の目も別の意味で厳しくなった。いつ逃げ出すかというものから、さっさと消えてしまえというものに。

 急かされずとも去ってやるとそう多くない荷物をまとめていると、開け放された窓から冷たい風が吹き込んでくる。

 先日まで、身動きすらままならないほどに周囲にいた人影は次なる生贄の元へと消えていった。

 こういう、些細なことですら人に頼って生きていたのだと気づいて乾いた笑いがでる。

 いまならどこにでも行けそうだ――と窓を閉めようとしたその時だった。


『    』


 なにか、音がした。

 とても懐かしいものだと顔を上げて。

 そこにある、いつだって輝いていたものを見て。


 そして自分は走り出した。


 月の光に導かれて。


 諦めて、行かなくなった禁域の先。

 どこかに繋がるとされ、人払いのされた宮のその奥。

 石枠に縁取られた水鏡が、月の光とも違う輝きを放っていた。

 そして幻影だと、幻聴だと決めつけたあの声が。


『――たす…けて! 聞いてない! 食べられるなんて聞いてない!』


 悲痛な声が、彼女の声が。

 息を切らして覗いた水面の向こう側。

 いつか見た彼女の白い服は、ありとあらゆるところが赤と茶で汚れていた。


『食べるってなに!? 魔法には対価が必要って、みんな、どっか怪我してたのって、血が必要って!』


 日に焼けた、自分より濃い象牙色の肌に無数に走る線。

 それに滲むように浮かび上がる赤の色。彼女の中から、溢れだした色。

 覆った手のひらからは、あの日見た雫よりもたくさんのものがこぼれ落ちたていた。


『なんで、わたしなの? なんでわたしを呼んだの? なんにもできないから? 望まれて、なかったから、必要とされてなかったから?』


 拭っても拭っても溢れだすものと、頬を横に裂いた赤が混じりあって袖口を汚す。

 危うげなその姿に、自分は固まる。

 彼女は、こちらと繋がっていることに気づいていないようだった。


『死にたく、ない』


 どうして、そんな。

 彼女が、なにをしたというのだ。

 彼女は、望まずにその国に行かされ、生かされ、そしてそのあげくに。


『たすけて』


 それは、なんて。いまの自分と同じだろうか――


 泣く彼女の背後に人影が立つ。気づかない。泣いている彼女は気づかない。

 その影は、大振りの刃を手に持っている。

 静かに、そして静かにそれを彼女の首元へと向けた。


「――っ」


 思わず、声に出してしまうところで寸で止めた。

 彼女のみならず、後ろの相手にまで気づかれてしまったら。

 しかしどうする。このままでは、彼女は。彼女が。


 知らずに死を背にした彼女は、ようやく顔から手を剥がした。

 泣き腫れた目は、それでも感情に、怒りに満ちていた。


 彼女は、まだ諦めてはいなかった。


『帰りたい! こんなところにいたくない!』


 その言葉を聞いて、自分は。


 月の光が満ちる水鏡へと――手を伸ばした。


 それはまるで、月の光に誘われるように。


 とある雪の日のこと。

 わたしの住んでいる地域はあまり雪が降らないのだけれど、その日は夜中にどか雪が降って朝は真っ白。

 やったー今日は学校休みだな、二度寝しようって思ったんだけど、どうにもこうにも、いつもの登校時間になってもその手の電話がこない。

 これは行かなきゃダメなのか、と腹をくくって重装備で学校に行ったら誰もいなかった。

 正確には数人いたけど、そのうちのひとりの先生に「連絡網、まわしたんだがなあ」と教室に行く前に下駄箱で足止めされた。

 おのれ瀬上。二度寝しやがったな。


 瀬上は、幼なじみの脳筋のバカ野郎である。

 根拠はないが、電話を受けたあとに回さずに寝やがったとわかった。それがわかるくらいに、付き合いだけは長かった。


 付き合いだけは、長かった。

 それだけだった。


 帰りに、そのまま家に帰るよりは特に雪が積もった場所で特大の雪だるまを作ってやろうといつもと違う道に曲がった。

 それが間違いだったと、あとで知ることになる。


 まるで、月や星のない夜空。

 間違って、誰かが墨汁をこぼしてしまったかのような、全くの黒。

 それが歩いている途中に、目の前にぽっかりと穴が開いたのだ。

 気がつけば、落ちていた。そこで固まって動かなかったはずなのに、その穴はさらに大きくなってわたしを飲み込んだ。


 そして、どことも知らない場所へと背中から落ちた。

 目を開こうとしても、どうにも眩しくてすぐには開けられない。

 身体も、強かに打ってうめく以外に痛みで動けなかった。


