ヒキコモリ死霊術師のモテ修行

藍澤李色

王都グリューネ怪事件編

第1話 プロローグ~黒き森の死霊術師

 ――罰が当たったのかもしれない。

 細い手首を握りしめて、そう思った。

 死者の魂に囲まれて、ずっと今日まで過ごしてきた。

 どんな者でも、死は平等だ。生まれてくることが始まりならば、死は終わり。しかし、死者の声を聴くことを生業とする自分には、その覚悟が足りなかった気がする。

 死を、魂が肉体を失うまでの通過点のように、思っていた。だけれどいざ、近しい者が死の気配を纏っているのを前に、そんな生易しいものではなかったと悔い改めた。

「僕はあまりいい兄ではなかったな」

 しみじみと呟くと、彼女はいつも通りに笑う。だけど、その笑顔にかつてのような華はない。

「そんなことはありません。アローお兄様はずっと私の誇りで、全てでした。これから先を貴方と共に過ごせないことが無念でなりません」

 澱みなくそう答える彼女の声は、ささやき声のようにかすかだ。今まさに命の火を燃やし尽くそうとしている。夜明けを待たずに彼女は旅立つだろう。日常的に、死者に触れ続けている彼には、それが肌で感じられた。

「僕にとっても、お前は誇りで、全てだった。これからもそうだろう」

「だけどお兄様、私はひとつ謝らなければならないことがあるのです」

 悲しげに眼を伏せた彼女の口を、そっと指でふさいだ。

「何も言わなくていい。お前は何も悪くない」

「でも、お兄様……」

「僕はお前に後悔させたくない。安心してくれ、何も心配はいらないよ、ミステル。お前の目の前にいるのは、希代の魔法使いだからね」

「ふふふ、そうでしたね。私のこの魂は、死してもなお、お兄様のために全てを捧げましょう」

「それがお前の望みなのか?」

「はい。私のこの魂を、全てお兄様のためにお使いください」

「お前を道具みたいに使うつもりはないよ」

「いいのです。どんな形でも、貴方のおそばにいられるのでしたら」

 彼女……ミステルは、柔らかく微笑んで。

 それが最期だった。

 ミステルという名のその少女は、黒き森の奥深くにある小さな山小屋で、ひっそりと息を引き取った。

 たった十五年の生涯だった。

「……ミステル」

 妹の名前を呼び、亡骸の瞼をそっと閉じる。

 血のつながらない妹だった。それなのに、誰よりも自分を慕ってくれて、尽くしてくれた。

 この、陽の光もほとんど届かない黒き森で、一緒に生き抜いてきたのだ。これからもずっと、そうやって生きていくつもりだったのに。あまりにも早い別離は、心に深く楔を打ち込んだ。

 彼に血のつながった家族はいない。父を知らず、母は自分を産んだ時には亡くなっていた。

 幼少期を魔術師の師匠に育てられ、七年ほど前に身寄りを失ったこの少女を家族に迎えた。

 魔術の師匠は数年前に姿を消し、それからはずっと二人きり。

 彼女の手首を握りしめる。手のひらに残る熱が、彼女の熱の名残なのか、自分の熱が彼女を温めているだけなのか。それすらも、もうわからない。

 彼女の亡骸を抱いて、立ち上がる。

 名残惜しいけれど、彼女を焼かなければならない。灰にして、小さな瓶に収めて、それからだ。

 ゆっくりと目を閉じる。遠い昔のことを思いだした。自分がこの歳にいたるまで、薄暗い森の中で息をひそめるように生きるきっかけとなったことだ。

 彼女と出会う前、自分はひとつ大きな間違いを犯した。

 間違いを犯した自分は、もう誰とも一緒にいることはできないのだと悟った。

 そんな自分を孤独から救ってくれたのが、彼女だ。こんな自分を、彼女は一途に信じ、愛し、支えてくれた。師匠の元で厳しい修行を続ける毎日も、彼女のおかげで耐えられた。

 ミステルという名の少女を、その魂を、肉体を、取り戻す。

 それは許されないことなのかもしれない。死者への冒涜と言われたら、恐らくそうなのだろう。

 それでも、彼女は自分に全てを託した。自分は、それに応える。

 彼女との約束だから。兄として、彼女を守り、共に在ると。

「大丈夫、僕はお前を取り戻してみせる」

 元より自分は、死という人の終わりを暴き、冥界の門を叩く者だ。恐れることはない。

「お前との約束は、絶対に違えない」



 森に囲まれた山間の小国、ゼーヴァルト。

 その中でも国土の三分の一を占める針葉樹林地帯、陽もろくにささず、危険な獣が牙を研ぎ、狩人も決して深入りはしないとうツェラント樹海に、死霊魔術師の兄妹が住んでいた。

 兄の名はアーロイス・シュバルツ。師匠や妹は、アローと呼ぶ。

 妹の名は、ミステル。血のつながりはないが、アローにとってはかけがえのない家族。

 人を避け、死人の声を聞きながら暮らしていたその死霊術師は、しかし妹の死をきっかけにしてついに森を出る決意をする。

「都に行こう。そこでなら、きっと見つかる」

 最愛の妹を、よみがえらせるために。

 必要なものは、わかっている。そのための方法も。

 遺灰を詰めた瓶と、保存食、路銀。その他はわずかな着替えだけを鞄に詰めて、旅立ちの準備を整えた。

 森を抜けるまで三日。王都へは、そこからさらに乗り合い馬車で二日。最後に都に出たのは随分前のことだが、行き方はちゃんと覚えている。大丈夫だ。

 失うものはもう、何もない。だから――。

「ミステル、お前のために、僕はモテる男になるぞ!」

 死霊術師の少年は旅立った。

 シリアスな空気をぶち壊す、いささか残念な決意を胸に秘めて。


 ――そして、その半月後。彼は少女に剣を向けられていた。

「連続呪殺事件の重要参考人として、ご同行願います」

「……はい?」

 かくして、少年と少女は出会う。

 生きとし生けるもの、死に至るまでの道筋は同じ。同じ場所に立つこともあるだろう。

 しかしその出会いは、かなり最悪のものだった。


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