中編・千代さんはその母親にひっかかる

 正直、文学というものや、その世界についていま一つ関心が薄い私は、吉屋さんについては本当に「学校の子供達が騒いでいる人気作家」というイメージしかなかった。

 実際それはそれで正しかったのだと思う。

 この時期の彼女の創作の基盤はまだこの時代、大人向きの小説ではなく、童話や少女小説だったからだ。

 しげりさんによると、「花物語」も当初は、オールコットの同名の作品よろしく、炉端の七人の少女が花にちなんだ物語を語り出す、という形だったらしい。


「それがどうして?」

「そりゃ、人気が出たからでしょ」


 でも最初は雑誌への投書から始めたらしい。彼女によるとね、としげりさんは続けた。


「『少女世界』ってあったじゃない」

「あまりよく覚えてないけど」

「あなたらしいわ。ともかくそこは、何回も入選すると『栴檀せんだん賞』ってメダルがもらえるのさ」

「吉屋さんは」

「無論もらったって。でもさすがにその雑誌では飽き足らなくなって、『文章世界』や『新潮』にも送る様になった訳」

「ああ」


 その辺りならよく耳にする。そっちは生徒ではなく同僚の方からだ。


「で、『花物語』が世に出た頃、彼女が『新潮』に出したのが」


 しげりさんはそう言うと、風呂敷包みの中から冊子を幾つか取り出した。まず『新潮』の大正五年一月号、とあるものを手にし、ぱらぱらとめくる。


「そういえば載ってたな、と思い出してね」


 開いて見せてくれたのは、「幼き芽生より」と題された一文だった。見てみてよ、という言葉にうながされ、私は手に取った。


「佐渡生まれなのね」

「でもお父様がお役人だったからね、結構引っ越し引っ越しだったらしいよ。ただねえ」


 ここ、と彼女は一文を指す。


「これはどうやら作り話らしいよ」

「作り話?」


 それは「叔母さん」のことを書いた箇所だった。


****


  ―――叔母なる人は若き娘だった。暖かい柔かな愛に私を抱いた。若き叔母は都のミッションスクールの寮舎に学んでいた。休暇毎に美しいカードやお伽噺の本ほ、お土産に持って帰って幼い子を喜悦に満たすのだった。やや縮れたる黒髪をS字巻にして紫矢飛白の被布を着たる気高い姿を乗せた船を私は浜撫子咲く渚に毎日待ち焦がれるのだった。しかし、若き叔母は私が七ツの春天国に召された。そして銀の星になって永久にみ空に輝いた。