「─┌┘├┤┴┼」


 なにか、声がしたが聞き取れない。

 たいして学はないが、それでもその言語は日本語にも英語にも聞こえなかった。

 声は次第に数を増やしていく。

 恐怖に震えながら縮こまっていると、額になにかが当たった。

 ぬるりと、動く。


「┼┴┴└└┐」


 わたしの記憶は、そこで一旦飛んだ。


 次に目覚めると、柔らかなベッドの上だった。

 寝惚ける暇もなく起き上がりあたりを見渡す。まるでわけがわからない。

 服は剥ぎ取られていた。元の下着さえも無く、よくわからない構造の服に着せ替えられていた。


「よくお眠りになられていましたね」


 音もなく、それまでいなかった場所に人が立っていた。

 白銀の髪が風がないのに豊かに揺れ、炎のような赤い目がこちらを射るように見つめている。


 ざっと、血の気が引いた。


「簡単に説明させていただきます」


 流暢に、日本語を操るその人は口に弧を描いて言った。


 ここは、あなたとは違う世界である。

 あなたのいた世界の上位互換の世界であり、あなたはその世界に特別に選ばれた聖女である。

 呼んだからには丁寧にもてなすつもりであるので、困ったことがあればその都度に言ってほしいと。


 ならいますぐ帰して!


 そう叫びたいのに、叫べなかった。

 声が、喉に張り付いたかのように出てこない。

 首に手を当てれば、少女のような身なりなのに老婆のような声を出す彼女は「ああ」と笑った。


「まだかけた魔法が馴染んでおらぬのです。月が満ちる頃には――あと数日もたてば話せるようになりましょう」


 それでは、食事を用意させましょう。

 そう言って彼女は現れた時のように一瞬で姿を消した。


 恐ろしくて、怖くて、それでも声は出てこない。

 わたしはただただ、カラカラになった口で床にへたりこんだ。


 その子に会ったのは、偶然だった。


 だいぶ話せるようになったわたしに会いにきたのは、最初の少女の他には同じ年ほどの少年が両手で数えるくらいの人たち。

 その誰もがどこかを包帯で巻いていたり、杖をついていたりした。

 姿に似合わない、嗄れた声で「よく来てくれた」と一人だけわたしに頭を下げた。

 周りはそんなことをしなくてもと止めていたが、彼の人だけはわたしに謝罪していた。


「私がそなたを呼んだ。欲したのだ」


 少女の横にいた彼の人が、この国の王だった。

 彼のお墨付きで、王宮内を自由に歩き歩きまわれるようになった。

 しかし、昼間はどこにいても、どこに行っても白銀の髪の少女が視界の端でちらちらと見えて落ち着かなかった。

 なので誰もいない、少女もついてこない夜にこっそりと出歩くことにしたのだ。


 赤い振袖を着た、かわいい女の子が水瓶の中に見えた。


「……あれ、え? 人が映ってる!?」


 夜の中庭。

 花に水でもやろうかと、隅に置かれた水瓶を覗けば見事に丸い月が浮かんで――いなかった。

 そこにいたのは、わたしの姿でもない。

 小さな少女の姿。

 それも、どこか見覚えのある服装だ。

 洋服ではないけれど、和服。わたしの、国の服。


 目を丸くした少女は間違いなくわたしを見ていた。


「まって!」


 思わずわたしは水瓶の中へと手を伸ばして――それは波紋を描いて、少女の姿は消えて元の月を映し出した。


 それから、次の日も見てみた。その次の日も、次の日も。

 半ば諦めかけた数日後――少女は現れた。

 むこうも半信半疑だったようで、こちらを見て口を丸く開けていた。

 そしてわたしはまた性懲りもなく水面へと手を伸ばし――消えた。

 その日はとても落ち込んだ。


 満月の夜に、このようなことになると五度目で気づいた。遅い。わたしは気づくのが遅い。

 それでも相手はわたしの話を聞いてくれた。

 不安で押し潰されそうな気持ちを、半ば茶化しながら。

 赤い振袖の少女は、ただただ澄んだ瞳をこちらに向けてきた。

 あまりにも静かなので、声は届いていないのかと聞けば首を横に振った。

 届いてはいるらしい。

 しかしむこうからは声が届かないのか話せない事情か、理由があるらしかった。


 それでもよかった。


 それでも、よかった。


 赤い振袖の少女は、出会う度に大きくなっていった。

 目に見えて美しくなっていく少女は見惚れるくらいに美しい黒髪をしていた。


「長くていいなー! わたしね、小さい頃から髪を伸ばしたかったのに、お母さんが「あんたが小まめに手入れできるわけない」っていつも短くされてさ。これでもいまが一番長いんだ」


