第2話 グラスの中の悪魔
私は、太陽の暖かい光を頭のてっぺんに感じながら正午の丸の内を歩いていた。
それは、私にとって久しぶりの光合成だった。
ここで囚われの身になっている囚人達が解放される夕方までの養分を取る為、カフェやコンビニに吸い込まれて行く。
似たような服、似たような髪、似たような化粧。
やっぱり、その姿は番号で呼ばれる囚人。
でも私は、こいつらの世界には入れなかった。
はじき出された。
そもそも、こいつらとは人種が違っていた。
こいつらは、容赦なく人種差別をする。
こいつらは、囚人の仮面をつけた死刑執行人だ。
だから好き、これは私のマゾヒスティクな片思い。
子供の頃、私には母親もいたし親しい友人もいた。
でも、何時も心は孤立いていた。
それは、自分がメシアの誕生を待つイスラエルの民に思えたから。
ガラス張りの高層ビル。
このグラスの中に入った瞬間、ブランデーのほのかな甘い香りがした。
桃田法律事務所。
店の客には弁護士もいるが、彼らの仕事場に入るのは初めてだった。
個室に通された時、ここでは服を脱がなくてもいいことに少し安心した。
と、乾いたノックの音がして、彼が入って来た。年の頃なら50歳そこそこと言った所だろうか。
私は、どんなに若作りしていようが中年の男の年は本能的にわかる。
それが、私の唯一のスキルだ。
「お待たせしました 始めまして桃田と申します」
「栗原です」
「突然のお電話 申し訳ございませんでした 絵流さんの番号 お母様から聞いていたもので」
私の母親は新橋の芸者だった。
私が高校を中退して家を出た時を最後に母親とも別居状態が続いていた。
そして、3年前、母親は肝臓癌で死んでしまった。
母親が死んだと聞いたのも、その時、売春行為で捕まった刑事からだった。
つくづく、私は親の死とは縁がないようだ。
「お通夜とお葬式は残念でしたが 来週の金曜日 お別れの会があるようなので もし良ければ ご出席下さい 詳しくは また 後ほど」
残念なのは、その時、詳しく聞いても行く気がなかったことだった。
興味本位で聞きたかったのは、その人の死因。
「で その人 何で死んじゃったんですか? 病気?」
「いえ 実は 別荘の近くの湖で水死体で見つかったんです」
水死体。
想像もしていなかった、その言葉に私は、一瞬どう切り返していいのかわからなかった。
「警察は事故と自殺の両面で捜査しているようですが・・・」
まるで映画かドラマか推理小説の中に入ったような気分だった。
「で まだ 少し先の話にはなるのですが 遺産相続の件で お話しておきたいのです」
来た、来た。待ってました。と、私の中の悪魔が呟いた。
「その前に絵流さん ご自身の戸籍謄本って ご覧になったことは?」
戸籍謄本。
流石に私もその存在は知っていたが、現実に耳にするのは初めてだった。
「いいえ 見たことないです」
「なるはど では お父様の事は あまり ご存じではないのですね」
あまりと言うよりか、ぜんぜん知らなかった。
「法律上では 絵流さんは 非嫡出子ですが・・・」
「なんですか それ」
非嫡出子。
流石に、その言葉は存在すらしらなかった。
「そうでしたね これは法律上の呼び名なんですが 非嫡出子とは婚姻関係にない男女の間に生まれた子のことを言います 逆に婚姻関係のある男女の間に生まれた子を嫡出子と言います」
婚姻関係のない男女の間に生まれた子供。
それは、私の事。
それを、非嫡出子と言うんだ。
それまで、愛人の子供と言われ続けて来た私にとって、その法律用語の響きは、何か、ちょっと偉くなった気分だった。
「で 絵流さんは 法律上では この非嫡出子となります」
その通り。
「普通 非嫡出子には遺産相続の権利はありません でも ここが重要なんですが 非嫡出子でも父親が認知していれば遺産相続の権利は発生します」
絵流 「認知って?」
認知。
認知症のことかな。
「認知とは 生まれた子供を自分の子ですと認めることなんです」
認知症ではなかった。
でも、それは、男にとっては勇気のいる行動と言うことは理解が出来る。
「で 幸い絵流さんは お亡くなりなったお父様がから認知されておられます これは 戸籍謄本をご覧に なれば ご理解頂けると思います」
水死体の彼、なかなかやるじゃん。
「遺言状があればそれが優先になるんですが 今の所 遺言状は確認されていないと言うことなんです」
もし、遺言状があったら彼は私の名前を書いていたのだろうか。水死体に聞いてみたくなる。
「それに お父様には ご両親もご兄弟もおられなかったので」
「そうなんですか・・・」
それを聞いて、少し親近感が湧いた。それは私も彼が死んで一人ぼっちになったから。
「で この件については 先ず 絵流さんが意思を示す必要があります」
「意思?」
「はい お父様が残された遺産を相続するか それとも 放棄するかです」
「で 額は?」
思わず、悪魔が尋ねた。
「それについては 絵流さんが相続の意思を示されれば 相手の弁護士に問い合わせることとなります」
「そうですか」
何だ、教えてくれないんだ。残念。
「でも 相当な額にはなるかと思いますよ」
相当。その意味をググって見たくなった。きっと、心が躍る意味なんだろう。
「でも お母様 さすが新橋の方だ 絵流さんの将来の事を思ってお父様に認知して頂いておられたのかと」
それは、少し違う。
多分、母親は父親より先に死ぬとは思っていなかったのだろう。
母の奴隷だった私に、一旦、相続させておいて自分が取るつもりだったんだ。
これは母親の誤算でしかない。
と思うと、また心が躍り出した。
グラスのビルから出た時、もう街は黄昏時を迎えていた。
沈みかけた弱い夕日を反射して輝くグラスタワー。
家路に急ぐ私の死刑執行人達。
やっぱり私は、こいつらとは人種が違った。
ふと気がつくと、何時ものルーティーン。
美容室の大きな鏡の中に魔女の姿をした悪魔の顔が映っていた。
意思を示すだけで、大金を手にすることが出来る。
もう、身体を売らなくても済む。
あの寄生虫だけの物になれる。
でも、この時、私は迷っていた。
それは、怖かったから。
水死体に呪われるのが。
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