第2話

 それは星々の輝く、晴れた素晴らしい夜だった。トワール国の王立図書館、屋根裏部屋になっている閲覧室で、クーネルは真っ赤な皮の表紙を捲っていた。

「ふふ、ふふふふふふふふふっ」

 小説の最後のページを読み終わると少女は、閲覧机に突っ伏して含み笑いを漏らし続けた。

 そのまま拳で床を叩いて笑い続け、勢いよく立ち上がる。おやつに用意したホワイトアスパラ・マヨネーズ和えの瓶を小脇に抱えて、廊下に出た。

 背筋をぴんと伸ばし、誰もいない開架書架へ歩き出す。

「はー、おもしろかった。次はなにを読もうかな……」

 やんごとなき身分の姫であるクーネルは、自由に外に遊びに行けるわけでもないし、一般人の通う学校に行って同級生の男の子と目があってドキドキもできない。

 夜な夜なこうして夜の図書館に忍び込んでは、ほとんど彼女の私室と化した閲覧室にこもり、物語の世界に耽溺しているのだ。最初は青春の代替えとして始めた、恋愛小説の読書。今では物語に入れ込みすぎて、妄想が止まらないようになってしまった。

「いいのみつけた! 古い本だけど逆に直球の王道ってかんじでよくってよ。姫と従者の道ならぬ恋!」

 クーネルは梯子をのぼって、上段の本を抜き取った。

 閲覧室に戻って妄想しながら読書しよう。はしごから降りようとしたクーネルは、これから始まるめくるめく読書タイムに気を取られ、バランスを失っていた。

「っと、ぬあああーっ!」

「姫様!」

「シャーリー……!!」

 間一髪、梯子ごと抑えて落ちるのを阻止し支えてくれたのは、突然現れた一人の男だった。シャーリー。クーネルのおつきの近衛騎士だ。まさか、シャーリーのことを考えていたまさにこのタイミングでやってくるとはーー

「どうして、ここに?」

 虫の知らせでピンチを察して駆けつけてくれた? 運命かな? と思わず整った頬の輪郭を見つめていると、シャーリーはクーネルを抱えて床に丁寧に下ろしてくれた。そのまま腰を落としてクーネルより低い視線となった彼は、敬服のポーズを取る。

「白状いたしますと、貴女を探していました」

「わたしを……?」

「折り入ってお話があります、クーネル姫。ほかの者には聞かれたくない。お時間をいただいても……よろしいですか」

 目と目が合う。ごくりとのどが鳴る。

 心臓が急に早い鼓動を刻み始めた。

 き、き、き、きたーーーーーーーーっ!!!

 クーネルは真夜中に金切り声で叫び回って城中の者を叩き起こすところだった。寸前で堪えた。


 ***

 

 閲覧室をでると、おぼろげな夜半の月が出ていた。薄雲が怪しい紫色を帯びている。白いイスがふたつと丸テーブルが置かれて休憩できるようになっているバルコニーは、秘めた想いを告白するには、うってつけのシチュエーションだった。草のような模様を描く白い欄干に手をついて、クーネルは人知れず喉を鳴らす。しかしその手には、本を読みながら摘もうと思っていた柿ピーの大きなガラス瓶が抱えられていたので、少し雰囲気をじゃましていた。

「なにかしら、大事な話って……」

「どう伝えればいいのか、とても言いづらいお話なのですがーー」

 深刻に眉を曇らせ、言葉を迷わせているシャーリーの様子から、その心中の激動が伝わってきた。それはそうだろう。従者が姫に想いを寄せるなど、本来あってはならないこと。身分違いに加えて、クーネルは未成年でもある。たとえ惹かれるのを止められなかったとしても、告白してはいけない立場だ。

 それでも感情を抑えられないほどに燃えたぎり、爆発寸前なのだーー彼の恋心は。

「わかってる。あなたがわたしに伝えたいこと」

「え? まさかご存知で……」

「このシチュエーション、導き出される答えはひとつしかない。ああ、わかってるわ、みなまで言わなくていいの!」

 クーネルの脳内で、物語の登場人物が増えた。数学教師のルイ、それに騎士のシャーリーだ。

 金髪緑目の柔和なシャーリーと、黒髪灰目、気弱な学者タイプのルイは、それぞれ魅力の異なるハンサム。

 教師と騎士、立場は違うが、年も近いし、城に勤めはじめた時期は同じ頃合いだ。クーネルの妄想では、さっそく、彼らがクーネルを取り合う展開となった。

「クーネル姫は私と駆け落ちするのだ!」

「いいや、僕だ!」

「いいだろう決闘しよう、ルイよ」

「わかった。兄弟のように育った幼なじみのお前と、本気で剣をまじえることになるとはな、シャーリー」

 少女向け恋愛小説ではおなじみの、複数のイケメンから同時に惚れられる展開、心躍るシーン。

 あまたある小説を読みながら、クーネルはヒロインを自分に置き換えて、ハンサムふたりを従者に置き換えて楽しむ。

 妄想の中で、いつのまにか背景は城のバルコニーではなく、夕暮れの砂丘になっていた。ちなみに幼なじみというのはクーネルが勝手に付け足した設定で、その方がただの同僚よりも『燃える』からで、実際に彼らが幼なじみかどうかは知らない。というか、そんな話は一度も聞いたことがないので、絶対に幼なじみではない。