 ようやく伸びた髪は、癖が強くて真っ直ぐにならない。

 あんまりドライヤーを使っても髪が痛むし、似合わないし。

 それでも伸ばしたい事情が出来た。


 あれが、あいつが、髪の長い女の子は可愛くってていいなって言ったから。


 あの時に見た女の子は、誰よりも可愛く見えた。

 頬を赤らめて、震えながら手紙と手作りのチョコを渡してさ。

 それを受け取った時の、あいつの顔ったらさ。


 会いたい。

 会えない。


 わたしは、どうしてこんなところにいるのだろう。


「わたし、帰れるのかなあ……」


 もれた、言葉は涙と一緒に出てしまった。

 考えないように、してたのに。

 しかし溢れたものは次から次へと流れ落ちて止まらなかった。


 王を従えて、その白銀の少女は前置きもなく言った。


「そろそろお役目をしていただきたいのです」


 百年に一度、時によっては数度。

 この国には授けの神が参られる。

 この神にお授けしていただけなければ魔法もまた使えない。

 神はとても尊いが、しかし選り好みをする方であり、特に祈りの聖女は黒髪の若い少女でないとそのまま帰ってしまう。

 いまから、神が参られるまでの間、あなたは美しさに磨きをかけていただきます。


 美しさなんて、ない。

 他にもっといたはずだ。

 なんでわたしを選んだのだろう。


 脳裏に浮かんだのは、赤い振袖の少女。


 いやいやと、わたしは首を横に振った。


「それが終わったら、帰してくれるんですか」


 わたしは、ここに来てはじめてそれを問うた。

 もしそれで「無理だ」と返されたら。

 わたしはきっと狂ってしまう。

 そんな気がして、ずっと聞けなかったのだ。


「お帰りに、なられたいのですか」


 白銀の少女は不思議そうに聞いてくる。

 もちろんだと返せば、最初に会った時以外いつもは人形のように無表情を貫いていた彼女が、花の綻ぶような柔らかい笑みを浮かべた。


「ええ、もちろんですとも。すべてが終わったあかつきには」


 すべてを、お返しいたしましょう――


 以前のように気軽には出歩けなくなったので、水瓶を部屋までこっそり持ってきた。

 最初はそのまま引きずって。途中で水を捨てた。わたしはバカだ。どうりで重いと思った。

 そのあとはベランダの隅に隠し、満月になるまでいそいそと水を足していった。

 前ほど、少女もわたしの様子を見なくなったのはなぜだろうか。

 儀式とやらが、予想外に大きいものでないといいのだけれど。


「聞いて聞いて! わたしね、帰れるって!」


 満ちた月の下、現れた少女に得た情報を勢いをつけて話した。

 何度も何度も、自分の中で反芻しても不安で不安で仕方なかった。

 言葉にして、誰かに伝えたかった。


 でもここには、この国にそんなことを言える相手はいない。


 この子、以外。


「ありがとう。黙って聞いてくれて。ありがとう、いつまでも付き合ってくれて」


 この子が、少女がいなければ。

 わたしはきっと生きていなかった。

 自分の弱さに潰されて、こんなのへっちゃらなんて笑えなかった。


「正直、話せたらもっとよかったんだけどな!」


 高望みはしないでおこう。これだけでなんと心強いことか。


 赤い振袖の少女は、珍しく柔らかな笑みを浮かべていた。

 せっかくの美人なのだから、もっと笑えばいいのに。

 そう口を開こうとした時――扉が二度叩かれた。


「聖女さま、起きておられますか」


 大変だ。

 白銀の少女が近くまで来ている。

 万が一にでもこんなことばバレたら――どうなるのだろうか。

 とにかく部屋の中へ戻ると薄紅のカーテンを引いた。


「ちょーっと、まってて」


 まだ月は出ている。話したいことはまだまだあるのにと廊下へと続く扉を開いた。


「あら――人の気配はありませんね」


 白銀の少女はこちらがなにかを言う前に、部屋の中へと歩き出した。

 ベッドにはつい三日前にようやく返してもらった、ここに来るまで所持していたバッグやノートが転がっている。


「いや、あの、懐かしいなーってひとりごとを!」


「……せめて机でなさってくださいませ。夜分に失礼いたしました」


 ぐるりと部屋中、ベランダもカーテンを開いて眺めて少女は去っていった。

 それから意味もなくラジオ体操第一から第二までをこなして時間を使い、少女が戻ってこないだろうと確信してから覗いた水瓶には、もう月の欠片さえ見えない。

 がっかりはしたが、また次に会えると思った。


 そう、思っていた。


 最近、とみに眠い。

 夜に寝ても、昼に寝ても寝足りない。猫でもこんなに寝ないだろう。

 食べては寝て、食べては寝ての繰り返し。

 これでは太ると一念発起して、作ってくれた料理人さんに心の中でごめんなさいをして――気づいた。

 気づいてしまった。


 食べないと、眠くならないことに。


 ずっと食べなければ、いずれバレる。

 なので、体調を理由に少しだけ食べては残すということをしてみた。

 そうすると、やはり多少は眠くなるものの、以前のようにずっと眠くなるわけではない。