 遺品の首飾りマドンナの像は、あまもなお悲しみに喜びに私に力を与うるものである。―――


 ****


「綺麗な叔母様が居らしたんですね、とお家に伺った時に、お母様はハテ何のことやら、と心底不思議そうな顔をなさったんだよ」

「お母様とお話しもしたの?」

「たまたまね」


 しげりさんは肩を竦めた。


「三番目のお兄さん夫婦のとこに、今は住んでる訳。そこにお母様と弟さんも同居。まあ何というか、息が詰まるんじゃないか、って思うね」

「でも会えたんでしょ?」

かわやに立った時に廊下でたまたま。『物好きな』というお顔なさってたから、この文章のこと思い出してさ、言った訳。そしたら居ない、っていう訳」

「どういうこと?」


 私は首を傾げた。


「考えられるのは二つ。千代ちゃん推理してみな」

「ええと」


 しげりさんは頬杖をついてにやにやと私を眺めている。


「一つは叔母様が『居た』場合。この場合は、お母様がその叔母様のことを隠したい、と思っている」


 うんうん、としげりさんはうなづく。


「もう一つは叔母様が『居ない』場合。この場合、文章そのものが虚構ということになるわ。でも」

「でも?」

「何でそんなことをわざわざ書くのか、その理由が分からないんだけど」

「それは私も解らないね。ただ私は二番目の方だと思ってるよ」

「何故?」

「お母様の反応が、鳩に豆鉄砲だったからさ」


 ああ、と私はうなづいた。


「どうもあそこの親子は、しっくり行ってないようだね」

「人様のおうちのことをそういうものじゃないわ」


 するとしげりさんは鼻でふっと笑った。


「千代ちゃんあんたは、母上の理解があったからね。まああんたの頭が飛び抜けて良かった、ってこともあるけどさ」

「……否定はしないけど、でも、それ以上に私が不器用で、先生になるしかない、って母さんは見抜いてただけよ」

「それでも、さ」


 彼女は苦笑する。


「大概の母親って奴は、不器用でも何でも、普通の娘らしく、を望むもんじゃないかい?」


 考えてみる。

 確かに自分の抱えている生徒達にもそんな様子は見られた。

 裁縫の先生が洩らす。教えても教えてもどうしようも無い子を、それでも何とか形にしなくちゃならないですよ。ほらそうでないと、婚家で苦労しますからね。

 衣類は皆自宅で手作りが普通だ。洋装ならともかく、通常は。

 麹町こうじまちの子達の家庭は大概、女中が一人二人居てもいい様なお宅だ。それでも「奥様」が何一つできないという訳にはいかない。そこまで免除されるのは、もう本当のブルジョワか華族さまと言ったところだ。

 ある程度の裕福な奥様が幸せに暮らすには、家政に関するあれこれは必須。――出来は問わないが。


「何かって言うと学校から再提出の課題持って来た時に縫い目が波打ってるとか、糸がほつれてるとか言ってはくれたわ。だけど、だからこう言ったのよ。『だからあんたはよくできる勉強で身を立ててそういうことをしてくれる女中さんを雇える様になりなさい』って」

「うんそれはそう思う。けどそれは珍しい、というか進歩的な頭だからだよ。あんたの母上が。吉屋さんとことは違う」

「違うの?」

「どうやら、違いそうだねえ」


 再び彼女は苦笑した。


「会ったばかりの私に対して、小説なんか書いているから、嫁の貰い手が無いだの、変な女なんかと問題起こして、とか言っちまうんだからね」

「変な女」

「ま、その辺は失言だったらしいけど」


 思うところがあるらしく、しげりさんはそれ以上話を広げることはなかった。私は文章の続きに目を通した。


「……それにしてもずいぶんと勇ましいわね」

「ん? どの部分?」


 私は叔母の話の少し後を示した。吉屋さんの宣言めいたものだった。


****


 ―――私は、淫楽に不義に邪道に卑しき驕慢の偽りの芸術に赤く燃えて歓楽の焔をあげている、この現代の日本の赤き世紀を見た。過られたる尊敬を払われている憎むべき芸術家が余りに多くはびこって、芸術の純白の象牙の塔の階を汚しているという事実は、私に狂気させる程鋭い感激を迸らせた。(……)私は、今汚く卑しき偽芸術家を掻除けて塔に馳せ登り、聖き扉を開いてオルガンの鍵を打ち鳴らさねばならない。寂しく、そして敬虔なる霊の奏曲は人類を眼覚めさせ救うことが出来るであろう。


 私は霊の曲を奏さなければならない。――人類の為に、神の為に。―――


****


「は。私が『屋根裏』で駄目だったのはこういう書き方だったね」

「真剣なのか冗談なのか判らないわ」

「いやこれ真剣だよ。当人、今でもそう思って私に何度もそういう話したし」

「でも『ならない』ってのが気に掛かるのよ」


 そう、どうも引っかかる点は幾つもあるのだ。

 ともかく吉屋さんは今から七年前、この様な気持ちを「本気で」持って進み出したらしい。

 四年後、大阪朝日新聞の懸賞で「地の果まで」という長篇が一位当選した。そのまま連載され大人向けの小説の世界でもデビューできたのだ。

 そして一昨年、やはり朝日の、今度は東京も含めて、「海の極みまで」を連載していた。


「まあどっちも舞台にかかったし。『海』は私は華やかな女主人公が格好いいと思ったね。『真珠夫人』の瑠璃子るりこさんを思い出したよ」

「私はどっちかというと『虞美人草』の藤尾ふじおさんを思いだしたけど」

「でもまあ、瑠璃子さんより強烈だったね。何せ自分を孕ませて堕胎に持ち込ませた男を最後、殺そうとして自滅するって言うんだから。瑠璃子さんは、って言うか、菊池先生はそこまでできなかった」

「私そこまで読んでなかったけど」

「貸そうか?」

「そうね、お願い」



 暫くして、私はしげりさんに呼び出された。


「今日は時間あるって言ってたからね。ちょっと遅くてもいいよね?」

「まあ―― 今日はある程度は」

「今日、吉屋さんの誕生日なんだよ」

「お誕生日!」

「でさ、まあ私としては彼女への贈り物に、わが最愛の親友を見せてやって、彼女が否定したがってる『女の友情』を突きつけてやろうってさ」


 ぐいぐいと手を引っ張るしげりさんに、私はただついて行くしかなかった。


 大正十二年一月十二日のことだった。

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