「ああ、やめてふたりとも! 私のために争わないで……! あんなに仲がよかったのに。そうよあなたたち、本当の兄弟のように見えてうらやましかったわ!」

 クーネルが止めても、ふたりはもう聞く耳を持たない。すでに腰の剣は地に放たれている。勝負は始まっていた。

「いいえ嘘よ、もっと争って決裂して! もっと喧嘩してぼこぼこに殴り合って! わたしを巡って因縁の対決してーーー!」 

 クーネルは妄想の中で本音がダダ漏れになっていた。

 出会って半年が経とうとしている。クーネルが年頃となった昨今、この三角関係はいつ始まってもおかしくない。いや、今はじまらないでどうするのだと言いたい。シャーリーもルイも、クーネルを密かに想っているはずなのに、アタックしてくる様子がみじんもない。きっとふたりとも立派な体躯にシャイなハートを持ち合わせているのだろう!!

「さすがですクーネル姫。貴女はすでに気づいていらしたのですね。ルイが魔女に浚われたことをーー」

「え? ん? いまなんか言ったかしら?」

「教師のルイが、南の悪い魔女に浚われてしまった。魔女パドゥーシカに連れられて、マナルーンの森へと消えていったのです。つい先ほどのことです」

 クーネルは膝からほろほろと崩れ落ちそうになった。

「いやいやなんで? 彼は数学教師でしょ? 誘拐してどうするのよ……わたしが誘拐されるのが筋ってもんでしょうが! 部屋で起きてたけど、南の魔女パドゥーシカなんてヤツぜんっぜんこなかったわよ! なぜ可憐で美少女で聡明、魔法少女なおかつ姫という、全国の女の子の夢を体現する私がまるっと無視されてるのっ!? むきーっ!」

 シャーリーは柔和な瞳で無言で微笑んで、地団駄を踏むクーネルを辛抱強く見守っていた。

「んん? さっきから貴方……なにかをとても言いたそうな目をしてるわね!?」

「ええ、ご無事でよかったですクーネル姫」

「百万歩譲ってさらわれたのがルイだとして、魔女の目的はなによ。わたしと間違えた……わけないわよね。似てないし……」

「ええ。特に魔女パドゥーシカからの要求なども届いていません」

「行動が謎すぎるわね。ルイは魔法使いではなくて数学教師、統計学士よ。小間使いさせようなんてこともなさそうだし……まさか気にいったから婿に、とか……? 確かにルイはハンサムだけど」

 魔女パドゥーシカとは、近頃この大陸に出没するという噂の、魔界から地上に降りてきて手下の魔法使いを集めてよからぬことをたくらんでいる者らしい。真相は不明だが、凄腕の魔力を持つ年齢不詳の女だという。

「ルイが危険です。私はこれから助けに行きます」

「一人で行く気? ちょっとまって、あなただって危険でしょ。それにそんなことわざわざわたしに話すなんて……はっ!」

 ようやくクーネルは胸中でひとつの答えに辿りついた。

 シャーリーは同僚を見殺しにするわけにはいかず、誇り高い騎士道を守るためにも、魔女パドゥーシカと対決しに行く、それは決死の覚悟である。生きて戻ってこられるかどうかわからない。二度とクーネルと会えないかもしれない。

 やはりこれはーー。

 密かにシャーリーが想いを寄せていた可憐な姫(クーネル)、この想いは墓場まで持って行く覚悟だった。しかし今生の別れかもしれないとなると、決意が鈍る。

 せめて愛しい姫に一目あって想いを伝えてから断腸の思いで去ろうと! そういうことなのである!

 クーネルはようやく合点がいき、満足げに大きく息を吐き出した。

「やっと意図がわかったわ、そういうことだったのね!」

「いいえ、そのような邪な感情は、誓って一片もございませんが……」

「え!? わたしいまなにか言ってた?」

「途中からあらいざらい、現在のご心境を口に出しておいででした。クーネル姫はこの先、外交等の重要な局面でへまをしないか思いやられます」

 愁眉を曇らせるシャーリーに、クーネルは思い切り指先をつきつけた。

「じゃあアンタ、なんだっていうの!? むしろそれ以外の理由ってなにがあるのよ、これっぽっちも思いつかないのだけど!」

「そのことですが……」

 シャーリーは整った頬の輪郭をわずかにゆがめてためらいを表現した。クーネルが首を傾げる。決心したように彼は告白した。

「私はルイを、愛しています。一方的に想う、いわば忍ぶ愛ですが……」

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