 しかし、体調が悪いと判断されたわたしは自室にと与えられていた部屋からもっといい部屋へと移された。

 元も子もないとはこのことで、自室に戻りたいと言えば「なりません」と返され、自分の筆記用具さえも「なりません」と取ってきてはもらえなかった。

 ここでさらに「あの水瓶をここに」とは言えず。

 それから、三つの満月を逃して。


 その神はやってきた。


「たすけて」


 その言葉を、この世界に来てはじめて言った気がする。


 言葉は力だ。

 力は生命だ。


 だからこそ言わなかった。

 言った時、それはわたしがダメになる時だとわかっていたから。

 それでも、わたしの口からはその言葉が漏れていた。


 食は思うように取れず、かといって無理矢理に与えられた睡眠では英気は養えず。

 いままで支えてくれた相手にも会えなくなったわたしは、どこまでも落ちていた。

 ここに来てからずっと着せられている白いドレスは裾が広がるタイプではなく、逆に身体のラインを浮き彫りにさせるもの。

 痩せぎすよりも筋肉質だった身体は、この国に来て一気に削げ落ちた。

 これじゃ、あいつに喧嘩もふっかけられないな、なんて。

 ふらふらになりながら、半ばどうでもいいと来る神を待っていた。


 欠けることのないの月の下で――


「おお、おお、これが此度のものか」


 地を這うような、頭に響くような声が落とされた。

 辺りを見渡すが、それらしい姿は見えない。

 しかし王をはじめとした少年や、白銀の少女でさえ地面に頭をつけていた。


「そう顔を下げてくれるな。我はそちの顔が見たいでな」


 その声と共に、頬に鋭い痛みが走った。

 思わずそこに手を当てると、ぬるりと赤と――また違う赤が頬へと触れた。


「ほほっ我慢ならんで味見してしもうたわ。美味である。気に入った」


 その声は、耳元で。

 中庭の、見事な花や樹木をなぎ倒してその“尊い方”は現れた。


 わたしは学はないから、陳腐な例えしか出てこない。その例えさえ、まるで意味がない。

 言うなれば、それは。複数ある顔は大蛇で、それから繋いだ身体は動物園で見たアフリカ象なんて比べることのできないほどの大蜘蛛という、どこまでも人から離れた姿で。


「どうぞどうぞ、この娘をお納めください」


「そしてどうか、我らに力をお与えください」


「永遠の若さを!」


「永遠の力を!」


「我らに!」


 彼らは、ただただ頭を下げた。

 わたしを、見ようともせずに。


 闇が、深くなる。


 ぬるりと、大蛇の舌がまた頬を撫でた。


 逃がしてくれたのは、王だった。

 神が訪れる日には、王以外の者はほとんど魔法は使えなくなると教えてくれたのも王だった。


 そして魔法の対価も。

 呼ばれた本当の意味も。


「すまない。こんな言葉では終われないだけのことを、あなたにはした。私にはもう止められなかった。彼らはずっと前から狂っている」


 魔法とは契約。

 魔法とは生命。

 魔法の等価は、本人の肉体。

 しかし、気まぐれに人へ力を与えた神は、契約の更新時に珍しい肉体を欲した。


 異国の、異世界で育った肉体を。


「ずいぶんと生きた。ずいぶんと死んだ。この国は、もはや存続する力さえないというのに――守るものも、ないというのに」


 この王宮に残るのが、この国の最後で最期の民。

 朽ちるはずのものを、朽ちずに残した、枯れ果てたものたち。


「どこに、どこに逃げろっていうの」


「異界の門はすでに開いている。場所までは探しきれなかったが」


 もつれる足を懸命に動かして、どうにか前へと進む。

 王の力は、長くは続かない。

 対価に差し出したのだろう彼の人の両の手は、血を流しすぎてもはや枯れ木のようになっていた。


「ずいぶんと前から開いているはずだ。あとは見つけられるか」


「おまちなさい」


 老婆のような声が、背中のすぐそばで聞こえた。

 わたしが反応するより前に王から体当たりをされて横に転がる。

 しかし、頬に感じたような痛みが肩へと滑った。


「どうして! 邪魔をなさるの!」


 受け身も取れずに壁にぶつかる。しかし相手はわたしではなく王へと刃を向けていた。


「前もそう! わたくしはあなたの為に、すべてを捧げたのに。あなたの為にならなんでもできるのに。あなただけを愛しているのに!」


「私も愛している。だからもうやめよう。終わりにしよう。もうこの国は滅ぶだろう。どうしてわかってくれないんだ」


「あなたこそ! どうしてそんなものに心を痛めるの! いまからもずっと、ずっと一緒にいましょう。あの時の誓いを忘れたの!?」


 白銀の髪は、いまになっては老婆のそれとしか見えない。

 美しかった顔でさえ、なぜか血に汚れて醜く染まっていた。


「どうして――この時期に君は魔法を使えるんだ」


 王が一瞬だけ、こちらに目配せをした。


「おまちなさい!」


 どこに行けばいいのかわからないまま、わたしは走り出した。


 月の光に導かれるように。


 どうしてこうなったのだろう。

 あの日、違う道を通ったから?

 あの日、無理に学校に行ったから?

 あの日、あいつから電話がなかったから?


 違う。違わない。

 違わない。違う。


「どうして、わたしなの」


 普通な子なんて、一杯いるのに。

 美人な子なんて、一杯いるのに。


「――たす…けて! 聞いてない! 食べられるなんて聞いてない!」


 言いたくない言葉が、言わなかったものが溢れて止まりそうにない。


「なんで、わたしなの? なんでわたしを呼んだの? なんにもできないから? 望まれて、なかったから、必要とされてなかったから?」


 気がつけばそこは、少し前まで自室として使っていた場所。

 開け放たれた窓からは、冷たい風が吹いてカーテンを揺らしていた。


 死にたくない。

 死にたくなんて、ない。


「たすけて」


 誰か、おねがい。

 誰でもいいなんてひどいけど。


 顔からはがした手のひらを、握りこんだ爪先から新しい赤が生まれた。


 このままだと、怒りで、どうにかなりそうだ。


 どうしてわたしが、ここで死なないといけないの。


「帰りたい! こんなところにいたくない!」


 死んでなるものかと叫んだわたしの目に、背後に刃が映る。


 それは、スローモーションのように見えた。

 走馬灯とは、こういうものなんだろうなと、どこか他人事のように。


『掴まれ!』


 誰かの声が、聞こえた。

 聞いたことの無い声が。

 あの、水瓶から手が。


 それは

 白銀の少女の胸に、刃が生えた。

 瞬間の、ことで。


 胸に、鋭い刃が生えた少女は。

 驚いたように目を瞬いたあと。

 あの日のように、花が綻んだような笑顔を浮かべ。

 それはまるで儚さを感じるほどに美しく。

 その後ろで、刃を手に泣いていたのはきっと王だった――


 現人神の力は妹へは移ってはいなかったようだった。あの時、残っていた力は全部使いきってしまったが気にはしていない。

 伸ばした手は、間違いなく彼女へと届いたのだから。

 さっさと出てきたが、あと数年もすればあの家では自分を探し回っているだろう。無くしてしまった力を探して。

 いい気味だ。はじめてあの家に生まれたことに感謝をしたかもしれない。

 あの家に生まれなければ、きっと出会うことすらなかっただろうから。


「うわっホントだ! トーキョータワーよりでかいのできてる! ビルなのかツリーなのかわけわからん。でもそんなに意味あんの?」


 感情豊かな彼女は、なんにでも驚く。

 季節の移り変わり、天気の行方。

 建物であったり、人であったり、テレビにも、ニュースにも。


 自分とは違って、あまりに変わり果てただろう世界の姿を。


「この漫画、いまも連載中って……作者が生きてるうちに終わるのかねー」


 ふらりと入った本屋で、彼女は物騒な発言をする。

 しかし、それをやめろとは言わない。


「ケータイって、最近だと小学生も持ってるんだ。形もなにもかも予想外になってるよね」


 世界とは、本当に、残酷に出来ている。

 世界は正常に動いて、彼女を一人だけを残していった。


「いやーびっくりした。墓石にわたしの名前あるんだもん。まだ死んでねっつーの。死にかけたけど」


 あはは、と彼女は笑う。

 笑っていない声で。それでも彼女は笑う。


「でもまあ、十五年も消息不明だったなら、しかたないよね」


 彼女の落ちた世界と、この世界の時間の流れは違っていた。

 自分と、彼女の年齢が逆転してしまうほどに。


 彼女を取り巻く世界は、行く前と帰ってきてからはまるで違っていた。


 どこまでも残酷に。

 世界は甘くはない。


「どーしよっかなー。神隠しに合ってましたイエーて顔出すのもね」


 先を、数歩先を彼女は歩く。

 自分に顔を見せないように。


「……悔やんでいる?」


 この世界へ帰ってきたこと。

 来たときのまま、あの時代へと帰ってこれなかったことに。


 彼女は立ち止まる。

 自分も立ち止まる。


 もう少しで、彼女の住んでいた街を見下ろせる高台へとつく。


「わたし、あのまま異世界に落ちずに生きてても、人生の百点満点は無理だった」


 ゆっくりと振り返った彼女は、笑っていた。


「命の恩人さん。ありがとう。あと、罪悪感を感じさせてごめん。だけど、あなたに行き場のない怒りを向けさせないでくれるかな命の恩人さん」


 止まっていた自分の横まで戻ってくると、腕を引いて彼女はまた歩き出した。


「死にたくないって思った。助けてくれた。これだけで十分百点満点なのに違う付加価値をいまさらつけないで、命の恩人さん」


「でも」


 それは、本当に最低限の部分でしかなかった。

 他に選ぶことさえ、できないような。


 彼女は、そこでまた止まった。

 そしてこちらの足を、笑みを消しておもいっきり踏んだ。


「――っ」


「これ以上、選ばせないで。わたしが選んだの。誰が選んだわけでもなく、わたしが選んで生きたの」


 そこに変な同情をいれないで。

 これ以上、みすぼらしくしないで。


「可能性なんてさ、する前に気づけたら儲けもんなの。終わってから気づいたらさ、それはむなしくって腹が立つだけ。君じゃなくて、過去の自分に」


 先日までの、雪が嘘だったかのように今日は上着がいらないくらいに暖かい。

 しかし、横にならんだ彼女の髪を見て寒そうだと思った。長い髪は邪魔だが、保温にはなっていたから。

 彼女の肩までの髪は、行く前よりも短くなった。

「首をもってかれるよりはマシだもん」と笑っていたが。


「うわっはー予想以上にかなり変わってる。あのアパート、あそこ知り合いのじっちゃんの畑だったんだよ。でも放置されてたからそうなるとは思ったけど。中学校の校舎、建て直したんだ……古かったもんなあ」


 家からあまり出たことのない自分には、この景色がどう違うのかはわからない。

 けれど、彼女にとってそれは世界が変わってしまうもので。


 彼女が静かに泣く姿を、ただただ黙って見ていた。


「こっちに連れ戻してくれたことに責任を感じてるならさ。お願いだから一緒にいてよ。わたしは生きてるって証明して。わたしが、しぶとくこの世界で生きていくのを隣で見てて」


 一生を一緒に。


 袖で強引に涙を拭った彼女は、それでも力に満ちた目でこちらを見ていた。


「それで、いいのか?」


 夕焼け空に、あの日のような白んだ月が上っていく。

 自分より幾分と低い彼女は、赤くなった頬を指先で掻いた。


「恥ずかしいなあ、これだと告白してるみたいじゃないか。ふふふー君には最後に一番びっくりさせられたんだよね」


 空いた、彼女の片方の手はだらりと伸ばした自分の手へと。

 外に出なかった分、彼女より焼けてない妙に白い手はそれでも彼女の手を包めるだけの大きさがあった。


「うへへ。赤い振袖、よく似合っていたよ。女形とか本当にできないの?」


「やめてくれ」


 あれは好きで着ていたわけではないのだから。

 まさしくあの家にいた自分は人形だったのだ。


「帰ろう」


 握り返せば、彼女の手は温かかった。


「帰ろうか」


 月の光に導かれて、彼女と僕は出会った。


 きっとこの手を掴むために。

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